03.華瑠亜の部屋

 俺がここに来てた理由って、華瑠亜の部屋の掃除だったの?

 何やってたんだよ、この世界の俺は?


 とにかく、できるだけ速やかに〝今の俺の記憶〟と〝みんなの中の俺〟の齟齬を埋めていく必要がある。

 特に、華瑠亜かるあや男友達など、俺がこの世界に来る前から付き合いが深かった人とコミュニケーションを取る場合は要注意だろう。

 明日のうららの訪問は、その為に何か役立つだろうか?


 まあ、それはさておき――


 目の前に広がる惨状に眩暈めまいを覚える。

 元の世界でも〝片付けられない女子〟のような人種が急増しているのはテレビ等で見知ってはいたが、華瑠亜がそれか!


 俺は、ほとんど無意識のうちにエプロンを着ける。

 こう見えても、意外と几帳面な性格なのだ。

 潔癖症と言うほどではないが、カ行の棚にあった芥川龍之介をア行の棚に戻すくらいのことは無意識でやるレベル。


「おおっ! その姿、久しぶりに見たぁ!」


 ベッドの上で、音は立てずに拍手をするような仕草を見せる華瑠亜。

 丈の短いプリーツスカートのまま、無造作に白い太腿を出して胡坐あぐらをかく姿は、場所が場所ならそれなりに劣情を煽り立てる絵面なのだが……。


 脱いだニーハイソックスがテーブルの上に投げられているのが気になってそれどころじゃない。

 部屋の惨状を目の当たりにして、先程までの浮ついた気持ちはすっかり消し飛んでいる。手際よく道具類を選り分けながら、ゴミだけをゴミ袋へ。


 ゴミ袋は、厚紙のような素材だが道具屋で購入でき、ゴミを詰めて指定の場所に置いておけば定期的に収集車が回収して処分してくれるようだ。

 収集車と言っても魔粒子で動くトラックのような魔動車なので、元の世界とはだいぶ趣は違うが、とりあえずシステムだけは似たものが引き継がれていて助かった。

 この辺りのご都合主義的な改変は本当にありがたい。


 確か、中世ヨーロッパの道路は汚物とゴミまみれで、衛生状態は相当酷かったと聞いたことがある。

 下水システムが確立してない都市では、道路に垂れ流された生活排水も蒸発待ちだったとか。


 異世界転移など夢のような話――現実に起こってもいるが――は数あれど、本当にそんな中世ヨーロッパそのもののような世界に現代日本人が放り込まれたら、きっと一日で帰りたくなるに違いない。


「なあ……この辺りの床、ペタついてないか?」

「あ~~、そこはほら、果汁液ジュースこぼしちゃったから、今度来たとき拭いておいて、って頼んでたじゃん?」 

「それ……いつの話だっけ?」

「黒崎初美事件の直前だったから……四月の半ばくらいかなあ」


 三ヶ月もこのまま放置してたのかよ!! ……と突っ込みたくなったが、どうせ無駄だろう。説明の口調にまったく罪悪感が感じられない。

 男は黙って拭き掃除だ。


 ゴミがあらかた消えたら、次は道具の片付け。

 日が落ちて、だいぶ薄暗くなってきたので壁のランプに〝火入れ石〟で明かりを灯す。


 衣類はとりあえず洗濯!


「そのまま畳んで、片付けておいてくれればいいよ~」


 ……と、この華瑠亜ズボラおんなのたまうが、パンの食べ残しや肉の骨と一緒に散乱してた服なんてそのまま片付けられるわけがない。


 時間がないので丁寧に洗うことはできないが、どうせ一、二回しか着てないんだろうし、洗液で揉み洗いをして濯いだあと、手際よくバルコニーに干していく。

 夜間干しになってしまうが、天気も良さそうだし大丈夫だろう。

 下着だけはさすがに洗濯するわけにも行かず、洗液に漬け置きだけしておく。


「いいわよ? それもついでに洗ってもらっても……」

「できるかっ! 後でちゃんと、自分で洗って干しとけ!」

「へいへい」


 俺と華瑠亜って、一体どんな関係だったんだ?

