11.キスしてよ!

「キスしてよ!」


 ……え?


「本当に、なんの下心もなくキスができるなら、私にだってできるでしょ?」


 そんな無茶苦茶な理論、ありかよ!

 華瑠亜こいつも実は、自分で何を言ってるのか解ってないんじゃなかろうか?

 暑い真夏の緑林にいながら、冷えたイグアナのように動きが止まった俺を見て、華瑠亜が更にイライラとした様子で続ける。


「ほら、やっぱりできないじゃない! 相手の事を何も意識せずにキ……キスするなんて、しょせん無理なのよ」


 そう言って華瑠亜が背中を向ける。

 だから、キスじゃないと何度言ったら……。


「もう行きましょう。みんなが待ってるわ」


 そのうち、口くらいは利いてあげるわよ、と付け加えておもむろに歩き始める。

 と、次の瞬間、華瑠亜の体が何かに引っ張られるように横を向く。


 そう――――

 華瑠亜が歩き始めると同時に、俺は素早くその左腕を掴んで引き戻していた。

 考えるより先に俺の体を動かした……このまま行かせては拙い! と言う無意識の防衛本能。

 腕を引かれた華瑠亜が、長いツインテールをその華奢な体に巻きつけるように再びクルリと向き直る。


「な、なに?」


 思わず俺を見上げた華瑠亜と交わる視線。

 同時に俺は、彼女の唇に素早く自分の唇を重ねていた。


「!!」


 ほんの一瞬、唇と唇が軽く触れただけのライト過ぎるキス。

 しかし、それでも、呆然とした華瑠亜の顔は、次の瞬間みるみる高潮する。


「これでいいか?」


 こんなことで立夏りっかに対する下心がないことの証明になるなど、アクロバット理論もいいところだ。

 しかし今は、そんな理屈をこねるような場面でもないと直感する。


「な、な、何すんのよっ!?」

「おまえがしろって言ったんだろ」

「そ、そうだけど……普通、本当にする!?」


 華瑠亜が、手で口を押さえながら勤めて冷静に抗議をしようとするが、しかしその声色には明らかに動揺が滲んでいる。


「知らないよ、普通がどうかなんて……。言っておくけど俺、言葉の裏を読むとか、そんな器用なことできないからな」

「う、うん……」

「おまえが言った解決策なんだからな? もう仲直り、ってことで、いいな?」

「うん……」

「じゃあ、さっさとみんなに追い着こうぜ」

「うん……」


 なんだかすっかり大人しくなってしまったな。

 毒気を抜かれたような華瑠亜を連れて、急いでみんなの後を追う。

 耳元でリリスが囁く。


「だ、大丈夫なの? あんなことして?」

「さあな……。ただ、仲直りし損ねてあんな状態をまた引っ張るなんて、さすがに勘弁してくれって感じだろ?」


 そう……ただ華瑠亜の機嫌を直すことだけを考えた、咄嗟の行動だった。

 しかし、今、鼓動が早鐘のように鳴り響いているのは、林道を小走りで駆けているせいだけではないだろう。


 今頃になってめちゃくちゃドキドキしてきたっ!


               ◇


「おっ! きたきた!」


 そう言いながら、遅れて着いた俺達に真っ先に気が付いて手を振る紅来くくる

 その声を合図に、他の三人も一斉にこちへ視線を向ける。


「悪い悪い……待たせたな」


 遅れて俺の肩越しに華瑠亜も現れる。

 皆の注意も一斉にそちらへ集まる。

 可憐かれん、紅来、立夏りっかはもちろん、うららも朝から華瑠亜の様子がおかしいことには気が付いていた。


 華瑠亜の表情を見て、俺に対するギスギスモードがどうやら解除されたことは四人も直ぐに察したようだ。

 それどころか、よく見れば、ボ~っとして少し上気したような面持ちの華瑠亜。

 そういうことにいちいち気が付くのは、まあ、あいつ・・・しかいない。


「おいおい、どんな手を使ったのよ?」


 華瑠亜の様子から、単なる仲直り以上の何かを嗅ぎ付けた紅来が、すぐさま俺に近づいて訊ねる。

 この手の違和感を嗅ぎ付ける能力に限って言えば、まさに猟犬だ。


「何にもしてないよ。話をして、少し誤解を解いただけ」

「誤解って?」

「だから、その……立夏の件とか、特に下心はないとか、そう言うこと」


 少なくとも、立夏と同じ部屋だった三人は全員聞いた話だろう。

 もう隠す必要も無い。


「そんなの、華瑠亜だってもともと誤解してなかったでしょ」

「ま、まあ……理屈と感情は別、ってことはよくあるだろ?」

「なら、つむぎが解消したのは理屈じゃなくて感情面ってことになるじゃん」


 こいつ……追求好き、って意味では女版勇哉みたいな感じだが、勇哉よりも穿うがっている分、厄介だぞ。


「ま、まあ、女子の不満の原因って、だいたい理屈より感情じゃね?」

「だぁ~かぁ~らぁ~、その感情をどうほぐしたのか、って聞いてるんじゃん」

「だから、普通に話して、華瑠亜にも理解して頂いて……」

「それで解消できないから感情なんだろ? まさか紬、またキスでもしたんじゃないでしょうね?」


 ギクッ!

 ―――とした俺の感情が顔に出ていたかどうかは解からないが、それよりも早く、リリスが両手を振りながら慌てて否定する。


「そ、そ、そんなことするわけないわよ! ね……ねえ? 紬くん! 」


 バレバレじゃね~かっ!

 助け舟のつもりか知らんが、頼むから黙っててくれ!


