11.立夏と雫
俺が浴室から戻ると、
雫もそれほど口数が多い方ではないが、それでも立夏に比べれば、はにわと〝おしゃべりみーちゃん〟くらいの差はあるだろう。
手元の怪しい立夏にあれこれ教えながら調理する雫の後ろ姿は、心なしかいつもより楽しそうに見える。
後ろを通りかかった俺の気配に雫が振り向く。
「あ、お兄ちゃん……って、何!? パンツ一枚で! 立夏さんもいるんだから、ちょっとは気を使ったら?」
「ああ、ワリい……、いつもの癖でつい」
タオルで髪の毛を拭きながら一応謝っておく。
ただ、オアラ合宿で初美がのぼせた時に、似たようなシチュエーションもあったし、一度経験してしまうと「もういいや」という気分にもなってしまう。
「ごはん、もうちょっとかかるから、本でも読んで待ってて」
「うん……それはいいけど、立夏、大丈夫か?」
そっと雫に確認してみる。
立夏の剥いたジャガイモの皮の厚さが、目の錯覚じゃなければ一センチ近くはありそうだ。しかも、剥いたジャガイモを左手で抑えることなく、両手持ちの包丁で乱切りにしている。
「そうね。やり方は
「でも、中身より、剥いた皮のほうが量が多いだろ、あれ?」
立夏が、両手で包丁を握ったままくるりと振り返る。
「あっぶなっ!」
「気が散る。あっち行ってて」と、淀んだ瞳で警告する立夏。
「わ、解った! とりあえず怪我、気をつけろよ。今メアリーもいないんだから」
立夏も一人暮らしみたいだけど、料理はあまりしないのか? っていうか
一旦二階の部屋に戻り、新しいTシャツとハーフパンツに着替えると、初美から借りてきた本を持って再びリビングへ。
しばらくリビングの長椅子で読書をしていると、俺と入れ替わりで浴室を使っていたリリスがふわふわと戻ってくる。
「紬くん、ちゃんと仕事してくれないから、ちょーお腹空いたわよ」
ハンカチで髪の毛を拭きながら、同じ不平を繰り返すリリス。雫のフランスパンの件を根に持っているのだ。
結局、
「
「私の胃袋は、宇宙よ!」
親指を立てて答えるリリスだが、ここまでどうでもいいサムズアップも珍しい。
「そう言えば紬くん、あのパンツ、雫ちゃんに返したの?」
「ああ。誤解も解いておかないと、さすがに拙いしな……」
「そう?」
「そりゃそうだろ。妹から使用済み下着を恵んでもらうとか、兄としての
いや、兄としてと言うより、人としてどうかという次元だな。
「って言うか、勝手に妹の部屋に入って下着を漁ってる時点で、兄としてどうかと思うけどねぇ……」
「そもそも、おまえが妹の部屋からパンを持ってこいとか言い出したせいだろ。ちょっと待てば済む話なのに、我慢が足りないんだよ」
「すぐ昼食だって教えてくれれば、私だって無理にとは言わなかったわよ」
「言っただろーがっ! 最初にっ!」
◇
昼食はカレーだった。元の世界のように手軽なルーがあるわけではないが、カレー粉はこの世界にもあるらしい。
炒めた小麦粉と練り合わせてルーのような状態にしてから利用するので、元の世界のように手軽な料理の代表格……という訳にはいかないが、こちらの雫にとっては得意料理の一つで、かなり手早く調理を済ませて食卓に並べられた。
他に、スライスされたフランスパンや、元の世界で言う〝チャパティ〟のような料理が添えられている。
カレーと言えば〝ナン〟が有名だが、小麦粉を発酵させ、尚且つ大きな石釜が必要なナンは、本場インドの一般家庭でもほとんど食されていなかったらしい。
代わりに、水で
……と言うようなことを、この世界に来て初めて雫のカレーを食べた時に、リリスから教えてもらった。
食いしん坊将軍になったのはこの世界に来てからだそうだが、もともと人間界での楽しみと言えば、一にも二にも美味しい食事だったという
人間界のリサーチも、この分野にとくに力を注いだらしい。
「うん、美味しい!」
一口食べた瞬間、思わずそんな月並みの感想が口を
ジャガイモは、枝豆くらいのものからゴルフボールくらいのものまで
……と思ったのだが。
「何か……気になることでも?」
俺の顔をジッと見ながら、立夏が訊ねる。
そっか……エスパー立夏相手に、沈黙は無意味か……。
「いや、ジャガイモがね? 満足サイズからリリスサイズまで、いろいろ考えて切られてるなぁ、って思って感心して……」
「別に、気を使わなくていい」
「あ、いや、そんなつもりはないんだけど……でも、ほら! ニンジンの大きさはすごく綺麗に揃ってるじゃん!」
「ニンジンは……雫さんが切ったの」
ど……ドツボ!
ここは下手に取り繕うより、普通にフォローしておいた方がいいか……。
「ま、まあ、立夏にだって、一つや二つ、苦手なことくらいはあるだろうし、そんなに気にしなくても……」
「苦手じゃない。面倒なだけ」
必殺、フォロー潰しっ!
立夏さん、意外と負けず嫌い?
微妙な空気が流れかけたその時、玄関ドアが開く音。そのすぐ後に「ただいまぁ」と言う声が室内に響く。母の声だ。
おかえりなさ~い、と雫が座ったまま玄関へ向かって声を掛ける。
程なくして、買い物袋を抱えた母がリビングへ入って来た。
「あら、
「え? ああ、うん……えーっと……」
誰? と言う風に雫の方を見る。
雫のやつ、端折るどころか、完全に嘘の情報を伝えてるな。
誰かいないの? とでも言うように、雫も
「そうそう、中山だよ、中山!」
「中山……くん?