 元の世界の一般的な同棲カップルだって――もちろん、高校生だった俺にとっては想像でしかないが、それでももう少し羞恥心はあったんじゃないだろうか。


 次は台所の片付け。

 石水槽シンクに水を張り直し、次々と食器を洗って行く。


 水は、各家庭に地下水を汲み上げる手押しポンプが備え付けてあるのがこの世界のスタンダードだ。

 元の世界の上水道と比べればだいぶ不便ではあるが、実際の中世ヨーロッパのような公共の水道施設まで汲みに行くような生活と比較すれば、これでも十分便利だろう。


 洗い物が終わると床の掃き掃除。

 そして最後は……さっきからガサゴソと動き回ってるあいつの退治だ!


「おれつえ――!」


 例の掛け声で六尺棍ろくしゃくこんを取り出し、ブルーを召喚する。


「よし、ブルー! その辺りで動き回ってる黒いGを捕まえろ!」


 数分間、あちこち部屋の隙間に潜り込んだ末に捕まえてきたのは、ゴキブリだ。

 でかしたブルー つえーぞブルー!


「そうそう、この前から、デカいのが一匹、住みついてたのよねぇ」


 本当に一匹ならいいけどな……。

 よくそんな部屋でのんびりくつろいでられるものだ。

 表にゴキブリを捨てて戻ってきたブルーを、華瑠亜が膝の上に抱え上げる。


「へえ~! これが例の、新しくテイムした猫ちゃんかぁ」


 華瑠亜に撫でられてブルーも気持ち良さそうにリラックスしている。

 確かに見た目は子猫だが、トゥクヴァルスでこいつに吹っ飛ばされた俺からすると、猫ちゃんなどと呼ぶのはまだ抵抗がある。


「って言うか、何よ、おれつえーって?」

「気にするな」


 ほんの三十分位のつもりが、気がつけば一時間半も掃除をしていたようだ。


「とりあえず、掃除の方はこんなもんだろ」

「そうね。双子座男子の訪問が幸運を呼ぶって、やっぱり当たってたわ!」

「俺の掃除は、ラッキーイベントじゃないから……」


 ようやく俺も、片付いた床の上にクッションを敷いて腰を下ろす。


「はいこれ、バイト代」


 手渡されたのは一枚の銅貨だった。

 この世界の通貨単位では千ルエン。元の世界の日本円に換算すると、ちょうど千円程度の価値であることは、これまでの生活の中で調べがついている。

 つまり、一ルエン=一円だ。さすがご都合主義改変。分かりやすくていい。


「ああ……俺、バイト代なんてもらってたんだ?」

「え? それまで忘れてたの!?」

「う、うん……」


 あれ? 今、華瑠亜の舌打ちが聞こえたような気が……。


「ハウスキーパー代として実家から仕送りされてるからさ。その一部」

「仕送りって、どのくらい?」

「えーっと、銀貨五枚…… くらいかな?」


 銅貨五十枚分、つまり、五万ルエンだ。

 正式にハウスキーパーを雇えば、回数にもよるがそれくらいはかかるだろう。

 で、俺が週一で掃除したとしても、銅貨四~五枚。

 週二でも十枚……一万ルエンに届くかどうかだ。


 ……少なくないか?


