15.川の中の優奈先生

 慌てて振り返ると、視界に飛び込んできたのは川の中の優奈先生。

 しかも、なぜか尻餅をついている。


 なぜ尻餅なんかついているのか? ……については、もういいや。

 きっと、左右の脚の長さが違うんだろう。


 問題は、なんで川の中なんだ!?


「なぜ、川の中に?」

「ごめんなさい……向こう岸に長い流木が見えるでしょ? あれを持ってきて笛の岩のところまで渡しておけば、それに掴まりながら笛を取りに行けるかと……」

「あんなデカい流木、先生一人で持って来られるわけないじゃないですか」

「言われてみれば、そうかも……」

「しかも、向こう岸まで十メート近くありますよね?」

「うんうん」

「それならさすがに、五メートル先の笛を取りに行った方が楽じゃないですか?」

「あっ……」


 とにかく、急いで優奈先生を川から引上げる。

 ほんとに今日、何度目だこれ?

 優奈先生の下半身は、当然びしょ濡れだ。


「さっきもあれだけ止めたのに……何で入る前に相談してくれないんですか」

「またそんなこと言うと、綾瀬君に怒られるかと思って……」


 子供かっ!


「とにかく一旦、休憩所に戻りましょう」


 休憩所に着くとすぐ、優奈先生は下半身に貸しタオルを巻きながらラップスカートを外す。俺が、洗濯場まで持って行ってそれを干す。

 天気がいいとは言え、既に夕方近くだしどこまで乾くか解らないが……。


 さすがに下着は干すわけにもいかないので、小袋に入れて先生が自分で鞄に仕舞う。シャツは、少し裾が濡れてしまったが、あれぐらいなら問題ないだろう。


「とりあえず、温泉にでも入ってきたらどうですか?」

「うんうん。そうする!」

「ああ、それと、とりあえずこれ着てて下さい」


 念のため着替え用に持ってきた小豆色のジャージを渡す。

 元の世界で着ていた学校指定の体育ジャージだが、タオルよりはマシだろう。

 川で濡れることも想定して念のため持ってきたのだが、思わぬ形で役に立った。


「ありがとう。じゃあ、借りるね!」

「はあ……」


 温泉の脱衣所に優奈先生が消えたのを見届けると、思わず溜息が漏れる。

 優奈先生と二人で外出なんて、普段だったらかなり嬉しいシチュエーションなんだが、今は直ぐにでも帰って立夏に笛を返しに行きたい。

 急いでここを立てばギリギリ今日中にも返せるかとも思ったが、先生がこの状態では今日は無理そうだ。

 ポーチからリリスが顔を出す。


「あの先生、どうするの?」

「どうするって……付き合ってもらって、俺だけ先に帰るわけにも行かないだろ」

「別にこっちから頼んだわけじゃないじゃん?」

「そりゃそうだけど、俺も最初は、回復術士ヒーラーいてくれた方が安心できると思ったのは事実だし……」

「でも、足引っ張られてばっかりだったじゃん」

「おまえそれ、絶対優奈先生の前で言うなよ? 可哀想だから……」


 洗濯場で先生の服を乾かしながら、立夏の縦笛も洗う。

 大きな損傷はないが、やはりあちこち傷がついていて、借りた時のようなピカピカの状態には程遠い。

 立夏にとって大切な思い出の品であったことを考えると胸が痛む。


 無くしてしまってごめんなさい、で済ますよりは、ちゃんと返した上で謝った方がいいだろう、そう信じてここまで来たが……。

 正直、こんな状態の縦笛を渡す時のことを考えると、やはり気が重い。


「傷、いっぱいついちゃったね、笛……」

「そうだな。でも、それでも返さなきゃ、ちゃんと」


 もしかしたら立夏にとってこれが、お兄さんからの最後のプレゼントになるかも知れないのだから。


 それから三十分ほど経って、優奈先生が温泉から上がってくる。


「あ~、気持ちよかった~! 初めて入ったけど結構本格的な温泉なんだねぇ」


 そう話す先生の右手には、売店で買ってきたのかカップミルクが握られている。

 すっかりリラックスしちゃってるよ、この人……。


「で、どうします? これから」

「ん? 帰らないの?」

「俺はいいんですけど……先生、その格好じゃ……」


 上は今日着てきたタンクトップとコットンレースのままだが、下は俺のジャージだ。しかも、身長差二十二センチだけに、かなりダブついた裾は何回折ったのか解らないほど捲られている。


「私は気にしないよ、ジャージくらい」

「いや、その、ジャージが、って言うより……」

「?」

「その中身と言うか……」


 そこでようやく、優奈先生も下着を着けてないことを思い出したのか顔が真っ赤になる。


「う……うんうん、そうだったわね……どうしよう?」

「宿泊施設もありますし、ここで一泊していきます?」

「そ、そうですね……そうします?」


 なぜ、優奈先生まで敬語になってるんだ?


