第六章 地底の幼精 編 ~一人ぼっちの幼精

01.世界線の回収

「で……世界線の回収は、順調に進んでいるのか?」


 魔界ハイスクールの学長室。

 机上の黒曜石のプレートには、魔界語で書かれた『学園長アスタロト』の文字。

 学長席に座っている影――――アスタロト以外に、室内に人影は見られない。


「聞こえているのだろう? グリモワール」


 アスタロトの独り言なのだろうか?

 いや、彼の発したグリモワールという名に、たった今引き出しから取り出されて机上に置かれた黒いノートが青白く輝いて反応する。

 ノートの表紙には、ミミズの這ったような字で何か書かれている。


 【こののうとに みたいゆめおかいてねると そのゆめがみれます】


 以前は、黙って保管庫から抜き取っては使用後にそっと戻しておいたのだが、一度紛失したことがあって以来、学長権限で常に手元に置くようになっていた。

 第八界の超高位の悪魔とは言え、S級魔具を私的に占有していることが知れれば、魔界内でかなり問題になるのだが……。


 やがて、青白い光の中から一匹の黒いドラゴンが姿を現した。


「儀式以外では気軽に呼び出すのはご遠慮頂きたいですな、アスタロト殿」


 アスタロトの質問には答えず、グリモワールと呼ばれた小さな黒竜がぼやく。


「コールコストも維持コストも、わしの魔力を充てているのだ。文句なかろう」

「それは飽くまでも消費魔力。われに蓄えられる種類のものでもなし……何のメリットもない実体化は、ぶっちゃけ面倒臭い」

「ふん。魔力など、欲しければ幾らでも分け与えようものを……」


 その言葉に、首を振るグリモワール。


「魔具の精霊は契約に基づいた魔力しか得ることができませぬ。その代わり、成し得る効果は蓄積魔力の何倍にもなる。それくらい知っておいででしょう」


(本当に、まどろっこしい話だ。こんなノートを使わずとも、ベルゼビュートと結託すればルシファーを討つことも可能ではないのか?)


「で、何の話でしたかな……世界線の回収?」

「ああ。進捗しんちょく状況を確認したくてな」

「これまでに分岐改変した世界線が十六。そのうち、五つまでは回収済み。さらにあと五つ、そろそろ頃合の世界線もありますな」

「その十個で、お前にどれほどの魔力が溜まるのだ?」

「そうですな……せいぜい一~二%、といったところでしょうな」

「い、一、二%……だと!?」


(たったそれだけか? なんて効率の悪い魔具なのだ……)


 思わず、アスタロトが嘆息する。


「他の六つは?」

「五つはまだ最近生成したばかりですから、今暫く。残り一つは……」


 言い淀んで言葉を切ったグリモワールを、アスタロトがジロリと睨む。


「残り一つは、どうした?」

「少々特殊な事例でしてな。話せば少し長くなりますが……」

「構わん、話せ」


 やや半身で話を聞いてたアスタロトが、回転椅子を正面に向ける。

 グリモワールと向きあってじっくり話を聞く姿勢だ。


 深い皺の刻まれた老成した面持ち。

 頭頂は禿げ上がっているが、それを囲うように周りから無造作に伸びた長髪。

 一見、ただの老いさらばえた老魔のようにも見えるが、その瞳からは、見る者全てを震え上がらせるような、暗晦あんかいに満ちた深く鋭い眼光を放っている。


 アスタロト――――ハイスクールの学長にして、魔界の三大精霊として大公爵の地位につく男だ。


 しかし、魔界の序列とは切り離されている魔具精霊のグリモワールは、特に恐れる様子もなく飄々ひょうひょうとした面持ちで話を続ける。


「そもそも、悪魔と言うのは人間の負の感情を糧にして生きております」

「魔界幼稚園じゃあるまいし……何を今さら?」

「もし悪魔がいなければ、人間界にはたちまち負のオーラが充満し、自ら急速に滅びの道を進むことになるでしょうな」

「そうだな。悪魔の存在は人間界にとっては必要悪でもあるが……今さらそんな基本レベルの前置きで何の説明を?」


 まあまあまあ、とでも言うようにグリモワールは両手を上下に動かしながら机の上に着地する。


「我も歳でしてな。ずっと飛んでるのは疲れますわい」

「無駄口はいい。さっさと続けろ」


 グリモワールは、しかし、特に急ぐ風でもなく、凝った肩をほぐすように首をグリグリと回しながら言葉を続ける。


「では……我が作り出す世界線には悪魔が存在しないのもご存知ですな?」

「うむ。それ故、遅かれ早かれ、行き場を失った人間の負の感情が充満し、地獄のような世界になると……そういうことだったな?」

「左様。どのような世界であれ、人間が暮らす以上、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬……様々な負の感情で満ちていくのは必定ひつじょう