そんな奴はいない。
雫の方を見ると、俺の目を見てバツが悪そうにペロリと小さく舌を出す。
まあ、雫の体験したことを考えると、両親とは言えありのまま話すのは気が引ける、というのは解らないでもないが……。
「そんなことより、母さん、早かったね?」
「今日は午前中だけだったから……。で、そちらのお嬢さんは? 紹介してくれないの?」
「あー……、えーっと、クラスメイトの立夏」
と言う俺の方をキッと睨んで「お兄ちゃんのクラスメイトの、雪平立夏さん」と、雫がもう一度紹介し直す。
俺の紹介を丁寧に言い直しだけじゃん……。
こんにちは、と、無表情のまま軽く会釈をする立夏。
「あらそう! 初めまして立夏さん。ちなみに、
ブッ! と、俺は思わず口に入れかけたチャパティを吹き出す。
「
「母さんがいきなり変なこと訊くからだろっ!」
「なにが変なことよ? 十一年生にもなって、連れて来たガールフレンドを紹介されたとなれば、そういう想像をしたって不思議じゃないでしょうよ」
「おおいに不思議だろっ! って言うか、紹介したことも
そう突っ込んで、しかし、はたと思い出す。
もしかして、この世界では結婚適齢期が相当早いのか?
「だって、二丁目の佐藤さんとこの隆志君の話、あんた、聞いてる?」
「佐藤……隆志?」
記憶の糸を手繰り寄せる。
そう言えば元の世界で、幼い頃にそんな名前の子とよく遊んでいた記憶がある。確か学年は一コ上で、高校も別だったのでずっと疎遠になっていたが……。
「そう、隆志くん! 先日、家に彼女を連れて来て、卒業したら結婚したいって紹介されたって……佐藤さんの奥さん、嬉しそうに話してたわよ」
「そ、そりゃそう言う人もいるかも知れないけど……」
「お母さん……」
雫が、ナプキンで口の周りを拭きながら口を挟む。
「今はお母さん達の時代と違って、そこまでみんな早くはないよ、結婚」
「あらそうなの? だって、三丁目の田中さんのところも……」
「佐藤さんと田中さんは特別よ。鈴木さんと高橋さんところだって高等院まで卒業してるのにまだ独身だし、伊藤さんちの圭子さんだって……」
改めて苗字を並べられると、MOB感満載のご近所さんだな……。
「確かに最近、二十歳くらいでもフラフラしてる若い子は増えてるけど……」
台所で買い物袋の中身を整理しながら、母が残念そうに呟く。
「じゃあ、婚約はともかく、立夏さんは息子とは何もないの?」
愚問だよ母さん。どうせ返事はいつもの、ないと言えば――
「ないことも、ない」
って、あれ? ちょっと変わってるっ!?
あれか……トゥクヴァルスの口移しの件、未だに尾を引いてるのか?
「あら! じゃあ、結構脈ありな感じなのかしら!?」
買ってきた食材の整理もそこそこに、再び母が食いつく。
しかも立夏のダンデレキャラ、意外と母の好みなんだよな。
自分が営業の仕事をしているせいか、愛想が良すぎる人間は信用できないと、自らの仕事を全否定する発言をよくしている。
無口で無愛想なくらいの人の方が信用できる、というのが母の持論だ。無口な初美を気に入っているのも、恐らくそのせいだろう。
「私も、立夏さんなら、お姉さんとして理想なんだけどなぁ」
今度は突然、関が原の小早川
「だよねーっ! 紬、立夏さんにしちゃいなさいよ」
「しちゃいなさい、って……立夏の気持ちだってあるだろ!?」
「
「一応これ、母的には褒め言葉なんで……」と、慌てて立夏に耳打ちする。
それにしても……元の世界で母とこんな話をすることはなかったけど、こう言う人だったんだ? と、改めて意外な一面に驚く。
元の世界では、帝王切開で妹を出産した後、傷跡から子宮内膜症を発祥して不妊治療を受けていた母。それが原因かどうかは解らないが、結局三人目を授かることはなかった。
いや、妹は父の連れ子だったんだし、今から考えるとあれは俺を出産したときの話なんだろうな。
もう一人欲しかった、といつも言っていたのは覚えているが、今から思えば、『早く結婚して孫の顔をみせろ』というプレッシャーだったのかも知れない。
「と、とにかく! そう言うことは俺が自分で決めるから!」
「マイペースのあんたに任せてたら、いつになるか解ったもんじゃないでしょ? まあ、いざとなったら雫と……っていう手もあるけど」
「おかしいだろ、それっ!」
母のその発言には、さすがに雫も赤面して
食事の後は、母も交えて暫くリビングで雑談タイム。
いや、俺としてはさっさと部屋に退避したかったのだが、母が立夏に興味津々らしく、お茶やお菓子で俺たちをリビングに引き止めたのだ。
尤も、それに釣られたのはリリスくらいで、俺たちはリリスに付き合って仕方なく残ったようなものだったが……。
「じゃあ、そろそろ、出かけるわ……」
三時を回ったところで席を立つと、立夏と雫も俺に続く。
「あら? また出かけるの?」
「うん、ちょっと……このあと友達の家でミーティングが……」
「そう。夕飯は、作らなくてもいいのね?」
「うん、大丈夫」
と言うか、こんな適当な説明でいいのか。
自主性を重んじると言うか放任主義と言うか……やはり、十四歳でほぼ成人というこの世界のシステムが、早めの親離れ子離れを促しているのかも知れない。
俺と立夏が部屋で出掛ける準備をしていると、雫も部屋にやってくる。
「私も、ミーティング、ついて行っていい?」
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