10.私、解っちゃった
「なんだ……この本を書いた人、私、解っちゃった」
本から目を離し、机の上のリリスをまじまじと見つめる。
「えっ?」
「この本を誰が書いたか解った、って言ってるの!」
「あ、いや、それは解るんだけど……知ってるのか?
彼か、あるいは彼女かは解らないが、もし本当なら月島薫は五人目の転送組である可能性が高い。一応、リリスも頭数に入れて、だが。
「知ってると言うか……
「え? 俺も? ってことはやっぱり、月島薫はペンネーム?」
「そうね……単純なアナグラムね」
アナグラム? 文字を入れ替えて別の意味にするって言う、あれか?
本を閉じて、もう一度表紙を眺める。
月島薫……つきしまかおる。
かしまおきつる、まるおかつきし、しかまるおつき……。
「…………」
「解った?」
「いや全然。この七文字じゃ、どう組み合わせても俺の知り合いになりそうにないんだけど」
それどころか、月島薫以外に人名っぽい配列すら思いつかない。
リリスの、呆れたような溜息が聞こえる。
「なんで平仮名で考えるのよ。アナグラムって言ったらアルファベットでしょ」
「知らねーよ、そんなローカルルール!」
月島薫……TSUKISHIMA・KAORU。
文字が多すぎてゴチャゴチャする。
紙に書いて、
…………!
「解った?」
「TSUKISHIMA・KAORU……
TSU・KI・SA・HA・MI・KU・RO……
初美ぃーーっ!?
「やっとお解り? ほんと鈍いと言うか、愚鈍と言うか、
ここぞとばかりに調子に乗るリリスだが、しかし……ほぼ初見でこれを発見したことに関しては、確かに凄い。
「おまえ……よく解ったな?」
「悪魔はね、人間界に潜入する時、アナグラムで名前を決めることも多いのよ。だからついつい、人の名前を見ながら文字順を入れ替える癖がついてるの」
まさに〝
数文字の平仮名ならまだ偶然も考えられるが、十五文字のアルファベットで綺麗に並べ替えられるとなると、さすがに偶然は考え辛い。
初美に小説を書くような文才があるなんて話は初耳だが、彼女が作者だと考えれば登場人物名と実在の人物の奇妙なマッチングも説明がつく。
ルサリィズ・アパートメントで労使契約について話したときも、仕事柄いろいろ調べる事が多いとクロエが言ってたが……物書きなら確かにそうだろう。
月島薫について、クロエに禁則事項だと言われたことも納得がいく。
ギルドホールで柿崎相手に披露した法律知識も、そうした調べ物の
それにしても、本当に初美がこの本を?
もう一度、今度は二巻を捲ってみると、前回までのあらすじが目に入る。
主人公は
物心ついたころから退魔の力を発現させ、特例で退魔兵団の助っ人として活躍をするのだが、十七歳の時、とある作戦中に魔動車に轢かれて即死。女神に会って転生させられた先が、俺が元々住んでいた現代日本のような世界。
……と言うか、本当に初美が書いたとしたら、まさに現代日本なんだろうな。
転生直後、謎のワームホールから現れた魔物に襲われている女性を助ける。
女性は近所の古い教会を預かる
シスターの名は
教会は信者が少なく、経営難で神父のなり手もないことから、近々立ち退かなければならないことになっている……という事情を紡に語る。
さらに、行く当てがないならとりあえずこの教会で神父として過ごしてはどうかと提案。紡もそれを了承し、その後はなんやかんやのハーレム&退魔バトル展開。
……というのが序盤のストーリーらしい。
まあ、舞台が現代日本なので俺が読むと現代ファンタジーのようなジャンルになるが、こちらの世界の人にとっては異世界転生モノになるのだろう。
それにしても……シスターの名前が黒咲初音って、まんまじゃねーか!
初美も、これをよく俺に貸したな。これでも初美的にはオブラートに包んでいるつもりだろうか? どう見ても剥き出しのボンタンアメだ。
「紬くん」
あらすじの文字を追っていると、直ぐ横からリリスの声。
「うん?」
「食料が無くなった」
「ええっ!?」
慌てて本から視線を外し、リリスの方を見る。確かに、リリスの目の前に置いておいたはずの三切れのカステラが、跡形も無く消えている。
「どこやったんだよ?」
「食べたにきまってるでしょ」
「はやっ!」
「エヘヘ〜」
「褒めてないから!」
言われてみれば確かに、包み紙だけが三枚、机の端に寄せられている。
「もう何もないぞ。
「紬くん、お忘れですか? 食べ物ならまだあるよ」
「え? どこに?」
「雫ちゃん、朝、パンを残してテイクアウトしてたじゃん」
「ああ……そう言えばそうだったな……って言うか、
なかなか、バイオマス的な部分では役に立つ悪魔だ。
「じゃあ、パン取りに行って来いよ。もう飛べるんだし、台所くらい行けるだろ?」
「ううん。ずっと監視してたけど、雫ちゃん、鞄から出してなかった。パン」
「パン一個に、どんだけ夢中なんだよ……」
と言うことは、まだ鞄に入ったままか、パン。
「雫ちゃん、多分、自分の部屋に鞄を置いてきてる」
「ああ、そうだな……。でも、いくら兄妹でも妹の部屋に勝手に入るのは……」
「大丈夫だよ! 早くしないとさ、パンだって傷んじゃうかも知れないし」
確かに、元の世界のパンと違い、こちらの世界のパンは数日間も保存できない。主流のフランスパンは約一日、夏場は更に傷みが早い。
まあ、雫の戻りを待つか待たないかで差が出るほどデリケートだとも思わないが、それでも、言われるとなんだか気になる。
それよりなにより、取って来ない限りリリスが煩くて読書すらできそうにない。
「まあ……さっきのアナグラムのご褒美に、取ってきてやるか」
「うんうん! 雫ちゃんが戻らないか、私が見張ってるから! 紬くんだって、頑張れば私の役に立てるんだよ!」
「…………」
一言余計なんだよな。急にやる気が失せるじゃねぇか……。
隣の雫の部屋に入るとすぐに、ベッドに放り投げてある鞄が目に入る。
が、それよりも先に視界に飛び込んできたのは、ベッドの隣の小さな
近づいて見てみると、どうやら下着の収納場所のようだ。
そう言えば
それにしても
放っておいてもいいのだが……いや、むしろ放っておくべきなのだろうが、几帳面な
腰を屈めて引き出しを奥へ戻そうとするが、引っ掛かってどうも上手く戻らない。だから雫も、とりあえずこのままにして浴室に向かったのだろうと悟る。
どこだ? どこが引っ掛かってるんだ?
