03.悪夢の再来

 悪夢の再来に、全身の血が凍りつき、鳥肌が浮く。

 間違いない。食人鬼グールだ!


 ただ、地下空洞で倒したグールに比べると若干小柄だろうか?

 僅かに膨らみを感じさせる胸。

 後頭部からは髪の毛のような体毛が背中へ垂れ下がっているのも見える。

 あれはグールの……めす


 可憐が背中のクレイモアを抜く。


「グールはつがいや家族単位で行動することが多いと聞くが……あれは雌のようだな。私達をさらった奴との関係は解らないが……」

「雌の方が戦闘力は低い、なんてことは……?」

「期待できない」


 やっぱり。


「あれは……パパとママを殺した奴です! まずいです! 簡易結界も効果ないんです! 早く逃げますよ!」

「逃げるって、どこへ?」

「だから、上まで登れば人一人がようやく通れるほどの洞穴があるんですよ! あそこに入ればもう、あいつは追って来られません!」


 改めて岩壁を見上げる。

 上までの高さは一〇メートルほどあるだろうか?

 足場の悪さを考えても、上に着くまで優に二〇分以上はかかるだろう。

 壁に張り付つくことができるグールの特性も考えると、とても逃げ切れるとは思えない。


 首を振りながら松明をメアリーに渡し、六尺棍を召喚する。


「あいつは壁にも張り付けるんだ。ちんたら上りながら逃げるのは無理だ」

「そんなこと言ったって……あいつは、斬っても斬っても傷が治るんですよ! いくらママでもあいつを倒す事はできないのです!」

「あいつの強さは……解ってる。でも、迎え撃つしかないんだよ」


 俺だって恐くないわけじゃない。

 いや、むしろ無茶苦茶恐い。

 なんせ、一ヵ月半前までは命の危険なんて全く感じることのない前の世界向こうの日本で、平凡な高校生やってただけなんだから。

 しかし、一度対峙したからこそ、まだノーダメージのうちに迎え撃って倒す事が、全員の生存確率が最も高い選択肢であることも分かる。


「そんな……。また、パパとママが死んじゃいます! また、メアリーが一人になっちゃいます!」


 メアリーの両目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 メアリーをそっと抱き寄せながら、その耳元で、まるでおまじないのように囁く。


「大丈夫。絶対やっつける。メアリーはもう一人にはならない」


 もちろん、勝てる保証なんてない。

 が、勝算はある。


 涙を拭うメアリーの頭を二、三度ポンポンと撫でてから、グールに視線を戻す。

 闇に紛れて近づこうという慎重さは見られない。完全に舐められている。


「可憐。こっちが先にリリスでおとりになる。あいつの注意が逸れたら、再生芯核コア、破壊できるか?」

「もちろん」


 可憐にだって必ずやれるなんて確証はないはずだ。

 しかし、この期に及んで曖昧な返事も無意味だと解っているのだろう。

 やるしかないのだ。

 

「リリス、聞いてたな? 俺の合図で斬りかかれ。芯核コアのある鳩尾みぞおちを狙うとガードされるから、なるべく胸より上を狙って注意を逸らすんだ」

「解った!」

「一応、解ってるとは思うけど……コアを潰すまでは通常攻撃だぞ?」

「え? ……ああ、うん! わ、解ってるわよ!」


 あぶねぇ……こいつ、最初からスキル全開でいくつもりだったな?


 残り一〇メートル、八メートル、六メートル――――

 光源はメアリーが持つ一本の松明だけ。

 正確に的を突くにはできるだけ引きつける必要がある。


「行け! リリス!」


 グールとの距離が残り五メートル程になったところでゴーサインを出す。

 同時に、青白く光りながら成体化し、グールとの距離を一気に詰めるリリス。


「おっきくなった!!」と、後ろでメアリーの驚嘆が聞こえる。


 エプロンドレスを翻し、グールの左右からレイピアを突き立てる。

 虚を突かれたグールが慌てて両手で反撃を試みるが、当然リリスは、華麗なステップでグールの攻撃をヒラリヒラリと難なくかわす。


 だが、グールの傷もまた、再生能力によってみるみる塞がっていく。

 グールの再生速度より、リリスの攻撃速度の方がやや上回っているようには見えるが、やはり、再生機能を維持されたままでは短期決着は望めない。


 リリスを追ってグールの体が完全に真横を向いた瞬間を見計らい、力強く地面を蹴る可憐。

 リリスに劣りはするものの、それでも常人離れしたスピードで一気に距離を詰めると、懐に潜り込みグールの鳩尾にクレイモアを突き立てる。


「グギャアアアアアアアアアッ!!」


 よしっ! 早く離れろ、可憐!