「配分、おかしくない?」

「そ、そう? もともとそういう契約だったと思うけど?」

「俺の記憶が疑わしいのをいいことに、お前、適当に言ってないか?」

「そ、そんなことないわよ!」


 華瑠亜の目が泳いでる。

 はなはだ怪しいが、俺も記憶がないのでそれ以上追求もできない。


 まあ、今日は久しぶりだったようだから時間がかかったが、こまめに来ていればもう少し早く片付くだろう。

 気軽な仕事で時給千円と考えれば、そこまで悪くもない。


「あんたがさぁ、初美はつみのこと好きだなんて言い出すから、しばらく来てもらうの遠慮してたんだよね……」

「なんでだよ?」

「好きな子がいるっていうのに、他の女子の部屋なんかに出入りさせてたら、上手く行くものも行かなくなるでしょ」

「それ以前に、一人暮らしの部屋に恋人でもない男を入れること自体、問題はないのか?」

「だ、大丈夫よ! 紬のこと、男だなんて思ってないから……」

「あー、そうですか」


 華瑠亜がどう思うかより、問題は世間体なんだけどな。


「あんただって……私のこと……別に、女だなんて意識してないでしょ?」


 一瞬、華瑠亜を眺めて考える。

 まあ、外見だけなら充分、可愛いことは可愛いんだけどさ……。


「な……なによ?」

「どうなんだろうな? 春の頃の記憶が飛んでるから、その頃の俺がどんな風に思ってたのかは知らん」

「春の頃なんてどうでもいいのよ。どうせ初美ラブ状態だったんでしょ? 今の話よ、今!」

「今、って言われてもなぁ。 いい女友達って感じでしょ?」

「あぁー、はいはい! わかった! ですよねぇー」


 フン! と、華瑠亜が膨れてそっぽを向く。

 華瑠亜に合わせただけなのに、なんで機嫌悪くなってんだ?


「ああ、そうだ、ちょっと通話機を貸してくれ」

「どうぞ。台所の柱に付いてるわ」


 これ以上遅くなるとうららの家に電話もかけ辛くなる。

 スマホで直接本人に繋がった元の世界と違い、こちらの世界では電話するだけでも何かと気を使う。

 とりあえず、明日、午後一時に最寄り駅で待ち合わせだけして電話を切った。


「夕飯、どうする? どうせ食材なんて買ってないんだろ?」

「ショクザイ? 実家から送ってきた物、保冷庫に入れといたはずだけど……」


 一応、台所に保冷庫はあったが、中を覗くと冷魔石の効果は切れていた。

 底にこびりついた肉や野菜は悪臭を放ち、それを包み込む胞子はさながら、風の谷を取り巻く〝腐海〟を彷彿とさせた。


「あんなの、もう処分したよ。カビの森みたいになってたぞ」

「そっかぁ……食材っていうより、贖罪した方がいいレベルかもね!」


 そう言いながら、ぺロリと舌を出す華瑠亜。


「それで上手いこと言ったつもりか?」

「…………」

「駅の近くにピザ屋があったよな? バイト代入ったし、おごるけど、行く?」

「行くっ!!」「行く――っ!」


 ハモった返事に、あれ? と思って視線を落とすと、いつのまにかリリスも、ウエストポーチの蓋を開けて手を挙げていた。


               ◇


 食事の後、華瑠亜を部屋まで送り、家に着いたのは午後九時を回っていた。

 ピザ屋で二時間も他愛の無い雑談をしていたことになる。

 ピザ一枚を分け合って慎ましやかに済ませるつもりが、あれやこれやリリスに追加され、結局銅貨一枚……千ルエンじゃ足が出た。

 まあ、華瑠亜も楽しそうにしていたし、いいんだけどさ……。


 今日の雰囲気を見る限り、この世界の俺と華瑠亜は、優奈ゆうな先生が言ってたようにまずまず仲良くやってたようだ。


 しかし、モンスターハント実習前の準備室での態度は相当険悪だったよな。

 今のところ、原因として考えられるのは黒崎初美という女子の件くらいだが……。

 単に、ハウスキーパーのバイトが頼み辛くなった、というだけであそこまで態度が変わるものだろうか?


 ……まあいいや。

 今日で華瑠亜との関係がだいぶ改善したことだけは確かだ。

 今はそれで充分!


 問題は明日だ。

 麗の部屋の謎、しっかり聞いておかないと!


