01.ティンダロスハウンド

 ティンダロスハウンドの群れを前に、碧色の片手剣を構える毒島。

 不死系アンデッド相手に通常攻撃が通用するんだろうか?


「先生! 私と華瑠亜かるあ勇哉ゆうや、それとつむぎにも、ADSTを!」


 振り返った紅来くくるの指示に、慌てて回復小杖ヒールステッキを取り出す優奈ゆうな先生。


 ADST……って、先生が新しく覚えてきたとかいう魔法だよな。

 追加聖痕(アディショナル・スティグマ)とか言ってたっけ?


「それって確か……自動回復リジェネレート系の魔法だったよな?」

「それは副次効果。本来の目的は追加攻撃〝聖痕〟の付与だよ」


 説明の間にも、紅来に続いて華瑠亜にも魔法をかけ始める優奈先生。

 三十分間、消費体力の一割程度を自動回復……というような説明をしていたと思ったが、正直、効果の程はまったく実感できなかった。それよりも――


「聖痕、ってなんだよ?」


 紅来が、ほんと常識ないなぁ……とでも言いたそうに、流し目で俺を見る。


聖痕スティグマ……別名〝クリミアの焼印〟。ま、早い話、武器にアンデッドでも倒せるような追加効果が付加されるってこと」


 マジかよ!

 優奈先生、まさか、この事態を想定してそんな魔法を!?


「そ、そうなの!?」と、紅来の答えに驚いて聞き返したのは……優奈先生本人だ。

「先生、てっきり自動回復のための魔法かと……」


 知らないで習得していたらしい。


「まさか、そんなマニアックな魔法を使えるとはねぇ」


 ティンダロスハウンドの群れを睨みつけたまま、毒島が口の端を上げる。


「おまえら、本当に大穴チームだったのかもな」

「昨日、先生に聞いたときにはどうしようかと思ったけどさぁ。いやぁ、不幸中の幸いというか、ご都合主義と言うか……」


 紅来も、二本の盗賊短刀シーフダガーを構えてふふっと微笑む。

 確かに、昨日の段階で事実を伝えていたら先生も相当落ち込んでいただろう。


偶然の幸運セレンディピティってのは、知性、洞察力、そして日々の努力に裏付けられてるんだ。おまえらの先生は、まあ、そういうことなんだろ」


 俺にはどう贔屓目に見てもただの偶然にしか思えないんだが……今日の毒島は、もしかしてあれか? 褒め殺し作戦か?


「偶然の不幸・・を掴み続けるつむぎくんは、お察し・・・、ってこと?」と、リリス。

「おまえが言うな! そもそも焼き豚に騙されてなけりゃ、ここだっておまえで楽々突破できてたんだよ!」


 優奈先生が少し複雑な表情を浮かべているのは、毒島に褒められたせいだろうか?

 俺へのADSTを完了すると、「あとは……毒島さん?」と言いながら、二、三歩前へ出る。


「毒島っちには必要ないかな。あの得物は多分、聖なる武器ホーリーウェポン。さらに言えば、刀身の色から見て〝玄武〟ってとこかな」


 しゃがんで床に耳を当てながら説明する紅来。


 そうだったのか……。でも、こんな、普段はアンデッドなんて出ないようなダンジョンで、わざわざ対策を?

 もしかして毒島は、アンデッドが出ることを知っていたのか?


「そ、それでも、リジェネレート効果だけでも少しは役立つなら……」


 そう言って詠唱を始める優奈先生に「わりぃな」と、やはり前方を睨んだまま、短く礼を言う毒島。

 

「ほぼ真西に百八十メートル。階段キューブ発見」


〝振動定位〟バイブロケーションを終えた紅来の言葉に、毒島が二、三度頷く。


「ADSTで倒せるとなれば、相手は単なる★3の犬だし恐れるほどじゃねぇ。数は多いが、百八十メートルならなんとか突っ走れるだろ」

「まあ、★3程度なら俺の標的固定フィックスターゲットで……」

「だめだ」


 勇哉の言葉にすかさず首を振る毒島。


「フィックスターゲットはその場に留まって殲滅を狙うためのスキルだ。目的はあくまでも出口への到達だろ? 戦闘は必要最低限に抑えろ」


 毒島の言葉に全員が頷く。


「もう……はぐれないでよ……」


 俺から離した右手に連弩ボウガンを装着しながら、華瑠亜が呟く。


「百八十メートル走るだけだろ? 逸れようが――……」


 軽い口調で答える俺を華瑠亜がキッ、と睨み返す。


「あんたね! いっつもいっつもそんなこと言って……何かっていうといなくなるじゃない! あんたの心配なんてするの、もうウンザリなのよ!」

「ご……ごめん……」

「今度逸れる時はね、あたしも一緒に行くからっ!」

「だから……手なんか繋いで?」

「違うわよ、ばかっ! べつに、そんなんじゃないけど……逸れたいなら勝手にしろ!」


 どっちだよ?


