13.再びトゥクヴァルスへ

「よし! 再びトゥクヴァルスへ! 出発!」


 昨夜は早めにベッドに入ったせいか、今朝も早めに目が覚め、七時半には支度が終わってしまった。


 いや、早く起きたのは早寝のせいではない。

 横になったのはいいが、目が冴えて昨夜はしばらく寝付けなかった。


 目を瞑ると立夏のお兄さんのことがぐるぐると頭の中を巡る。

 知らなかったとは言え、これまでに立夏を傷つけるようなことは言ってなかっただろうか?


 もしこのままお兄さんの意識が戻らなかったとしたら……或いは万が一亡くなりでもしたら、あの縦笛は思い出どころか大切な形見ということになる。

 お兄さんからの誕生日プレゼントってだけの品物とは全く次元が違う!

 なんで俺、無くしてしまったんだ……。


 一刻も早く縦笛を探したい、そんな強い思いのせいか、寝付いたのが遅かったわりには眠りも浅かったのだろう。


「トゥクヴァルスはいいけどさ、あんた本当に一人で大丈夫なの?」

 

 意識を失って戻ってきたと思ったら三日間昏睡状態。

 意識が戻ったら二日後にはまたトゥクヴァルスだからな。

 母が心配するのも無理は無い。


「大丈夫大丈夫。この前のパンサーはほんと突発的な事故だし、うちらの不手際が重なっただけ。本来なら、しずくが遠足に出掛けるくらいの場所なんだぜ?」


 俺は当然記憶にないが、最近聞いた話によると、去年の秋に妹の雫も遠足でトゥクヴァルスのキャンプ場へ行っているらしい。

 きちんと休憩所のスタッフにも注意を払ってもらうという約束で家を出た。


 もっともこちらの世界では、実は十四歳で成人とほぼ同等の権利が認められる。飲酒だってOKだ。

 そのため俺ぐらいの歳ならもう、親権者の発言よりも子供の意志のほうが尊重されるというのが一般的らしい。

 実際は、経済的に親に依存している間はそう割り切った話でもないのだが、子供の行動を頭ごなしに抑え付けようとする傾向が少ないのは確かだ。



 歩き始めて直ぐ、前方から見覚えのある人影が近づいてくる。

 あれ? あの人影は確か――


「ゆ、優奈ゆうな先生!?」

「あっ! 綾瀬君!」

「なんでこんな時間に……こんな場所に?」

「昨日、石動いするぎさんから電話もらってね」


 可憐かれんから?


「今日綾瀬君が一人でトゥクヴァルスに探し物に行くはずだから、誰か綾瀬君と仲の良さそうな回復術士ヒーラーは知らないか、って言われて」


 そう言えばうちのクラス、回復術士ヒーラー専攻の男子って塩崎信二しんじだけだったか。やはり男子は腕力勝負のジョブを選びたがる人が多いようだ。


「でね。B組以外の子は私もよく知らないし、そう言うことなら、同じD班だし、私が同伴しようかな、って思って」


 D班って言っても、戦闘実習の時に回復術士ヒーラー足りないから入ってもらってるだけなんだけど……。


「なら、電話してくれれば良かったじゃないですか」

「うん。一応したんだよ? 昨日の夕方五時くらいに……」

「ああー、そう言えばその時は、勇哉ゆうやと電話で話してましたね」


 テイムキャンプの事で、一応勇哉なりに神妙になってたので、まあ気にするなと言う話をしていたところだった。

 可憐の謹慎も解けたことで、だいぶ気が楽になっていたようではあったが。


「あと……そのあと、夜の七時くらいにも」

「そう言えばその頃は、妹が友達と長電話してて母に怒られてましたね」

「それに、今朝七時前にも!!」

「今朝は、祖母から母に電話があったみたいでしたね、そう言えば……」

「で、これはもしかしたら通話機が外れてるのかも! って思って、直接来たのよ」


 なんての悪い人なんだ……。


石動可憐いするぎさんから、八時頃に出るみたいだって聞いてたから……」

「ありがたいのはありがたいんですが……この前みたいなのは例外中の例外で、普段は九年生以下だって遊びに行くような場所らしいじゃないですか」


 九年生―――元の世界では中学三年に当たる歳だ。


「それはそうだけど、やっぱり一人は危ないわよ。魔物だけじゃなく、何があるか解らないんだから」


 そう言うもの?

