13.研究者

 だが今は――――奸物と言うよりも、ただ単に好奇心を満たしたいだけの研究者や科学者といった雰囲気に近い。


 もちろん、油断は出来ない。許す気もない。

 雫をこんな目に合わせた二人組の片割れだ。

 しかし今、俺たちが生き残ることを最優先で考えれば、無理に須藤こいつの相手をするよりも、このままやり過ごす方が生存確率は断然高い。


 俺以外のメンバーからも、警戒心は保ちながらも、柿崎を相手にしていた時のような差し迫った緊張感というのは消えている。


 ……いや、俺の肩に座って脚をぶらぶら揺らしているリリスだけは、警戒感すらすっかり消え去ったような緩みきった顔つきだ。

 悪魔だけに相手の殺気のようなものには敏感なんだろうか?

 そう考えれば、リリスの腑抜ふぬづらも、今の須藤に脅威がないことの証左と言えるかも知れないが……。


 至近距離で、俺の指輪と六尺棍棒を須藤に観察されるという、非常に居心地の悪い時間が一頻ひとしきり流れたあと、おもむろに須藤が屈めていた腰を伸ばす。


 赤黒くただれた俺の右前腕を一瞥すると、左手をかざして短い呪文を唱える須藤。

 咄嗟のことに、思わず成り行きに任せてしまったが……。


 ――――!?


 メアリーの処置で幾分和らいだとは言え、その後もズキズキと痛んでいた右手の痛みが急速に消えてゆくのを感じる。


 なんだ? 何をされた?

 見たところ、右腕に特に変化はないようだが……。


 それが済むと、きびすを返した須藤が今度は入り口付近まで移動し、かたわらの木箱から幾つかの荷物を、同じく傍にあった布袋に詰め出す。

 俺たちに背中を向けているその姿は無防備極まりないように見えるが……それでいて室内のあらゆる場所がこの男に監視されているような緊張感。

 張り詰めた空気は、やはり一向に和らいでいない。


「こいつはな……、ああ、この剣士……柿崎のことだが……」


 荷物の選別の続けながら、不意に須藤が話し始める。


「これまでも何度か仕事で組んだことはあったんだが……先日、ちょっとしたヘマを打って死んでしまったみたいでな」


 まるで、飼っている熱帯魚の死を報告するかのような口調トーンだ。


「まあ、腕は確かだったし死体も綺麗だったんで、実験も兼ねて繰霊石くりょうせきを埋めてみたんだが……」


 雫の治療をしていたメアリーが、須藤の言葉を遮るように口を開く。


「繰霊石の製法は、ダークエルフの中でも限られた者にしか伝承されておらず、一族の衰退とともに失われたと学校で習いましたよ」

「なんだ……ノームってのは勉強熱心な一族なんだな?」


 作業を続けながら、振り向きもせず問い返す須藤。


「メアリーが特別熱心なのです。パパと違って」


 俺のことはどうでもいいだろ!

 いや……俺だって元の世界では普通に勉強もしてたんだよ?