 グールの悲鳴が木霊する中、しかし、更に剣を握る手に力を込める可憐。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 地の底から湧き出てきたような裂帛れっぱくの雄叫び。

 地面を踏み込む脹脛ふくらはぎ、そして、クレイモアを握る両腕の筋肉が膨張し、その上に青く浮かび上がる静脈。

 左手でクレイモアのつかを、右手で長いつばを掴み、渾身の力で捻り込むようにクレイモアを押し込む。


「何やってんだ、可憐! 早く離れろっ!」


 思わず俺も、可憐とグールに向かって駆け出していた。

 グールの、硬い鱗で覆われた背中の一箇所がボコリと浮き上がった次の瞬間、クレイモアの剣先が血飛沫と共に飛び出す。


 貫通した!


 しかし、同時に、振り上げられたグールの右腕が可憐を襲う。

 可憐の肩に迫る鋭い爪!


 ――間一髪!

 可憐を押し退けるように割って入った俺の六尺棍がグールの攻撃を受け止める。

 体に近い部分のせいか、攻撃に力強さがなくて助かった。


「粘り過ぎだ、可憐!」

「完全に破壊しないと! 再生能力が少しでも残れば、それだけおまえに負担がかかる」

「もう大丈夫だからっ! 離脱するぞ!」


 可憐の腕を掴んでグールから離れる……と同時に、背中から伝わる強烈な衝撃!

 振り回されたグールの左手甲に、裏拳の如く俺の体が吹き飛ばされる。


「ぐはぁっ!!」


 咄嗟に可憐からは手を離すことができたが――――

 浮遊感の後、地面に叩きつけられる衝撃。

 一瞬の出来事に、どれくらい飛ばされたのかも全く解らない。

 落下した後も二、三度はバウンドしただろう。


 その度に、額や顔面にゴツゴツと岩や小石が当たった。

 最後、体が止まると同時にゴツンと頭蓋骨の中で何かがぶつかるような音が響いたが、今はその原因を探る余裕もない。

 とにかく、死んでも六尺棍だけは手放しちゃだめだ!

 地面に倒れたまま必死で叫ぶ。


「リリースっ! 全開だっ!」

「もうやってます! ご主人様!」


 なんとか首を捻って声のした方へ目を向けると、白い光を纏ったリリスの残像達が八方からグールを突き伏せているところだった。

 C・L・Aキューティーリリスアタックか……。


 全身から肉片と血飛沫を撒き散らしながら膝を着くグール。

 傷は……全く再生していない!


 リリスの姿が次第に赤く染まっていく。

 しかし、それは返り血のせいではない。

 俺の額と瞼から流れ出た血が両目に入り、視界を朱に染める。


 急に、ズキズキと頭が痛み出す。

 傷の程度は解らないが、地面に叩きつけられた時に打ったらしい。


「大丈夫か! 紬!」と、可憐が駆け寄ってくる。

「ああ……。それより、俺の手から六尺棍が離れないように、しっかり握っててくれ……」


 六尺棍こいつを手放した瞬間、リリスも元に戻ってしまう。

 それだけはなんとしても避けなければならない!

