08.ちょっと、見直したかも

つむぎのこと……ちょっと、見直したかも……」


 何とも言えない奇妙な表情で、絞り出すように華瑠亜かるあが言った。

 どういう表情だろ、あれ。

 本当は褒めたくないんだけど、無理矢理褒めてる感じ?


「そんな、無理して褒めなくても……」


 俺の苦笑いを見て華瑠亜が慌てて手を振る。


「別に、無理なんてしてないわよ! 本当にそう思ったから言ってるの!」

「そ、そう。ありがと……」


 のぼせた人を介抱しただけなのに、そこまで感心されることかな?

 そう言えば、初美の水着、どうなったんだろう。

 下手に訊いたらヤブ蛇になりそうだが―――

 でも、気になる!


「そう言えば、初美の水着、紐がほどけてなかった?」

「ああ、あれね。あんたがやったのかと思って最初はびっくりしたわよ」

「するわけないだろ!」

「まあね……。初美の意識が戻ってから、事情は聞いたから」


 そっか。

 言われてみれば、初美本人が事情を知ってるんだから焦る必要も無かったのか。

 初美から聞いたってことは、ファミリアケースクロエも持って行ってたのかな?


あんた、おかしな事してないでしょうね?」

「おかしな事って、何だよ」

「例えばほら、初美の、胸を見たりとか……」

「見るわけないだろ! ……なあ? リリス」

「う、うん!」


 急に質問を振られ、肩に座ったリリスも慌てて頷く。

 さすがにリリスこいつも、ここで水着が肌蹴はだけたことなんて言ったら、またややこしいことになりかねないと分かっているようだ。

 実際、水着は肌蹴けても胸は髪の毛で隠れていたし、気が動転してラッキーイベントを堪能してる余裕も無かったのだから、嘘は言っていない。


「ならいいんだけどさ。って言うか、そんなことじゃなく……」

「ん?」

「今はさ、その……あんたがD班の班長だったこと、良かったと思ってるよ」

「ん~っと、それは……あれ? 雑用係として、ってやつ!?」


 以前、モンスターハント実習の直前に言われたことを思い出し、少しふざけて言ってみたが、見返してくる華瑠亜の眼差しはいつになく真剣だ。


「そうじゃない。頼れるリーダーとして、ってこと」

「お……おう?」


 あまりにもストレートな賞辞に、俺も思わず間抜けな返答になる。

 わざわざこんなことを言うのは、あの実習前の、戦闘準備室での険悪なセリフをずっと気にしていたということだろうか。

 結構真っ直ぐと言うか、正義感の強いところはあるからな。

 こう見えて、性格も意外と律儀なのかも知れない。


「そんだけ。じゃあね!」


 そう言うと、華瑠亜は小走りでキッチンへ入って行った。

 俺も、少しの間その後ろ姿をポカンと眺める。


「ねえ、私もさすがに、ちょっと寒くなってきたんだけど?」


 リリスもまだ、濡れた水着のままだ。


「あ、ああ、ごめんごめん。今、部屋に行く」


 なんだろう華瑠亜あれ

 明日は雪でも降るのか?


