第三章 麗と初美 編

01.麗の家

「じゃあさ、一緒にうららの家に行かない?」


 船電車ウィレイアが動き出すと、立夏りっか優奈ゆうな先生が起きていないか確かめるように、横目でチラチラと俺の隣をうかが華瑠亜かるあ

 聞かれたら困るような話なのかな?


「麗の? なんでまた?」

「あたしは、麗に頼まれてた買い物があったから、遊びに行くついでにそれを渡しに行くだけだけど……」

「俺、そこまで麗と親しいわけじゃないけど」

「それがさあ……麗がね、あんたに見せたいものがある、って言ってたのよ」


 俺に? 麗が?


「何だろ?」

「さあ……とにかく、学校に持って来られるような物でもないみたいでさ」


 数回しか話したことがない男子を、わざわざ家に呼んでまで見せたい物?

 しかも、学校には持って来られないような?

 なんだか、つかみ所のない話だ。


「麗は麗であんたに直接は頼み辛いみたいだったから、それじゃあ、あたしが行く時にでも誘ってみるよ、って引き受けてたのよ」


 そうまでして見せたいものって、何だろう?

 まったく見当がつかない。


「それ、いつ頃の話?」 

「相談されたの? あんた達がテイムキャンプから帰ってきたあとね。可憐かれんの家に一緒にお見舞いに行ったのよ」


 テイムキャンプの後、か。

 あの時、麗が話していた内容と何か関係があるのだろうか。

 俺とは二回話しただけ……〝こっちでは〟 と、確かに麗はそう言っていた。その言葉には、俺もずっと引っ掛かっていた。


 D班――新しい戦闘班になってから、と言う意味だろうか?

