13.射技戦

「それではこれより、生贄の運命を賭けて、弓による射技戦を開始する!!」


 広場に集まったノーム達全員に聞こえるよう、バッカスが高らかに宣言した。

 なんだか大変な事になったな……という思いはあるが、あのまま強行突破を図っても直ぐに手詰まりになった可能性は高い。

 成功率を上げるにはやはり、昇降穴のおおよその位置だけでも把握しておきたい。その為の時間稼ぎとしては、悪くない。


 まず、最初に射るのは女ノームのブーケ。

 彼女が連続で三回射たのち、俺が連続で三回……ということらしい。


 一射ずつ交代かと思っていたのだが、連続で射られるのは助かった。

 恐らく、その方が遥かに集中力は保ち易いだろう。

 もっともそれは、相手も同じ条件ではあるが。

 相手が提示してきた段取りであることを考えると、ブーケという女弓兵アーチャーも連射することで尻上がりに調子を上げるタイプなのかも知れない。


 ブーケが射位に立つと、広場の喧騒が治まり、程なくしてシンと静まり返る。

 あわよくば、ブーケの腕前も大したことはなくて、普通に射技勝負で勝てる展開なら申し分はない。


 俺が弓道部で覚えた “射法八節” とはまったく別物の、弓を斜め上にやや寝かせて構える独特の弓引き引き分けスタイルを見た時は、正直その期待も高まった。

 当然、“引き分け” の完了形である “かい” も、弓をやや寝かせて構えるような独特のスタイル。


 あんな我流の “会” でまともに離せる・・・のか?


 しかし、特に慎重を期する様子もなく放たれた一射目の結果を見て、淡い期待はすぐに打ち砕かれる。

 標的まとへ向かって一直線に放たれた矢は、黒い三重丸の際内の円の淵ギリギリに見事に命中。

 オオォ~~、と、広場から抑えた歓声が上がった。

 標的の揺れが収まり、ベッカムが正確な位置を確認する。

 矢が刺さっているのは中心から約六~七センチと言ったところだろうか。


「どうなの、あれ?」と、肩の上でリリスが心配そうに眉根を寄せる。

「うん……正直、手強い」


 あの無造作な “離れ” (矢を放つこと)からは想像もできない正確な射線。

 弓道にも礼節を重んじる礼射系の他、実利性を重視した武射系もあったが、いずれにせよ、戦後は競技やスポーツとして発展してきた経緯がある。

 あの、碧髪の女ノームが見せたような無骨な実戦射技とは全く別物と言っていい。


 続けてブーケが、躊躇なく二の矢をつがえる。

 やはり先程と同様、独特のスタイルから大した溜めもなく無造作に放たれる矢。

 しかし、射抜いた先は……一本目よりもさらに、僅かに内側。

 再び、広場に広がる驚嘆のどよめき。


「どうすんのよ、あれ?」と、さらにリリスの表情が曇る。

「どうしようもない」


 チラリと可憐の方を見ると、俺と目が合い軽く首を振る。

 昇降穴の位置の割り出しにはやはり苦労しているようだ。


 そりゃあそうだろうな。

 今まさに、そこにいるメアリーの身を賭けてブーケとの勝負に臨んでいるのだ。

 その勝負も決していないうちから人間側、しかもメアリーと一緒にいる人物に『昇降穴はどこ?』と聞かれても、逃げ道はどこかと聞かれてるようなものだ。

 怪しすぎて教えてくれるノームはまずいないだろう。

 可憐の前では、メアリーも心配そうに、大きな碧い瞳をこちらに向けている。


 恐らくだが、大長老のゲルエリアの背面に見えた大きな岩壁の裂け目が怪しいと、目星はつけていた。

 ぐるりと見渡してみても、来た道とその裂け目以外は、集落から出られそうな場所が見当たらないし、古今東西、脱出口は常に重要人物の近くにあるものだ。

 一か八か、いざとなればそこを目指して強行突破しかないか?

 予想が外れれば袋の鼠ではあるが……。


 そんなことを考えていた時、オオ~ッ、という広場のざわめきで我に返る。

 いつの間にか、ブーケが三本目の矢を放っていた。

 二本目の結果を見た時点で、知らず知らずのうちに、この勝負に負けた後の事を考えていた自分に気付く。

 ――――駄目だ駄目だ!

 こんなことじゃ勝てる勝負にも勝てなくなっちまう!


