第五章 オアラ洞穴 編 ~地下空洞

01.地下空洞

「地下空洞? オアラ洞穴の下に、こんな空間が……」

 

 うららが、地面に空いた巨大なシンクホールを覗き込む。

 大きな声で、崩落に飲み込まれた三人の名を呼んでみたが、返事は無い。


 大きな横揺れ―――長周期地震動は、五分ほど続いただろうか。

 もしかすると一〇分近く続いていたかも知れない。

 暗い洞穴の中、コウモリの大群の襲来と、大きな横揺れ。

 つづけざまに不測の事態が起こる中、体内時計で正確に時を計り続けることなど出来ようはずもなかった。


「もう、揺れてないよね?」

「恐らく……」


 麗の問いに答える可憐かれんにも、確信がない。

 揺れが治まってもまだ、なんとなく地面が動いているような錯覚を覚える。


 可憐が麗の隣に歩み寄り、松明を掲げて眼下に広がる漆黒の空間に目を凝らす。

 底は見えない。


つむぎぃ~! 紅来くくるぅ~! 立夏りっかぁ~!」


 もう一度、今度は可憐が呼びかけてみるが、やはり返って来るのは静寂のみ。


 足元の小石を拾って投げ込んでみる。

 カツン、カツンと、何度か岩に当たりながら転がり落ち、数秒後に立てた音を最後に静かになった。

 それが底だったとしても深さは一〇メートル近くはありそうだ。

 はっきりとは見えないが、闇の深さを見る限り、地下空洞は更に奥へ続いているようにも思える。


 華瑠亜かるあは、もう泣いてはいなかったが、へたり込んで呆然と地面を見つめたまま動けないでいた。

 奈落へと消えていく立夏と紅来……そして、紬の姿が頭から離れない。


 不意に、華瑠亜の脳裏に、紬とのキスの記憶が蘇る。

 売り言葉と買い言葉の末に交わされた、唇と唇が微かに触れ合っただけのライト過ぎるキス。

 しかし、その時の事を思い出すと、何故かは解からないが華瑠亜の胸は締め付けられた。


「エッ……エッ……」


 口に手を当てると、再び嗚咽が漏れる。

 麗がゆっくりと、肩を震わせる華瑠亜の元に近づいた。

 隣で膝を着き、華瑠亜の震える背中をさする。

 少しの間、二人の様子を眺めていた可憐がやがて、静かに重い口を開いた。


「とにかく、一旦ここを出よう」


 可憐の言葉を聞いて、華瑠亜の肩がビクンと大きく波打ったかと思うと、信じられないと言った表情で可憐を見上げる。


「ど……どうして? 三人を、見捨てるの!?」

「そうじゃない。でも、今ここに残ってたって何もできない」


 答える可憐の表情も苦渋に歪んでいるのだが、窟内の薄暗さと溢れる涙が、華瑠亜にそれを見せることをはばんでいた。


「だからって、私達だけで逃げるなんて……そんな薄情なことできるわけないじゃない!」

「逃げるんじゃない。体勢を立て直すんだ。さっきの地震だって、余震ではなく新たな本震の可能性だってある」


 先程の大きな揺れが一昨日の地震と無関係に発生したものだとしたら、短期間のうちに同規模の余震が起こる可能性も否定できない。


「こんな暗闇の中、ここに誰も残らなかったら、落ちた三人だって戻って来られなくなるわよ!」

「松明はせいぜい、持ってあと一時間だ。ここに残ってたってすぐに暗闇になる」

「ここで声をかけてるだけだって、居場所を知らせられるじゃない!」

「馬鹿言うな! こんな場所で暗闇になればこちらの精神だって危ういし、また地震でも起これば崩落が広がらないとも限らない」

