02.やっぱり……見えるんだ?

「やっぱり……見えるんだ?」


 うららが、ゆっくりと、釘を刺す……いや、埋め込むように呟く。

 眼鏡の奥から俺の反応を値踏みするような、ジットリとした詮索の眼差し。


「えっと……これは、あの……ええっ!?」


 部屋と麗の顔を交互に見比べながら、上手い返答が見つからず、狼狽だけが意味不明の言葉となって口をく。

 実は俺と麗が兄妹だった……と言われても、ここまで混乱はしなかったかもしれない。


 状況を整理しろ!


 命令はするのだが、思考の歯車の上滑りする音だけが、頭の中で空しく響く。

 華瑠亜は? と見れば、特に違和感を感じている様子もなく、ベッドの上でのほほんとお目当てのBL本を読んでいる。


「ん? なにキョロキョロしてんのよ? 入ったら?」


 俺の様子に小首を傾げて話しかけてくるのだが、声色は至って普段通りだ。


「お、おう……って、おまえの部屋じゃないだろ」


 いつものように軽口で返そうとするが、顔が強張っているのが自分でも解る。

 中学からの同級生で、高校では同じ弓道部仲間でもあった元の世界と同じノリで〝おまえ〟と言ってしまったが、特に気にされている様子もない。

 こちらの世界でも 〝あんた〟〝おまえ〟の二人称でやりとりできるだけの関係は築けているらしい。


 一旦本に戻した視線を、何かを思い出したかのように再び外し、今度は麗に話しかける華瑠亜。


「そう言えば麗、つむぎに見せたい物があるって言ってたよね? 何だったの?」

「うん、大丈夫。もう見せたから」

「は? まだ部屋に入っただけじゃない」

「うん。 この部屋を、見てもらいたいだけだったの」

「部屋?」


 華瑠亜がぐるりと室内を眺めたあと、最後に俺の顔を見る。


「普通の部屋……よね?」

「そう……だね」

「感想は?」

「う、うん……普通、かな?」


 なんだこの会話?

 華瑠亜も首を捻りながら麗の方を向き、「ですってよ」と伝える。


 とにかく、異常事態であることは確かだ。

 事情も確かめないうちに考えをまとめるってのは……無理だな。

 とりあえず今は、動揺を抑えることに集中しないと!


 中央にちんまりと置かれた小さなガラステーブル・・・・・・・の前に、所在無しょざいなさげに腰を下ろす。

 ガラスをテーブルにするなんてのも、この世界ではまず有り得ない発想だ。


 華瑠亜はもう、何度も来てるから慣れてるのか?

 いや、いくら慣れたって、普通の部屋じゃないってことは分かるよな。

 つまり、華瑠亜にはこの部屋が〝普通の部屋〟に見えてる、若しくは、異常な部屋だと認識できていない・・・・・・・・と言うことだ。


 ふと気がつくと、ポーチから抜け出したリリスが俺の膝を伝って、ガラステーブルの上によじ登っていた。テーブルの上のお菓子が目的だったらしい。

 行動パターンがゴキブリと一緒だ。


「おまえ、よくこんな状況でお菓子なんて食べられるな!?」


 ヒソヒソと話しかけると、クッキーの欠片をほお張りながら、リリスがチラリと俺の顔を見上げる。

 既に、その目は落ち着きを取り戻しているかのように見える。

 肝が据わっていると言うか、鈍感と言うか……。


「びっくりはしたけど、そもそもこの世界自体がびっくり現象だからね。今さら、何が起こったって不思議じゃないわよ」


 まあ……そりゃそうなんだが……。


 今までこちらに転送されたのは俺とリリスだけだと思っていたのが、もしかすると、まだ他にもいたかも知れない、ってことなんだぞ?

 普通のびっくり現象とはまた別次元のサプライズだ。

 まあ〝普通のびっくり現象〟というのもおかしな言い回しだが……。


 元の世界の勇哉が考えた設定を基に、俺を中心に改変されたはずの世界なのに……なぜ麗が?

