05.最強のメイド騎士

「くっそー。最強のメイド騎士にしろ、って言ったのに、あのポンコツドラゴンめ……」


 ノートの精に対して思わず悪態をつくリリス。濡れた草や木の根に足を取られて転倒すること、これで三回目だ。

 背丈二十センチ足らずのリリスにとっては、どこにでも生えている雑草ですら、行く手をはばむ厄介な障害物となる。


(これじゃ最強には程遠いどころか、下手したら最弱じゃん!)


 ようやく、マップに記載されていたエリアに辿り着く。

 ……が、つむぎ達の姿は見えない。リリスの体もまだ透明のままだ。


(もしかして、川原の方でA班と合流してるとか?)


 このままB班のエリアを探索し続けるか、もしくはA班の川原エリアに向かうか。この体のサイズでは、短時間で二つをこなすことは到底無理だ。

 聴覚には自信があるが、今は雨が周囲の音を吸いこんでいく。


(どうする、私?)


               ◇


 十五分前――


「さっきから、スライムや爬虫類系ばかりね」


 立夏りっかが、手持ち無沙汰な様子で、ファイヤーボールを掌の上で出したり引っ込めたりしている。

 出てきたモンスターは、いまのところうららが全部始末していた。


「B班の方もこんな感じかな?」


 麗が、今仕留めたレッドスネークとイエロースネークを川原に運ぶ。これで川原には、キレイに七色の蛇が並んだ。


「虹?」


 無表情な立夏のツッコミに、苦笑いする麗。


「今日の天気じゃ土人形ゴーレム系はなかなか出てこないだろうし、B班の方も似たような状況じゃないかな」


 信二しんじが腰を上げながら答える。

 やや、雨足が弱くなった気がする。


(このままんでくれれば助かるんだが……)


 何の気なしに腰を上げて、川原に並んだ蛇の死骸を見に行く。座りっ放しに疲れただけで、別段、その行動に大した理由はない。

 七色の蛇の死骸を見ながら、立夏の〝虹〟という言葉を思い出して苦笑する。


 その時、左手から猛スピードで何かが近づいてくる気配。ハッとそちらを見た時には既に青い巨体が十メートル程まで迫っていた。


(シールド!!)


 習慣で握り込んだ左手は――しかし、虚空を掴む。

 完全に油断だった。

 振り向けば、先程まで座っていた岩にシールドが立てかけてある。


 少し、目の前の蛇を見るだけ――

 そんな油断が、無意識のうちに重いシールドを持つことを拒ませた。


 咄嗟に、右手のウッドメイスを両手で構えて腰を落とす。

 直後、青い塊が猛スピードで激突し、粉々に砕け散るメイス。

 信二の体が十メートルほど吹き飛ばされ、川原に打ちつけられる。


 信二は――――動かない。


(キラーパンサー!!)


 即座に立夏が詠唱を開始。麗も魅了の舞いチャームダンスを開始する。

 獣系のような脳筋モンスターには比較的有効な舞いダンスだ。


 しかし、★5相手ともなると長くは抑えきれない。

 最初は首を傾げて戦意を消したキラーパンサーだったが、効果は三十秒も続かなかった。

 舞いダンスに慣れると、再び殺意を剥きだしにして麗へ近づく。


(背中を見せれば直ぐに襲われる!)


 少しでも立夏からモンスターを遠ざけようと、後退りで川に足を踏み入れる。


(あと、十秒……五秒……一秒……)


「メガファイア!!」


 立夏の杖からが放たれる、灼熱の炎閃。

 しかし、それはキラーパンサーを掠めただけで、川向うの林に吸い込まれる。


 爆発音と共に、対岸の木々の枝葉が宙を舞う。

 キラーパンサーが、青い巨体をゆっくり反転させ、立夏に焦点を合わせる。


可憐かれーん!!」


 麗が叫ぶが、決して大きくない彼女の声は、夏雨なつさめの林に掻き消された。


               ◇


 夏雨の中、そう遠くない場所で爆発音が響く。


 それほど大きな音ではないが、異変に気付くには充分だった。

 可憐かれん勇哉ゆうや、そして俺……|B班全員が、音がした方向へ顔を向ける。

 七十~八十メートル程先で木々の枝葉が舞い飛び、黒煙が上がるのが見える。


 それを見るや否や、猛ダッシュで走り出したのは可憐かれんだ。

 俺と勇哉も、一瞬顔を見合わせた後で慌てて後に続く。


 なんだ? 何があった? あの爆発はなんだ!?


