15.潜入禁止命令

「潜入禁止命令!?」


 トミューザムダンジョン西口で待機をしていた観窟補佐官の田村俊太郎たむらしゅんたろうは、信じられないといった面持ちで伝達係を振り返る。


 上役の石乃森東吾いしのもりとうごとはなるべく顔を合わせないように、朝の早い時間を選んで、結界解除用の魔法石をとりに観窟事務所へ赴いていた。

 非常時用に、観窟事務所には常に結界解除の術式を書き込んだ魔法石がいくつかストックされているのだ。


 それを持ち帰り、担当時空魔法士イスパシアン雑魚井ざこいとともに待機用天幕テントを出たのが、五時四十五分頃だった。

 懐中時計を確認するまでもなく、あと五分程度で窟内隔壁時間が終了するだろう、というタイミングでの通達だ。


「潜入……禁止?」


 一緒に待機していた雑魚井も、怪訝そうに隣の田村を見る。

 さらに詳しい状況を知ろうと、伝達係に質問を続ける田村。


「潜入禁止って……それは誰からの通達ですか? 昨夜遅く、私も管理局長にじかにお会いして許可は得てるんですよ?」

「通達は、その管理局長からです」


 伝達係の答えに、田村の顔が厳しく歪む。

 トミューザム管理局とは、トミューザム周辺の建造物の管理を担っている機関で、観窟事務所の上位機関にあたる。

 フェスティバル期間中の運営委員会を担当しているのも、この管理局だ。


「理由は? 潜入禁止の理由は、なにか聞いていますか?」

「いえ、そこまでは……」


 さらに何かを言いかけた田村だったが、思い留まる。

 この、唯々諾々とした伝達係を問い詰めても、大した情報は得られないだろうし、事態の進展も期待はできないと判断したのだ。

 それよりも今は、時間が惜しかった。


「とにかく私は、もう一度管理局に赴いて事情を聞いてくる。雑魚井さんはテントに戻って一旦待機を……」

「いや、俺も一緒に行くぜ。三級とはいえイスパシアンだ。召集魔法コールの知識が必要な場面だってあるかもしれねえだろ」

「……分かった。では一緒に」


               ◇


 管理局の前で、二人が軽魔動車から降り立ったのはおよそ十分後だった。

 建物内に入ると、無人の受付を通り過ぎて局長室に直行する。

 早朝とはいえ伝達係を飛ばした直後だけにまだ在局中だと予想したのが……案の定、局長室のドアをノックすると、すぐに「どうぞ」という返事が返ってくる。


 ドアを開けると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、正面の局長席に座る管理局長、大林源三郎おおばやしげんざぶろうと、そして、壁際の長椅子に座っているのは――


