02.お礼よ、お礼!

「お礼よ、お礼! こう見えて、私だって男子からは結構人気あるんだからね!」


 それは知ってるけど……。


「それを自分で言うか?」

「まあ……こんな暗闇で、明かりは松明一本で、ちょっとカッコいいセリフ聞かされちゃったからね。なんとなくよ。気分気分!」

「あれか……吊り橋効果ってやつ?」

「吊り橋?」

「吊り橋みたいな怖い体験を共にした男女は、お互いに好意を持つ、ってやつ」

「何で吊り橋が怖いのよ?」

「ゆ……揺れるから?」

「丸太の一本橋とかザラなのに、釣り橋なんて寧ろありがたいじゃない」


 そうだな……現世界こっちの基準なら吊り橋なんて大したことないか……。

 と言うか、地震はダメでも吊り橋は平気なんだ?


「でも……好意、ってほどじゃないけど、見直したってのは事実かな」

「確か、ダイアーウルフ戦の後にも同じようなセリフ言ってなかったか?」

「ああ……一度見直してもね、だんだん元に戻るから。定期的に見直させてよ」

「面倒だな、おい」

「とにかく、箱入りプリンセス紅来ちゃんのファーストキスなんだからな。光栄に思えよ!」

「なんだよ箱入りプリンセスって……」


 っていうか、頬とはいえファーストキスかよ? いいのかこんなんで!?

 続ける言葉に詰まり、なんとなく紅来の横顔を眺める。

 束の間の沈黙――

 その時、手元からリリスの声が聞こえた。


「ちょっとそこ! ほっぺにチューくらいで、いい雰囲気にならないでくれる?」


 見れば、直ぐ横で俺と紅来を見上げる仁王立ちのリリス。

 確かに、女夢魔サキュバスにとっては挨拶みたいなものなんだろう。


「そんなんでトキメクなら、私がいくらでもしてあげるわよ」

「いや、遠慮しとく」

「なんでよ? ちゃんと大っきくなってあげあるわよ?」

「なおさらダメだ!」


 ほっぺにチューで一万MPとか、コストパフォーマンスが悪過ぎる。


「大っきくなれるの? リリスちゃん?」

「まあな……。MP馬鹿食いするから滅多に使えないけど」


 リリスの代わりに俺が答えると、へ~、と、紅来がマジマジとリリスを見る。


「まあ、あれよ。もう二度とここから出られないかも知れないし、ほっぺにチューくらいの想い出は作っておいてもいいでしょ?」


 紅来が、くくっと笑いながらリリスに話しかける。

 どうやら、リリスの横槍のおかげで紅来もいつものペースに戻ったようだ。


「馬鹿言うな。生きて出るぞ! 何の為に俺が一緒に落ちたと思って……」

「おっ! いつになく頼もしいじゃん!」


 紅来が両手を合わせて拍手をするような素振りを見せる。

 俺だって、何か根拠があって言ってるわけじゃない。


 ただ、幸い重症は負っていない。ポーションも充分にある。

 テイムキャンプの時のように強力な魔物がいるわけでもない。

 しっかり者の可憐も、きっと救出の為に全力で動いてくれるはずだ。

 そこまで絶望的な状況だとは思えない。


「あんなお礼・・も貰ったしな。男なら大抵は頑張る場面だ」

「そっかそっか。じゃあ、つむぎには一生私の騎士ナイトやってもらおっかな」

たっかいな、おまえのチュー……」

「まあ、ほっぺじゃ物足りないでしょうけどねぇ。唇は立夏りっかの為に取っておかないと怒られそうだから」


 そう言って紅来はまた、悪戯っ子のような笑顔を見せた。

 いつもの紅来の笑顔。


 ……ん? 立夏!?

 紅来の言葉でその名前を思い出す。

 そう! 立夏だ!


「紅来! 立夏はどこだ!?」


 俺が、よほど狼狽しているように見えたのだろうか。

 やや引き気味に体を後ろへ逸らす紅来。


「慌てるなよ紬。立夏カノジョも無事だよ。松明の火、点け直してくれたのも立夏だし」


 カノジョじゃないけど、とりあえず細かいツッコミは後回しだ。

 無事、と言う紅来の言葉に安堵しながらも、また別の疑問が頭をもたげる。

 無事なら、なぜここに居ない?