「んじゃ……行くぞ!」


 毒島が床を蹴り、遠目にはまるで天の川ミルキーウェイのように美しく広がる魔眼の川へと身を躍らせる。

 すぐ後ろに、盾とショートソードを携えた勇哉、そして、二刀ダガーの紅来。

 さらにその後ろからは、メアリーと優奈先生が手を繋いで駆ける。

 俺と華瑠亜は殿しんがりをガード。

 当然、俺の手には六尺棍が握られている。


 真っ先に自分たちのパーソナルスペースを犯した標的――毒島へと一斉に襲い掛かってきたのは、最前列のティンダロスハウンド。


 もちろん、それだけではない。

 毒島の動きに合わせて次々と薄暗がりから浮かび上がる不死犬たち。


 その数――数多あまた!!


 最初に動いた集団だけでも二十頭近くになりそうだが、後に続く集団まで含めれば多すぎて概数すら把握困難だ。


 オアラの地下空洞で洞窟犬ケイブドッグを相手に囮になった時のことが蘇る。

 あの時は、一度にやり合ったのはせいぜい四、五頭。

 相手にした数を全部足しても、十頭を超えるかどうかといったところだった。

 それですらあれだけボロボロになりながら苦労したのに……。


 毒島は果たして大丈夫なのか?


 不安が先に立つが、しかし、それが取り越し苦労であったとすぐに思い知る。

 いや、少なくとも、毒島も紛れもない怪物であり、俺と同列で語るべき一般人ではない……ということだけはすぐにはっきりとした。


 抜く手も見せずに最初の五、六頭を宙に弾き飛ばした姿には期待を、続けて九頭、十頭と、一瞬のうちに撫で斬りにする姿を見せられ、期待は確信へと変わる。


 毒島あいつ、見た目に違わず――


「ぶっしー、まじヤバイです!!」


 俺のすぐ前で、先生の手を引きながら驚嘆するメアリー。

 そうだな……。それが〝まじヤバイ〟の正しい使い方だ。


 青い誘蛾灯に集まる羽虫のごとく、ティンダロスハウンドが毒島の眼前で次々と黒塵こくじんに変わる。

 碧刃のホーリーウェポンによって浄化させられ、その残滓ざんしすら残さず大気と同化し、次々と消滅していく不死犬ハウンドむくろ


 もしかしてこのまま押し切れるんじゃないか?


 毒島一人でハウンドの群れを一気に押し込み、百メートルほど進んだ時点で、俺たちがそう思い始めたとしても、無理はないだろう。


 しかし――


「さあて、こっからが本番だぜ」


 ただ一人、微塵の予断も挟まず魔物を薙ぎ払ってきた毒島が呟く。

 その視線の先には……さらに多くの魔眼の星屑!

 広場、石柱の影、キューブの隙間、そして屋上。

 至るところに広がるティンダロスハウンドの眼光。


 こっちが本隊か!?

 最初に現れた数以上いるのは確実だ。

 その群れの中へ、単身突っ込みながら毒島が叫ぶ。


「お前たちはとにかく、階段部屋に向かって突っ走れ!」


 先ほどと同じように、毒島が先陣を切ってハウンドたちの敵対心ヘイトを稼ぐ。

 だが、しがし……先ほどまでよりも明らかに数が多い。

 これまで掠りすらさせなかった魔犬の牙と爪が、徐々に毒島の体に赤い傷を刻み始める。


〝玄武〟で捌き切れないハウンドの攻撃は左手の鋼籠手ガントレットで一旦弾き返し、態勢を立て直して再度、斬る。

 しかし、そのサイクルに陥った時点ですでに、一方的な殲滅戦から消耗戦へ移行した証拠だ。


「早く行け――っ!」


 毒島の声に背中を押されるように、俺たちは彼の背後を回って西へ走る。

 ハウンドの攻撃の多くはまだ毒島に集中していたが、何頭かは、新たに奴らのパーソナルエリアを侵食し始めた俺たちに標的を切り替える。


「パパ――っ、来ましたよ、犬っ!!」

「分かってるっ!」


 ひゃ――っ! と言いながら宙に飛び立つリリス。

 それを横目に、飛び掛ってきたハウンドからメアリーを庇うように六尺棍を振り抜く。

 グシャリと鈍い音を立てて床に落ちたハウンドの傷口に、アステリスクのような聖痕が浮かび上がったかと思うと、そのまま魔物の骸ごと霧散した。


 あれが追加聖痕の効果か!