 この世界では、一人で出歩くってのはかなり危険視されてるのかな?


「と言うわけで、私も着いていくから! 何かあれば、どんどん頼ってね!」

「え、ええ、じゃあ……宜しくお願いします……」


 駅に着くと、優奈先生はさっそく目の前の船電車ウィレイアに乗り込んで座る。

 学校方面行きだ。


「優奈先生。それ、違いますよ」

「あ! ああ、そっかそっか。思わず、いつもの癖で……」


 頭を掻きながら、急いで別のホームのトゥクヴァルス方面行きに乗り直す。


「あ、優奈先生。それ、各駅なので、快速こっちの方がいいですよ」

「あ、そうなの? おっけーおっけー!」


 急いで降りて、快速に乗り直した。

 ポーチからリリスが顔を出す。


「紬くん、大丈夫なの、あの先生?」

「俺にも解らん……」


 船電車ウィレイアが動きだすと、優奈先生の胸元まで伸びた深栗髪ブルネットが、窓から吹き込む風になびき始める。

 可憐の艶のあるロングとはまた違った、軽やかなゆるふわウェーブのレイヤーカット。

 同級生にはない大人っぽい雰囲気の一方、斜めカットベビーバングの前髪が少女っぽさも醸し出していてる。


 トップスは、白いタンクトップに、同じく白いノースリーブのコットンレースを重ね着した、見た目にも涼しそうな装い。

 学校では普通の白いブラウス姿しか見たことがなかったので、少しセクシーな普段着にドキドキする。


 大きなウエストリボンが印象的な薄茶色のフレアラップスカート。

 敢えてだろうか? 脹脛ミモレ丈なのが教師っぽい。

 腰には回復術士ヒーラー用のヒールステッキを下げている。


 元の世界では全校男子生徒のアイドルになったくらいだから、童顔の顔立ちはもちろん可愛らしいし、それに加えての推定Eカップ(※勇哉調べ)だ。

 先ほどからチラチラと、車内の男性客の視線も集まっているのを感じるが、これじゃあ無理もない……と、俺もぼんやり眺めながら納得する。


 しかし、個人的な決め手はなんと言っても――


「ねえねえ、綾瀬君、あの雲、なんかキリンみたいじゃない?」


 この声だ!

 話してる内容はどうでもいいが、この、愛くるしいアニメ声に、俺は一発でノックアウトされたと言っても過言ではない。


「なあ、リリス。おまえ、優奈先生の声になれない? 魔法かなんかで」

「なれない。そもそも魔法って何よ? 人を何だと思ってるのよ!」

「じゃあ、何なんだよ?」

「…………」


 リリスが口を噤む。


「そこを教えないから、いろいろ勘ぐっちゃうんだろ?」

「紬くんは、あれ? ……そういう肩書きとかで他人を判断するんだ?」


 肩書きとかじゃなく、存在そのものが何なんだ……ってレベルなんだよ。

 先日は〝悪魔〟……なんてけど、まさか言葉通りの意味じゃないよな? 何かの隠喩メタファー

 他の乗客の目も気になるので、これ以上ここで問い詰めるのは止めておくが、いずれはっきりさせる必要はあるだろうな。


 ま、リリスのことはさておき、今日は回復魔法ヒールの出番もないだろうし、優奈先生のこの声で俺の疲れた心をボイステラピーしてもらおう。


 トゥクヴァルスのふもとに到着したのは、ちょうど十時頃だった。

 

               ◇


「イタタタ……」

「先生……大丈夫ですか?」


 三回目の転倒だ。

 膝についた土をポンポンと払ってあげながら、一応訊いてみる。


「手、繋ぎます?」


 断られるかと思っていたのだが「ありがとう!」と言って直ぐに繋いで来た。

 優奈先生からしてみたら五歳年下の弟みたいな存在なんだろうけど、それにしてもこの警戒心の無さはいかがなものか……。

 十七歳ならもう、立派に狼になれるんですよ、先生。


 一応、先生が履いているのはスニーカーのような履物だ。山登りをすることは想定していたようだが、それで普通、こんなに転ぶものだろうか?