「怪我でも……してるのか?」

「なんだよ、立夏の話になったらそのうろたえぶりは? 私の怪我の心配なんて、全然しなかったくせに」

「最初に訊いただろ? 紅来おまえかすり傷程度だって言ってたじゃん」

「そうだっけ?」


 適当なやつだ。


「とりあえず、細かい話は後にして、ここ降りない? 立夏ちゃんも下にいるよ」


 リリスの言葉に、改めて周囲を見渡す。

 松明の炎だけでは、ぼんやりとして遠くまで見ることはできなかったが、どうやら今は、崩れた地盤が割れ積もった上にいるらしい。

 空洞の底まではもう少し降りる必要がありそうだ。


「立てる?」


 紅来が左手で松明を拾い、右手を俺の腕に絡めて引き上げる。

 まだ少し傷む部分もあったが、歩いて移動する程度なら問題なさそうだ。


「うん、ありがと」


 リリスが、土砂をひょいひょいっと降りていく後ろから俺と紅来も続く。

 少し進むと、前方にもう一つ、松明の炎が揺れているのが目に入った。


 立夏……あそこか!?


 早く無事な姿を見たい。

 はやる気持ちを抑えて、松明の明かりを頼りに慎重に歩を進める。

 もしここで怪我なんかすれば、さらに事態は困窮するだろう。


 不安定な土砂を下り切ると、足元からしっかりとした固さが伝わってくる。

 どうやらここが地下空洞の底らしい。


 先に下りていたリリスが、もう一つの松明のそばで「こっち、こっち!」と手招きしていた。

 近づくと、壁にもたれかかり、両足を前に投げ出すような体勢で地面に腰を下ろしている立夏の姿が見えた。


「紬が、気が付いたよ~」


 隣を歩いていた紅来が声を掛けると、立夏もゆっくりとこちらを見上げる。

 炎に照らされたその表情は――――いつもの無表情な立夏だ。

 紅来と同じようにところどころ土で汚れているが、顔色は悪くない。


「立夏、怪我は? 大丈夫なのか?」

「うん……。足首、捻ったみたい」


 ショートパンツから伸びる華奢な両足。

 しかし、靴を脱いだ左足首は、明らかに右足のそれよりも太い。

 酷く腫れている。


 捻挫か……。


 俺も前の世界あっちでは、大して一生懸命でなかったとは言え、一応運動部に所属していたし捻挫くらいは経験もある。

 応急処置の基本は、アイシングと固定なのだが……。


「氷属性の魔法とか、使えたりする?」

「ううん。私は火属性だけ」

「二系統の属性なんて、上級職の魔導師ウィザードでもなければ無理だよ」


 横から紅来が説明する。

 なるほど、そう言うものなのか。


「痛み止めは飲んだのか?」

「うん」

「そっか……。でも、歩くのは極力控えた方がいい。痛みがなくなっても捻挫は捻挫だ。無理をすると後遺症が残る場合もある」


 立夏が、答える代わりに黙って頷く。


「予備の松明は、何本残ってる?」

「未使用のは二本」


 一本二時間と考えて、四時間か……。

 ここにどれくらい居ることになるか解からないし、無駄遣いはできない。


「燃やせる物がないか、少し辺りを探索してくる」

「一緒に行こうか?」


 紅来の言葉に、しかし、俺は首を振る。

 盗賊シーフ探索系技能サーチスキルは確かに便利そうだが、こんな寂しい場所に立夏一人残していくのはさすがに後ろ髪が引かれる。


「いや、紅来は立夏の傍にいてやってくれ」

「解かった……。気をつけろよ」


 さてと――――


 とりあえず、全員の命が助かっていたことは不幸中の幸いだ。

 何メートル落ちたか解からないが、大した怪我もなかったのも奇跡に近い。


 差し当たって問題なのは……水や食料もそうだが、まずはこの気温だ。

 オアラ洞穴の窟内気温は一年を通して約十二℃だと、可憐の資料で読んだ。

 この地下空洞も同様なのかどうかは解からないが、かなり肌寒いのは確かだ。

 なんとか火の確保だけはしておきたいんだが……。


「おれつえ~!」


 六尺棍を出し、ついでにブルーも召喚しておく。

 ★1しか出ないような洞穴だ。ブルーを遊ばせておくには丁度良い。


「それにしても……広いね……」


