06.人間じゃねぇな

「ん? おまえ、人間じゃねぇな? 何で亜人のガキがこんなとこにいやがる!?」


 大柄の男が腰をかがめ、震えるメアリーの顔を覗き込む。

 状況的に見て、ホールで走り回っていたメアリーがうっかりあの大柄の男にぶつかってしまった……というところだろうか?

 それにしても、子供にぶつかられたくらいであまりにも威圧的な態度だ。


「おい! 何とか言えよクソガキが! その口は飾りか? ごめんなさいも言えんのか?」


 男の、苛立った濁声だくせいに萎縮して上手く言葉が出ない様子のメアリー。

 ああ言う手合いは直ぐに相応の対応をしないとますますヒートアップする。

 これは拙いな……。


「あれ、まずいわよ……」と、肩の上でリリスも呟く。


 解ってる。


「ちょっと待ってくれ、メアリーそいつは俺の連れ……」


 そう声をかけながら近づこうとしたその時、男の右足が後ろへ振り上げられる。

 なっ……!

 あいつ、なにするつもりだ!?


「ったく! ここは臭い亜人のガキが遊んでていいような場所じゃねぇんだよ! しつけってもんが成ってねぇな、おいっ!」


 慌てて、メアリーと男の間に割って入ろうとダッシュで近づいたが――――

 男の右足がメアリーに向って思いっきり振り抜かれる。

 目の前でメアリーの体が弾け飛び、ゴム鞠のように二、三度バウンドしながら数メートル先のホールの壁に激しく激突した。


「ぎゃひゅんっ!」


 苦しそうな呻き声を漏らし、壁際でメアリーがうつ伏せに倒れる。

 大丈夫!? と声をかけながら急いで飛んでいくリリス。

 さらに、メアリーへ近づこうとする男の目の前にようやく俺が割って入る。


「おいっ! あんた! あんな小さい子になにすんだっ!」

「ああん? なんだおまえ?」


 浅黒い肌の大男が、歩みを止めてジロリと俺を見下ろす。

 身長は一九〇センチはあるだろうか。

 後ろで一本に纏めた長髪には白髪も混じっているようだが、顔つきから見て、歳の頃は三〇代半ばくらに見える。


 明暗のくっきりとした彫りの深い顔の中でも、白くギラついた目が異常に目立つ。

 半袖のシャツから覗く、筋骨隆々の太い腕。

 背中に担いだ両手剣を見るに、恐らく職業は可憐かれんと同じ剣士ソルジャーだろう。


 眉間に寄せた縦皺や、上唇を吊り上げて舌打ちをする様子から、かなり粗暴で短気な性格であることは想像できる。


 何より俺の眉をひそめさせたのは、少し話しただけで解かる口臭。

 まるで、腐った肉のような・・・・・・・・酷い臭いだ。

 正直、普段なら決して近づきたくないタイプのキャラだ。


メアリーあの子は俺の連れだ。あいつが何か迷惑をかけたなら俺が謝る!」

「おまえの連れぇ? あの亜人がか? 協定のことは知ってるんだろうな?」

「もちろんだ。あいつは……おれの使い魔だ」

「なん……だと?」


 男が、一瞬驚いた顔を見せたあと、プッと吹き出すようにニヤける。


「使い魔だぁ? 亜人を使役だと? んな話、聞いたことねぇな!?」

「本当だ! 今そこで申請を済ませてきたところだ!」


 ちょうど手に持っていた申請済の証明書を男の前にかざすが、話の真偽には特に興味がないのか、よく見もせずに男が話を続ける。


「まあいいや……あいつの監督責任がおまえにあるっていうなら、おまえが代わりに謝ってくれるんだろうな?」

「あ、ああ……。あいつが一体、あんたに何をしたんだ?」

「何をしたんですか、だろ? 最近のガキは敬語も使えねぇのか!」


 こいつ、調子に乗りやがって!

