06.リリスの溜息

 前を行く可憐の肩の上から、「ハァ~~……」と、リリスの溜息が聞こえる。

 休憩後、あのわざとらしい溜息を、もう五、六回は聞かされているだろうか。


「出口まで、あとどれくらいなんだ?」

「最後の枝分かれから一時間程度だと聞いてますので、もうそれほど先ではないと思いますよ」


 俺の質問に、目の前をトタトタと歩きながらメアリーが答える。

 先程の濃厚な・・・儀式についてもう、全く気にも止めていない様子だ。

 結局、意識してるのは俺だけ?


 ……じゃないよな。


 休憩後は一言も喋らず、前だけを向いて黙々と歩き続ける可憐。

 別に怒ってるという雰囲気でもないが、明らかに何かを意識している。


 そしてもう一匹――――

 なぜか可憐の肩の上でポケ~っとしてるチビメイド。

 休憩の時以来、俺の肩には乗ってこない。


「おいリリス? パンとかチーズとか……何か食べなくていいのか?」

「……食欲ない」


 俺の質問に信じられない回答をするリリス。

 天変地異の前兆?

 長い洞窟を抜けるとそこは雪国だった……なんてことないよな?


「どうしたんだよ、一体!?」

「どうもしないわよ。私だって食欲ないときくらいありますから!」

「あるのかよ!?」


 ハァ~~……と、再び大きな溜息をつくリリス。


「なんだよさっきから……溜息ばっかりいて」

「べっつにぃ~」


 なら、わざわざ聞こえるように吐くなよ、鬱陶しい。

 恐らく、先程のメアリーとの使役契約が関係してるのは間違いなさそうだ。

 しかし、可憐はともかく、リリスにここまで意識されるのは想定外だった。


 華瑠亜や紅来とのキスを見てても、今まで特に何も変化はなかったよな?

 なのになぜ、今回に限って?


 リリスが体を回転させ、可憐の背中側に足を出して後ろ向きに座り直す。

 ジットリこちらを見ているのは解ったが、気づかないフリをする。

 下手につついて藪蛇やぶへびになっても面倒だし、そっとしておこう。


「そこまで言うなら訊きますけどねぇ!」と、リリスが突然口を開く。

「え? 別に何も言ってないけど……」

「さっきのアレはなんなのよ!?」

「アレって?」

「このメアリーしんまいとのキスよ、キス!」


 そっとしておいたのに、勝手に藪から蛇が出てきやがった。

 しかも、肩にリリスを乗せている可憐の耳までピクリと動く。


「何だよ。やっぱりおまえ、見てたのかよ」

「そりゃ見ますよ! 心配だし……私だけじゃないよ? 可憐ちゃんだって!」


 やっぱり、可憐もか。


「わ、私は……リリスちゃんほど夜目も利かないし、あまり見えなかったから」


 珍しく、聞いてもいないうちから言い訳をする可憐。

 普段は滅多なことで動じることのない可憐だが、この手の話題に関してだけは免疫が弱いらしい。

 とりあえず、可憐は照れているか、或いは戸惑っているだけで怒ってるというわけではなさそうだ。

 問題は、あのチビメイドだ。


「何なの、って言われても……あれが正式な使役契約って言うから」

「それは知ってるけど……その……かなり長かったじゃん」

「まあ……な。俺も、ちょっと予想外の長さではあったけど……」


 と言いながら、直ぐ目の前を歩くメアリーに視線を落とす。

 メアリーも振り向いて、俺の方を見上げながら小首を傾げる。

 その表情を見る限り、メアリーにやましいことをしたという感覚はなさそうだ。

 飽くまでも使役契約に必要なことをしたまで、ということだろう。


「絆を確かめる必要があるから……軽いのをちょこっと、ってわけにはいかないらしいんだよ」と、メアリーから受けた通りの説明をする。

「じゃ……じゃあ、なに? やっぱり、軽くなかったってこと?」

「いや、そう言われるとまた……。別に、軽いか重いか二種類、ってわけでもないだろうし……中くらいのやつだよ……」

「で……その、中くらいのキスは……入れるタイプ? 入れないタイプ?」

「入れる? 何を?」

「キスで入れる、って言えば、アレしかないでしょ! 舌的なやつ!」


 なぜか咳払いをする可憐。

 シタテキ?

 テキ、っていうか……“舌” のことか!


「い、入れるわけないだろ! 馬鹿言ってんじゃねぇよ!」


 再び、手前に視線を落とす。

 振り返って俺と目が合うと、また小首を傾げるメアリー。

 ……が、すぐに前を向いて、可憐の肩に乗るリリスを見上げる。


 頼むぜメアリー!

 ここは空気読んで、話を合わせてくれよ!


「入れましたよ、舌」


 ぐらっ、とよろける可憐。

 俺も思わず天を仰ぐ。

 と言っても、見えるのは暗い壁岩だけだが。


 みんな、今頃どうしてるんだろう?

