04.誘惑するのは紬くん

「夢に問題なければ、誘惑するのはつむぎくんでいっか!」


 リリスはそう呟いて、詳しくノートをチェックする為に最初のページに戻る。

 何人もリサーチをした上で綿密に対象選びを……などと張り切ってはいたものの、実のところ、そんな小間怠こまだるいやり方はまったくリリスの性に合っていない。


 ……と、その時、ポゥっと手元が光り出したかと思うと、たちまちノート全体が青白く熱のない光に包まれる。


「え! 何?」


 びっくりして放り投げたノートの角が、寝ている紬の前頭葉を直撃。

 やぁっば! ……と、慌てておでこの辺りを無意味にナデナデするが、しかし、何らかの魔法的な呪力でも発動されているのだろうか? 紬は目を覚ます気配もなく、ノートの光もさらに明るさを増す。


(何これ? 夢ノートにこんな機能あった?)


 もう一度、恐る恐るノートを拾おうと手を伸ばしたその時――


なんじが、われとの契約者か?』


 静かに空気を震わせるような声……と同時に、ノートの表紙から湧き出るように姿を現したのは、二十センチ程の小さな黒いドラゴン


(誰こいつ? 契約者? 持ち主か、ってことかしら?)


「え、ええ、そうだけど……」

『名は?』

「リ、リリスよ」


 リリスが答えると、翼を広げて浮かび上がり、リリスを見つめる黒竜。目の前の小娘をいぶかしがるような薄目のまま、小首を傾げる。


(な、なんか失礼な奴ね!)


『では、ノートに書かれた通りに世界の改変を望むと言うことで、相違ないな?』


(改変? 夢を見せたいだけで、そんな大袈裟なものでも……)


「ん~、私と言うより、そこに寝てる男の子の望みなんだけど……」


 黒竜は視線を落として紬を一瞥いちべつした後、再びリリスに向き直る。


『では、この男を中心として、世界を改変するのだな?』

「そ……そう言うことに……なるのかしら?」


(なんか、最近の夢ノートって、やけに面倒臭くなったのね。これは……あれね! 日本で言う、ガラパゴス化、ってやつね!)


『よかろう。では、魔力を頂くぞ』


 そう言って竜は目を瞑り、リリスから魔力を吸い上げ始める。別段それらしい仕草アクションはないが、体からどんどん魔力が抜けていくのを感じる。


(あれ? 夢を見せるのは呼び出された女夢魔サキュバスの役目だと思ってたんだけど……最近の夢ノートは全自動? ガラパゴス化、恐るべし!)


 そんなことを考えてる内に、気がつけば魔力がほぼ空になる。


『全然足りん』と、黒竜が嘆く。

「ええ~っ!?」


(夢を見せるだけでどんだけ魔力使うのよ、このポンコツ!)


『我は、お前のようなひよっ子悪魔が契約できるような存在ではないのだ』


(たかが夢ノートのくせに、態度だけはデカいわね……)


「じ、じゃあ、私がやるから魔力返してよ!」

『契約者ができるのは魔力の提供のみ。改変は我にしか許されておらぬ』


(私は、この紬くんの性向をリサーチしたいだけなのに……なにこの異常な面倒臭さは!? ガラパゴス、うっざ!)


「じゃあどうすんのよ? 無理ってこと?」


 リリスの質問に暫し沈黙した後、再び口を開く黒竜。


『一つ方法がある。お前が改変後の世界に入ってもよいのなら、可能かも知れん』

「え? 私も入れるの?」

『外から干渉して魔力を送り込むよりも、お前を中に送り込んで、その魔力で内側から改変する方が魔力は少なくて済む』


 リリスも、紬を誘惑するためには自分の夢を見せる必要がある。

 ……が、その世界に〝自分も入る〟という表現がよく理解できない。


(一緒に夢を見るような感覚なのかな? なんか言ってる意味がよく解らないけど、新夢ノートガラノーの新機能みたいなものかしら?)


 人間の男性はHでスケベな奴ばかりだというのがハイスクールでの教えだったので、その点だけが心配だったのだが――

 紬ならそれほど恥ずかしい要求もしてこないだろうと、ノートの内容を思い出しながらリリスも思案する。


「解ったわ。その条件、飲むわ!」

『お主は改変後の世界で、何か希望の設定はあるのか?』

「設定? なんでも好きなものにしてくれる、ってこと?」

『うむ。魔力を全て使い切るから、改変後の変身等はしばらく無理だろうしな。今の段階なら、おまえの好きなデフォルトの姿貌しぼうを用意してやろう』


(なるほど……それならやっぱり、一度やってみたかった女暗黒騎士!)


「それじゃあ、最強の……」


 女暗黒騎士――

 そう言い掛けて、慌てて言葉を飲み込む。


(誘惑が目的なのに、そんなごっつい職業にしてどうする!)


 リリスがグルリと首を回して部屋の中を見渡す。


(何か紬くんが好きそうな物、ないかしら?)


 ……と、程なくして目に止まったのはアニメのブルーレイボックス。タイトルには『メイド騎士リリカ』と記されている。


(これだ! 私なら〝メイド騎士リリス〟か。一文字違うだけだし丁度いいわ)


「じゃあ、そこのアニメに出てくるみたいなメイド騎士にして! 最強のね!」

『了解した』


 黒竜は答えて、ノートの内容を確認するように瞑想を始める。いや、薄目で見ているのは……ブルーレイボックス!?