 でも……ただの喧嘩に使い魔リリスを使うわけにもいかない。

 メアリーの申請の件にしても、受理される前に問題を起こせばそれが原因で却下されないとも限らない。

 とにかく、現世界こっちの常識がまだよく解っていない以上、騒ぎになることはなるべく避けなければ……。


「うちの連れが……あなたに何を……したんですか?」

「ふん! そのガキ、前も見ねぇでここで走り回りやがって……俺の右足に思いっきり激突してきやがったのよ。おかげで、先日負傷した所がまた痛んできやがった」


 そのぶっとい足に小さなメアリーがぶつかったからってどうなるってんだよ。

 しかもさっきの蹴り……とても負傷してるようには見えなかったぞ!?

 そもそも、女の子に当たったくらいで、あんなに思いっきり蹴ったりするものか?

 人間と亜人の間には、俺が思っていたよりももっと根深い確執の歴史でもあるんだろうか?


 しかし、この男の話を訝しくは思っても、やはりここでの騒ぎは避けたい……。

 メアリーを一人で遊ばせていた負い目もあるし、騒ぎを聞きつけて徐々に人も集まってきている。


「悪かった……俺の監督不行き届きだったのは、謝る」


 そう言って頭を下げた俺を、しかし、男は忌々いまいましそうに見下ろしながら、気短そうに舌打ちを二、三度鳴らす。


「謝り方が成ってねぇな、おい! 誠意を見せるには、それ相応の形ってもんがあんだろうが!」


 はぁ……面倒臭いやつに当たっちまったな……。

 とりあえず土下座でもしておけば気が済んでくれるのか?

 俺は両手と両膝を床に付き、頭を下げてもう一度謝罪を繰り返す。


「申し訳ありませんでした。あいつには俺から充分に言い聞かせますので、この場はこの辺でお引き取り願えませんか?」


 再び、頭上から男の舌打ちが聞こえる。

 この手の連中は、何かしら相手の落ち度につけこんで難癖をつけたがるものだ。

 とにかくこちらが下手に出てるうちは手も出してこないはずだ。

 と、その時、不意に後ろからメアリーの声が響く。


「メアリーは……悪くないです! ケホッ、ケホッ……メアリーは……ちゃんとその人が見えてたので……立ち止まったのに、ケホッ、ケホッ……その人の方からメアリーに、ケホッ、ケホッ……ぶつかって来たのです……ケホッ、ケホッ……」


 なるほどね、そ言うことか。

 とりあえず、メアリーが話せる程度の怪我で済んでいたのは不幸中の幸いだ。

 差し詰め、虫の居所でも悪かったのか、治療費の名目で小銭でも稼ごうとした当たり屋か……まあ、そんなところだろう。

 それにしても、タイミングが悪い……。


「いいんだ、メアリー。俺はちゃんと解かってるから……今は黙ってろ」


 しかし、俺のその言葉が男の嗜虐心に火をつけたようだ。


「なんだぁ? おまえは人間様より、あの亜人の言葉を信じるってのか!? マナなんかで生きてる連中は魔物と一緒だ!」


 男の言葉が終わるや否や、大きな打撃音が脳内に響いたかと思うと、左側頭部に激痛が走り、眼前にチカチカと星が飛ぶ。

 床を転がる俺の体と共に、二重三重にブレながらぐるんと回転する周りの景色。

 聴覚を失った左耳がキーンと鳴り続けている。


「つ、紬くんっ!!」


 残った右耳が捉える、リリスの叫び声。

 転がりながら、振り切った男の右足が目に入る。

 どうやら、あの足で思いっきり俺の頭を蹴ったらしい。


 なんて短気な奴なんだ!

 何かされるかもと身構えていたから良かったようなものの、それでも首が吹っ飛びそうなこの威力……やっぱ、右足の負傷なんて大嘘だろ!?


 さらに、歩き出した男の足音が床を伝って聞こえてきた。

 ……が、向った方向は俺の方じゃない。

 メアリーか!?


「や、やめろ……メアリーには手を出すな……責任は俺が……」


 急いで立ち上がろうとするも、脳震盪でも起こしたのだろうか。

 直ぐにヨロけて片膝を付き、そのまま床に倒れこんでしまう。

 足に力が入らない。

 ……くっそ!


「逃げろメアリー!」


 その時、俺の叫びに被せるように、女性の美しい声が聞こえた。


「ま、退魔士法第二十一条一項!」


 この声は……!?