 きっと、心配してるだろうな……。


「し、し、し……舌、い、入れたの!?」

「い、入れるわけないだろ! なに言っちゃってんのかなぁ、メアリーこの子は……」


 声が裏返ったリリスの問いに、答える俺の声も裏返っている。


「い、いま、メアリーが、入れたって言ったように聞こえたんだけど?」

「た、多分、なにかと勘違いしてるんだよ!」


 そう言うと、前を歩くメアリーの頭に手を乗せながらもう一度確認する。


「なあメアリー? もう一度よ~く思い出すんだぞ? 使役契約の時、舌なんて……入・れ・て・な・い・よ・な?」


 再び振り返ったメアリーに、ウインクをしながら祈るように質問する。

 頼むメアリー、気づいてくれ!

 舌が入ったか入ってなかったのか……お前が考えてるよりもずっと大問題なんだ!

 少しの間、訝しそうに俺の顔を眺めていたメアリーだったが――――


「ええ、そうでした。舌は入れてませんでした」

「ほ、ほんと!?」と、リリスが身を乗り出す。

「はい。絆を確かめるためにそれも止む無しと思いましたが、その前にマナの流入が感じられたので、もう必要ないと考えてめました」

「そ、そうなんだ」


 リリスが、胸を撫で下ろすようにホッと安堵の溜息を漏らす。

 やや無理矢理な言い訳にも思えたが、相手がリリスで助かった。


 可憐は……どうだろう。

 まあ、心中はどうあれ、信じたことにしてくれそうだ。

 よくやった……というつもりで目の前の小さな頭をポンポンと撫でると、メアリーが振り向いてボソっと呟く。


「貸しですよ」


 こわっ!

 やっぱり末恐ろしいなメアリーこいつ

 とりあえず一件落着……と思いきや、まだリリスの表情は晴れない。


「でさぁ、紬くん」

「うん?」

「一応はっきりさせておいた方がいいと思うんだけど……」

「なにを?」

「序列は私が上、ってことで、いいのよね?」

「ジョレツ?」


 何の話だ?

 そう言えば魔界では、強力な悪魔ほど深階層に棲み、それを頂点として逆ピラミッドの階層システムヒエラルキーが構築されてると言ってたが……。

 やはり悪魔は、そういう事にこだわる性質なんだろうか?


「私と……この、メアリーしんまいの」

「そんなの改めて考えたことないけど……俺の使い魔って立場は一緒だし、同列でいいんじゃないの?」

「ダメ! そこはちゃんと、はっきりさせておかないと!」


 なんでダメなのかはっきりしないが、悪魔的にはそう言うものなんだろうか?

 そんな余計なこと、気にしない方がリリスおまえのためだと思うぞ。


「じゃあ……どうするんだよ? 使い魔歴で言えばリリスの方が上だけど……」


 その言葉を聞いてメアリーが振り返る。


「それはダメです! そんな、年功序列制度では下の者がやる気を失います!」


 メアリーこいつも、譲る気はないんだな……。

 年功序列だって、組織への帰属意識を高めたり、メンバー同士の連帯感を強めたり、それなりにメリットもあるんだけど。

 まあ、こいつらには向かない制度みたいだ。


「じゃあ、ジャンケンでもする?」


 半分冗談のつもりで提案したんだが、リリスが人差し指でビシっとメアリーを差しながら宣戦布告する。


「勝負よ、メアリー!」


 そんなリリスを見ながら、メアリーも口の端を上げてフフッと笑う。


「言っておきますが、メアリーが開眼させた異能の力、実は三種類あります。治癒キュアー結界バイセマ、そして最後の一つが、雀拳達人ジャンケンマスターです」


 最後の一つ、ショボっ!

 って言うか、本当にいいのかよ、ジャンケンで決めて?