ガタガタと上下左右に動かしてみるが、それでも中々戻らないので、最初から入れ直そうと、一旦抽斗を全部引き抜く。
……とその時、手が滑って抽斗を下へ落としてしまい、拍子で中身が半分ほど飛び出してしまう。俺の周囲に散乱する、色とりどりの雫の下着……。
やばいっ!!
たたみ直そうと手近に落ちた一枚を拾い上げる。
両手で広げてみると、ピンクのリボンが付いた、白と水色の縞々パンツ。デザイン、材質ともに、元の世界にあったものとほとんど差異はないように思える。
見た目については干してある洗濯物などでなんとなく解ってはいたが、材質もここまで
パンツ部門だけ産業レベルが著しく進歩してるんだろうか?
さすが日本の
と言うか――
「…………」
女物のパンツなんて、どうやって畳むんだ!?
手本を探そうと、抽斗の中に残っているパンツの物色を始めたその時――
「お……お兄ちゃん?」
やばっ!!
恐る恐る振り向くとそこには、当然の如く、雫の姿が……。
見張りはどうしたリリス!
言うまでもなく、妹のパンツを物色してる変態兄の図だ。
自虐系ラブコメの主人公にでもなった気分。
「なに……やってるの?」
「い、いや、ちがくて……そ、そう! リリスに頼まれて……」
「リリスちゃんなら、隣りを覗いてきたけど、机の上で寝てたわよ……」
あんの、クソチビィ~~ッ! 見張りっ!
「えーっと、その、これはだな、パンが欲しくて……」
「パンツ? 欲しいの?」
「違うっ! パンツじゃなくてパン――――」
「はい」
近づいてきた雫に、てっきり十文キックでもお見舞いされるかと思いきや……散らばったパンツの中から拾い上げたピンクの一枚を手渡される。
雫が屈んだ瞬間、ふわりと俺の鼻腔をくすぐる石鹸の香り。
「ハイ?」
「その、縞々のはまだ新しいやつだからダメ。今渡したピンクのなら、もう履かないと思うし、あげるよ」
テッテレ~♪ ツムギは妹のパンツを手に入れた!!
……って、違うわっ! なにこの展開!?
「い、いいのか? ……じゃなくて! お前、怒らないのかよ?」
「だって……年頃の男の子なら、誰でも興味持つんでしょ、こういうの?」
「そりゃそうかも知れないけど、兄貴が妹の下着を漁ってるんだぞ? ……っていうかそれも誤解だけど! 気持ち悪いとか、ないの?」
「まあ、本当の兄妹ならひくかも知れないけど、血も繋がってないしねぇ」
そう言う問題なのか? それでいいのか妹よ!?
雫が隣に座り、散らばった下着を集めて畳み直しながら言葉を続ける。
「それに……他の
「そういうもんか?」
「他の兄弟は解らないけど、少なくとも私は」
やはり、この世界の習俗……特に〝性〟や〝男女〟に関連する感覚は、元の世界に比べるとかなりズレているのは間違いない。
俺の周囲にたまたまズレている人間が多いのか、この世界自体がズレているのか、或いはその両方なのか、それはまだ大きな謎だが。
「そう言えば、立夏は?」
「立夏さんなら、まだ浴室よ。昼食の準備するから、私だけ先に出てきたの」
「そっか……」
いつの間に呼び方が、〝雪平さん〟から〝立夏さん〟に変わっている。一緒に湯浴みをして、また少し打ち解けたようだ。
ともあれ、立夏に見られなかったのは不幸中の幸いだ。
「じゃあ……邪魔だから出ていって。脱衣所で立夏さんのパンツ、漁っちゃダメよ」
「しないわっ!」
雫の人間性に一抹の不安を感じながらも自分の部屋に戻ると、俺の気配でリリスが目を覚ます。ふわっ、と眠たげに欠伸をしながら、机の上で伸びをするリリス。
「遅かったわね? 持ってきた?」
「ああ、うん。はい」
「…………」
目を細めて、蔑むように俺を見上げるリリス。
「なんで、パンを取りに行ってパンツが出てくるのよ?」
「あっ!」
やべっ! 間違えたっ!
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