 左肩に座ったリリスが呟く。

 確かに……広い。

 どうやら大きな空間になっているようだが、松明を掲げても反対側の壁が見えないため、どれくらいの広さなのか見当が付かない。

 しかし、狭苦しい鍾乳洞とは明らかに異質の空間であることは間違いない。


 一〇分ほど歩いたところで、リリスが両耳に手を当てながら口を開いた。


「何か……聞こえる」

「ええ? またコウモリ?」

「ううん、違う……。川?」


 更に壁沿いに進むと、俺にもザァザァと水の流れるような音が聞こえてきた。

 鍾乳洞でのコウモリ襲来の時も思ったが、耳だけはいいな、リリスこいつ。 

 音が聞こえ始めてから二~三分後、音の出所に突き当たる。


 地下水脈だ。


 壁に空いた穴から水が流れ出し、川となって目の前を横切るように流れていた。

 岩の隙間を流れてくると言うより、本流ごと地下に潜り込んでいるような川。

 地下水脈……と言うよりは地下河川と表現した方が良さそうだ。


 川幅は平均で三メートルくらいだろうか。流れもそこそこ早い。

 松明をかざしてみると、よくは見えなかったが、侵食が進んでいるのか水深はかなりありそうだ。

 一旦松明を置き、手で水を掬って一口飲んでみる。

 飲み口が柔らかい。癖の無い軟水。


 松明を持って、改めて周囲を見渡してみる。

 川に流されてきたのだろうか。大小の木片があちこちに溜まっている。

 手に持ってみると、少し湿気はあるものの、何とか燃やすことはできそうだ。

 探せば乾いた木片も見つかるだろう。


「この辺りに拠点を移そう」

「立夏ちゃん、動けるかな」

「さっきの場所から……十五分くらいだろ? それくらいなら負ぶって歩けるさ」

「紬くんは、大丈夫なの? 体の痛みとか」

「ああ。大丈夫そうだ」


 手足をグリグリと動かしてみるが、もう痛みはほとんど感じなくなっていた。

 全身を打っていたせいで大袈裟に痛んだが、もともと打ち身程度の軽い負傷だったのかも知れない。もちろん、痛みが引いたのは薬の効果が大きいのだろうが。


「そう言えば、リリスは、気を失ったりはしなかったのか?」


 来たルートを引き返しながらリリスに訊ねる。


「ちょっと意識は飛んでたわね。気が付いたら、紬くんと紅来ちゃんの間に挟まれて潰れそうになってた」

「悪かったな。リリスおまえまで巻き込む結果になって」

「ん?」


 俺が謝っている理由に思い当たらないらしい。

 肩の上で、不思議そうな顔で首を傾げている。


「俺が一人で逃げれば、お前だって一緒に助かったはずだろ?」

「ああ、そのことね……」


 リリスの事をどれだけ意識していかどうか、はっきりとは思い出せない。

 ただ、いずれにせよ、あの場面で紅来を見捨てて逃げるなどという選択肢は、今改めて考えてもあり得ない。


「でも、揺れ始めた時、ポーチを、前に回して守ってくれたじゃない」

「そう……だったっけ?」


 とにかく、地震が始まってからは何もかもが咄嗟の行動だった。

 無意識でやっていたことが多かったのか、自分でもよく思い出せない。


「うん。あれがなかったら私も、ペチャンコになってたかも知れない」

「それも、ゾッとしない話だな」

「それにさ……」

「ん?」

「あそこで紬くんが紅来ちゃんを見捨てて逃げるような男だったら、正直ガッカリよ。そうなってたら、紬くんを誘惑する計画も抜本的に見直させてもらってたわ」


 そう言えば、そんな計画があったんだっけ、こいつには。


 その時、左の頬から、チュッと音がした。

 慌てて横を見ると、リリスが肩の上で舌を出しながらクスッと笑う。

 キスされた!?


「なんだよ、おまえまで!?」

「お礼よ、お礼。紅来ちゃんの真似ぇ~」


 今日はなんて日だ。これで三人目だぞ……。

 何かの記念日?


「このキスはお礼だよ」と君が言ったから八月六日はチュ~記念日。


 昔、母親の持っていた本の中でそんなフレーズを読んだことがある気がする。

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