 七十~八十メートルなど、学校の運動場であれば十秒程度で駆け抜けられる距離だ。しかし、視界も足場も悪い雨の林の中では、同じようには行かない。

 三十~四十メートル先の林の出口までですら二十秒近くを要する。


 林を抜けた直後、真っ先に青い巨体をもくした可憐が叫ぶ。


「キラーパンサー!」


 川原に立つその体長は、二メートル強といったところか。

 ダイアーウルフに比べればやや小振りだが、敏捷性は高そうだ。

 端的に言えば、青い化け猫パンサーだ。

 一際長く鋭い爪が目を引く。


 キラーパンサーの眼前には――刺突小剣スティレットを構えながら、しかし、成す術無く青ざめる麗の姿。

 躊躇することなく川に飛び込み、キラーパンサーへ向かって可憐が駆ける。

 続いて林から飛び出る俺と勇哉。


「なんじゃありゃ~!?」


 叫びながら、勇哉も猛然と川へ突っ込んだ。

 既に可憐は、キラーパンサーに一太刀浴びせて交戦状態に入っている。


 俺も素早くA班の状況を確認する。

 モンスターにはまだ詳しくはないが、あれがその辺りにウロチョロしていた雑魚モンスターとは格が違うことだけは解かる。


 倒れているのは……信二と立夏か!?


うららぁ! 早く、助けを呼びに行けー!!」


 ダイアーウルフと対峙した時の恐怖がフラッシュバックする。

 しかし、すくむよりも先に勝手に体が動く。

 最悪の結果を無意識に排除しているかのように。


 恐怖に鈍感なタイプは戦場で早死にする――何かの漫画か小説で読んだ、そんなフレーズが一瞬だけ頭によぎる。


 だが、知ったこっちゃない。

 俺のテイムの為に集まってくれた仲間だ。

 可憐も勇哉も、あの化物を見ても何の迷いもなく飛び出して行った。


 ここで、俺だけ皆を見捨てて逃げられるか?

 仮にそれで生きながらえたとして、その先も仲間と肩を並べて生きていけるか? きっと無理だ。この世界に来て間もない俺でも、それくらいは解る。


 それにもう一つ、ダイアーウルフ戦で学んだことがある。

 この世界では、しっかりとした治癒職に早期にケアしてもらえれば、かなりの重傷を負ったとしても高確率で命が助かるはずだ。


 とにかく今は、治癒技能スキルを持つという僧侶プリースト司祭ビショップの救援を確保するのが最優先!


「麗ぁぁぁっ! 早く行けぇぇ!」


 俺の叫びに、ようやく我に返り休憩所の方に向かって走り出す麗。

 それを確認した後、俺は近くに倒れていた立夏の元へ駆け寄る。

 体当たりをされたようだが、後ろの土手や木の根がクッションの役割をしたのか、目立った外傷はない。


 意識を失っている……が、呼吸はある。


「立夏! 立夏!」


 立夏の顎を上げて気道を確保する。


 ごめん! 


 心の中で謝りながら、雨と泥で汚れた立夏の頬を叩く。

 意識が戻らなければポーションも飲ませられない。


 立夏が、薄っすらと目を明けた。

 まだ意識は朦朧としているようだが……。


「飲めるか?」


 体を起こして口の中にポーションを流し込む。

 が、唇の端からこぼれ落ちる液薬。

 もっと奥に流し込みたかったが、仰向けで飲ませれば誤嚥ごえんの恐れもある。


「マジ、ごめん!」


 今度は言葉に出して謝りながら、ポーションを少しだけ口に含む。

 立夏を抱きかかえ、隙間を塞ぐように口移しで立夏の中へ流し込む。


 今度は……正常な嚥下えんげ反射。

 ゴクリと立夏の喉が鳴る。

 ぐったりとしていた立夏の体に力が戻るのが分かった。


「に……兄さん?」


 そう言いながら薄目を開けた立夏だが、しかし、すぐに訂正する。


「紬くん……」

「ああそうだ、もっと飲めるか?」


 ポーションの瓶を直接立夏の口へ持っていく。

 今度は立夏も、自らの力で薬を飲み込んだ。

 よし! とりあえず大丈夫だ。


「あと何本か置いておく。痛むようなら、瓶が痛み止めになってるからっ!」

 

 立夏の元に二本のアンプルを置いて信二の下に走る。

 そして……愕然とした。

 左手と左足があり得ない方向に折れ曲がっている。

 更に、左前腕の途中から飛び出しているのは……骨折した骨の先端だ。


 とにかくここじゃ危険だ!

