07.ごめんなさい

「ほんとうに……ごめんなさい……」


 もう、かれこれ五分ほどうつむいたままの優奈ゆうな先生。

 華瑠亜かるあがバケットにハムとカッテージチーズを挟んで差し出すが……しかし、それにも気づかず視線を落したままだ。


「先生だってわざとじゃなかったんだし……あれは仕方がないですよ」


 とりあえずこれ食べて下さい、と言う華瑠亜の声で、ようやくバケットに気づいて手を伸ばす優奈先生。


「ありがとう……」

「略刀帯のループ切れなんて、事故みたいなものだから」

「でもさぁ、装備品のメンテナンスはやっぱり、持ち主の責任……イタっ!」


 勇哉ゆうやの発言を途中で遮るように、華瑠亜の平手が彼の額をピシャリと叩く。

 何すんだよ……と言いかけるも、華瑠亜の鋭い視線をまえに、額を抑えながらしぶしぶ唇を結ぶ勇哉。


 これまでであれば、こういった事態に一番取り乱しがちだったのは華瑠亜だ。

 しかし、目の前で解りやすく落ち込む人間がいると、自分の不平不満はとりあえず脇においておこう……という意識が働くらしい。


「ちゃんとライフテールで生存も確認できるし、紅来くくるもついてるんだし……明日にはすんなり合流できますよ、きっと」

「うん……」

「紅来も、リーダーのわたしにじゃなく、先生に向かって『みんなをよろしく』って言ってたし、頼りにされてるんですよ、先生!」

「う、うん……そ、そうかな?」


 恐らく紅来も優奈先生に気を使ったのだろうと思われたが――


「そうですよ! ……ね、勇哉あんたもそう思うでしょ!?」

「お、おう……いくらドジっ子とは言え、一応先生だしな……あイタっ!!」


 勇哉の額をひっぱたく華瑠亜。


「ど……ドジっ子……」


 勇哉の言葉で再びしょんぼりとうつむく優奈先生に、華瑠亜が慌てて声をかける。


「えーっと、ほら、ドジっ子って言っても、あれですよ……良い意味で!」

「良い意味?」

「そうそう! 可愛らしいとか、そんな感じです! ……でしょ、勇哉?」


 華瑠亜に睨まれ、しぶしぶ頷く勇哉。


「そっか……まあ、そうね。済んだことをくよくよしてても仕方ないしね。今はしっかりと、引率としての責任を果たさないとね!」


 そう言いながらバケットを口へ運ぶ優奈先生を見て、ようやく華瑠亜も胸をなでおろす。

 と、その時――

 ゴォン、ゴォンと、方々から響き始める重々しい擦石音。


「こ、この音は?」


 唇の端に白いチーズを付けながら、優奈先生がキョロキョロと辺りを見回す。


「紅来が言ってた……窟内隔壁ってやつね」と、華瑠亜。

「ああ……これから八時間、移動制限されるんだっけ? そもそもキャンプを張るのも、これがあるせいだからな」


 八時間! 勇哉の説明に驚嘆の声を洩らす優奈先生。


「な……長いわね、八時間……」

「そうです? 寝て起きればちょうどいい位の時間ですよ」


 華瑠亜が努めて明るく答える。


「そうかも知れないけど、八時間って言えば……四時間の倍よ!?」

「そ、そうですけど……四時間はどこから?」


 十六時間の半分とも言うけど……と呟いた勇哉を、横目で睨む華瑠亜。


「八時間も大丈夫かしら……綾瀬紬あやせくんと横山紅来よこやまさん……」


 先生の言葉を聞いて初めて、平静だった華瑠亜の眉間にシワが寄る。

 これまで先生を元気づけるように気を使って話してきたが、その先生の口からあっさりと、不安をえぐられるような言葉が出たことへの不快感かも知れない。

 ……が、そんな表情もすぐに元に戻る。優奈先生も、たんに心配を口してるだけで悪気はないのだ。


「だ、大丈夫ですよ! つむぎはあれでなかなかしぶといし、シーフの紅来だってついてるし……明日の朝にはケロっとした顔で現れますよ」

「そういや、オアラで地盤崩落に巻き込まれたときも、あの二人の組み合わせだったんだろ? あの時ほど深刻でもないし、もう慣れっこだろ」


 勇哉のお気楽な意見が、しかし、再び華瑠亜の心臓をキュッと締め上げる。

 そう……紅来と紬が八時間も二人きりなのだ。

 いくらメアリーとリリスもいるとはいえ、しょせん、子供とチョリス。

 使い魔たちが寝てしまった後に間違いが起こらないとも限らない。


 あのとき――

 転倒したメアリーを追って紬が階段を駆け下りていったとき、追うか追うまいか一瞬ためらい、気が付けば階下へ飛び降りる紅来の背中が見えた。

 あの瞬間、完全にタイミングを逸したことを痛感した。


 あの時、なぜ、すぐに紬を追わなかったのだろう――


 答えは華瑠亜にも解っている。行動の差は、階段消失トラップだと気づいていた紅来と、知らなかった華瑠亜の差だ。

 それでも、あのとき躊躇した自分を思い出してはほぞを噛む。


 射手アーチャーの華瑠亜より盗賊シーフの紅来の方が、ダンジョン内で有益なスキルを身につけているのは間違いない。

 結果的には、あの場面ではベストな選択であったことは華瑠亜にも解っている。

 解ってはいるが――


 紅来と紬が、ほぼ・・二人きりで八時間!?

 そう考えるだけで、なぜか嫌な汗が流れ、胸が苦しくなる。

 そんな華瑠亜の心中を知ってか知らずか、水筒から口を離した勇哉がさらに言葉を繋ぐ。


「まあでも、あいつはおっぱい大好きマンってわけでもないし……せっかく紅来と一緒でも、犬に論語、猫に小判って感じかもな」

「ど、どういうこと?」


 勇哉の言葉にピクリと反応する華瑠亜。


「どうって……解りやすく言うなら、馬の耳に風、牛の前に調ぶる琴……」

「いや、そっちじゃないし、むしろ解りづらくなってるわよ……。その前の、胸に興味がないとかなんとか……」

「興味ないわけじゃないだろうけど……どっちか言うと脚フェチだなあいつ。紅来よりは華瑠亜おまえみたいなののほうが好みなんじゃねぇの?」


 華瑠亜の顔がパッと明るく輝く。


勇哉あんた今、生まれて初めて良いこと言ったわね!」

「華瑠亜と知り合ったの、去年じゃん!」

「そんなことよりさ、それじゃあ、間違いも起こりにくいってことね!?」


 間違い? あいつが? と、プッと吹き出す勇哉。


「誰が相手でもそんな甲斐性があるとも思えないけど、どっちかいうと、紅来みたいなのは苦手なんじゃないかね、あいつ

「そうなの?」

「ああ。どうせなら、華瑠亜が行ってた方が喜んだかもな」


 冗談っぽく笑う勇哉の言葉に、しかし、明るい表情で幾度となく頷く華瑠亜。


「そっかそっか! どうしたのよ勇哉!? いつになく、名言・格言モードに入ってるじゃない!」

「そ、そうか? いや、紅来と先生に残ってもらったほうが、俺も巨乳天国を擬似体験できたし、嬉しかったなぁ、と……」


 華瑠亜の目がみるみる細くなり、蔑むような眼差しに変わる。


「うっわ……台無し……」

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