 ブーケの三本目は、二本目のさらに内側……中心から三センチという位置。

 結果、それがブーケの最終成績となった。


 ブーケと交代で射位に立つ。


「そんな細腕で、まともに弓が引けるのかしら?」


 すれ違いざま、ブーケが勝ち誇ったように笑い掛けてきた。

 確かに、ブーケの射法を見る限り、かなり腕力の要りそうなスタイルだ。

 戦闘は使い魔頼りのビーストテイマーが、まともに弓を引けるなどとはそもそも思っていないのだろう。


 射位から標的までは二〇メートル強といったところだろうか。

 弓道の近的場の二十八メートルよりもかなり近く感じる。

 標的の直径も四〇センチほどで、三十六センチの近的用よりは大きい。

 想像以上に標的は近く見えるので精神的なプレッシャーは少ない。

 しかし――――


 黒い三重丸、最内の円は直径が約十五センチ。

 その内側に直径一〇センチ程の白い中心円。

 少なくともその部分に当てなければ勝ちはない。

 慣れない環境でいきなり当てるにはかなり厳しい大きさだと言わざるを得ないが、しかし、絶対に望みが持てないほど小さな標的というわけでもない。

 

 負けたら負けたで、後のことはその時考えよう。

 今は目の前の標的に集中するんだ!

 ゆっくりと “打起こし” (弓矢を上に持ち上げる)の動作に入る。


「紬くん、頑張ってね!」


 ああ、解ってる。

 リリスの声援に心の中で答えながら、弓と弦を引き分ける。

 それまでニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたバッカスとブーケが、「ほお……」と、やや驚嘆を含んだ声を上げる。

 初心者には弦を引くのも難しいのだが、俺がズブの素人ではないという事実は、少なからず驚きを持って受け止められたようだ。


「集中、集中!」


 リリスの掛け声に、心の中で頷きながら弓を引き絞る。

 さらにリリスのアドバイスが続く。


「重力で射線が山形やまなりになるから、ちょっと上の方を狙ってね」


 俺は「ふぅ~~っ」と大きく息を吐きながら、引き分けた弓を一旦元に戻して、右肩のリリスを振り返る。

 

「ちょっと、黙っててくんないかなぁ!?」

「え?」

「集中できないんだけど」

「だ、だって紬くん、反応ないんだもん。聞こえてないのかと思って……」

「こっちは息止めてんだよ! 反応できるか」


 できたとしても、集中力を高めてる最中にリリスと話なんてできるわけがない。

 

「フンだ! じゃあもう何にも言わない!」


 リリスがぷいっ、とそっぽを向く。

 拗ねて言ってるんだろうが、ほんとに黙ってて欲しいので、今はこのまま拗ねさせておこう。


「おい! さっさとしろ!」と、煽るバッカス。

「わかってるよ!」


 そう言ってもう一度、ゆっくりと “打ち起こし” から “引き分け” の動作へ。

 ブーケが見せた実践的な射技に比べたらなんともスローモーションな動きだが、それが逆に、ノーム達には何か神秘的な動作に映っているのかも知れない。

 一旦緩みかけた広場の雰囲気がシンと静寂に包まれる。


 広場のノーム達にとっては災禍を退しりぞけることが問題であって、それが生贄の犠牲によるものなのか、俺達異邦者によるものなのかはさして問題ではないのだろう。

 その意味では、完全に敵地アウェーというわけでないのは助かった。

 しかし――――


 一旦途切れた集中力が先程の状態に戻らないのを感じる。

 もう一度仕切り直すか?

 いや、さすがに二回戻しては今の中立の雰囲気も険悪になりかねない。

 とりあえず一本目は弓の感覚も掴みたいし、このまま射よう。


 矢筈から指を離し、放たれた矢が一直線に標的に向かって飛ぶ。

 次の瞬間、バイン! と音がして標的が激しく揺れた。

 矢は――――


 大外枠に辛うじて当たったものの、標的には留まらず弾かれる。

 チッ、と、思わず舌打ちを漏らす。


 弓道の場合はやや斜め上を向くように標的をセットするのだが、この勝負では木枠の四隅から紐で吊って固定している為、地面に対して垂直なセッティングだ。

 安定感にも乏しく、山形やまなりの矢は刺さり難い。

 力が均等にかかる中心付近でなければ、標的に矢を留めることすら難しい。


「グフフ……。初めて使った武器であれなら、上出来、上出来!」と、大袈裟に拍手をするバッカスを苦々しく見返す。

 言葉とは裏腹に、勝ち誇ったようにニヤけている顔が憎たらしい。


「紬くん、今、集中力が切れてたよ」

「ああ、そうだな」


 誰のせいだよ!