 可憐が、六尺棍を掴んだ俺の左手を、両手で包み込むように握るのが見えた。


「これで、いいか!?」

「うん、大丈夫……」


 右手も動かして、可憐の腕にそっと添える。

 安心すると同時に、スーッと意識が遠のいていくのが分かった。


 リリス……しっかり仕留めろよ……。


               ◇


「洞穴の最深部がこの辺りで、地下空洞がこんな感じに広がってたから……」


 シルフの丘の遊歩道入り口。

 歩道脇のスペースには休憩用のベンチやテーブルが数脚設置されている。

 そのうちの一つにシルフの丘の周辺マップを広げ、紅来くくるが印を付けながら捜索箇所の絞込みを進めている。


 他にテーブルを囲むメンバーは、華瑠亜かるあうらら初美はつみ勇哉ゆうや歩牟あゆむの五人。

 立夏りっかは足を怪我しているため別荘で待機。

 一人では可哀想なので、付き添いで優奈ゆうな先生も別荘待機となった。


 もっとも、道なき道に分け入ることになるのは充分予想できたため、どちらにせよ優奈先生には待機していてもらいたいというのは全員暗黙の一致だった。


「恐らく地下河川がこんな風に流れてて……可憐と紬ふたりが流された位置はこのラインよりも更に北だな」


 紅来がマップ上に一本の横線を引き、線よりも上のエリアを、ペンを持った手でグルグルと指し示しながら顔を上げた。

 他の五人が、テーブルの上で更に頭を近づけながらマップを覗き込む。

 束の間の沈黙の後、勇哉がボソリと呟く。


「ひ……広くね?」

「仕方ないよ。地下河川なんてどんな風に流れてるのか全く解らないんだから」


 唇を尖らせる紅来。

 この予想エリアとて、壁に流れ込んだ後の地下河川が九〇度以上の方向転換をしていないことが前提だ。


「この赤いラインまで、どれくらい?」と、華瑠亜が訊ねる。

「直線距離で三キロ位かな。遊歩道で一番近い所まで進んでも、残り二キロ以上」

「それくらいなら……一時間もあれば着きそうね」


 紅来の説明を聞いて華瑠亜がやや安堵したように呟くが、紅来は首を振る。


「普通の道ならそうだけど、遊歩道から林に入ればどうなってるかは解らないし、少なくとも倍は見ておいた方がいい」

「今、十一時だったから着くのは昼過ぎで……今日の探索は四時間ってところか」


 地図を買ってきた歩牟が、管理局の時計を思い出しながら呟く。

 続けて、勇哉が思い出したように質問する。


「そう言えばさ、ダウジングは誰が担当すんの?」

「え? あれって、誰でも出来るようなもんじゃないの?」


 華瑠亜が訊き返すが、ダウジングに詳しい者がいない。

 最初に『ダウジング』という単語を発した初美に、自然と視線が集まる。


「え? あ……う……」


 赤面してしどろもどろになる初美を、「早く出しなよ、あれ!」と麗が小突く。

 頷いた初美がファミリアケースを指輪で叩くと、出たのは勿論――――


「クロエだにゃん!」


 人見知りの初美に代わって彼女の考えを代弁するスポークスファミリアだ。

 なぜか猫語だが、見た目は黒いミニのワンピースを着た少女型の精霊だ。

 この場にいる全員、合宿中に何度か目にしていたので、今ではすっかりお馴染みになっている。


「ダウジング、誰がやった方がいいとかあるの?」


 華瑠亜の質問にクロエが答える。


初美はつみんもそんにゃに詳しいわけじゃにゃいけど……誰にでも扱えると言えば扱えるはずにゃん」

「それでも、ちょっとでも向いてる人とかはいるんでしょ?」


 ふわふわと飛んでいたクロエが、初美の肩に戻って羽を休める。


「この振り子ペンデュラムには対象者の体の一部を入れたりするらしいから魔法効果マジックエフェクトもあるかも知れにゃいけど、基本的に、ダウジングは魔具とは違うにゃん」

「と、言うと?」紅来が聞き返す。

「使用者の深層心理によって引き起こされる微妙な筋肉の動きにゃんかがチェーンを伝ってペンデュラムに現れるという、とてもスピリチュアルにゃ道具にゃん」


 勇哉と歩牟は、この辺りまで聞いて「もういいや」とでも言う様に席を離れる。

 さっぱりチンプンカンプンと言った様子だ。


「で、つまり、どういうことなのよ?」と、今度は華瑠亜が聞き返す。

「早い話、そのペンデュラムに紬くんの爪を入れるにゃら、紬くんのことを一番想ってる人間が持つのが効果的にゃん。つまりそれは、初美はつみん……」

「クロエ、戻れっ!!」


 慌てて初美が、顔を赤らめながら叫ぶ。

 黒い球体に変化しながら、初美のファミリアケースに戻っていくクロエ。


「え~っと……」


 紅来が、頭の中で話をまとめるように視線を宙に向けながら呟く。


「つまり、こう言うこと? 紬を発見するには最も紬を好きな人がダウジングするのが効果的で、それは初美だと?」

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