05.あらたに生きる世界

『お前たちを別の世界線に送り、ノートの記述を元にして世界を改変している。お前たちにとって、そこがあらたに生きる世界となる』


 なんか、近くで誰かが話してるぞ……。

 男の声?

 かなり年輩の雰囲気だな……。


 それと……女の声? 怒ってる?

 俺を誘惑? 何の話だ?

 床の方から聞こえる気がするけど……。


 頭もズキズキする。

 ノート角で叩かれたような痛みだ。

 でも……駄目だ……どうしても、起きられない……。


 意識が朦朧とする。

 再び抗い難い眠気に襲われ、深い暗闇の底に意識が沈んでいく……。


               ◇


 カーテンの隙間から差し込む朝日に瞼をくすぐられ、再び意識が覚醒し始める。

 ――もう朝か。


 昨夜は、ずっと変な夢を見ていたような気分で、どうも休んだ気がしない。

 そう言えば、ゲームしながら寝落ちしたと思ったんだけど……。

 電気が消えてるな? 母か……あるいはしずくか?


 ベッドから降りようとして、ふと部屋の隅っこのクッションに見慣れない何かがあることに気がつく。よく見ると、人形のようなものがクッションの上で寝ている。


 いや、寝てるという表現はおかしいか。人形が横になってるだけの状態を、普通は寝てるとは言わない。

 ただ、どう見てもクッションの凹みにフィットするように人形が寝ている・・・・のだ。


 恐る恐る近づき、薄暗い部屋の中で人形に顔を近づけてみる。


「リ……リリカたん!?」


 別に、俺がアニメオタクアニオタだから語尾に〝たん〟 とか付けてるわけじゃない。

 アニメの中でそう呼ばれてることが多いから自然とそう呼んでしまっただけだ。


 ――初回限定版ボックスの特典?

 こんなフィギュア付いてたっけ?


 起きたばかりで頭が回っていない。あり得ない妄想が生まれ、さも自分が見落としていた事実かのように頭の中でぐるぐると駆け巡り、虚実混濁きょじつこんだくする。


 それにしても、妙になまめかしい造詣ぞうけいだ。フィギュア特有の硬質感はなく、まるで生きた人間のような存在感。

 思わず、エプロンドレスの裾に指を触れてみる。


 ――――!


 柔らかい! 本物の布を使ってるのか!?

 スカートの形が崩れていないのは中で折り重なった白いレースのせいだろう。

 こういうの、何て言うんだっけ……パニエ?

 それにしても、ものすごく精巧な作りだ。


 こうなると、一般的な高校生男子が取る行動などだいたい決まってる。ほぼ無意識にドレスの裾を抓み、さらに中のパニエも一枚ずつ捲っていく。

 美少女フィギュアを目の前にしたら、とりあえずパンツがどこまで細かく再現されているのか検閲するのは愛好家のたしなみだ。


 徐々に太腿があらわになっていく。

 一般的なポリ塩化ビニルPVCではなくシリコン素材だろうが、まさに本物の人肌のような精巧さ。


 もう一枚捲ればあとはパンツだけ――

 と言う段階まできたその時、クッションの上から唐突に声がする。


「う、う~ん……」


 えぇぇ~~! リリカたんが、寝返り打ったぁぁ~!


「ち、違う! そういうんじゃないからっ!」


 驚いて飛び退すさり、意味不明の言い訳をしながらさすがに我に返る。冷静に考えれば、こんなフィギュアだって持ってたはずはない。

 じゃあ……ってことは――


「どういうことだ?」


 解らない。もしや、昨日勇哉ゆうやから預かった怪しげなノートに関係が?

 慌てて部屋を見回すが、あの黒いノートは見当たらない。しかし、見当たらないと言うことは、やはりあれが何か関係しているのか?


 そう言えば、表紙に何か書いてあったな。

 思い出せ――


【こののうとに みたいゆめおかいてねると そのゆめがみれます】


 そう! このノートに見たい夢を書いて寝るとその夢が見れます。

 確かにそう書いてあった。

 と言うことは、そうか!

 これは夢か? ほんとに明晰夢を見てるのか!?

 

 でも、あのノートにちっさいリリカたんが出てくる記載なんてあったっけ?