「それが飽和状態になった時点で貴様が世界線を回収すれば大きな魔力が得られると……そのような仕組みであったと記憶してるが?」


 グリモワールが大きく頷く。


「その通り……なのですが、一つだけ特殊な世界線ができてしまいましてな」

「特殊? どのような?」

「端的に言えば、悪魔の存在する世界線、ということになりますな」

「悪魔が存在? なぜそんな世界線を作ったのだ?」

「我が作ったのではありませぬ。そもそも、作ろうと思っても出来ませんしな」

「勿体をつけずにさっさと話せ!」


 アスタロトが、ややイラだったように机上の竜の頭を小突こうとするが、グリモワールもそれをヒョイと避けて言葉を繋ぐ。


「作ったのではなく、こちらから送り込んでしまったということで……」

「送り込んだ? 何故なにゆえそんなことを?」

「一度だけ、よく解らん小娘がノートの契約者として現れたことがありましてな」


(ああ、確か、購買部の生徒が間違って持って行ったあの時か……)


 購買部を呼び出して事情を聞いたところ、夢魔科の女生徒が買っていったと言っていたのをアスタロトも思い出す。

 ノートが使われた気配を辿ってなんとか回収することはできたが、アスタロトがノートを手元に置く事にした切っ掛けとなった出来事でもある。


「どうやらその者、我を夢ノート如きと勘違いしているようでしてな。確かに、同じノート型の契約召喚魔具ではありますが、よりにもよってあんなピンクの低級魔具と勘違いして、表紙にわけの解らん文字まで書きおってからに……」


 グリモワールがぐだぐだと愚痴り始めたのを見てアスタロトが話を遮る。


「そんなことはどうでもよい! で、それがどうしたのだ?」

「一応、ノートには世界設定らしきものも書かれておりましたので、それを基に世界線の分岐改変を行おうとしたのですが、その小娘の魔力では到底足りず……」

「だろうな」

「たまたま世界設定が以前生成した世界線に酷似しておったので、ちょこちょこ、っと少しだけ改変し直してそこに転送することにした次第で」


 アスタロトがふと四ヶ月前の夜のことを思い出す。


「そう言えば、最初から転送を望んでいた人間の小娘もいたな?」

「実は、その小娘……確か、名を初美はつみと申しましたかな? そやつが行きたがっていた世界と、偶然にもほぼ同一の世界観でしてな」

「ほう。小娘の名など忘れたが……そもそもその世界線は何なのだ?」

「元々はうららと言う娘が望んだ世界でしてな。あの時は少し趣向を変えて、人間界で流行っているゲームのインターフェースを利用して転移の適正者を探したのですが……」


(ふ~ん……。それで、似たような世界を望む人間が何人か出たと言うことか)


 つまり、同じ世界線に三人も人間を送り込んだことになる。

 しかし、だからと言って先程のグリモワールの説明と話が繋がるわけではない。


「なぜ、その小悪魔まで?」

「どうも、頭の弱い夢魔でしてな。名をリリスと申しておったかな? 最後まで、世界改変ではなく夢の世界を作るものだと思いこんでおったようで」

「どうせおまえも、ちゃんと説明しなかったのだろう?」


 転送で済ませてしまえば使用魔力も微量だし、小悪魔の魔力量でもお釣りが出る。大方、無駄足も癪なのでそれだけでも頂いておこうという腹だったのだろう。


(セコいドラゴンめ!)


「まあ、それはさておき……」


(流したっ!?)


「後から、夢じゃなかったから魔力を返せなどと騒がれても面倒ですからな。本人の了承も得て、向こうの世界へ飛ばしてしまったわけです」

「話を理解してない者の了承など、意味があるのか?」

「それはさておき……」


(また流したっ!?)


「ここで計算外の出来事が……」

「悪魔がいないはずの世界に、悪魔が誕生したということか?」

「うむ。別の世界線から転送された存在であっても、悪魔として認識されるというのは、我にとっても予想外でしたな」

「まさか、その世界の負の感情は全てそのリリスとやらに?」

「左様。……但し、本人にその自覚はないでしょうし、あったとしても別の世界線の存在である限り、そのエネルギーを魔力に変換することはできないでしょうな」


 アスタロトが、再び椅子を回して半身になる。

 話に興味を失った時か、逆に興味を抱いて熟慮の体勢に入った時……いずれであっても取る姿勢だ。

 今は、どうやら後者の方であるようだ。


「その魔力を回収する方法は?」

くだんの小悪魔……リリスとやらを呼び戻して吸収するか、若しくはあの世界で殺して負の感情を一気に解放するか……何れかですな」

「それで、どれくらいの魔力が溜まるのだ?」

「特異点となった彼女の中に負の感情が無限に蓄えられ、しかもそれが増幅されておりますので……今の段階でも一割以上の魔力には変換できるでしょうな」


(他の世界線と比較すれば、約十倍の効率か……。悪くない)