 いつの間にかすっかり世間知らずキャラになってしまったけど。


「確かに正確な製法は失われたが、それでもダークエナジーを利用した大まかな術式ドローイングは、一族の中では一般常識だったからな」

「それを元に……復元したのですか? 禁具を?」


 メアリーの声に、僅かに非難の響きが混じって詰問調に変わる。

 初めて手元から目を離し、流し目でメアリーを顧みる須藤。


「禁具? それは亜人間の協定で勝手に指定されただけだろう? しかもくだんの会議にはダークエルフの代表者は出席していたなかったと聞いている」

「死者を蘇らせるなど、当然に禁術指定なのです! 一度ひとたび輪廻の流れに乗った魂を無理矢理呼び戻すなど、生命への冒涜もいいところです!」


 メアリーの感情が高ぶる。

 本当に死者を蘇らせられるなら、それを最も欲した経験があるのは、目の前で両親を食人鬼グールに殺されたメアリーかも知れない。

 しかし、それだけに、ただの思いつきや実験で死者を蘇らせた須藤の行為にも人一倍いきどおりを感じているのだろう。


 再び須藤が、手元に視線を戻して荷物の整理を続けながら答える。


「おまえらの価値観など俺は知らない。しかし、ダークエナジーを使わなければ成し得ない〝繰霊石〟の精製は、我々一族のアイデンティティだと俺は思ってる」


 奥歯を噛み締めるように唇を結びながらも、それ以上は語らず雫の治療に専念するメアリーに代わり、今度は立夏りっかが言葉を繋ぐ。


「でも……石はまだ、未完成……」

「……そうだな」


 返事をしながら須藤が、口に手を当てて視線を上げる。

 一点を見据えながら何かを思い出しているようだ。


「記憶の欠落が多かったし、死体特有の臭いも完全に消しきれていなかった。それに、死してなお、あれだけ強い性欲が残っているというのも誤算だったな……」


 性欲、と言う言葉に雫がピクリと肩をすくめる。

 須藤こいつにとっては、繰霊石の不具合がもたらした出来事など、何の呵責にも値しないのだろう。

 まるで、柿崎の周りで起きた不測の事態もすべて含めて観察対象といった様子だ。


「まあ、寿命を観測できなかったのは痛かったが、それでもこれまでの最長は更新したしな。他の面では良いデータも取れたし、次回の精製の参考にさせてもらう」


 話を聞いている限りでは柿崎本人も、自分が繰霊石によって復活した〝死体ゾンビ〟であることには気が付いていなかったのだろう。


 いつの間にか自分の身体が死体だったと気が付いた本人はどうなる?

 自我を保ったまま相手の身体を自由にできる〝魔薬〟にしてもそうだ。

 人権なんて言葉がまるでハナクソに思えるかのような、恐ろしい魔法道具が跋扈ばっこしているのがこの世界なんだと、改めて痛感する。


 とりあえず、雫が助かった今は俺も充分に冷静さを取り戻している。

 今の須藤こいつに俺達をどうこうする気がないのは、さすがの俺でももう解る。

 余計な波風を立てずにこのままやり過ごすのがこの場での賢い選択だ。


「あんたねぇ! それで済ますつもり? 雫ちゃんに謝るくらいしなさいよ!」


 ノォ~~ッ!!

 肩の上で叫ぶリリスの声を聞きながら、俺は天を仰ぐ。

 まったく……KYメイドめっ!


 荷物の仕分けが終わったのか、布袋の口を紐でギュッと結び、それを肩に掛けて須藤が立ち上がる。


「済まなかったな」


 雫とメアリー方を見ながら、どうでもよさそうに呟く須藤。

 感情を纏わない口調から反省の色は到底うかがえないが、とは言え、どうやら怒ってもいないようだ……とホッと胸を撫で下ろす。


「ノームは結界術が得意な一族だと認識していたが、治癒キュアーも使うとは珍しいな」


 ベッドで雫の傷のケアをしているメアリーを見ながら須藤が呟く。


「メアリーは守護家の一族として祝福を受けてますからね。もちろん結界術も使えますし、雀拳達人ジャンケンマスターでもあります」


 ジャンケン? と、須藤が不思議そうに首を捻る。

 やはり、あの能力は相当イレギュラーなんだろうなぁ。


「とりあえずその娘……その世間知らず・・・・・の妹か? 今は痛覚を遮断してるが肋骨にヒビが入ってる。できるならそれも治療してやれ」


 痛覚を遮断?

 じゃあ、俺の右腕から痛みが消えたのもそれをしたからか!?

 と言うか、肋骨にヒビって……あの柿崎クソゴリラ、一体雫に何を!?

 想像して再び激昂げっこうしかける感情を必死で抑える。


「さて……あの魔動車の男に聞いて急いで引き返してきたが……仕事を残してきたからな。俺はそろそろ行かせてもらう」

「魔動車の男……って、寅さんのことか!? おまえ、まさか……」

「心配するな。話を聞くのに多少脳はいじったが……後は眠らせてきただけだ」


 眉尻を吊り上げた俺の顔を見て須藤が説明する。

 本当か? こいつの言葉を信じてもいいのか?