 その時、足元から女の子の声が聞こえてくる。


「ああ、やっと起きたのね?」


 声のした方へ視線を落とすと、クッションの上でリリカたんが目を擦りながら上半身を起こしている。

 ただ、よくよく見ると微妙にリリカたんとは違う。


 まず、声だ。明らかにリリカたん役の声優さんとは別の声。

 まあ、アニメの声はあくまでも声優さんの声だからな。本物のリリカたんはこんな声なのかも知れない。


 ――って、まてまて!

 本物って何だよ!?


 声はともかく、明らかに髪型も違う。リリカたんはピンク色で、腰まで伸びたストレートヘアだったはず。

 しかし、足元にいるリリカたんもどきの髪は――薄茶色?ちょっと洒落て言うと〝亜麻色〟 ってやつだ。

 髪型もナチュラルウェーブのボブ。

 胸だってボインのリリカたんに比べれば若干……いや、明らかに小さい。さぎからす、月とスッポン、おっぱいとちっぱいくらい雲泥の差だ。


 まあ、明晰夢だとしたら俺が考えたことなんだろうけど……。

 あんなに好きな作品なのに、なんで俺の再現力はこんな中途半端なんだろう。


「ち、ちょっと? なんか失礼なこと考えてない?」


 リリカたんもどきが喋った……。

 とりあえず、最低限の確認だけはしておこう。


「えーっと……リリカたん? だよな?」

「いいえ。私はリリスたん」


 誰だそれ!? 姉妹か?

 ロリータフェイスで姉には見えないし……妹?

 そんな設定あったっけ!?


「え~っと、いろいろと頭が混乱してるんだけど、これは夢でいいのかな?」

「残念ながら、夢ではないの」


 立ち上がったリリカたん――――

 もとい、リリスたんのコスチュームの再現度は完璧だ。


 丈の短い黒と白のエプロンドレスに、頭には白いホワイトブリム。

 足下は白いニーハイレースソックスと、黒いエナメルの上げ底ハイヒール。

 もちろん、腰には超真鍮オリハルコンのレイピア。

 寸分たがわぬリリカたんだ。

 こんな細かい部分が完璧なのに、なんで声と髪型だけ……いや、胸もか。


 とにかく、夢だからと言って、夢の中の登場人物が『はい、これはあなたの夢です』なんて答えてくれるとは限らない。

 少しずつ、いつも通りの回転を取り戻し始めた頭でもう一度冷静に考える。


 明晰夢だろうがそうじゃなかろうが、普通じゃないことは確かだ。

 とにかく今はこのリリカたんもどきから何か情報を得ることが先決だ。

 もしかすると、アニメでよくあるスポークスキャラのような存在かも知れない。


「夢じゃないとなると……何なのかな?」

「意外と鈍いわね? 夢じゃなけりゃ現実でしょ」


 そりゃそうだ。


「そりゃそうなんだが……俺の知ってる現実と微妙に違うようなんだけど」

「私もまだ確認してないけど、多分、微妙にどころじゃないと思う」


 俺は、はっとして、慌ててカーテンを明ける。

 そこにはやはり、俺の家の小さな庭があり、その先には住宅街が続いている。

 但し、いつもの見慣れた日本家屋ではなく、ドイツやフランスのような木組みの家――所謂いわゆるコロンバージュのような建築物が建ち並ぶヨーロッパ風の町並み!


「これは……あのノートに書いてあった世界の再現?」

「ちょっと! 私にも見せてよ!」


 足元でリリカたんもどきがぴょんぴょん飛び跳ねている。

 いや、もう、こいつはリリスでいいや。声も髪も違うのに、コスチュームだけでリリカたん呼ばわりするのは紛らわしい。


 リリスをひょいっと持ち上げる。フィギュアのような感覚で触ってしまったが、ぷにょっとしていて、思っていたよりも凄く柔らかい。

 背中側から掴んで前へ回った指先がリリスの胸元を押さえつける。控えめとは言え、人差し指と親指の先から伝わってくる乳房の弾力……。


「きゃ! どこ触ってんのよ!」

「ご、ごめん!」


 謝ってはみたものの、この持ち方が駄目だとなると結構難しいぞ?