「一つ申しておきますが、同じ事をしようと思っても再現は難しいですぞ」

「同じ事?」

「今後作る世界線に悪魔を送り込んでも同じ現象が起こるとは限りませぬ。恐らく、リリスとやらは何らかの理由で特異点となった節が見られます故……」

「ふむ……」


 また少し考え事をした後、アスタロトはおもむろに机上の黒水晶に手をかざした。

 水晶の中に薄っすらと白い光が現れ、続いて声が聞こえてくる。


『はい、職員室です』

「夢魔科の担当教師は、今日は出勤しているか?」

『ラウラ先生ですか? …………ええ、来ておりますが』

「すぐに学長室へ来るように伝えろ」

『はい、 解りました』


 話を聞いていたグリモワールが口を開く。


「我々以外からは、リリスの記憶が消え去るように操作しておるが?」

「これから来るラウラにだけ記憶を戻すことは可能か?」

「それはまあ……世界改変の付属儀式として魔力さえ頂けるなら如何いかようにも」



 程なくして、学長室のドアがノックされる。


「夢魔科担当のラウラ・クローディアです。お呼びでしょうか?」

「うむ。入れ」


 ラウラが入室すると、既にグリモワールの姿はなく、机の上にあった黒いノートも引き出しにしまわれていた。

 ラウラが学長席の前に立つと、アスタロトが早速口を開く。


「夢魔科に、リリスと言う生徒がいたな?」


(リリス? 誰だっけ?)


 束の間、考え込んだラウラだが、次第に頭の中にリリスの顔が浮かんでくる。


(ああ、いたわね! 夏休み中のせいか、危うく忘れるところだったわ!)


「はい。成績はかなり怪しい子でしたが……彼女が何か?」

「うむ。そのリリスと仲の良い生徒に、誰か心当たりはあるか?」

「そうですね……ティナやシトリーと話しているのはよく見かけましたが」

「では、その二人と話ができるように段取りを取ってくれ」

「夏休み中ですから今日の今日と言うのは難しいかも知れませんが、数日以内ということでよろしいですか?」

「構わん。急ぎではない。二人の都合に合わせてよい」

かしこまりました」


 学長室を出ると、ラウラが首を傾げる。


(リリスの事を聞いておきながら、呼ぶのは友達の方? 何だかおかしな指示だけど……)


 そう思いながらも、そこを深く詮索することは命取りになることをラウラも充分に理解している。


               ◇


 あぁ~、いたたたた……。


 頭がズキズキと痛む。

 なんだこの痛みは?


 深い水の底に沈んでいたような意識が、徐々に覚醒していくのを感じる。

 いや、実際に沈んでいたのだ、水の底にっ!


 ハッと目を覚ますと、真っ先に見たことのない天井が目に飛び込んでくる。

 木造だが、現世界こちらでよく見てきた木組みの家コロンバージュとはまたおもむきの違う、もう少し原始的な材料が多く使われているような独特の内装だ。


 目だけを左右に動かすと、明かりの元は部屋の中に二つだけともされているランプであることが解った。

 部屋の大きさは……かなり狭そうだ。

 恐らく四畳半くらいだろうが、横にベッドらしきものも置いてあるので、今寝ているであろう床の部分は更に狭い。


 ゆっくりと上半身を起こしてみる。

 少し頭は痛んだが、夢現ゆめうつつでいた時よりはだいぶマシになっている。

 麻で出来たような布団が掛けられていたが、子供用のサイズを仮縫いで繋ぎ合わせて、一枚に急ごしらえされているようだった。


 でも……あれ? ちょっと待て!

 俺、素っ裸じゃね!?


 気が付けば、シャツやハーフパンツはおろか、肌着まで全て脱がされている。

 身に着けている物と言えば、鈍く光っているライフテールのネックレスだけだ。


 光っている――――


 そうだ!

 光っていると言うことは、可憐も無事と言うことか!

 可憐はどこだ!?


 しかし、求める姿は労せず見つかる。

 すぐ隣で、俺と同じように継ぎはぎの麻の布団を掛けられて眠る美少女……。

 いや、向こう側を向いているので顔は見えないが、艶のある黒のロングストレートは……可憐で、間違いない。

 そして、可憐であるなら美少女であることもまた事実。

 布団の上から肩を揺すりながら、声を掛けてみる。


「おい、可憐。だいじょ……」


 布団がスルリと下にズレて、白い左肩と背中が目に飛び込んできた。

 まさか、可憐も素っ裸!?

 一体……どうなってるんだ? どこだここは?

 なぜ裸!?


 一分ほど待って、なんとか気持ちを落ち着ける。

 同時に、さっきの可憐の白い肌が頭の中に蘇ってくる。

 白い……肌?


 そう言えば、グールにやられて左肩や腕に擦り傷が広がっていたはずだが……。

 まさか、可憐じゃないのか?

 

 もう一度、ゆっくりと、可憐らしき女性の布団を捲ってみる。

 えっちぃ目的じゃないぞ!

 腕の傷を確かめるだけだ!

 それだけだぞ!


 布団を捲ってみると、背中にも、上腕部分にも、やはり傷一つ見当たらない。

 前腕はお腹の前にあってよく見えないが、おそらく一緒だろう。


 ただ、横顔は間違いなく可憐だ。

 胸の辺りから、ほんのりと黄色い光が漏れているのも解る。

 恐らくライフテールだ。


 やっぱり可憐で間違いないけど……。

 どうなってるんだ? 腕の傷はどうした?


 その時、突然、部屋のドアがバタンと開いたかと思うと子供の女の子のような声が室内に木霊する。


「何をやってるんですかっ!」

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