 数は多いが、打たれ弱いのは確かなようだ。


 勇哉が五角形剣楯エスカッシャンで襲いくるハウンドを弾き返しながら、ショートソードでとどめを刺してゆく。


 その横では、二刀のダガーを巧みにあやつりながらハウンドを薙ぎ払ってゆく紅来。

 いつもの、確実に急所を狙うような盗賊剣撃シーフバトルではなく、とにかくヒットだけを狙った立ち回りだが、この相手にはそれで十分だ。


 まるで彼女を護る護符のように、周りで次々と浮かんでは消えるアステリスク。

 その中でくるくると回るクロスオーバーポニーの軌跡に思わずみとれそうになりながら、慌てて首を振り、俺も最後尾から声を張り上げた。


「メアリーと先生は、勇哉たちに付いて行けっ!!」

 

 言いながら振り向いては、追いかけてきたハウンドを六尺棍で叩き落していく。

 担いだ荷物が重くて六尺棍の動きにキレはないが、それでも、ただ当てるだけならなんとかなる。


 ……が、それにしても、数が多過ぎる。

 さらに後方で、ハウンドたちの敵対心ヘイトを稼ぐ毒島だが、相手は何十頭いるのかも分からない大群だ。

 徐々に、俺たちの方へ向かってくるハウンドの数も増えてきた。


「階段部屋! あともう少しよ!」


 連弩ボウガンを連射しながら声を張る華瑠亜。

 振り向けば、紅来と勇哉がハウンドの攻撃を食い止め、二人の影に隠れるように先生とメアリーが駆け抜ける。


「トラップはないから! そのまま突っ込んで!」


 碧眼のままハウンドを相手にする紅来が、振り向きもせず叫ぶ。

 と同時に、ようやく、階段部屋へと転がり込むように姿を消す先生とメアリー。


 まずは第一段階クリア!

 よく転ばずに走ってくれました、先生!


 続いて、紅来と勇哉が入り口の前まで辿り着き、俺たちを待つようにこちらを振り返る。

 二人へ向かって走っていく華瑠亜の背中も見えた。


 よし、俺も!


 ……と駆け出した瞬間、後ろへ引き摺られるように体が仰け反る。

 振り向くと、三頭のハウンドがリュックにぶら下がるように食らいついている。

 さらにその後方からも新手の集団。

 数は……ざっと二十頭ってところか!?


「さっさとリュックを捨てて!」


 立ち止まってこちらを振り返りながら声を張り上げる華瑠亜。


「んなこと言ったって……いろいろ大事なもんが……」

「身体の方が大事よ、バカ紬っ!!」


 あれ? 涙声?

 反射的に、肩からリュックを外して放り投げる。

 女子の涙というのは、理屈抜きの強制力があるものだ。


 身軽になり、再び走ろうとしたその時、今度は腰の辺りが引っ張られる感覚。

 見れば、リュックのサイドポケットの紐がウエストポーチに絡まっている。


 ったく!! 我ながらなんてどんくさい!!


 その紐を外す数秒は、事態を一気に悪化させるには十分な寸暇だった。

 四方から一気に迫りくるハウンドの群れ。

 後方は元より、階段部屋への退路も含めて完全に囲まれる。

 五、十、十五……よく分からないが、全体では三十頭くらいはいそうだ。


 迎撃するしかないか!?

 不思議と、妙に冷静な頭で周囲を確認しながら後退あとずさった俺の背中が、ドンと何かに当たる。

 足を止めて振り向くとそこには……。


「か……華瑠亜!?」

「ったく、なにやってんのよ、どんくさい!」

「おまえ……なんで戻って……」

「言ったでしょ。次にあんたが逸れる時は、あたしも一緒だって……」

「バカヤロ……」

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