06.私をまもって

「一生わたしをまもって、って言ったら、どうする?」

「い……一生?」


 思わず、紅来くくるの言葉を繰り返す。

 一生? まさかプロポーズでもあるまいし……どういう意味だ?

 メアリーが不思議そうな表情を浮かべながら面を上げる。


「でも、パパより紅来くくりんの方が強いじゃないですか」


 やかましい! ……と言いたいところだが、多分事実だ。今のところは。

 しかし、その言葉で、真顔だった紅来に再び笑顔が戻る。


「〝守る〟って言うのは、腕っ節だけの話じゃないんだなぁ」

「ヘッポコの甲斐性なしでもいいんですか?」


 そこまで言われてない。


「まあ、ヘッポコ過ぎるのは困るけど、なんて言うか、どんな場面でも絶対にわたしを裏切らない信頼感? みたいなものが一番大切かなぁ」


 どうも漠然とした話だ。

 裏切るとか裏切らないとか……もちろん意味は解るが、一介の学生が真剣に心配するようなシチュエーションだろうか?

 この世界で生きていくというのは、そこまで気の抜けない日常を送るということ?


「でも、そんなの、別に俺じゃなくたって……」

「そうだね。可憐かれんだって、他のみんなだって、多分わたしを裏切ったりすることはないと思う」


 ああ、女子でもいいのか。

 と言うことはやはり、プロポーズの話ではないようだな。

 期待してたわけじゃないが……。


「でも、わたしに命の危険が迫ったときに、とっさにわたしの盾となり、命を危険に晒してまで護ってくれる人がどれだけいるのかは……正直わからない」

「まてまて! ちょっと話が大袈裟になってきてるぞ? オアラの時みたいなことが、一生のうちでそうそう何度も……」

「それは解ってるよ。ただ、どうせ傍に置くならそれくらい信頼できる人がいい、ってこと!」


 傍に……置く?

 下僕か何かをお探しで?


 メアリーが、紅来を見つめながら首を傾げる。


「でも……パパはちっぱいが好きだと言ってましたよ。リリっぺが」

「やかましいわっ!」


 こいつら、俺がいない時になに話してるんだ!?