 しかし、それなら〝こっち〟という言い回しに違和感があるし、そもそも、限定的な期間で答える理由も分からない。


「あんたも意識が戻らなくて大変だったみたいだし、そのままうやむやになっちゃってたけど……今、ふと思い出して」

「ふぅん……」

「行くの? 行かないの?」


 気のなさそうな俺の返事に眉根を寄せながら、華瑠亜がもう一度問いただす。


「あ、ああ、多分行けるとは思うけど、一泊してきた後だし、一応家にも顔を見せてからにするよ」

「じゃあ、あたしも一旦帰るし、行けそうだったら連絡ちょうだい」

「ん? 俺、おまえの番号知らないけど?」

「ええ!? 今までも何度も通話してるじゃない!」


 そうなんだ……きっと俺の意識がこの世界に来る前の話なんだろうな。


「ご、ごめん、えっと……メモ無くしちゃって」

「あんたねぇ、いつまでメモのまま持ってんのよ!」


 仕方ないなぁ、と言いながら、華瑠亜がペンとメモ用紙を取り出して数字を書き始める。


「はい、これ。ちゃんと、通話帳に書き写しておきなさいよ」

「あ、どうも……。って、なんだこの、ミミズの這ったような字は!?」

「仕方ないでしょ、立ちながらなんだし! 文句があるなら無くすなバカッ!」

「ご、ごめんごめん……。お手数おかけしました……」

「分かればよろしい」


 フンと鼻を鳴らしながら胸を反らせる華瑠亜を見上げながら、


「紬くん、よっわ」と呟いたのは、ポーチから顔を覗かせたリリスだ。

「いいんだよ! これくらいで丁度いいんだって」


 華瑠亜の気の強いところはこっちの世界でも相変わらずだし、向こうにいたとき同様、下手に歯向わない方が良さそうだ。


「それにしても――」と、華瑠亜が、立夏と優奈先生を呆れたように見下ろす。

「よく寝るわね、この人たち」


               ◇


 帰宅すると、家にいた母さんに麗の家へ行くことを告げる。


 三日間、意識不明の状態から起きたと思ったら、さっそく信二の見舞い。翌日は可憐の家で、翌々日はトゥクヴァルスを再訪、さらに予定外の一泊。

 帰ってきたと思ったら、今度はクラスメイトの家に遊びにいく、という話だ。


 十四歳の誕生日を迎えたあとは、できる限り自立した成人として接する……という方針の我が家であっても、さすがに良い顔はされない。

 それでも、華瑠亜も一緒であることなど事情を話したら納得はしたようで、渋い顔を作りながらも引き止められることはなかった。


 すぐに華瑠亜に連絡して、学校の最寄のフナバシティ駅で待ち合わせをする。

 うららの家に行くには、二人ともそこで乗り換える必要があった。



「こっちこっち! 急げ――っ!」


 ウィレイアからホームに降りるとすぐに、ぴょんぴょんと跳びながら手を振ってる華瑠亜が目に留まる。


 白いTシャツにチェック柄のプリーツスカートと言うラフな出で立ち。

 両耳の後ろで二束に纏めた栗色のロングヘアが、上下する彼女に合わせて元気よく飛び跳ねている。


 ひるがえるミニスカートからすらりと伸びるしなやかな足が、黒のニーハイソックスでさらに脚線美を際立たせている。

 改めて見ると、元の世界では制服の膝丈スカートが、いかに彼女の長所を隠してしまっていたのかがよく分かる。


「ふう、間に合ったぁ!」と、華瑠亜。


 俺たちが駆け込んだのと同時に扉が閉まり、ゆっくりと車輌が動き出す。


「そんなに急がなくても、また次のがあっただろ?」

「快速仕様はこれしか見当たらなかったのよ。麗の家、ちょっと遠いから各駅だとかったるいのよね」

「華瑠亜と麗って、そんなに仲良かったっけ?」

「戦闘班は去年から一緒だったけど……休みでも会ったりするようになったのは今年に入ってからね」


 元の世界では、麗と華瑠亜が一緒に行動しているような場面を見た記憶はほとんどない。

 そもそも麗は、いつも一人でBL小説を読んだりしているような自称サブカル女子で、特に仲良くしていたクラスメイトにも心当たりがない。

 せいぜい、同じネットゲームを始めた勇哉ゆうやが話すようになった程度だ。


 でも……あれ? ちょっと待てよ?

 本当にそうだろうか?


 ふと、頭に霧がかかっているような違和感を覚える。

 麗とよく一緒にいた女子がいたような気がしたのだ。

 記憶の引き出しをどうひっくり返してもそんな女子に心当たりはないのに……なんだろう、このモヤモヤっとした感じは。


「ああ、もしかして、だからあんな相談してきたんだ?」

「あんな相談?」


 キョトンとした俺の表情を見て、華瑠亜が眉をひそめる。


「忘れたの? 四月にあたしに相談してきたこと」

「ご、ごめん……何の話だっけ?」


 四月と言えば、当然俺がこの世界に来る前の話だ。

 俺の返事に心底呆れたように、華瑠亜の口が半開きになる。


「初美の話よ、黒崎初美くろさきはつみ!」


 黒崎初美?


 ああ……うちのクラスで、俺以外では唯一魔物使いビーストテイマーを専攻している生徒か。

 日本人形のような黒髪が印象的な、大人しい女生徒だ。


 しかし、元の世界ではクラスどころか学年全体を見回しても彼女に見覚えはない。

 世界改変時のなんやかんやで、人間関係の設定にも多少のイレギュラーはあるのだろうと、あまり気にしてはいなかったが……。


「その……黒崎がどうかしたの?」


 呆れ顔だった華瑠亜かるあが、いよいよ本気で心配するように眉をひそめ、


「あんた……本当に大丈夫? 三日も意識を失って、記憶でも飛んだ?」

「ま、まあ、そんな感じかも?」


 そんなことはないはずだが、とりあえずそうしておいた方が話は聞き易そうだ。


「あんた、初美はつみのことが気になるからって、グループでどこかに遊びにいく感じで誘ってくれ、って……あたしに相談してきたじゃない」


 はああ? こっちの世界の俺、そんなことしてたのか!?


「な、なんで俺、おまえにそんなことを……」

「それをあたしに訊く!?」

「ご、ごめん、ほんと、マジで記憶が……」

「初美って付き合い悪いけど、うららとだけは仲良いじゃない? あたしが麗と仲良くなったから、グループなら遊びに誘えるとでも思ったんじゃないの?」


 不機嫌を隠しもせず投げやりに答える華瑠亜。

 もしかして優奈ゆうな先生が言ってた〝俺と華瑠亜が突然ギクシャクしだした原因〟というのも、そのことと関係があるのだろうか?


「そもそも、あんたと初美って家が近くじゃなかった? あたしや麗を通すより直接話した方が早いんじゃないの?」


 家が近い?


「近い……って、どれくらい?」

「あたしが知るかバカッ!」


 華瑠亜が呆れかえった表情で怒鳴る。


 黒崎初美……言われて見れば、麗と話してるのは何度か見た。

 こっちで通学したのがまだ、実質二週間もないのであまり印象にはないが、確かに綺麗な顔立ちではある。


 でも、俺が好きになるようなタイプだろうか?

 性格が合う、とか?

 そうは言ってもなぁ……付き合いが悪くて唯一の友達は麗?

