07.弐号さん

「あ、パパ! ……と、弐号にごうさん!?」

「こんにちは」


 弐号と呼ばれたことを特に気にする風でもなく、俺をそばの長椅子に降ろし、自分も二〇センチほど離れて隣に座る立夏りっか

 椅子の長さは充分のはずだが、微妙に距離が近い気がする。


 弐号さん――――

 地下空洞で、俺の愛人と言えば華瑠亜かるあか立夏……と、可憐かれんが漏らした話を元に、メアリーがつけた呼び名だ。

 紅来くくるの別荘で一泊する間に、すっかりそれが定着してしまった。

 もちろん、〝壱号いちごう〟は華瑠亜だ。


 そして、危険度では壱号・弐号どころではなかった零号・初美ぜろごう はつみも、少し驚いた顔で立夏を見つめる。

 同じ謎委員会のメンバーらしいからもしや……と思っていたのだが、やはり立夏がここにいたのは偶然だったのか。


可憐ママと別居中だからと言って、もう弐号と逢引ですか」

「誤解を招くようなこと言うな! 偶然そこで会っただけだよ」


 修道女が詠唱を続けながらチラリと俺の方を見る。

 奥さんと別居中に、愛人と逢引してる場面を娘に責められる父親の図だ。

 まったく人聞きが悪い。

 

「今日でメアリーも正式にパパとケッコンしたんですからね! ママがいなくても、浮気はメアリーが黙っていませんからね!」


 修道女が、今度は目を見開いて俺の方を振り返る。

 幼い娘との近親結婚まで発覚した父親の図だ……そりゃ驚くわ!


「え~っと、メアリーこの子、頭がちょっとアレなんで、あまり気にしないで下さい」

「え、ええ……大丈夫です。ご家庭の内情には干渉しませんので……」


 一応言い訳はしておくが、ちゃんと信じてもらえてるのかは怪しい。


 それにしても……修道服で見えなかったが、かなり若そうな治療師だ。

 詠唱の声や手の肌艶からそこまで年輩ではないと思ったが、顔立ちからは俺と同年代くらいではないだろうか?

 なんとなく、雰囲気が妹のしずくに似ているように思える。

 チラリと見えたネームプレートには 〝真樹 更紗まき さらさ〟 とあった。


 まあ、これっきり会うこともないだろうし、多少勘違いをされたところで、干渉してこないなら害もない。

 これ以上、ムキになって言い訳する必要もないだろう。


「そう言えば初美、さっきはありがとな」


 初美がキョトンとした様子で俺の方に視線を向ける。

 目が合って、少し頬が赤らむのが解かる。


「さっきの、ほら、退魔士法がなんちゃら、ってやつ……」

「ああ……べつに、どういたしましてなのにゃん」


 この世界では、物理職にしろ魔法職にしろ、魔物と闘うことを生業なりわいとしている者を総じて退魔士と呼んでいる。

 退魔士になるのは十八歳で学校を卒業たあと、退魔院というところで四年間の訓練を積んだ者だけだ。

 退魔院へ進学するのは、割合としてはひとクラスから二~三人程度らしい。


 退魔士法とは、退魔士にのみ適用される特別法なのだが、義務教育中の学生は基本的に退魔士を目指すカリキュラムのため、全員〝準退魔士〟と見なされるらしい。


「でも……何であの時、クロエじゃなくて初美が直接喋ったんだ?」

「考えてもみるにゃん! あそこでクロエが『第二十一条一項にゃん!』なんて言ったら、相手の神経を逆撫でするにゃん!」


 そこまで考えてるなら、猫語を止めればいいのに。

 とりあえず、初美の本心をオートで喋りまくってる、ってわけでもないんだな。

 