 俺たちのやりとりにプッと吹き出す紅来。


「そっかそっかぁ! わたしの胸は、つむぎの好みじゃないのかぁ!」

「言っとくけど、ちっぱいが好きなんて言ったことないし、大きいのだってやぶさかではないし……そもそも、胸にそこまでこだわりなんてないから」

「へぇ。男子なんてみんな、おっぱい大好きマンかと思ってたよ」

「まあ、多いだろうけどね、おっぱい大好きマン……」


 自然と勇哉ゆうやの顔が頭に浮かぶ。


「紬は? どこにこだわってんの?」

「んー、外見よりは中身だけど……。あえて言うなら、脚かなぁ……?」

「そっか。じゃあ紬は、太もも大好きマンだね!」

「いや違うけど」


 ……と、矢庭に俺の前で脚を伸ばす紅来。

 バルーンパンツの裾を脚の付け根付近まで引き上げると、小気味よく引き締まった白い太ももがあらわになる。


「どう、この脚?」と、相変わらず小悪魔的コケティッシュな笑みを見せる紅来。

「よかったら、枕にしたっていいんだよ?」

「ば、ばかっ! なに言ってんだよ! さっさとしまえ!!」

「そ……そんな、必死で目を背けるほど恥ずかしい格好? わたし……」


 再びパンツの裾を下ろして足を曲げる紅来。

 確かに、ショートパンツから伸びる脚を見せられただけなのだが、どうもシチュエーションによって後ろめたさが増すな……。

 初美はつみ華瑠亜かるあと水着でお風呂に入った時の背徳感に似ている。


「時と場合によるんだよ! メアリーとリリスもいるんだし……」


 とその時、ダンジョンの方々からゴォン、ゴォン、と不気味な音が聞こえてくる。

 大きな石が擦れたりぶつかったりするような、質量感のある響き。


「な、なんだ?」


 キョロキョロと辺りを見回す俺やリリス、メアリーを横目に、紅来が左手にはめたクロノメーターに視線を落す。

 手巻き時計に座標確認機能まで備えた、この世界では魔動車二台を買ってもお釣りが出るくらいの超贅沢品ラグジュアリーアイテムらしい。


「十時か……始まったね」

「始まった、って……なにが?」

「窟内隔壁が作動してるんだよ。これから八時間は、ダンジョン内のいたる所が隔壁で封鎖されて、移動が制限される」

「ど、どうしてそんな装置が?」

「パワースポットからのマナの放出が最も盛んになる時間帯なの。ダンジョンは気密性も高いから、人体に有害なレベルまで濃度が上昇するんだよ。常識でしょ?」

「はぁん……。でも、マナって石程度は通り抜けるんじゃないの?」

「へえ! よく知ってるね!」


 紅来の中での俺は、完全に常識外れキャラで定着しているらしい。


「通過すると言っても、壁越しにマナを使用する魔物や術者がいる場合に限った話。自然拡散するほどじゃないから」

「ほうほう……」

「それに、ただでさえダンジョン内のマナは祭壇に集まるように出来てるし……通路はともかく、部屋の中まで危険な濃度になることはないよ」


 ふむふむ……。

 と言うことは……あれ? もしかして――


 慌てて横に目を遣ると、紅来も魅惑的な視線でこちらを見返す。


「気づいた?」

「まてまて……ここで八時間、紅来と過ごすのか!?」

「そうそう。用を足すときはあの通路の陰で……」

「そんな心配してねーよっ! なんか間違いがあったりしないかとか……心配じゃないの!?」

「HAHAHAHA!」


 外人風!?


「紬と間違い? ほっぺにチューもできない甲斐性なしと? ぷっぷっぷっー!」

「そ、そんなことねーよ! できないんじゃないくて、やらないの! 鉄の自制心で!」

「へぇ……。まあ、わたしの方は、この際だから生殖行為まで念頭に入れてるんだけどねー」

「どの際だよ! 俺、そっちの隅で寝るから!」


 立ち上がろうとした俺の腕をすかさず紅来が掴む。


「止めておいたほうがいい」

「な……なんで――」


 そう問いかけた直後、不意に襲ってきた寒気に思わず身震いする。

 あれ? こんなに寒かったっけ?


「マナは〝水〟のエレメンタルを含むからね。マナ濃度の上昇に合わせて通路の気温が急激に低下。それと同時に、各室の気温もどんどん下がるんだよ」


 紅来の説明によれば、最終的には十℃前後まで下がるらしい。

 

「寝袋もテントもない状態で寝たりしたら、低体温による免疫低下を招きかねないから……寄り添ってた方がいいよ」


 そう言いながら、紅来はウエストポーチから綺麗に折りたたまれた半透明の薄布を取り出す。広げてみると、二~三人はすっぽりとくるまれそうな大きさはある。


「シドラ樹脂で作った薄布にバルログの精霊子せいれいしを編み込んだ保温シートだよ。見た目はペラペラだけど、保温効果はバッツグン!」


 親指と人差し指を輪にしたOKサインから、俺を覗き見るようにウインクする紅来。

 そんな紅来から三十センチほど間を空けて再び腰を降ろし、メアリーを膝の上に乗せる。


 紅来と二人一緒に包まるように肩までシートを掛けてみると……なるほど確かに暖かい。

 シドラだのバルログだのと聞いてもよく意味は解らないが、要は、何かしらの魔法効果で保温性能を発揮してるのだろう。


「これ一枚でも、魔動車二台買ってお釣りが出るくらいの価値はあるんだぞ」

紅来おまえは一体、魔動車何台分の装備を身につけてるんだ!?」


 さすが、別世界バージョンとはいえ議員先生ファミリーだ。

 汚職とかしてないだろうな? 大丈夫か?


「紬くん……もうダメだ……お腹が減った……」


 俺の頭の上でうつ伏せになり、ぐったりとうなだれるリリス。

 というか、そろそろ頭から下りろよ! 首が疲れてきた。


 再び紅来がウエストポーチに手を突っ込み、紫色をしたスティック状の何かを取り出すと、半分に折ってリリスに渡す。


「はい、リリスちゃん。少ししかないけど……」


 紅来の言葉も終わらないうちに、一口でそれを頬張るパックマンリリス。


「ありがとう! (モグモグ……)ほ、ほれは、何?」


 普通、食べる前に確認しないか? 紫色パープルだぞ!?

 って言っても、トラップの焼き豚に脊髄反射するようなやつだしな……。


非常用の携帯口糧エマージェンシーレーション。量は少ないけど、効率よくエネルギー摂取できるように、いろんなものが配合されてるんだよ」


 そう言って、残った半分を俺に手渡す。


「いろんなもの? って、どんな?」

「う、うん? いろんなものは……いろんなものだよ」


 なぜ口ごもる!?