 そんな女子の、どんな性格を好きになると言うのか。


 そう言えばさっき、麗と仲の良かった女子がいたと思ったのは――。

 こっちの世界で見た黒崎と麗の様子が、記憶の中で混同されてしまったのかも知れない。


「あんた、本当に覚えてないの?」

「う、うん。一時的に記憶失ってるだけかも知れないけど……今の所はまったく思い出せない……」

「そ、そうなんだ。……じゃ、じゃあさ!」

「うん?」

「初美のことは、今はどうなのよ? やっぱり、好きなわけ?」

「いやまったく」


 そもそも、黒崎のこと自体まったく知らない。


「そ、そう。 ならいいんだけど……」

「華瑠亜は、俺にそれを頼まれて何かしたの?」


 我ながらおかしな質問だが、もう記憶喪失で押し通すしかない。


「何もしないわよ。あたしだって初美とはほとんど喋ったことないし、わざわざ麗にそれを頼むのも回りくど過ぎるでしょ。あんな相談、無視よ無視!」


 それに……と、華瑠亜が言い淀んで言葉を呑み込む。


「それに?」

「それに…… 何でもないわよ、ばぁか!」


 馬鹿馬鹿言い過ぎだろ、こいつ。

 まあでも、華瑠亜も特にアクションを起こしていないのなら黒崎にも伝わってはいないだろうし、これ以上変に話が広がることもないだろう。


               ◇


 麗の家に着いたのは午後の一時を回ったところだった。

 正午には駅に着いたのだが、来る途中の軽食店バールで昼食を取ったため少し遅くなってしまった。


 駅から麗の家までは、街道沿いの雑木ざつぼくを眺めながら徒歩二十分ほどの道のり。

 元の世界で千葉県のどの辺りになるのかはよく分からないが、平野部から少し山の中へ入った地域であることは、地形や風景から見て取れる。


 麗の家も、この世界では一般的な木組みの家コロンバージュで、大きさも俺の家とほとんど同じだった。


「そう言えば、頼まれていた買い物って、何だったんだ?」

「本よ、本。今日発売の最新刊なんだけどさあ……」

「うん」

「〝ダンディーラブ お前と俺の恋物語〟って知ってる?」

「……いや」

「あたしも知らずに頼まれたんだけど、BLよ、BL! もう、買うのすっごい恥ずかしかったわよ!」


 BL……こっちにもあるんだ、そういう言葉。

 知らずに頼まれたとしても、そのタイトルならなんとなく想像つきそうなものだが。


「潔癖症の修道士が、別の修道士のカウンセリングを受けてるうちに、なんやかんやする話で……」


 意外と詳しいじゃん。


 二人で話しながら玄関までの石階段を上っていく。

 ドアノッカーを鳴らすと、すぐにうらら本人が出迎えてくれた。


「いらっしゃい」


 笑顔だが、俺の方を見て少し顔が強張ったように見えた。

 もしかして、招かれざる客だった?


「俺、来ちゃまずかったか?」

「あ、ううん、平気平気。事前に連絡ももらってたし」

「じゃあ、お邪魔するわね」


 華瑠亜は何度か来た事があるのだろう。勝手知ったる友人の家とばかりに、先にスタスタと二階へ上がって行く。


「うん。今、他に誰もいないし、気は使わなくていいから」


 ウエストポーチから顔を出したリリスが、


「おなかすいたな……」


 こいつは、食うか寝るしかやることないのかよ!


「さっき昼飯食べただろ!」

「デザートがなかったんだよ、デザートが!」

「中に、お菓子も用意してあるわ。どうぞ入って」


 麗に促されるまま、靴を脱いで二階へ上がる。

 女子の家を訪ねるのは可憐の家に次いで二軒目だが、部屋に入るのは今日が初だ。


 元の世界では高校一年の頃に、他校の弓道部の先輩と付き合う機会はあったが、一度も彼女の部屋へ招かれることなく関係は終わった。

 なので、幼いころの話を除けば、同年代の女の子の部屋に入ること自体が初経験なので、その意味でも少し緊張する。


「麗ぁ~。ダンラブの前の巻、読んでいい? 最新刊だけ読んだら全然話が分からなくて……」


 麗の部屋から、先に入った華瑠亜の声がする。

 あいつ、人に頼まれた新刊、先に読んだのかよ!


「うん、いいよ~。並んでるの、勝手に読んで~」


 俺の背中越しに麗が答える。

 俺も、少しどきどきしながら彼女の部屋に足を踏み入れた。

 真っ先に目に留まったのは、ベッド上で壁に寄り掛かりながら、美脚を投げ出して本を読む華瑠亜。


 しかしそのベッドは――。


 およそこの世界には似つかわしくない、二〇リにでも並んでいそうなモダンな黒のパイプベッド。

 さらに、テレビ、ブルーレイプレーヤー、DVDソフト、パソコン、船橋第二高校の制服……。


 そう、目の前にあったのは、まさに元の世界にあったであろう麗の部屋そのままの光景。さすがのリリスも、部屋を眺めながらポカンと口を開けている。


 慌てて振り返ると、そこには俺を観察するようにこちらを見据える麗の視線。


「やっぱり……見えるんだ?」


 静かに、彼女が言葉を発した。

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