 田村の上役であり、今回のトミューザムのランク判定も担当した二級観窟士――石乃森東吾いしのもりとうごだ。


「な、なぜ東吾さんが、ここに?」

「緊急事態だからな。事態の説明に俺が赴いていても、不思議はないだろ?」


 困惑する田村に、悪びれる様子もなく答える東吾。

 状況から察するに、東吾がもたらした何らかの情報なり進言に、春に就任したばかりの管理局長が付和雷同しているとみて間違いなさそうだ。


 とはいえ、どんな理由があろうと、純粋にダンジョンに取り残されている参加者を助けるための〝救助行動〟を制限されるのは解せない。


 気を取り直して、管理局長の大林に向き直る田村。

 六十代前半の、恰幅のいい堂々とした風貌の男性だが、地方職とは言え要職に就くにはまだ若い方だろう。


「局長。ダンジョンへの潜入禁止という措置ですが、一体どんな理由で?」

「ああー、はいはい、アレね、アレ。アレはその、いろいろ検討を重ねてだね……」

「いろいろとは、何ですか!?」


 詰め寄る田村から視線を逸らせ、助けを求めるように東吾の方を流し見る大林。

 私から説明しましょう、と、長椅子から東吾が立ち上がる。


「昨夜、自警団に続いて青年団、そして退魔兵団パーティーにも強制コールをかけたんだが、兵団メンバーの証言からまた、新しい事実が判明してな」

「新しい、事実?」

「どうやら、不死アンデッド系の魔物が大量に発生しているらしい」

「アンデッドが!?」


 強制コールの件については田村も当然把握していたが、アンデッドの情報に関しては初耳だった。

 通常、トミューザムに入るパーティーはアンデッド系の出現など想定していない。

 思ってもみなかった新情報に田村も多少狼狽はするが、しかし――、


「では、なおさら、ダンジョン残存者の救出を急がなければ!」

「それがそうもいかないんだ。ダンジョン管理法十九条は、知ってるだろう?」

「……アンデッド出現が事前に判明、若しくは予想されている際は、対策なき者は対象エリアに潜入してはならない……」

「そうだ。残念ながら今は、有効なスキルを有するメンバーも〝聖なる武器ホーリーウェポン〟や聖水の備えもない」

「いや、しかし……あの学生パーティーが取り残されているのは我々の責任なんですよ! ここにいる雑魚井さんが三級術士であることを知りながら……」


 はあ? と、心底不思議そうな表情で首を傾げる東吾を見て、言葉を切る田村。

 東吾さん、何かやったな!? ……と、直感的に感じ取る。


「局長。先ほど届いたあれを、もう一度見せてもらえますか」

「ああ、さっきの、アレね! えーっと……ああ、あったあった!」


 東吾に促され、大林が引き出しから一枚の書類を取り出すと、慌てて机の上に載せる。

 それを手に取り、見ろ、とでも言うように田村の方へ突き出す東吾。


「これは……雑魚井さんの身分照会の……返答書?」


 書類を受け取り、上から順に項目を追っていた田村の目が、一点で止まって大きく見開かれる。


(雑魚井一正、五十四歳、職業――二級・・イスパシアン!?)


 思わず書類の名前を見直すが、確かに情報は雑魚井一正のものだ。

 書類に落としていた視線を上げて東吾に向ける。

 そして、わずかに口の端を上げて薄ら笑いを浮かべる東吾を見てすべてを悟った。

 東吾が、大林局長を通じて書類の改ざんを働きかけたのだと。


「田村君は何か勘違いをしていたようだが、見ての通り、雑魚井君は二級・・術士だ」


 東吾の言葉に、雑魚井もわずかに目を大きくして驚愕の色を浮かべるが、しかし、経験だけは豊富な年長者だけに何が起こっているのかすぐに察したのだろう。

 いわゆる人選ミス、いや……〝不正雇用〟の揉み消しだ。

 すぐに元の顔に……いや、元の顔以上に無感情な表情に変わる雑魚井。


「いや、しかし……現に雑魚井さんはコールができなかったんですよ!」

「田村……」


 田村の訴えにも動じることなく、東吾が落ち着き払って答える。


墓地系迷宮セメタリーダンジョンでもないトミューザムでアンデッド系モンスターが現れるなど、異常事態もいいところだろう?」

「それは、そうですが……」

「こんな、原因不明の異常事態だ。術の発動が上手くいかないくらいのこともあるだろう。それに……ケルベロスなんていう★6の魔物が現れることだってな」


 そう言って、今度ははっきりと、口元を歪めて下卑た笑顔を浮かべる東吾。


 そう……三級術士と知りながら雑魚井を選んだことのみならず、観窟でランク判定を誤ったことも、異常事態のせいにしてすべて揉み消そうとしているのだ。


 しかし――

 東吾の企みについて追及している時間を、今の田村は持ち合わせていない。


「コールの不調も★6の出現も……原因はあとからゆっくりと考えればいい。でも今は、人命救助のための、私たちが取り得る最善手を尽くすべきではないんですか!?」

「最善手というのは……ダンジョン内でコールでもする気か?」

「そうです」

「アンデッドが出ると解っているダンジョンに、対策もなく部下を派遣するわけにはいかんよ。それに……」


 一旦、言葉を切る東吾。


「それに、コール不調の原因は原因不明の異常事態のせいだと事故調査委員会も断定済みだ。ダンジョン内に入ったところでコールは成功しない」


(違う。成功しないんじゃない。成功すれば、術者選定の過程が精査されるし、それに関わる不正だって明るみになりかねない。成功されたら困るんだ)


「さあ、解ったら、さっさと魔法石を置いて行け。以後、指示があるまで観窟事務所で待機してろ」


 もっとも……もうここで仕事を続けられるとは思うなよ? と、忌々しそうに唇を歪める東吾。

 管理局長の大林も、上つらを掻い撫でしただけの対応に終始している。

 一瞬、なおも食い下がろうと身を乗り出した田村だったが、二人の様子を前に、脱力したように肩を落とす。


(だめだ……。こんなところで討議していても、時間の無駄だ……)