               ◇


「まったくおまえ、上手いことやったよなぁ」

「またその話かよ」

「だってさあ。水着とは言え、女子とお風呂とか、多分もう一生ないぜ?」


 そうかな? 現世界こっちのノリなら、またあり得そうな気がしないでもない。


 夕食後、入浴しに行った可憐かれんと優奈先生以外の八人は、各部屋に分かれて荷物の片付けをすることになった。

 女子は二部屋に分かれたようだが、男子部屋はここ一室。

 十畳ほどの部屋にベッドが三つ、ゆったりと並べてある。

 壁には十個以上のランプが設置されており、夜はいつもランプ一つで過ごしている俺にとっては十分過ぎるほど明るい。


 荷物の少ない男子は早々に片付けを終えた。

 今は紅来くくるに借りたハサミで爪を切りながら勇哉ゆうやの馬鹿話を聞いているところだった。


「上手いこと、って言ったって、俺は何もやってないけどな」

「そんなこと言って、クジに細工でもしたんじゃないの? チーターだけに!」

「うるせぇよ。……って言うか、勇哉おまえだって、買い出し係嫌がってたじゃん」

「まさか、帰ってからお楽しみイベントが待ってるなんて思ってなかったからな」


 そんなの俺だって一緒だ。


勇哉あんたも、残ったメンバーで一緒に入れば良かったじゃん」


 キッチンから貰ってきたチーズをかじりながらリリスが口を開く。

 船電車ウィレイアでヒロイン属性の話をしていた時、勇哉から「アホな子」&「腹ペコ」枠に指名されて以来、すっかり『勇哉=あんた』扱いだ。


「こっちは調理係抜いても五人だったからな。 提案はしたんだが却下された」

「あの浴室なら、五人だって入れたでしょ?」


 却下されたのは多分、別の理由なんじゃないかな、リリス。


「そうかなあ? 明日、もう一度提案してみるか。クジ引き入浴」

「クジ引き入浴……俺たち三人で固まるフラグな気がする」

「そこはほら、今日みたいに、男子はバラけるように細工してくれよ、紬」

「だからしてねぇよ、細工なんて!」


 本気なのか冗談なのかよく解らん。


「そんなことより勇哉達おまえら、明日はどうすんの?」

「ああ……優奈先生も黒崎初美くろさきも、洞穴の方に行くんだろ?」

「らしいな。二人とも課題には加われないけど……優奈先生は一応引率だし、初美はまだ、麗以外とはまともに話せないからな」

「それじゃあなぁ……」


 勇哉が唇を尖らせながらベッドに横になる。


「俺と歩牟あゆむ、二人で残ってたって仕方ないべ?」

「海でナンパでもしてればいいじゃん」

「それもいいけど……せっかく可愛い女子達と来てるんだし、一緒に行動してた方がいろいろと可能性も高くね?」 


 何の可能性だよ?


「にしても、おまえ、爪切るの下手へったくそだなぁ!」

「仕方ないだろ。慣れてないんだよ」

「慣れてないっておまえ……母ちゃんにでも切ってもらってんのか?」

「ああ、いや、そう言うわけじゃないけど……こっちの話」


 現世界こっちには爪切りなどという便利アイテムは無いため爪はハサミで整えるのだが、まだ今日で二回目で、全く慣れていない。

 深爪しそうで恐いので、どうしても少しずつ細かく切ることになる。


 シャワシャワ、シャワシャワ――――


 出入り口に一番近いベッドから、糊の利いたシーツの擦れる音が聞こえた。

 仰向けで本を読んでいた歩牟あゆむが、同じ体勢に疲れたのか、枕を胸の下に置いてうつ伏せの体勢に変わる。


「静かだな、歩牟は」


 そんな俺の言葉にも気付かないのか、黙って読書を続けている。

 読んでいるのは例の本……『チート修道士の異世界転生』だ。

 何かに集中すると周りが見えなくなるくらい没頭するところがある。


「あの本、紅来に貸してなかったっけ?」

「あれは一巻。こっちは二巻」

「シリーズになってるのかよ。人気あるの?」

「どうかね? でも、今までにあまりない話だし、話題にはなってるよ」

「へぇ~。俺も後で借りてみようかな」


 几帳面な俺は、どうせなら一巻から読みたいのだが。


「そう言やこの本の主人公、おまえと同じ名前だったな。字は違うけど」

「そうなの?」


 そう言えば以前、施療院に行った時に塩崎信二しんじも同じようなこと言ってたな。


「うん。『糸ヘン』に『方』って書くほうのつむぎ

「主人公、男だよな? 男でつむぎ、って結構珍しいんだけどな」

「そう……かもな? もともとおまえがいたから、俺はそんなに違和感なかったけど」


 そこでようやく、俺たちの会話に気付いたのか歩牟がこちらに顔を向ける。


「紬だけじゃないぞ」と、本を閉じながら口を開いた。

「もう読み終わったのか?」

「いや、もうちょっとだけど……でも、普通の本よりは全然早い。会話も空行も多い分、一般文芸に比べたら字はかなり少ないよ」


 なんか、前の世界むこうで言う軽小説ライトノベルみたいだ。


「紬くん……だけじゃない、って、何?」


 リリスが、先ほどの歩牟の言葉について質問する。


「一巻から出てたらしい由宇摩ゆうま、それに、二巻で登場する香魚汰あゆた神壱しんいち陽薙ひかる。全員、異世界で主人公と深く関わるようになる男キャラだけど……似てないか?」


 川島勇哉ゆうや森歩牟あゆむ塩崎信二しんじ小野沢光ひかる――――

 前の世界でもこちらでも、よくクラスでつるんでいる仲間だ。

 漢字で見るとうっかり見落としそうだが、音だけ聞けば、確かに似てる。

 と言うか、俺も含めて五人のキャラが……と考えると、完全一致に近い酷似だ。

 キャラクターの漢字が微妙に、中学生がよくわずらうう流行病に侵されていそうで気になるが……。


 おお~、と、勇哉が初めて気が付いたように感嘆の声を漏らす。


「言われてみりゃ、確かに似てなくもないな」


 この勇哉の鈍感さには、さすがに突っ込まざるを得ない。


「そんな程度じゃないだろ? うちのクラスに作者がいるんじゃないか、ってレベルの一致だぞ!?」

「そ、そうか? 脇役の男の名前なんて読み飛ばしてたから……」


 そんなんで小説楽しめるのかよ?