「じゃあ、二人は戻って助けを呼んできてよ。私はここで三人を待つわ!」


 さすがに、可憐もやや苛立ったように反論する。


「冷静になれ。あれだけの地震の後だ。直ぐに救助隊が来られるとは限らない」

「なら、なおのこと……」

「予備の松明は立夏が持ってるんだ。紬もポーションを持ってる。もし生きているなら、あの三人ならきっと、数時間や……いや、数日だって粘ってくれるはずだ」

「もし……って、何よ……」


 突然、華瑠亜が可憐に歩み寄り、平手で可憐の頬を引っ叩いた。

 パンッ! という派手な音と共に、横を向いた可憐の白い左頬が赤く染まる。


「ちょっと! 華瑠亜! 落ち着いてっ!」


 慌てて麗が、後ろから華瑠亜を抑える。

 しかし、華瑠亜の剣幕は治まらない。


「もし、って何よ! 生きてるに決まってるじゃない! いっつも、何かと言えば冷静に冷静にって……。その結果がこれ? あんな近くにいて一人も助けられないなんて、冷静が聞いて呆れるわよ!!」


 叫びながら、どんどん涙が溢れてくる。

 華瑠亜自身も、理不尽な八つ当たりをしているのは解かっていた。

 それでも、何かに当たりでもしていなければ、悪い予感に心が押し潰されてしまいそうで耐えられなかった。


「いぎでるに……いぎでるに……ぎまっでるじゃない!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃしながら、華瑠亜は力なく可憐の胸を叩き続ける。

 そんな華瑠亜の背中を、麗が先程と同じように優しく擦る。


「大丈夫だよ華瑠亜。きっと、みんな生きてる!」


 そう話す麗の声も涙声だ。



 数分後――――


 ようやく、華瑠亜も落ち着きを取り戻す。

 いや……ただ単に泣き疲れただけなのかも知れない。

 華瑠亜に頬を張られて以降、ずっと沈黙していた可憐が、再び口を開く。


「そろそろ……出ようか」


 下を向いたまま黙っている華瑠亜に、麗も声を掛ける。


「華瑠亜。ここは可憐の言う通りにしよう? 三人が戻った時、もし私達の誰か一人でも欠けててたら、きっと今の華瑠亜みたいに辛い思いをさせるよ?」


 麗の言葉に、華瑠亜が静かに頷く。

 それを見ながら、松明を持って洞穴路へ向かう可憐。

 麗と華瑠亜も後に続いた。


「さっきは……ごめんなさい」


 可憐の背中越しに、華瑠亜が謝る。


「大丈夫。気にしなくていい」


 そう答える可憐の口元も、しかし、無念さに歪んでいた。

 手を伸ばしながら小さくなる立夏、そして、自分が逃げるよりも、迷わず紅来を庇うことを選んだ紬の姿が脳裏に焼きついて離れない。


(あの時、もっと他に、何かやりようはなかったのか……)


 気がつくと、強く噛み締めた下唇から血の味がした。


               ◇


 ……むぎ。

 ……くん。


 誰かが、俺の頬をペチペチと叩いている。

 何だようるさいなぁ……。

 体が痛いんだ。もうちょっと休ませてくれよ。


 ……つむぎ! 

 ……つむぎくん!


 今度ははっきりと、俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 この声は……紅来? ……と、リリスか?