 とりあえず脇の下をそっと挟むように持ち、リリスを机の上に乗せる。

 目の前の窓から住宅街を眺めて、感嘆の吐息を漏らすリリス。


 妙にリアルな空気感。生々しいリリスの触り心地――


 さすがにここまでくると、少なくとも単なる夢じゃないことは俺にも解る。何か大変なことが起こったことだけは確かだ。

 そして、何が起こったのか……ヒントになるのは例のノートの記述だろう。


「ベッドの棚に置いておいた黒いノート、知らない?」


 もう俺も、旧知の相手かのように質問をする。この際、こいつが何者かという点については一旦思考停止だ。前向きな意味で。


「あれならもう無いわよ」

「なぜだ? ノートが消えた事と今の状況、何か関係があるのか?」

「私も詳しくは解らないんだけど……簡単に言うと、あそこからノートの精みたいなのが出てきて、別の世界線に世界をコピーしたあと、私達をそこに転送して、ノートに書いてあった事を基にして世界を改変した、ってことみたい」


 ぶっちゃけ、まったく意味が分からない。

 百歩譲ってあれが本当に好きな夢を見せるノートだったとしても、世界線だの転送だの改変だの……なんでそんな量子力学的多元宇宙論みたいな話になってんだ?


「私……たち? って?」

「私とつむぎ君。多分、前の世界から飛ばされたのは私達二人だけよ」


 俺……は、解る。一応、ノートの占有者でもあったし。

 でも、こいつは何なんだ?

 俺の名前は知ってるようだが、元の世界で俺とどんな関係が?

 それ以前にこいつ、どう見ても人類じゃないよな?


「お前、何なんだよ?」

「だからリリスたんよ」

「………」


 質問を変えよう。


「家族や友達はどうなった?」

「元の世界に残ったままね。紬くんの代わりがいるのかどうかは……分からない」

「と……言うと?」

「こちらの世界にいた紬くんと交換したのかも知れないし、もしかすると紬くんが行方不明になって大騒ぎになってるかも知れない」


 もし後者だったら、何だか胸が痛む。もうちょっと、両親に感謝の気持ちでも伝えておけば良かった。

 ……あ、いや、こいつの話が事実だとしたらだけどね?

 思わず荒唐無稽なリリスの話を受け入れかけて、慌てて首を振る。


「でもこの世界も、前の世界のコピーが元になってるはずだから、こっちでも人間関係は概ね引き継がれていると思う……って、どうしたの、キョロキョロして?」

「い、いや……隠しカメラでもないかと思って……」


 にわかには信じ難い話だ。

 テレビなんかのびっくり企画のターゲットにでもなったのかとベタな想像をしたりもしてみたが、素人一人を騙すためとしてはあまりにも大掛かり過ぎる。


 やはり今のところ、リリスの話以上に辻褄の合う説明が見つからない。

 と言っても、リリスの話自体、ノートの精なんて言う非現実的な存在を受け入れることが前提になっているのだが……。


 とにかく今は、いろいろ理屈で否定しようとするよりも、目の前に起こっている現象を受け入れながら対処法を考える方が良さそうだ。


「紬くんが書いてた例のハーレム? あれもノートの精にちゃんと伝えておいたから、学校に行けばそういう状態になってるはずよ」


 ほおぉぉ~!

 まあ、十七歳男子の健全な妄想を詰め込んだ夢の世界ではあるからな。

 あのノートに書いた設定がそのまま生かされているなら、俺にとってもそこまで悪い世界であるはずはないんだ。


 一瞬、この世界もいいかも? という思いが頭をよぎる。

 同時に、少しずつ今の状況を受け入れ始めている自分にも戸惑う。


「ってことは……魔法とかモンスターの設定もそのまま生かされてるのか?」

「多分ね。その点についてはノートの精も特に質問してなかったから、すんなり設定を生かしたんだと思う」


 しかし……よくよく考えてみるとモンスターの存在って必要? モンスターをバリバリ倒したいってのも、結局チヤホヤされたいからだろ?

 設定で既にハーレムになってるんだったら、モンスターなんて面倒なだけじゃ?


 というか、そうだ!

 職業ジョブの確認もしておかなければ!


「俺、ビーストテイマーって設定だったと思うんだけど……ビーストは?」

「さあ……」


 リリスが、本当に解らないという様子で首を傾げる。


「それに、武器とか無いの? テイマー専用の」

「それならどこかにあるんじゃないかな? 一応頼んでおいたから、ノートの精に」

「何を頼んだんだよ。楽器系?」

「紬くんが自分で書いてあったやつよ」

「俺、武器なんて書いた覚えないぞ?」

「最後のページの武器欄に書いてあったじゃない。忘れたの?」

 

 最後のページ? 武器欄?


 ああ……思い出した!

 基本方針の、アレのこと?

 俺が書いたと言えば、あれしかない――


「お……おれつえ~俺TSUEEEE?」

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