「それ、終わったら次貸してくれよ。なんだか興味が湧いてきた」

「ああ、解った」


 その時、ドアをノックする音に続いて、外から可憐の声が聞こえた。


『お風呂、空いたぞ~!』


 おうっ! ありがと! と勇哉が返事をして干しておいたタオルを掴む。

 歩牟もベッドから降りて洗面道具を整え始めた。


「おまえら、また入るの?」

「ああ。 入浴後の薪割りでまた汗かいちまったからな。おまえも入るか?」 


 そうだな。

 初美の件でバタバタして俺もゆっくりできなかったからな。

 せっかく、滅多にない広い風呂だし、もう一度入ってくるか。

 振り返るといつの間に着替えたのか、ポーチの中から水着のリリスが出てきた。


 おまえも入るのかよ!


「ご、ごめん。リリス付きだ。水着着てもらっていいか?」


               ◇


「お~い、立夏りっかぁ。何があったんだよぉ~、テイムキャンプで~」


 可憐が部屋に戻ると、未だに紅来がベッドの上で立夏を問い詰めていた。

 華瑠亜は、部屋の隅に置かれた小さなテーブルで、マスカットの皮を剥きながら二人の様子を見ている。

 マスカットの粒が減ったことを除けば、可憐が部屋を出た時とほぼ同じ光景だ。


「まだやってるのかおまえら。よく飽きないな?」

「飽きる飽きないの問題じゃないんだよ。気になるじゃん!」


 紅来が、ちょっと休憩と言った様子で、立夏の太腿を借りて膝枕の体勢になる。

 紅来に詰問されようが枕にされようが、立夏は無表情のままだ。


 部屋の大きさは男子部屋とほぼ一緒だったが、寝具はダブルベッドが二台。

 この部屋には可憐、紅来、華瑠亜、立夏の四人が泊まることになっている。

 当然、もう一つの女子部屋は優奈先生と初美はつみうららだ。


「そもそもさぁ、何かがあった、ってのは確かな情報なわけ?」


 華瑠亜が、新たに剥き終わったマスカットを口に放り込みながら訊ねる。


「どうなの、可憐?」

「別に……パンサーに襲われたこと以外は変わったことはなかったと思うが」


 当事者の立夏を他所よそに、三人で会話が進む。


「確か、発端はリリスちゃんの暴露リークなんだっけ?」と華瑠亜。

「うんうん。なんか、立夏と紬が頻繁に会って、あれが初めての経験だったとか……意味深な会話をしてたらしい」

「頻繁とか経験とか……。尾ひれはひれ・・・・・・が付いてないか?」


 可憐がたしなめるが、紅来は意に介さない。


「意味はだいたい一緒だよ。それにさ……」


 紅来が何かを思い出すように、宙に視線を泳がせる。


「紬と立夏、二人で可憐の家に来た時、明らかに様子がおかしかっただろ?」


 確かにあの時の二人は、どこかギクシャクしていたように可憐も感じていた。

 立夏のあまりにも可愛過ぎた私服だって、今から思えばかなり不自然だ。


「二人で見つめ合ったり、顔赤くしちゃったりしてさぁ……」

「そう言えば、その後のキャンプ場のお泊りの件だって、ちょっと変よね?」


 華瑠亜も感じていた違和感を口にする。


「うんうん! あの日は直前まで可憐の家でミーティングしてたんだから、帰って直ぐにトゥクヴァルスに向ったってことだよな? 不自然じゃない?」


 そう言いながら紅来は、膝枕をしてもらっている自分の頭をドリルのように回し、ぐりぐりと立夏の下腹部に押し付けていく。


「こら~、教えろ~、吐け~、立夏ぁ~」


 立夏が無抵抗なのをいいことにやりたい放題だ。


「もう止めろよ。見てる方が鬱陶しい」


 しかし、そんな可憐の制止に対して、口を開いたのは意外にも立夏だった。


「知って、どうするの?」

「おっ! 話す気になった? どうもしないよ。ただ好奇心を満たしたいだけ」


 立夏が口を開いたことで、可憐も立夏の言葉を待つように口をつぐむ。

 僅かな沈黙の後、立夏がおもむろに口を開いた。


「紬くんに、キスをされたの」

「…………」


 立夏以外の三人がポカンと口を開けている。

 束の間訪れた、まるで真空になってしまったかのような無音の世界。


 ガラガラ、ガッシャーーン!!


 突如、部屋の隅から何かが派手に倒れる音がした。

 可憐、紅来、立夏の三人が一斉に音の方へ視線を向けると、マスカットをぶち撒けながら、華瑠亜が椅子ごと後ろにひっくり返っていた。

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