「使役者の身の安全に関わる時は、さすがに連携を取って最善を尽くすにゃん!」

「そういう連携が取れるなら、昨日の夜から取ってくれよ」


 まあ、初美とクロエこいつらもいろいろと失敗を経験して少しずつ連携が練れてきている、というのもあるのかも知れない。

 俺とリリスの間にも、なんとなくそう言う感覚が芽生えているので解かる。


 それにしても、あの時の初美は凄かったな。

 長尺台詞にも驚いたが、あの柿崎って奴が歩いて近づいて行った時も、さらに啖呵を切り続けてたいたし……。

 足の震えを見る限り、初美だって相当恐かった筈なんだが。


「とにかく……ありがとう。助かったよ。初美を見る目がちょっと変わったわ」


 初美の顔がますます赤みを増す。

 こうしていると、いつもの引っ込み思案なハジデレなんだけどなぁ。


 メアリーへの処置が終わると、今度は俺がベッドに横になるよううながされる。

 もう大丈夫そうだと遠慮はしたのだが、真樹更紗治療師も首を横に振る。


「こんな治療でも外の施療院で頼めば少なからず対価を要求されます。ここなら無料ですから処置を受けておいた方がお得ですよ。念のため、ということもありますし」


 そんな彼女の言葉に他のメンバーも頷く。

 確かにまだ、左耳の聞こえ方も調子が良くない。

 そいうことならと、俺もベッドに横になる。


「いいですね、こんな可愛いお友達に囲まれて」


 治療師の女性がにこやかに話しかけてくる。


「う~ん……どうなんでしょうねぇ……」


 照れ隠しでもなんでもない。

 ポンコツ悪魔にちょっとアレなノーム、そしてダンデレとハジデレだからな。

 しかもハジデレは、なんかの拍子に痴女になる。

 端から見るほどお気楽じゃない。


 修道女の心地よい詠唱が聞こえてくると、頭がボ~っとしてきて心地よい眠気に襲われる。

 昨夜は殆ど寝られなかったし、ちょっと仮眠でも取っておこうかな……。

 遠ざかりそうな意識の向うでメアリーとリリスの話し声が聞こえてくる。


「てっきりメアリーは、パパとリリっぺで大男あいつをけちょんけちょんにするのかと思いましたよ」

「あのね……むやみに人間に使い魔を使うのは法律違反なの。解かる?」

「法律とは……掟みたいなものですか?」

「そうよ。あそこで私なんて使ってたら、さらに騒ぎが大きくなって、メアリーあんただってすんなり紬くんの使い魔になれるかどうか解からなかったわよ」

「それでもメアリーは……もっと格好いいパパが見たかったです」

「私は……ちゃんといろんなことを考えて、我慢しながら頭を下げた紬くん、すごく格好良かったと思うけどなぁ」


 どうしたリリス!

 まるっきりらしくない、その理性的な発言は!?

 確かさっきは、自分を使わなかったことに文句を言ってたような気もするが……。

 俺と立夏の会話を聞いて、先輩風の吹かし方でもひらめいたか?

 もしかして、俺の心象を良くして〝序列〟を上げようとか企んでる?