 毒々しい色彩は気になるが、まあ、ナスや紫芋だってパープルだしな……。


「紬くん、要らないならわたしが貰うよ」


 すかさず俺の目の前に下りてきて、両手を差し出すリリス。


「そんなこと言ってないだろ。食べるよ、ちゃんと……。って、なにその、箪笥たんすの角に足の指をぶつけたような顔は!?」


 仕方なく、もらったレーションをさらに半分に折ってリリスの手の上に乗せる。


「物足りないけど、まあ仕方ないか。紬くんだって生きてるんだしね……」

「人をミミズやオケラみたいに……。ってか、お礼は?」


 四分の一になったレーションを、俺も恐る恐る口の中に入れてみる。

 味は薄いが、ほんのりと甘みがあって、風味は独特ながらも不味くは……ない。薄味にした〝カロリーメ〇ト〟のような食感。


 さらに紅来が、ウエストポーチから一口サイズのゼリーボールのような物を三つ取り出す。一つを自ら口に含み、あとの二つをそれぞれ俺とリリスに手渡す。


「こっちは、エネルギー補給だけじゃなく、水分補給もできるよ」

「ありがとう。……それにしても、準備がいいな」

山野跋渉レンジャーの講義も選択してるしね。受講生なら常識的な準備だよ」


 そうなのか。

 戦闘方面に関しては、一朝一夕で即戦力に……というのは難しいだろうが、こういった知識系のサポートなら、俺にも何かできることがあるかもしれない。


 別に、この世界でずっと、自警団や退魔兵団のような戦闘職にたずさわっていきたいわけじゃない。

 ただ、学校に通っている間くらいは、実習系の授業で班の迷惑にならない程度のスキルは身につけたい……とは思う。


「メアリーちゃんは……起きてからでもいっかな? レーション」


 俺の膝の上に視線を落しながら、微笑む紅来。

 メアリーがいつの間にか、背中を丸めて寝息を立てている。


「そうだな……疲れたんだろう。体力もそうだけど、優奈先生の担当は精神的にもくるから……」

「あぁ~、そだねぇ。オアラの帰り、わたしも担当してたから解るわ、それ」


 そう言えばそうだったな……。

 まだ二十日くらいしか経ってないんだよな、あれから。

 ずいぶん昔のことのように感じる。


「どうせやる事もないし、わたし達もそろそろ寝よっか。間、詰めていい?」


 紅来が、俺との間の隙間を指差して訊ねる。

 保温シートを被っているとはいえ、さらに室温が下がることを考えると出来るだけ寄り添っていた方がいいのは間違いない。


「ああ……うん、そうだな」

「肩も借りるよん」


 俺の返事も待たずに、お尻をずらしてピタリと寄り添ってきた紅来が、そのまま俺の肩を枕にして目を閉じる。


「起きててもお腹空いちゃうし……わたしも寝よっと」


 リリスも、保温シートの中に潜るとメアリーの横で体を丸める。

 程なくして、規則正しい三人の息遣いが、静かな石室内に響き始める。


 使い魔の二人はともかく、紅来までよくこんな状態で眠れるよな……。

 ここまで安心しきって身体を預けられるのも、男としては複雑な気分だ。


 何気なく横を見ると、俺の肩に頭を乗せた紅来の髪の毛が頬に当たる。

 思っていたよりも至近距離にあった紅来の無防備な横顔、そして、Tシャツの襟元から覗く胸の谷間に、心臓が一気に高鳴る。


 長いまつげ、筋の通った鼻、桜色のくちびる――

 普段のおちゃらけた紅来とは対照的な、どこぞのお嬢様のような楚々とした面持ちに思わず吸い込まれそうになり、慌てて前を向く。


 ヤバイ、ヤバイ!

 こんな状態じゃ、いつまで経っても眠れそうにないぞ。


「わたしを……まもれ……つむぎ……」


 不意に紅来の声が聞こえ、ビクッと肩を震わせるが……すぐに寝言だと気づく。

 俺の夢を見てるのか?

 そう言えば……いつのまにか話がうやむやになったけど、さっきのあれは、どう言う意味だったんだろう?


『一生わたしをまもって、って言ったら、どうする?』


 どうするもこうするも、求められれば助けることに関しては、友人としてやぶさかではない。……が、恐らくそういう意味でなないんだろう。


 普通に聞けばプロポーズのような言い回しにも聞こえるが、女友達も選択肢に入っていたところをみるとそういうわけでもないらしい。

 そも、冷静に考えて、俺が紅来からプロポーズなんてされるわけもない。


 具体的な行動ではなく、精神的な何かを意味しているのだろうか?

 気にはなるが、後日わざわざ確認するようなことでもなさそうだし……。

 うーん……まあ、いっか……。


 そんなことを考えているうちに、いつのまにか意識は、まどろみから生まれた闇の中へと沈んでゆく……。

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