「あの男にしてもおまえらにしても、殺すのは造作もないが……後始末の手間も考えれば、あちこちに痕跡を残すのは決して得策じゃない」


 確かに、そうかも知れない。

 さっきのみんなの話を総合すれば、須藤が隠遁いんとん生活に近い形で人間社会に潜んでいることは想像に難くない。

 なるべく目立つことは避けたいというのは本心だろう。


 しかし……飽くまでも須藤の立場で考えた場合、アジトにしろ須藤の容姿にしろ、これだけの目撃者をそのまま残しておいて平気なものだろうか?

 俺のいぶかしそうな表情を見て、須藤がさらに付け加える。


「この後はいろいろ自警団の調べも入るだろうが、このアジトはもう捨てる。ここから俺に繋がる何かが出てくるなんてヘマも、俺はしない」

「顔は……どうする気だ? 人相を聞かれれば俺たちも答えないわけにはいかないぞ?」

「好きにしろ」


 そう言うと須藤は、くるりと振り返って入り口へ向かう。


「お前らが俺の人相について答えたとしても、俺の面が割れることはない」

「……?」


 立夏が、俺の怪訝そうな表情をチラリと顧みて須藤の代わりに答える。


「認識阻害……」

「そうだ」


 肯定しながら、振り返ることなく出口へ向かう須藤。


「どういうこと?」と聞き返す俺に、立夏が説明を続ける。

「精神系障壁魔法の一つ。見る人によって対象の容貌は違って見えているはず。もちろん、その中に本当の顔はない」


 そんな魔法が……。

 だから最初に、ギルドホールで見た須藤と全く別人のような違和感を感じたのか。

 しかも、ギルドホールでの姿を思い出そうとしても、記憶が上書きでもされたかのように全然思い出すことができない。


「ってことは、もしかして須藤あいつ……名前も偽名?」と、リリス。

「そりゃそうだろ」


 さすがに、それは俺でも解る。

 ダークエルフで本名が〝須藤〟とか、ありえないし!


 リリスに突っ込んでる間に、いつの間にか須藤の姿は消えていた。


               ◇


 アジトから表へ出ると、宵闇がすぐそこまで迫っていた。

 出る前に確認した振り子時計の針が指していたのは十八時を少し回ったところ。

 日没まではあと一〇分少々と言ったところか。


「町まで、歩いて行くの?」と、ブルーに跨ったリリスが訊ねる。

「仕方ないだろ。家の裏に軽魔動車は二人乗りだったし、起動石も見当たらないし……そもそも操縦の仕方もよく解らん」


 俺と立夏とメアリー、そして今は雫も一緒だ。

 メアリーの治癒キュアーのおかげで、全身の擦り傷はほぼ綺麗に治っている。


「雫は……大丈夫か?」

「うん、平気。メアリーちゃんのおかげで傷はほとんど治してもらったし」

「手、繋ごうか?」

「ええ……いいよ、そんな……」


 雫がはにかんだ様子で首を振る。

 頬が赤く見えるのは、夕日のせい?


 そう言う俺も今までのゴタゴタですっかり忘れていたが、雫と血が繋がっていなかったという事実を思い出す。

 今まで通り普通の兄妹の感覚でなんとなく手を差し延べたが、実際に手を繋いでいたら昨夜の話を思い出してそうとう緊張していただろう。

 俺も思わず、意識して頬が熱くなるのが解る。


「それに、そんな状態の右手……落ち着いて握ってられないし……」


 空気に触れないよう、アジトの一階で見つけた包帯でぐるぐる巻きにして、今はミイラ男の一部のようになっている俺の右腕。

 火傷の様子は雫も見ているし、確かにこの手に引かれるのは躊躇するだろう。

 と言うか、そもそもの問題は左腕で抱えてるこの袋・・・なんだよ――


「このパン、持ってくる必要あったの?」

「あたりまえじゃない。あそこじゃ、すぐにカビだらけになっちゃう」と、リリス。

「いや、そこじゃなくて、食べる必要があるのか、って話」

「あのね、紬くん。あわ一粒は汗一粒! 食べ物は粗末にしちゃいけないんだよ?」


 え、なにそれ?