「な……何人なんぴとも、紛争において、せ……正当な理由のない暴力行為を以って、相手を攻撃することを、き……禁ずるっ!」


 クロエじゃない……初美の地声!?


「退魔士で、こ……これに反した者は、き……金貨十枚以下の罰金、又は、ろ……六〇日以内の禁固刑、も……若しくはその両方を……課す!」

「ああ~ん? なんだ、小娘が!? おまえもこいつらの仲間か?」


 男が方向を変え、初美の方に近寄る。

 くっそ……今度は初美かよ!?

 逃げろ、初美!


 倒れたまま初美の方に視線を向けると、見えたのはガクガクと震える細い足。

 しかし……初美もひるまない。


「こ……これ以上の暴力行為は、ほ……報復の限度を超えた不当行為と見なします! い……異論があるなら、一緒に自警団の詰め所へ!」

「この……クソガキが、偉そうにっ!」


 大男が初美の前で腕を振り上げたその時――――


「やめろ! 柿崎かきざき!」


 突然、低く澄んだ男の声が響く。


「あ……兄貴……」


 どうやら、柿崎と言うのはメアリーや俺を蹴った男で、今そいつを制止したのは柿崎の上役に当たる人物らしい。


 柿崎が振り返ったその先にいたのは、柿崎よりやや小柄なものの、それでも一八〇センチはあろうかという体躯の持ち主。

 夏にもかかわらずピッチリと着込まれた黒のロングコート。

 しかし、見たところ汗一つかいていない。

 オールバックに固めた髪と、細い切れ長の目が冷酷な印象を与えるが、柿崎と呼ばれた男よりも理性的であるのは間違いなかった。


「何やってんだ、馬鹿野郎が! 仕事前にこんな場所で目立ちやがって!」

「い、いや、このガキが最初に……」

「言い訳はいい! 仕事前のゴタゴタはケチの付け始めだと前から言ってるだろ!」


 兄貴と呼ばれた男が俺の前に金貨を一枚放り投げる。


「治療費だ」


 そう言い残すと「さっさと行くぞ!」と、柿崎を引き連れてホールの入り口へ向って歩いて行った。

 とりあえず……た、助かったのか!?

 初美が駆け寄ってくる。


「紬くん、大丈夫にゃん!?」


 クロエの声だ。

 クロエを出しているのに、なぜさっきは初美の声で!?


「あ、ああ……俺よりも……早くメアリーを、医務室へ」


 治癒キュアーは、他人には使えても自分に使用することは出来ない。

 命に別状はないかもしれないが、下手をすれば肋骨にヒビくらいはいっていてもおかしくないような飛ばされ方だった。


「でも、紬くんもかなりしんどそうにゃん!」

「いいから! 俺はちょっとふら付いてるだけだから。早くメアリーを!」

「わ、解ったにゃん!」


 初美に連れられてメアリーが医務室へ向うのを見ながら、俺もゆっくりと立ち上がろうと試みるが……やはりまだ、足元がおぼつかない。

 ブルーに跨ったリリスが心配そうに俺を見上げる。


「何で私を使わなかったよ!?」

「前にも言ったろ? 正当防衛以外で、人間に対して使い魔は使えないんだよ」


 再び倒れそうになる俺を、誰かが駆け寄って支えてくれた。


「大丈夫?」

「あ……ありがとう」


 女の人の声だ。

 周りで騒ぎを見ていた人たちの誰かだだろうか。

 いや……この声……聞き覚えがあるぞ?