「なんで先生、回復術士ヒーラーなんて選んだんです?」

「なんで? おかしい?」

「先生みたいな人は、回復するよりされる方が向いてるんじゃないかな、と……」

「あはは! 失礼だけど、言えてるぅ」


 認めちゃったよ……。


「なんでだろうねぇ……特に理由はないんだけど、なんとなく?」


 ……そう言えば、優奈先生の設定を考えたのは勇哉なんだよな。

 俺たち、先生に向いてない職業やらせちゃってたのかも。

 優奈先生、すいません……。

 昨日の立夏の言葉も思い出す。


 『私も、テイマーになりたかったの』


 あれも、俺たちが魔法使いソーサラーなんて設定にしたせいか?

 でも、この世界自体、俺たちが設定したからこそ出来た世界だしな……。


 俺がこの世界に来る前の、全人類の記憶も再構築するって、考えてみたら物凄いパワーだよな。今更だけど、あの黒ノートって、何だったんだろう?

 NASAじゃないことだけは確かだけど。


 更に、登り続けること、約三十分。先生の息がだいぶ上がっている。


「綾瀬君は……好きな人とか……いないの? ハァハァ」


 いきなりなんて質問してくるんだ、この人は。

 息切らしながらする話か?


「なんですか、藪から棒に」

「だって、十一年生位の年頃なら……やっぱりコイバナでしょ……」


 好きな人かぁ。

 パッと、頭に浮かんできが顔が立夏だったことに、自分でも驚く。

 ここ二日間、珍しくたくさん話して、印象が強く残っているのだろうか。


「ん~、気になってる人なら、一人いますよ」

「へぇ……当てて、みよっか? ハァハァ」


 優奈先生が悪戯っ子のように笑う。


「じゃあ、当ててみて下さい」

「藤崎さん……でしょ……?」

華瑠亜かるあですか? なんでまた?」

「クラス変え直後は……すごく……仲良かったじゃない? ハァハァ」

「俺が? 華瑠亜とですか?」


 初耳だ。


「職員室でも……二人は……結婚するのかな、って……噂になってたのよ」

「なんでだよ! なぜ結婚!?」


 思わずタメ口で突っ込む。


「なんでって……十七歳にもなれば、そういう話が出てきても不思議ではないでしょう?」


 いや不思議だろ!

 それとも、この世界の適齢期って、そんなに早いの?


「そうですかね……そんなに仲良かったでしたっけ、華瑠亜と……」


 俺がこの世界に来る前の話だよな。

 元の世界の弓道部の代わりみたいな設定が何かあったのか?

 あの、戦闘準備室での険悪な空気からは全く想像できない。


「だから……何かあったのかな、って……心配してたのよ…… ハァハァ」

「いや。記憶にないですね」

「まあ……女の子は……いろいろ難しいからね……」

「残念ながら、華瑠亜じゃないですよ」

「じゃあ……誰なのか……聞いても……いい? …… ハァハァ」

「優奈先生です」

「えっ!!」


 優奈先生が、突然顔を真っ赤にして手を振りほどこうとする。


「ち、ちょっと、先生! 危ない!」


 手を離した瞬間、優奈先生が見事にすっ転んで尻餅をついた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 すぐに手を差し伸べるが、先生も、今度は両手を背中の後ろに隠して直ぐに握ろうとはしない。


「な……ど、何で……私!?」

「冗談ですってば。 お決まりでしょ、こういうの」

「じ、冗談……そ、そう、そうよね!」


 ようやく、俺の手を握って立ち上がる。


「こっちがびっくりしますよ」

「ゴメンゴメン……先生、そう言うの、あんまり慣れてなくて……」

「そうなんですか? それだけ可愛かったら、告白くらい何回もされてるでしょう」

「か、可愛いなんて、そんな……」


 俺も思わず可愛いなんて言ってしまったけど、また優奈先生の顔が赤くなる。

 本当に慣れてないのか?

 大人の女性らしく、もっと適当にあしらってくれるかと思ったけど、迂闊に冗談も言えないぞ?


「とにかく、キャンプ場までもう直ぐですから、頑張りましょう!」


 どっちが付き添いか解らなくなってきた。

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