 悪魔の言葉とは思えないような正論だけど、なんか違うぞ?

 しかも〝粟〟って……何時代だよ? せめて〝麦〟と言い直せ!

 そもそも悪人のアジトだからって、勝手に持ち出しちゃ泥棒だからな?


「それよりさあ、さっきの、何よあれ?」

「さっきの?」

「『雫、手繋ごうか?』

『え、いいよ、そんな……』

『なんだよ、恥ずかしがるなよ』

『お兄ちゃんこそ、顔が赤いよ……』」


 ――リリスの一人芝居。


「後半は全部フィクションじゃねぇか」

「そんな雰囲気だったってこと! あなたたち、本当に兄妹なんでしょうね!?」


 ギクッ!!

 たまに、妙に鋭いんだよな、リリスこいつ


「と、当然だろっ! ど、どっからどう見ても、き、兄妹以外の何物でもないじゃん! な、なあ、雫?」

「う……うん」


 さすがの雫も少し歯切れが悪い。


「どもりまくってるんですけど、それは?」と、リリス。

「今、パパから〝ギクッ〟って音が聞こえた気がしました」と、メアリー。

「うそつけ! 擬態語が聞こえるかよ!」


 だいたいからして、ちょっとおかしくないか?

 年頃の兄妹が少しはにかんだ会話をしたくらいでいきなり血の繋がりを疑うなんて、いくらなんでも発想が飛躍し過ぎてるぞ?

 リリスこいつ、もしかして昨夜、密かに俺と雫おれたちの様子を窺ってたんじゃ……。


「そういう話はね、よくあるのよ、人間界では」


 ブルーの背の上で目を瞑り、人差し指を立ててリリスが講演モードに入る。


「〝新婚さん、ヘイらっしゃい!〟にも出てたのよ。血の繋がってない兄と妹の新婚さん。さっきの紬くんと雫ちゃんには何か同じ臭いを感じたわ!」

「新婚さん、って……」


 根拠はテレビ番組かよ!?


「観てないけど……あんな番組に出てたのは、人間でも例外中の例外だから!」

「観てなかったの? あれは、若いカップルにも通じる男女のバイブルみたいなものよ? あれを観ずして他に何してたのよ!?」

「おまえこそ、人間界で何してたんだよ……」


 あんな番組がバイブルになってる面白可笑おもしろおかしい日本なんて、俺はゴメンだ。

 メアリーが怪訝そうな表情のまま訊ねる。


「パパとリリっぺ、たまにわけの解らない会話を始めますよね? 一体なんですか、その、新婚さんナントカって言うのは……」

「いや、まあ、とにかくだ! 俺と雫は、父親は違っても普通の兄妹だから!」

「紬くんさぁ……嘘付く時、鼻の穴が膨らむよね」


 え!?

 リリスの指摘に、思わず鼻を隠すように右手を当てる。

 そんな俺の様子を薄目で見上げるリリス。


「…………」


 もしかしてこいつ、鎌をかけやがったな!?

 いつの間にそんな高等テクニックを!?


「やっぱり、嘘なんだ?」

「だから、ちがっ……」


 ドンッ! と何かにぶつかって歩みが止まる。

 気が付けば、先を歩いていた立夏も振り向いて俺を見ている。

 ……こっちもジト目だ。久し振りの、立夏刑事の目だ!


 なんだ? いつのまにか、拙い状況になってる気がするぞ?

 立夏の目を見ちゃだめだ! 心を読まれるっ!

 と、その時――


「おお~~い! みんなぁ~~、無事かぁ~!?」


 前方から、夕暮れ時の坂道を登ってくる魔動車。

 操縦席の窓から顔を出して手を振っているのは――


「寅さんっ!!」


 みんなの視線が一斉に寅さんへ集まる。


 無事だったんだ、寅さん!


 助かりましたよ、寅さん!


 いろんな意味でっ!

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