 しかし紅来も、意外なことに、そんなリリスを訝しがりながらも完全に嘘だと決め付けるわけでもなさそうだ。

 立夏との意味深な会話を最初にリークしたのがリリスだったと言うのが、紅来の中では意外と大きな評価ポイントになっているのかも知れない。

 使い魔、嘘つかない……みたいな?


「まあ、リリスちゃんがそう言うならそうなのかも知れないけど……な~んか怪しいなぁ?」


 リリスのおかげで俺のギクッとした表情も見逃されたみたいだし、意外とナイスアシストだった?


「お~い、そこ! 話は終わったか?」


 声を掛けてきた可憐に俺も、「ああ、大丈夫!」と、手を挙げて合図する。

 そもそも皆を待たせてまで話すような大事な内容でもない。

 少なくとも、紅来以外にとっては。


「隊列は最初に話した通り。大した魔物は出ないだろうが、後でレポートにまとめるから、どんな敵がどんなパターンで出現したのか、しっかり覚えておくように」


 りょ~か~い! と、俺も含めて他の五人が返事をする。

 いや、リリスを入れれば六人か。


 最終目標は、最深部で採掘できるオアラガーネットだ。

 希少価値は高くはないが、強い光を当てると六条の星が浮かび上がる、いわゆるスター効果を持った宝石だ。

 一般的に、スターの強さと色の美しさは反比例の関係にある為、色もバランスも優れたスターを持つ石は、アクセサリー用にそれなりの値段で取り引きされる。


 立夏がファイアーボールで、三本の竹製の松明たいまつに火を点す。

 二本は、先頭の紅来と、ポーション係の麗へ。最後の一本は殿しんがりの俺の担当だ。


「おまえはどうする? ポーチに入るか?」


 俺の言葉にリリスが首を振る。


「ううん。こっちの方が楽しいから。おやつだけ取って」


 すっかり肩の上が気に入った様子のリリスに、ポーチから焼き菓子を取って渡す。


「よし! それじゃあ潜入開始!」


 可憐の号令と共に、六人の足音が洞穴内へと進み始める。

 俺にとっては、この世界で始めてのダンジョン探索だ。


               ◇


 夏の日差しで火照った体に、ひんやりとした洞穴内の空気が心地よかったのも、潜入してからしばらくの間だけだった。

 百メートルも進んだ頃には、約十二℃の穴内温度に肌寒さを感じるようになる。

 気温は一年を通してほぼ一定らしいので、冬なら逆に暖かく感じられるのだろうが……。


 正直、長袖のシャツを用意しろという可憐の説明には大袈裟な印象を抱いていたのだが、ここに至り、如何にそれが的確な指示だったのかがようやく解る。

 やはりD班の班長は可憐が務めるべきだと、卑屈でもなんでもなく心底思う。


「寒くないか?」と、肩の上のリリスに話しかける。

「うん。魔族は人間に比べれば気温変化への耐性が高いし、松明もあるしね」


 パタパタパタ……と、先ほどから幾度もコウモリが体を掠めて飛んでいる。

 コウモリは超音波エコーロケーションのおかげで滅多にぶつかることはないと言われているが、あれは嘘だ。

 前の世界にいる時、自転車に乗っていてコウモリにぶつかったことが一度ある。

 エコーのパルス間隔を広くして飛んでいる時は、コウモリでも動きのある対象物の発見が遅れることがあるらしい。


 洞穴内ならパルス間隔は狭めているだろうし、俺達も、動いているとは言っても徒歩の速度だ。

 そうそうぶつかることはないと解かっていても、気持ちのいいものではない。

 ぶつかって来たコウモリが上着の胸元に張り付いた時の記憶が蘇る。

 あれは鳥肌物の気持ち悪さだった。


 不意に、先頭の紅来が左手を上げて静止の合図をする。

 ユラッ、と足元が揺れた。

 地震だ。

 一昨日、北方で起こった大地震の余震だろう。


 昨日から、せいぜい震度3程度までだろうが、体に感じる程度の揺れを何度か感じている。

 今はそれ以下……恐らく震度2程度だろうか。

 言われなければ気が付かない程度の揺れだったが、地震があまり好きではない紅来だからこそ敏感に感じ取れたのかも知れない。


 揺れが完全に止まるのを待って、紅来が手を下ろす。

 まあ、洞穴内だし、慎重なのは悪いことではないが……。


 出現する魔物は、聞いてはいたが、それにしても聞きしに勝る雑魚揃いだった。

 最も多いのはケイブゼリーと呼ばれるスライム系の魔物だ。

 窟内の昆虫を食べるだけで人を襲うことはないが、見かければ一応退治する。

 武器を使用するまでもなく、松明の火だけで簡単に殺せた。


 それ以外にも、トカゲ等の爬虫類系やダンゴムシ系の甲殻系の魔物も何体か見かけたが、何れも★1ランクの雑魚モンスターばかりだ。

 前衛の三人が全て露払いしてしまうので、俺たち後衛はただついて行くだけ。

 正直、コウモリの方が遥かに強敵だ。


「暇……」と立夏。

「暇ね……」と華瑠亜。

「暇だな……」と、俺にもセリフが伝染する。


 それならそれで楽しく雑談でも……と言うわけにもいかない。

 一応課題ミッション中だし、窟内は声も響くから、和気藹々と歩いていたりしたらさすがに可憐に睨まれそうだ。


 後衛メンバーも、華瑠亜事件の発端となった立夏ダンデレと、まだ様子がおかしい華瑠亜ツンデレと、空気を読まないリリスアホの子だしな……。

 正直、今この面子で会話を試みるなど、自殺行為以外の何物でもない。


 その時ふと、地味な茶褐色の壁岩の間で、キラリと何かが光った。

 松明の火に照らされて赤紫色に輝く石――――

 オアラガーネット!?


 洞穴の最深部が近いのだろうか?

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