 と怒鳴りたいところだったが、喜怒哀楽が集中力を乱すのは経験で承知している。

 バッカスに苛立ち、更にリリスに怒っていたのでは、コンセントレーションを理想的な状態に持っていくことなど到底不可能だ。


 無心で集中!

 そう心の中で呟きながら二の矢を番える。

 一本目で概ね弓の “感じ” は掴めたし、勝負はこの二本目だ。

 さすがに三本目は、後がないプレッシャーで冷静さを保てる気がしない。


 ゆっくりと弓を引き絞る。

 無心で集中……とは言ったが、無心になるというのは存外難しい。

 そこで俺は、逆に一つのことに思考を集中させるという手をよく使った。

 射技中によく考えたのは、俯瞰視した自分の姿だ。


 今、標的に向かって “会” の状態にある自分を真後ろから眺める感覚。

 標的と重なり、弓を引き絞った俺の後姿がぼんやりと目の前に浮んでくる。

 よし、さっきよりは良い状態だ。悪くない。


 ブシュッ~うぅ!!


 突然、右肩から水風船を砂利道に叩き付けたような音がした。

 驚いて思わず矢筈から指を離すと、放たれた矢は――――

 標的を外れて後方の木柵に突き刺さる。

 直後、広場を埋め尽くす、僅かに嘲笑の入り混じったような溜め息。


 呆気に取られて右肩を見ると――――

 両手で口元を押さえながら、上目遣いでこちらを見返しているリリス。


「ご、ごめんなさい……。くしゃみ、我慢しようと思って堪えたんだけど……」


 正直、ぶん殴ってやるくらいの勢いで振り向いた俺だったが……今にも泣き出しそうなリリスの顔を見て、急速に怒気が消沈する。

 リリスこいつも……わざとではないか……。

 考えてみれば、なぜかリリスを肩に乗っけたまま勝負に挑んでいた俺も悪い。

 それより何より――――


 心のどこかで、もしあのまま何事も無く射ることが出来ていたとしても、恐らくブーケの矢の内側に当てることはできなかっただろうと、そんな予感もあった。


「……いいよ、気にすんな。もう一本ある」


 リリスが、きょとんとした顔で俺の方を見つめる。

 てっきり、もっと怒られるかと思っていたのだろう。


「グフフ……。なんだそのポンコツ使い魔は? ご主人様の足を引っ張りまくってるじゃねぇか」と、バッカスが可笑しそうに呟く。

「一回は一回だからね。ノーカウントにはしないよ」とブーケも続ける。


 解ってるよ。誰もそんなこと頼んでねぇっ、つーの。

 俺は再び、最後の “射” に向けて、静かに “胴作り” から “弓構え” の体勢へ。


 その時、ふっ、と右肩からリリスの気配が消えた。

 見れば、羽を出してフワフワと俺の頭上に飛んでいるのが見える。

 何やってんだ、リリスあいつ

 居たたまれなくなって離れたのかとも思ったが、それなら可憐の方にでも行ってればいいのに……。


 やがて、リリスの亜麻色の髪が菫青石サファイアのように碧く輝き始める。

 あれも、マナが使えるようになってできるようになった変化だろうか?


 しかし、とりあえず今は余計なことにかかずらってはいられない。

 ラスト一本、切れかけた集中力を再度引き戻さなくては。


 頭上で弓を打ち起こし、続けてゆっくりと下ろしながら引き絞る。

 標的に狙いを定める “会” の状態に入った時、その変化に気づいた。


 何か、夢の中で佇んでいるような不思議な違和感。

 時空の感覚が失われ、ただ静かに、青白い光の筋が矢尻と標的の中心を結ぶ。

 なんだこの光の筋は?


 アスリートの体験談などでよく聞く “ゾーン” のような状態なのだろうか?

 自分で体験したことはないが……それにしても、なぜ、突然!?


 とにかく、一つだけはっきり感じることがある。

 かつて経験したことがないほど、感覚が研ぎ澄まされている。

 稀に、標的を外す気がしなくなるほど調子の良い時があるが、今はその何倍もの確信がみなぎっている。


 青白く光る山形やまなりの光の筋。

 まるで、矢を標的に導くレールのようだ。

 全身から余計な力が抜け、自然と矢筈から離れる指。


 光のレールに乗った決着の矢が今、真っ直ぐに標的へと向かって放たれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る