               ◇


「どうすんだい、これから?」


 局長室を出てすぐ、雑魚井が田村に話しかける。


「話によれば兵団のメンバーの一部が、救援のためにダンジョンに残ったようだし、今はそれに期待するしかないだろう」

「〝白銀の聖女〟様……だっけ?」

「ああ……。とりあえず私は、アンデッドに対抗できる術者が手配できるかどうか、ギルドにあたってみる」


 とはいえ、死霊浄化ターンアンデッドを扱える術者は、聖職者の中でもさらに精霊術に精通した〝聖者セイント〟と呼ばれる特殊な術者だ。

 通常は全て、高報酬を条件に兵団に徴集され、民間のギルドで手配できることはまずあり得ない。


「まあ、俺は口止め料も出るようだし……いい仕事っていや、いい仕事だったぜ」


 大林局長からかなりの金額を提示されているのは、田村も横で見ていた。

 後日、イスパシアンの降級申請をすれば追加報酬も……というような話が密かに出ていたことも把握していた。

 へへへ、と、満足そうに笑みを浮かべる雑魚井の横で、しかし、硬い表情のまま歩を進める田村。


「良かったな。まあ、雑魚井さんに責任があるわけでもないし、数年は遊んで暮らせるくらいの金も入るようだし……。せいぜい、気ままに酒でも飲んで暮らせばいい」


 思わず、田村の口から皮肉が漏れる。

 が、次の瞬間、田村の胸ぐらを掴んで廊下の壁に思いっきり押さえつけたのは、眉尻を吊り上げた雑魚井だった。


「良かったな、だと? 役所の人間にしては、ちったぁ骨のある奴かと思ってたが、とんだ見込み違いだったか!?」

「あ……あんたにはもう、関係のない話……なんじゃないのか?」


 田村の言葉を聞いて、雑魚井の目つきがさらに厳しさを増す。


「関係……ない~!?」


 空いている左手でネックレスの紐を襟から引き出し、田村の目の前にかざしたのは――ぼんやりと光るライフテール。


「一時的にでも学生達あいつらとパーティーを組んだんだ。しかもイスパシアンっていやあ、パーティーの最後のセーフティネットだろうが!」

「あ……ああ」

「兵団のプリーステスが残ったっつったって、★6の魔物だって湧いてるんだろ? んなところにあと一日も放っておいてみろ。全滅だってあり得るぞ」


 思わぬ雑魚井の態度に一瞬言葉を失った田村だったが、すぐに気を取り直す。


「雑魚井さんは……どうするつもりだ?」

「どうするもなにも……出入り口付近の結界が弱いのは間違いねぇんだろう?」

「ああ。……しかし、西口を離れるときに、入れ違いでやってきた警備兵を見ただろう? どの入り口もおそらく、今は見張られてるぞ」

「あのな……右から左に書類を流してるお役所と違って、こっちは現場で命張ってんだ。法律だの命令だのクソ食らえだ。パーティーメンバーはまだ生きてんだよ!」


 田村の胸ぐらから手を離すと、雑魚井が背中を向けて歩き出す。


「とにかく、待機用天幕テントに戻ってコールを続ける。あいつらの位置によっては感知可能になるかもしれねぇしな」

「待て」


 田村が雑魚井を呼び止める。


「今思い出したんだが……トミューザムの中腹に〝伏姫籠穴ふせひめろうけつ〟という洞窟がある。古代ノームがダンジョン結界を施す際に利用した洞窟だと言われているが……」

「それが……どうした?」


 足を止めて、田村の方を振り返る雑魚井。


「いわゆる〝結界の結び目〟と呼ばれる場所だ。ダンジョン内に通じているわけではないから失念していたが、他の場所に比べれば結界自体は脆弱なはずだ」

「……いいのか? 職を失うぞ?」

「もう失ってるさ」と、眉を曇らせながらも、自嘲気味に口の端を上げる田村。


 案内する……そう言いながら、雑魚井を追い抜いて足早に歩み去ろうとする田村を、雑魚井も慌てて追いかける。

 時計の針は、六時半を回っていた。


               ◇


「なんだっけ、あの……昨日の、感じ悪いあいつだよ!」


 薄暗がりの中で動く影を指差しながらリリスが叫ぶ。


「馬鹿おまえ……殺されるぞ!」という俺の忠告に、ハッと振り向くリリス。

「いえ、そう言うんじゃなくて……紬くんが感じ悪いって言ってたやつだよあれ!」

「人に罪をなすり付けるなっ!」


 保温シートの隙間からギョロリとこちらを覗く鋭い眼光。

 間違いない――自警団パーティーのリーダー、毒島ぶすじまだ。


「おまえら……なんで、ここに?」


 毒島の、野太い声が室内に響く。

 しかし、昨日のような威圧的な響きは感じられない。

 わずかに上擦った声色から感じられるのは……驚愕?


「あー、そうそう、毒島っちだよね!」


 紅来くくるが、立ち上がった毒島の胸元のネームプレートを、夜目ナイトアイで読み取る。


「毒島っちこそ、なんでこんなところに、一人で? ……きゃっ!」


 近づく紅来の左手をグイッと掴み、その甲を眺める毒島。

 紅来の背丈も百五十八センチと決して低いわけではないが、百九十センチの毒島に腕を引っ張り上げられては、巨人に捕まった小人のようだ。


「こらー! 紅来くくりんを離せー!!」


 さらに小人のメアリーが駆けて行って毒島のすねあてグリーブを蹴り上げる。

 ……が、カツンッ! という硬い音ともに、つま先を押さえてうずくまる。

 どうやら、自分の足の方が痛かったらしい。


 そんなメアリーにまったくかまう様子もなく、紅来の手を離すと毒島が放心したように呟く。


「この魔法円じゃ、戻れねぇだろ……」

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