 引き摺って川原の隅に連れて行く。


「つ……紬……か?」


 途中で意識が戻ったようだ。


「ああ、そうだ。左腕と左足が折れてる。命に別状はなさそうだが……痛むか?」


 敢えて、大したことはないといった口調で、しかし正確に事実は伝える。

 元の世界の信二は論理的で、下手な気休めより事実を知らされた方がベストアンサーを導けるタイプだった。この世界でも印象は変わらない。


「痛み? 全然感じないな……」


 そう言って、信二が少し微笑む。

 一時的に、脳が痛みを遮断しているのかもしれない。

 なんだっけ? 痛みを麻痺させる脳内物質……アドレナリン?

 林近くの土手まで運び、そこにもたれかけるように寝かせる。


「とりあえず、これ飲め」


 ポーションを口まで持っていくと、信二は自力で飲み込んでくれた。


「口移ししないで済んで、ほっとしたぜ」

「バーカ……。薬の口移しなんて、創作の中だけの話だよ」


 俺の冗談に信二も笑って答える。

 その、創作の中だけの行為を、たった今やってきたわけだが……。


「とりあえず、もう二本開けてここに置いておくから、落ち着いたら飲め。瓶も痛み止めになってるから、今のうちにかじっておけ!」


 信二が頷いた。


 残りのポーションは四本。

 キラーパンサーの方を振り向くと、勇哉が大楯ラージシールドを持って必死で攻撃を絶えているのが見える。

 可憐は……吹き飛ばされたのだろうか?

 五メートルほど離れたところにいたが、再び剣を構えて走っていく。


 しかし――


 大した傷を追っていないキラーパンサーと比較して、二人の消耗度が激しいことは一目瞭然だ。

 耐え切れずに勇哉が吹き飛ばされる。

 次は可憐が切りかかるが、パンサーの鋭い大爪が容赦なく可憐を襲う。

 スモールシールドを持った左腕には、幾つか切り傷も付いている。


 あんなものが顔に当たりでもしたら、一生残るような傷が出来てしまうんじゃ?

 麗が助けを呼びに行ったが、十分やそこらで助けが来るとは思えない。

 ダメだ! ここは隙を見つけて逃げた方がいい。


「勇哉!」


 ポーションを投げると、勇哉は直ぐに飲み干して再びパンサーに向かっていく。


「可憐!」


 勇哉が魔物の注意を惹き付けている間に、可憐にもポーションを渡す。


「とにかく、隙を見つけて逃げよう! いつまでも粘れる相手じゃない!」


 俺の言葉に、しかし、可憐が首を振る。


「★5クラスのモンスターが出てるならマナ濃度も相当上昇しているはずだし、かなり遠くからでも探索魔法サーチに引っ掛かってるはずだ」


 再びキラーパンサーに向かって走りながら、さらに可憐が言葉を繋ぐ。


「入山記録を見れば、必ずレスキューパーティーが来る! 注意警報はとっくに出てるはずだし、もう少し粘ればきっと……」


 そうか、そう言う希望もあるのか!

 無傷の俺達は逃げられるとしても、立夏や、ましてや骨折した信二を運びながら全員が無事に逃げるのは困難だ。

 それなら確かに、なんとか防御に徹してここで粘っている方が、全員で助かる可能性は高いかも知れない!

 しかし、その時、勇哉が真っ青な顔で唇を振るわせているのに気がついた。


「どうした! もう一本飲むか!?」


 俺の言葉に、しかし、勇哉は謝りながら激しく首を振る。


「ゴメンよ……ゴメン……」


 勇哉は何を謝ってるんだ?


「どうした勇哉? もうちょっとだ、頑張ろうぜ!」


 俺も、立夏から借りた縦笛を握り締める。

 こんなんだって、注意を惹くくらいはできるはずだ!


「書いてねぇんだよ!」


 勇哉が叫ぶ。


「入山記録……書いてねぇんだ……」


 え? 今……何て言った?

 可憐も、さすがに信じられないと言った表情に変わる。


「カウンターに行った時、まだ記録帳の用意がされてなくて……」


 まさか……そんな……。


「入山って言っても、どうせ徒歩十分、二十分の範囲だし、わざわざ用意させてまで書くことも無いかと思って……」


 本当かよ……。

 勇哉が泣きながら叫ぶ。


「ホントごめん! 俺が防いでる間に、みんな逃げてくれ! 俺が殿しんがりやるから!」


 んなこと、ハイそうですか、ってできるわけねぇだろ、馬鹿!