 リリスがいい事を言っても、素直に聞けないのは何でだろう……。

 そんな事を考えながら、徐々に眠りに落ちていく。


               ◇


 ふっと…………目を覚ます。


 重いまぶたを上げて壁時計を見る。

 一時? ……いや、十二時を少し回ったところだ。

 寝ていたのは三〇分くらいか……。


 治療は既に終わっているようだ。

 医務室には誰も居ない……と思ったら、ベッドに突っ伏して転寝うたたねをしている立夏の姿が見えた。

 俺のお腹の横辺りに、両腕を枕にして頭だけを乗せている格好だ。


「り……立夏?」

「ん……う~ん……」


 俺の声に気づいて立夏も目を開け、ゆっくりと体を起こしながら時計を見る。


「時間……大丈夫なのか?」

「うん。アルバイト、十三時からだし……場所は、ここから歩いて五分くらい」

「そっか……みんなは?」

「メアリーちゃんとリリスちゃんが、建物の中を探検したい、って言うから……さっき黒崎初美くろさきさんが付き添って出ていった」


 そろそろ戻ると思うけど……と言いながら、眠たげに小さな欠伸をしたあと、目をしばたたかせて俺の方を見る。

 寝起きで潤んでいる上に、どこか焦点の合ってないような藍色の瞳。

 俺の中に、他の誰かを見ているような、そんな居心地の悪さを感じる。


「え~っと……真樹さんは?」

「マキさん?」

「真樹……更紗さらささん。さっきの治療師の人」

「なんで、名前知ってるの」

「いや、普通に、ネームプレートに、そう書いてあったし……」

「ふ~ん……目敏いのね。綺麗な子だったし」

「いや、綺麗汚い関係ないし。いちいち『治療師の人』って呼ぶのも面倒だろ」

「ギルドホールの直ぐ前で、熱中症で倒れた人がいるって連絡があって、さっき出ていった……綺麗な真樹さん」


 なんか、棘のある言い方だな。

 話題を変えよう。


「そ、そう言えば……普通に肩を借りてたけど……立夏の足は大丈夫なの?」

「いまさら……」

「ごめんごめん……脳震盪のせいか、すっかり忘れてた……」


 オアラ洞穴で地盤崩落に巻き込まれ、立夏は落下の衝撃で捻挫をしていたのだ。

 一昨日、紅来の別荘で一泊した際にメアリーが治癒魔法キュアーで立夏の治療をしていたのだが……。

 キュアーは生物の治癒力を加速増幅させる魔法らしく、怪我を負ってから数日が経過していた立夏には効果が薄いとメアリーがぼやいていたのを思い出す。


「足は……すっかり、大丈夫。一昨日の段階でかなり回復していたし」

「そっか。捻挫も、舐めてると痛みが残ったりするから……それなら良かった」

「ずっと冷やしてくれてたり、おんぶしてくれたり……悪化しなかったのは紬くんのおかげだって、優奈先生も感心してた」


 優奈先生あの人はね……本人がああだから、だいたい、何でも感心するんだよ。


「あの時は、紅来だって……それぞれ三人できることをして切り抜けたんだから、別に俺だけってわけじゃないよ」

「うん……でも、ありがとう」


 立夏がスッと腕を伸ばし、俺の頭をなでなでする。

 なんだ? 立夏の中で、なでなでブーム!?


 白いオフショルダーのブラウスだが、大きく開いたフリル状の袖口から、立夏の綺麗な脇が真っ直ぐに視界に飛び込んでくる。

 皺一つない、ムダ毛の一切ない、ツルツルとした脇の下。

 くぼみの筋や、そこから周囲の部分へ流れる美しいラインに目を奪われる。

 僅かだが、女性特有の……いや、もしかすると立夏独特の甘い匂いがふわっと鼻腔をくすぐる。


「綺麗だな……」と、思わず呟いていた。

「なにが」

「脇が……」


 パシンっ! と俺の頭を叩いて立夏が腕を引っ込める。


「脇、好きなの?」

「いや、そんなことはなかったんだけど……今、なんか目覚めたかも」

「目覚めないで。変なことに」


 そこへ、あ~楽しかった~! と言いながら、ブルーに跨ったリリスが、続いてメアリーと初美も戻ってくる。

 ギルドホール観光はなかなか好評だったようだ。


「あ、紬くん、起きたんだ!」


 最初に入ってきたリリスが真っ先に声を上げる。


「うん、ついさっき。……そう言えばリリス、姿は消えなかったのか?」

「一応気をつけては貰ってたんだけど、今は大丈夫だったわね」

「そっか……。最大でどのくらい離れた?」

「どれくらいだろ? かなり離れた気はするけど……」


 リリスと初美が考える横で、メアリーが口を開く。


「一兆億メートルくらいです!」


 初美が慌てて首と手を振る。


「適当なこと言うにゃ! 遠くまでと言っても、百メートルは離れてないにゃん」


 まあ、広いとは言え建物の中だからな。

 そんなものだろう。

 話を聞く限り、マナは建物の影響もほとんど受けない……前の世界向こうで聞いた、ニュートリノやダークマターのような性質なんだろうか?


「あ~、走り回ったらお腹減った~!」


 リリスが、ブルーの背中からふわりと浮いて俺の肩に乗る。


「ねぇ! 何か食べに行こっ!」

「ああ、そうだな……。立夏は……もうすぐバイトだし、一緒に行くほどの時間はないかな?」


 コクリと頷く立夏。


「立夏ちゃん、バイトあるんだ。何の仕事?」

「ウェイトレス」と、リリスの質問に答える立夏。


 ウェイトレスぅ? 立夏が!?

 事務職か何かだとばっかり思ってたんだが……。


「立夏、接客なんて出来んのか!?」

「さあ……今日で二日目だから」

「そうなんだ……でも、一回はやったんだろ?」

「初日はコスチュームがなくて、厨房でお皿洗いと、あと、いろいろ練習」


 コスチューム? 制服のことか?

 練習って、接客の?


「ウェイトレスと言うと、もしかしてレストランという場所ですか!? メアリー、弐号さんのレストランで食べてみたいです!」

「そうは言っても……立夏に迷惑かけるかも知れないし……どうなの?」


 一応、立夏に訊ねてみる。


「別に、私は構わない。でも……うちの店、結構値段が高い」

「高級店なんだ? まあ、お金なら、これで足りるだろ……」


 ポケットから金貨一枚を取り出す。

 くだんのトラブルで、柿崎の上役が投げ捨てて行った金貨。

 前の世界向こうの価値になおせば約十万円だからな。

 余程の高級店でもなければ、四人食べるくらいは余裕だろう。


「あの金貨、拾ってたんだ?」


 肩の上から俺の手元を覗き込むリリス。


「そりゃそうだろ。マジで治療が必要になるかも知れなかったし」

「そう言うのは普通、『馬鹿にするんじゃね~!』って言って相手に投げ返すものじゃないの?」


 リリスこいつの普通の基準が解からないが、おおかた、人間界のリサーチ中にベタなドラマでも観たんだろう。


「そういう主人公見るたびに、なに勿体無いことしてんの? って思ってたんだよね。貰えるもんは貰っとく。俺はチーターだからな!」

「そんなことドヤ顔で言われても、別に格好良くないですし……」

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