「紬くんは、もしあれなら……先に帰ってもらっても……」

「大丈夫ですか?」

「うーん、先生、一人で外に泊まるなんて初めてだし、ちょっと心細いなぁってのあるけど……そんな理由で教師が生徒を引き止めるわけにもいかないって言うか……」


 すっごい引き止められてる。


「いいですよ別に。付き合いますよ。どうせ今日帰っても、今からじゃ立夏にも会えないでしょうし」


 時間はまだ午後四時前だが、急いで下山しても家に着くのは夜の七時頃だろう。

 約束でもしているなら話は別だが、こちらの世界は夜の治安もいいとは言えないし、呼び出して会うには少々気兼ねする時間だ。


「じゃあカプセルルーム二つ頼んでおいて下さい。俺、家に連絡してきますから」


 フロントで通話機を借りて連絡すると、出たのはいもうとだった。


しずくか? 俺、今日こっちに泊まっていくから、母さん達に伝えておいてくれ」

『泊まる? トゥクヴァルスに?』

「うん。休憩所に簡易宿泊施設があるんだよ」

『それは知ってるけど……一人で?』

「いや、学校の鷺宮さぎみや先生が同伴してくれてるから、心配するなって言っておいて」


 あえて優奈先生とは言うまい。

 言えばまた別の意味で問題になりそうだ。


『は~い』


 通話を切って振り向くと、鍵を回しながらやってくる優奈先生が目に入る。

 ……鍵?

 カプセルルームに鍵なんてあったっけな?


「部屋取ったよ~!」

「そうですか……。鍵、一つですか?」

「うんうん。ツインが空いてるって言うから、そっちにした」


 はあ? そっちにした……じゃないよ先生!


「私、実は狭いところ苦手でねぇ。閉所恐怖症、っていうやつかしら?」

「マズいでしょ、それ!?」

「何で?」

「そりゃそうでしょ! 一応俺だって男ですよ? でもって先生と生徒ですよ? ここまで言って何でか解らないんじゃ、優奈先生は教師失格だ!」

「…………」


 なんでこの人は、不思議そうに首を傾げてるんだろう……。

 今からふもとの学園都市まで降りるか?


 いや、先生の足では何時間掛かるか計算できないし、きちんとした宿に泊まれるほど持ち合わせもない。土地鑑のない街でウロウロするリスクも考えれば、やはりここに留まるのが無難だろう……。


「解りました、いいでしょう。その代わり、このことは絶対に人に話しちゃダメですよ! もしバレたら、俺は停学、先生は懲戒ですからね?」

「は……はい」


 それともこっちは、こう言うことに関してはオープンなのか?

 いや、優奈先生のことだから単に天然、ってだけかも知れないしな。

 とりあえず今日のところは、俺の煩悩と全力勝負だ!


               ◇


 雫が通話器を置くと、直ぐにまた呼び出しのベルが鳴る。


(またお兄ちゃんかな?)


「はいは~い、まだ何か?」

『紬くんの同級生の雪平立夏ゆきひらと申しますが、紬くんはご在宅でしょうか』

「あ、すいません……え~っと、兄なら今日は帰らないと、さっき連絡がありまして……」

『泊まるんですか? トゥクヴァルスに?』

「え? ああ、はい。そうみたいですよ」


(この人、お兄ちゃんがトゥクヴァルスに行ったの知ってるのか)


『それは……一人でですか?』

「いえ、学校の先生が同伴してくれてる、って言ってましたね……確か……宮崎先生? 鷺宮先生? とか何とか……」


 ガタ、ガタン! ガシャン!


(な、なに?)


『ごめんなさい。通話器を落として』

「あ、いえ……」

『解りました。何度もすみませんでした。失礼します』

「あ、はい、失礼致します」


(何度も? お兄ちゃんの……彼女さん?)

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