 しかし、じゃあこの後、どんな選択肢をとればいいんだ?

 全く思い浮かばない。まさに思考停止状態だ。

 そしてそれは、この世界で経験を積んできたはずの可憐も同様のようだ。


 雄哉が弾き飛ばされ、パンサーの目標がまた可憐に移る。

 しかし、体当たりを受けた可憐は、今度は力なく数メートル後方に飛ばされる。


 本来であれば、勇哉が魔物の注意を惹き付けている間に可憐が仕留めるのが理想の連携なのだろう。

 しかし、今日はそこまでの相手を想定していない。可憐がいかに手練れであろうと、スモールソードでは完全に殺傷力不足に見える。


 急いで駆け寄って可憐にポーションを飲ませる。

 条件反射のように薬は飲んだ。

 しかし、瞳には先程までの強さは感じられない。

 肉体的にも精神的にも、ギリギリの攻防でとっくに限界に達していたんだ……。


 十分や十五分なら気力も振り絞れる。

 だが、あと三十分、或いは一時間だと言われたら、さすがに耐え切れない。

 数分間、パンサーと斬り合ったからこそ感じる絶望感。


 勇哉も再び立ち上がってパンサーに向かうが、もはやパンサーの攻撃を耐え忍ぶほどの体力は残っていないのか、あっけなく後方へ吹き飛ばされる。


「とりあえず、これ飲め!!」


 最後の一本を勇哉に投げる。

 しかし勇哉も、とっくに限界を超えていたのは可憐と同様だ。

 俺は縦笛で思いっきりパンサーを殴る。


「まだ諦めるな! 今、麗が助けを呼びに言ってる! 他の入山者がいる可能性だってある。きっともう少しで助けが来る!」

 

 俺の攻撃は……当然、まったく歯が立たない。

 でも、なるべくみんなから引き離すんだ!


 みんなが居る方とは逆方向―――もと来た方向へと全速力で走る。

 背中を見せれば、獣の特性で追いかけてくるはずだ。

 案の定、パンサーが蹴散らす川面の水が、バシャバシャと大きな音を立てて背後から近づいて来る。


 ただ……恐ろしく、速い!


 そう思った瞬間、背中全体を襲った激しい衝撃に息が止まる。

 数メートル先にあったはずの木に思いっきり全身を打ちつけられた。


 体当たりを食らったのだと、直ぐには判断できなかった。


 脳が激しく揺さぶられ、目の前にチカチカと星が飛ぶ。

 うつぶせの状態から、仰向けになるように体を回して振り返ると、眼前には俺をめ回すキラーパンサーの顔。

 おもむろに開かれた魔物の口から、生暖かい息が漏れ出る。


 もうダメかな……。

 今のうちに、一人でも二人でも逃げてくれればいいんだけどな。


 その時、キラーパンサーの背中に火の粉が散る。

 キラーパンサーが振り向いたその先には――

 反対側の林の入り口で、杖を構えてに立っている立夏!


 今度は立夏がおとりになるつもりなのか?

 今の状態で魔法の詠唱なんて無茶だ!

 いや、それより何より、立夏を追って林に入ったパンサーの注意を惹き戻せるメンバーなんて、もう残ってないぞ?


 一瞬、立夏と目が合った。

 いつも無表情な立夏が、俺を見て微笑みながら、再び火球をその手に作り出す。


 今度は自分が助ける番だとでも言いたいのか?

 もう止めろ! 早く逃げろ!


「ちょっと、紬くん! 大丈夫!?」


 耳元で、懐かしい声がした。


「リリ……ス、か?」

「休憩所で、強い魔物が出てるって聞いて……知らせにきたんだけど……」


 リリスも泣いているように見える。

 使い魔でも泣くのか?

 雨で濡れているだけ?


「なんだよ……せっかくリリカたんがきても、そのサイズじゃな……」

「リリスたんだってば……」


 黒いノートを読んでいた時の事を思い出す。

 あの時もっと、真面目に設定考えてりゃ良かったな……。

 俺の為に集まってくれたみんなが、このままこの化物に殺されるって?

 なんだよ? おれつえー、って……アホか俺は?


「何が、おれつえー俺TSUEEEEだよ……全然役立たずじゃねぇか……」


 そう呟くと同時に、両手の平から、例の青い光が溢れ始める。

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