 アニメの内容も確認しているのかも知れない。

 二、三分後、再び目を開ける黒竜。


『どうも……悪魔語に変換が難しい日本語がいくつかあるので、翻訳を頼めるか?』

「う、うん……」


(ほんと、高度に進化し過ぎた道具は逆に面倒臭くなるっていうアレね……テクノストレスってやつね、これ……)


『まず、ハーレムなんだが……』


 リリスも、ノートを開いて確認する。


「これ、日本語じゃないわよ。女の子を周りにはべらすことね。ここに書かれてる六人をこの子の周りでウロチョロさせればいいんじゃないの?」

『なるほどな。……では、チートとは?』


 リリスは、今度は棚にあった英和辞典を手に取りペラペラと捲る。


「チート、チート、チート……ああ、あったあった。ズルいとか、そう言う意味ね。ズルい奴になりたいんじゃない?」

『なるほど。……では最後に、おれつえー、とは?』


(おれつえー?)


 これはリリスも初めて耳にする単語だった。


「なんだろう……どこに書いてあった?」


 ノートを確認すると、主人公の設定項目の最後に、確かにフワっと書いてある。


(解らない……何これ?)


               ◇


 十分後、いよいよ黒竜が改変のための詠唱を開始する。


『まず、分岐力を持った選択肢を使って、この世界と0.00001%だけ異なった、殆ど同じ世界線を別に作る』

「……………」

『完了だ』

「早っ!」


(早いのはいいんだけど、ちゃんとやってるんでしょうね? 変な数字まで出してわけの解んないこと言ってたけど……この竜、ほんとに大丈夫かしら?)


『次に、お前とその男を改変後の世界線に送るぞ』

「了解!」


 と、反射的に答えたが、意味がよく解らない。


(改変後の世界線? 改変は私が送られた後でやるって話じゃなかった?)


 しかし考える間もなく、答えると同時に黒竜の姿がフッと消える。直後、どこからともなく聞こえてくる黒竜の声。


『転送も完了した』


 どうやら消えたのは黒竜ではなく、リリスと紬だけが部屋ごと転送されたらしい。キョロキョロと辺りを見回しながらリリスが訊ねる。


「こっちの夢ノートはどこにあるの?」

『ノートはもともとはこの世界の物ではないからの。世界線を分割してもコピーはされないのだ』


 う~ん……そういうもの? と小首を傾げるリリス。

 黒竜の説明と起こっている現実に齟齬そごがあるように感じるも、元来、深く考えることが苦手なリリスはすぐにその違和感を隅へ押しやる。


「そう言えば、私の魔力を使って改変するって話だったけど……私の魔力、まだ空っぽのままなんだけど?」

『ああ、それは……大丈夫だ。もう改変も終わった』


(ええ~~っ! 全世界の改変って、そんな短時間にできるもんなの?)


『お前に魔力を戻してそっちに送っても、どうせまた魔力を頂く事になるだろう? 面倒だからその過程を省いたのだ』

「いや、それができるなら、最初から私がここに入る必要はなかったのでは……」

 

 いつの間にか服装が、黒と白のエプロンドレスと、白いホワイトブリム、白いニーハイレースソックス、そして、黒いエナメルの上げ底ハイヒールに変わっている。

 所謂いわゆる、日本のメイド喫茶などと呼ばれる施設で見られる一般的なメイドコスチュームのようだが、それにしてもこの丈の短さは……とリリスは赤面する。


 スカートの中は白いチュールパニエで覆われているが、それでも、ニーハイソックスが届いていない太腿部分まで見えてしまうような丈の短さだ。少し動けば下着が見えてしまいそうで心許ない。

 腰にレイピアをいているのは、メイド騎士というキャラクターだからだろう。


『最後に、何か頼み忘れていることなどないか?』


 再び、どこからともなく聞こえる黒竜の声。


「最後にとか……いちいち大袈裟なのよ。朝になれば嫌でも夢から覚めるでしょ?」

『何を言ってるのか解らぬが……お前はもうこちらには戻ってこれぬぞ』

「は? 夢から覚めないってこと?」

『先程から夢がどうとか訳の解らんことを話しておるようだが、そこは夢の世界などではないからな』


(はあっ?)


『お前たちを別の世界線に送り、ノートの記述を元にして世界を改変している。お前たちにとって、そこがあらたに生きる世界となる』


(はああああ???)


『なお、新世界の構築を目指すにはノートの設定はあまりにも大雑把だったので、細かい部分は自動改変プログラムに任せてある』

「自動改変プログラム、て……そんな話、なにも聞いて……」

『どんな設定になっているかはわしも知らんので、そっちで調べてくれ』

「ちょっと待って! ストォ~~ップ!」

『では、さらばじゃ……』

「こら待て! 去るなポンコツ!!」

『…………』


(ほんとに行っちゃったよ……)


 とりあえず、急に静まり返った部屋をキョロキョロと見回すリリス。 


(ほんとにあんな一瞬で、世界の改変とやらは終わってるのかしら?)


 と言うか――

 気がつけば周りがやけに巨大化している。

 目の前の床には、さっき使った英和辞書が転がっているのだが――

 表紙の高さが二メートル位になっている!


 辞書だけではない。

 紬が寝ているベッドの足は、まるで巨木のようにそびえ立たち、遥か彼方のゴミ箱は、三階建てのアパートのようだ。紬の勉強机に至ってはタワーマンション級に巨大化している。


 そう、認めたくはない。認めたくはないが――


(私がちっちゃくなったんだ!)


 魔力がからになるとは言ってたが、絞られ過ぎて体が縮んでしまったのだろうか? 恐らく、今の身長は十五~二十センチ位だろう。


「なによこれ! こんな体でどうやって紬くんを誘惑するのよ!」


 それ以前に、魔界ハイスクールに戻れなくなっていることにも、リリスはまだ気付いていない。

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