「な、何がマスターよ! ラッキーリリスの実力を見せてあげるわ!」


 かくして使い魔同士の、嫌な予感しかしないジャンケン勝負が始まる。


               ◇


「この辺で、いいんじゃない?」


 華瑠亜かるあが、足元を指差しながら、軽く周囲を見回す。

 林の中だが、比較的樹木が少なく少し開けた感じの草むら。

 その分、風も少し強い。


 直前で行ったダウジングでは、ペンデュラムがほぼ真円の綺麗な回転を見せた。

 念のため、可憐の髪の毛でも試してみたが円状の動きは同様だった。

 円が小さかったのは初美の “想い” の差だろう。


 ペンデュラムを……そして初美はつみの言葉を信じるなら、紬と可憐はこの付近の地底で一緒に行動している可能性が濃厚だ。

 紅来くくるが、クロノメーターを見ながらマップに印を入れる。


「うん、いいね。ここなら目標エリアのほぼ中央だよ」


 華瑠亜が、色褪あせた紙箱からゆっくりと折り畳まれた麻紙を取り出し、やぶれないように広げる。

 乾燥劣化しているのかパリパリと嫌な音を立てていたが、無事にすべて広げ終わると、一辺が二メートル弱の正方形になった。

 畳を二枚並べた程度の大きさだ。


 紙の中央には黒いインクで六芒星ヘキサグラムを二重の真円で囲んだよなデザインの魔法円が描かれている。

 更に、ヘキサグラムの中や内円の円周に沿って、アルファベットで何やらいろいろと書かれているが、英語ではなさそうだ。

 恐らく、リングア・ラティーナのような古代言語だろう。

 この魔具を利用する上では、別に読めなくても問題はない。


「ちょっと勇哉ゆうや! 紙抑えるから、適当な石、その辺で拾ってきてよ」

「へいへい。石と言えば俺ですよねぇー」


 どうやら、先程の飛び石の件をまだ根に持っているらしい。

 華瑠亜の指示に溜息をきながらも、林の中に姿を消す勇哉。

 それを見ながら紅来が口を開く。


「これだけ風が強いと、置き石だけじゃちょっと心許なくない?」

「う~ん、そうだけど……じゃあ、他に、何か方法が?」

「それは?」と、紅来が華瑠亜のクロスボウを指差す。


 普段の中型弓では携帯に不便なので、管理小屋からレンタルしてきたものだ。


「ああ、なるほど……ちょっと待ってて」


 魔法円の周囲を回りながら、麻紙の四隅をクロスボウで打ち込む華瑠亜。

 更に、もう一周してその間にも打ち込み、計八本の矢で紙を押さえる。


「よし、これでオッケー。……次は、どうするの?」

「円の中心に、可憐と紬の体の一部を入れた小瓶を置いて……」


 そう言いながら、紅来が魔法円の中心に、ヒビが入った茶色い小瓶を二つ置く。

 中にはそれぞれ、紬の爪と可憐の毛髪が入っている。


「後は、この蓋の裏に書かれている呪文を読むだけらしいんだけど……」

「はいっ! 私やるっ!」と、すかさず手を挙げる華瑠亜。

「それが……一応、MPランクB以上が推奨らしいのよ」


 紅来の言葉に表情を曇らせる華瑠亜。


「Bランク、ってことは……最低でも三〇〇以上は必要ってこと?」

「飽くまでも “推奨” だけどね。仕様としては、この瓶の中身を元に、対象者の前に転送魔法円を作るらしいんだけど……それに結構MPを使うみたいなのよ」

「えぇ~。召集魔法コールみたいに、直接ここに転送させるような魔具じゃないの!?」


 召集魔法円コーリングサークルという魔具名から紅来もそうイメージしていたのだが……。

 やはり、銀貨三枚という破格の値段で、一回きりとは言え召集魔法コールのような高韻度の時空魔法を使用するのは虫が良すぎたようだ。


「私もそう思ってたんだけど……今、説明読んだら、ゲート展開の魔法らしい」

「私……弓兵アーチャーだし、MP八〇くらいなんだけど……」


 紅来が、裏蓋の “MP量と維持時間の相対表” を確認する。


「それだと、魔法円を作ることはできても、維持できるのは一〇秒程度だね」


 紬にしろ可憐にしろ、得体の知れない魔法円を突然目の前に出現させられて、一〇秒以内にそこへ入れというのはさすがに無理がある。


「じゃあ……今、一番MPが多いのは……」


 自然と、皆の目がうらら初美はつみに集まる。

 踊り子ダンサー魔物使いビーストテイマー……どちらも魔法職ではないが、ある程度のMPを必要とする支援職だ。


「私は……二〇〇くらいね」と、麗。

「初美んは三五〇にゃん!」と、初美……もとい、クロエ。


 もうお役御免だろうと、少し離れた場所で雑談をしていた麗と初美ふたりだったが……ここにきてまた注目を浴びるとは思っていなかった。

 初美の顔がみるみる赤くなる。


「ってことは……初美で、決まり?」と、紅来。

「初美……呪文、詠唱できるの!?」


 これは、華瑠亜でなくとも皆が心配するところだ。


「まあ、ほら、授業中に当てられて教科書を音読するようなものだし……会話じゃないなら何とかなるんじゃない?」


 麗のフォローを聞きながら、相対表を確認していた紅来が口を開く。


「初美のMPなら、一分以上は魔法円を維持できるわね」

「で、でもさ、例え一分だろうと、得体の知れない魔法円になんて、普通、入ってくれるかな?」と、華瑠亜が更に疑問を呈する。

「一応、説明に因ると、詠唱した本人なら魔法円を形成した後に向こう側へ語りかけられるらしいよ」

「語りかけるって……初美が??」


 思わず溜息を吐く華瑠亜。

 いや、初美には一番不向きなミッションだと思ったのは、華瑠亜だけではない。

 だがその時、初美の肩から一際大きな声がした。


「クロエが語りかけるにゃん!」

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