               ◇


 翌日、駅まで迎えに行った俺の前に現れたのは、二人のクラスメイトだった。

 一人はもちろん、約束していた当事者、長谷川麗はせがわうらら

 そしてもう一人は――


 俺が来る前の、この世界の俺が好きになったという……黒崎初美くろさきはつみ


 胸まで大切に伸ばした、真っ黒なロングストレート。

 背は、麗と同じくらいだから、百六十センチくらいだろうか?

 いや、上げ底の黒いローファーを見る限りもう数センチは低いか。

 黒いインナーに黒いシースルーを重ねただけの出で立ちは、とても涼しげで、少し大人っぽい印象も受ける。


 左手の人差し指には、大きな青い石をあしらった指輪をしている。

 装飾品にしては石が大き過ぎるし、何かの魔具マジックアイテムだろうか?


 切れ長でキリっとした目元だが、長い睫毛まつげのおかげかパッチリとした印象だ。

 もし元の世界でもクラスメイトであったなら、勇哉のハーレムリストに入っていてもおかしくないほどのルックスと言っていいだろう。


「なんで……黒崎さんまで?」


 麗と仲がいいというのは聞いていたけど……。

 他の人間がいたら、あの部屋のことは話題に出せないじゃん。

 それじゃあ、今日の訪問の意味もないだろう?


「詳しいことは、後で話すわ。とりあえず、紬くんに行かない?」


 ここまできたら追い返す訳にもいかないし、今日のところは仕方ないか。


 家までの道中、俺と麗が会話をしてる間も、黒崎は一言も口を利かなかった。

 もちろん、面と向かって話すのは今日が初めてだし、単に人見知りなのかも知れないが――

 話しかけても黙ってうつむくだけの黒崎を見て、これではさすがに、友達もなかなか出来ないだろうと思われた。


 そう言えば華瑠亜は、俺と黒崎の家が近いと言っていたが、あいつの勘違いだろうか?

 それとも、近いとは言っても一駅分くらいは離れている、ということだろうか。


 家に着いて二人を部屋に上げると、やはり麗は「へぇ!」と感嘆の声を上げる。

 麗にはちゃんと見えているのだろう。

 学習机も、パイプベッドも、テレビも、ブルーレイデッキも。

 やはり麗は、どう言う理由かは分からないが、俺と同じく元の世界から転送されてきたんだ。もう疑いようがない。


 黒崎もキョロキョロと部屋を眺めてはいるが、きっと黒崎の目には、この世界における一般的な男子の部屋として映っているに違いない。


「こんにちは~」


 いもうとが冷たいお茶と茶菓子を部屋まで持ってきてくれた。

 兄の元を訪ねてきた女子がどんな人かチェックする目的もあったのだろう。


 昨日、麗の部屋での華瑠亜を見るまでは、この世界の人間にこの部屋を見られたらエライことになると思っていた。

 部屋の鍵まで閉めるようにして、家族にも室内を見られないよう毎日気を遣っていたのだが……。

 そこに神経を擦り減らさなくてもよくなったのは非常にありがたい。


「あ、初美さん、お久しぶり!」


 ニッコリ笑って軽く会釈をするしずくに、黒埼もペコリと頭を下げる。

 ごゆっくりどうぞ、と言いながら、雫はすぐに部屋を出て行った。


 お久しぶり?

 この世界の雫は黒崎を知ってるのか?

 名前で呼ぶなんて親しそうだな……。

 学校の先輩後輩か何かだろうか? にしては敬語じゃなかったな。

 また下手な質問をして頭を疑われても困るし、後で確認してみよう。


「あ、リリカたんのボックス……」


 ようやく、今日始めて、黒崎の鈴を転がすような声を聞くことができた。


「そうそう、初回限定の……」


 ――っておい!!


 なんで黒崎にそれが見えてるっ!?

 目を見開きながら黒崎を顧みる俺の表情を見て、麗が口を開く。


「私も、彼女も、同じ転送組なのよ」


 はあ? 転送組? なんだその組?

 二人が腰を下ろすと、まずは麗がゆっくりと口を開く。


「早速だけど……まずは、私のことから話そっか」

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