 顔を横に向け、肩を貸してくれた人物の方を見る。


立夏りっか!?」

「こんにちは」


 今の俺に対して「こんにちは」とはまた、なんとも日常的過ぎる挨拶だが……まあ、立夏らしいと言えば立夏らしい。


「どうして……立夏がここに?」

「この先の、魔導士ギルドに用事があって……出てきたら何か騒ぎになっていたから……来てみたら紬くんが倒れてた」

「そうなんだ……いや、ちょっと、ガラの悪いやつに絡まれてさ……」

「そう……。リリスちゃんは、使わなかったの」

「だって、使っちゃダメなんでしょ?」

「うん、まあ、使い方にもよるけど……。でも、我慢したのは、エライ、エライ」


 そう言いながら立夏が、背中に回した手で俺の後ろ頭をなでなでする。


「なんだよ……おれの姉貴かよ」

「いるの、お姉さん」

「いや、いないけど……。なんとなく、想像で」


 もっとも、身長差は二十五センチ以上だ。

 なでなでと言っても、かなり腕を上に伸ばした体勢でのなでなで。

 姉貴と言うよりは妹に撫でてもらってる気分に近い。


「私も、お兄ちゃんに、昔よくやってもらった」

「そっか……」


 そう言えば、立夏のお兄さんはまだ意識が戻らないんだっけ……。

 そんなつもりはなかったとは言え、嫌なことを思い出させちゃったかな。


「まあ……何かあれば、頭なでなでくらい、俺でよければしてやるよ」

「ほんと」


 軽い冗談のつもりだったのだが、意外と真剣に切り返されて少々戸惑う。


「お、おう。うちも兄妹仲はいいし、得意なんだよ、なでなで」

「じゃあやって」

「……ん? 今?」

「うん。肩、貸したし」

「そ、そうだけど……じ、じゃあ……いくよ?」


 肩に回した右手を、立夏の頭に乗せてなでなでする。

 ちょっとくせっ毛の、桜色に染めたエアリーショート。

 柔らかな髪の毛が、指に絡みつくように俺の手をくすぐる。

 ふんわりと手の平が包み込まれるような感覚が、思った以上に気持ちいい。


 立夏の小さな頭の感覚がなんとも愛おしい感じがして、気が付けばかなり長い時間なでなでしていたようだ。

 立夏の横顔を覗きこむと、あいかわらず無表情なのだが……どことなく嬉しそうに見えるのは俺の自意識が過剰なんだろうか?


「いつまで撫でてんのよ?」


 足元からの声にハッと視線を落とすと、ブルーに跨ったリリスがーじぃっと俺の方を見上げている。

 慌てて立夏の頭から右手を離す。


「初美ちゃんとメアリーが居なくなったと思ったらすぐ他の子にちょっかい出すんだから……。イタリア人か!」

リリスおまえ……イタリア人に謝れ」

「イタリア人?」


 立夏が怪訝そうな顔をする。

 やば……現世界こっちでは海外がどうなってるのか、まだよく解からないんだよな。


「ああ……イタリアって言う、女ったらしだらけの国がどこかにあるって噂……」

つむぎくんこそ……イタリア人に謝った方がいいよ」


 リリスが呆れたように呟く。


「今日、黒崎初美くろさきさんと、一緒なんだ」

「ああ、うん。ちょっと、使役者テイマーズギルドに用事があって。……そう言えば、初美とメアリー、どこに行ったのか解かるか、リリス?」


 なんとなくカウガール状態のリリスに付いて来たが、医務室ってどこなんだ?


「こっちの方向に行ったのは見てたけど……立夏ちゃんは知らない、医務室?」

「知ってる。そこを右に曲がった突き当たり」

「そっか……そろそろ足元も落ち着いてきたし、なんとか一人で歩けるよ」


 立夏の肩に回した右腕を離そうとするが、その手首をグッと掴まれる。


「いい。医務室までは付き添う」

「そ、そう? 時間とか大丈夫なの?」

「午後からアルバイトだけど、まだ昼前だし、全然平気」


 アルバイトか……現世界にもやっぱりあるんだな。

 立夏のことだから、何か事務職みたいな仕事だろうか?

 俺も、華瑠亜のハウスキーパーだけ、ってのもアレだし、何か探してみようかな。


 立夏に付き添われて医務室へ入ると、中ではメアリーがベッドで横になっていた。

 修道女の格好をした治療師がメアリーの腹部に小さな魔法杖マジックステッキをかざして、何やら詠唱している。

 恐らく、治癒キュアーかその系統の魔法だろう。

 入り口に俺の姿を見つけると、すぐさまメアリーが声を掛けてくる。


「あ、パパ! ……と、弐号2ごうさん!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る