 頑固な瞼に言い聞かせ、なんとか薄っすらと開けてみる。

 真っ先に目に止まったのは、暗闇の中でゆらゆらと揺れる炎。


 あれは……松明たいまつか。

 視線を這わせて、松明を握る手をゆっくりと辿る。

 紅来の姿が見えた。


 崩れ落ちる地面と共に味わった、永遠に続くかのようにも思えた落下感。

 落ちる瞬間、紅来が下にならないようにだけ考えて体を反転させた記憶はある。

 正直、落ちている途中の姿勢など認識するよしも無かったが、突如、背中に強い衝撃を感じたところまでは覚えている。

 そこからは全く記憶がなかった。


「紅来……無事だったか……」

「うん。落ちた瞬間は私も気を失ってたから覚えてないけど……かすり傷くらいだ。多分、紬がクッションになってくれたおかげだと思う」


 紅来が、ほっとしたように微笑みながら答える。

 俺の意識が戻ったことで安心したのだろう。


 その紅来の姿を覆い隠すように、目の前にリリスがニョキっと顔を出す。

 俺の胸の上にのって、こちらを覗きこんでいる。

 俺の顔をペチペチやってたのはリリスこいつらしい。


「私もいますからね~。お忘れなくぅ!」

「近い、近い!」


 リリスを払い退けようと右手を持ち上げた瞬間、背中の痛みに顔が歪む。


「ウッ……」

「ちょっと……紬くん? 大丈夫?」


 リリスが心配そうに覗き込む。

 もう一度、ゆっくり右手と、そして左手、更に両足も動かしてみる

 やはり、背中だけでなく、全身のあちこちがズキズキと痛む。


 ただ、恐らくこの痛みは打撲によるものだろう。

 麻痺していた痛覚が徐々に脳へ信号を送り始めるが、骨折や、大量の出血を伴うような重症を負っている感じはしない。

 もちろん、打撲とて、受ける範囲によっては軽視は出来ないのだろうが……。


「ポーション、飲む?」


 紅来が、俺の鞄からポーションアンプルを取り出した。

 テイムキャンプの時に使ったものと同じく、アンプル瓶自体も鎮痛剤の結晶を固めて作られている高級品だ。


「ああ、もらう」

「何だったら、口移しで飲ませてやってもいいんだよ?」


 紅来が悪戯っ子のようにククっと笑う。


「そうだな……紅来とも口移ししておけば、さすがにもう、鬱陶うっとうしい詮索はしてこなくなるだろうしな」

「ばっ……馬鹿! 何言ってんのよ? 冗談よ!?」

「あたりまえだろ。早くよこせ」


 紅来にポーションを流し込んでもらい、瓶もかじって飲み込む。

 鎮痛剤といっても、前の世界向こうにあったような内科的な薬ではない。

 魔法職の一つ、薬師くすしによって作られた魔法アイテムだ。

 即効性は半端ない。


 スーッと、全身から痛みが引いていく。

 もう一度両手を動かしてみる。

 まだ少し痛むが、さっきほどではない。


 そのまま、地面に両肘を着いて体を起こそうと試みる。

 紅来が近くの岩に松明を立てかけ、空いた両手で俺の体を支えてくれた。


「ありがと」

「目立った外傷はないみたね……。痛む?」

「いや、大丈夫だ。だいぶ薬が効いてる」


 これならなんとか、立って歩くこともできそうだ。


「え~っと、その……さっきはありがとう」

「ん?」


 紅来の方に顔を向けると、俺の背中に手を添える紅来と目が合った。

 顔はあちこち土で汚れ、後ろで綺麗に纏めてあった髪も乱れている。

 その姿が、嫌でも崩落の際の恐怖を思い出させる。


 いつも悪戯っ子のようにくりくりとよく動いてる大きな瞳は、しかし今は、揺らめく松明の炎を映しながら俺を見つめ返す。

 いつになく真剣な眼差し。


「その……落ちる時に、庇ってくれて」

「ああ……まあ、成り行きというか……体が、自然とね」

「紬一人なら、もしかしたら逃げられたでしょ?」

紅来おまえを置いて? 冗談だろ」


 自分の行動に全く後悔はない。

 それはこうなった今でも、自信を持って言える。


「俺はポーション係で松明係だったからな。最後までパーティーをサポートする義務があるんだよ」

「自分の命を危うくしてまで徹する義務ではないでしょ」

「俺がもし、あの時紅来を置いて逃げて、仮に自分だけ助かったとして……」

「うん」

「その後きっと、過去の自分の選択を後悔しながら生きることになると思う。ガキ臭いかもしれないけど、俺自身が許せない自分には絶対になりたくないんだよ」

「………」


 不意に紅来がにじり寄ってきたかと思うと、素早く俺の頬にキスをする。


 え? ええっ!?


 突然のことに、呆気に取られて紅来を見返す。

 さすがに紅来も、照れたように視線を逸らした。


「な、なによ?」

「いや……そりゃ、こっちのセリフだろ」

「お礼よ、お礼! こう見えて、私だって男子からは結構人気あるんだからね!」


 それは知ってるけど……。


「それを自分で言うか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る