 考えれば考えるほど頭が混乱する。


「なんなの? 部屋を見せたいとか……二人で何か隠し事?」


 華瑠亜がいぶかしげに俺と麗を交互に見る。


「ううん、そう言うわけじゃないんだけど……」


 麗の表情は……とりあえず、見た目には普段の飄々とした彼女に戻っているように見える。

 ただ、もし麗が俺と同じようにこの世界に転送されてきたのだとしたら、彼女にとっても俺が初めての〝転送仲間〟ということになるだろう。

 既に察していた節もあるが、内心それなりに高揚してるのではなかろうか。


「今月、双子座の男子を部屋に招待すると幸運が訪れます、ってね。占術オーガー誌に書いてあったから。知り合いで双子座、紬くんくらいだったし?」


 麗が苦笑いを浮かべながら答える。

 確かに俺は双子座だが……く、苦し過ぎないか、その言い訳!?

 案の定、華瑠亜も驚いたように訊き返す。


「そうなの? 確か麗、あたしと同じ射手座よね?」

「う、うん」

「紬! あんた、うちにも来なさいよ」


 チョロ過ぎるぞ、華瑠亜……。


               ◇


 その後は、特に変わった事もなく、夕方四時頃まで麗の部屋で過ごした。

 部屋の異相に最初は驚いたが、慣れるに従い、元の世界で友達の部屋を訪ねた時のような懐かしさを思い出し、気がつけば意外とリラックスして過ごすことができた。


 考えてみればこの世界に来てからは、家族も含めて、誰かと会っている時は常に緊張状態だったからな……。


 聞きたいことは山ほどあるが、華瑠亜の前ではさすがに話せない。

 ここまで見せられて事情が聞けないというのはかなりのフラストレーションだが、そこはぐっと我慢する。

 課題合宿だってあるし、話す機会はまたあるだろう。


 ……そう思っていたのだが、帰りしなに麗からこっそりメモ用紙を渡された。

 華瑠亜にバレないようにそっと開いてみると、通話番号らしき数字と一緒に、メッセージが書いてある。


【明日、紬くんの家に行ってもいいかな?】


 思わず麗を見返すと、ニコニコと笑っているようで、そのくせ眼鏡の奥の目配せは、有無を言わせぬ真剣な眼差しに見える。

 よく言う〝笑顔なんだけど目が笑ってない〟というのは、こういう顔のことを言うんだろう。


 とりあえずその場は、軽く顎を引くだけで麗の家を後にする。

 俺としてもなるべく早く事情を聞きたいのは一緒だ。断る理由はない。


「まだ明るいわね。ウチくる?」


 帰りの船電車ウィレイアの中、突然の華瑠亜からの誘い。


「今から? 着く頃には結構いい時間になるだろ」

「ついでに寄っていってもらおうかな、と……双子座男子に……」


 忘れてたわ、そんな話!


「で、おまえの家、どこなんだよ?」


 そう訊ねた直後、華瑠亜がまた呆気に取られた表情に変わるのを見て〝しまった〟と、心中舌打ちをする。

 これも、知っていなきゃいけない情報だったか?


「あんた、ほんっとぉ~に、大丈夫!? そこの記憶も飛んじゃったの?」

「と……飛んじゃったのかなぁ」

「イーストフナバシティよ。確かに最近は来てなかったけど、春頃まではよく来てたじゃない」


 そうなの!?。

 確かに優奈先生も、俺と華瑠亜は仲良かったって言ってたけど……まさか家に遊びにいくほどの仲だったとは!

 元の世界に居た時は、同級生の女子はおろか、ガールフレンドの部屋にすら行ったことがなかったけど、こっちの俺のリアルはかなり充実してたのか?


「なんか……ぼんやり覚えてる気もするんだけど……いろいろと不鮮明になってる記憶が……一時的なものかな?」


 適当にごまかすが、我ながら胡散臭い。


「まあいいわ。もう一回教えるから、ちゃんと覚えなさい」


 本当、華瑠亜が大雑把な性格で助かった。

 とりあえず、他のD班メンバーと違って、華瑠亜とだけはこの世界でもそれなりに親しくしていたみたいだし、あまり迂闊な質問はできないな。

 この機会に、自宅くらいは覚えておいてもいいかも知れない。


               ◇


 そう思って来てはみたものの――テラスハウス!?


 元の世界では確か、それなりに立派な門構えの一戸建てだった記憶があるんだが、今、目の前にあるのはどう見ても木組みの長屋テラスハウスだ。

 しかも、規模から見て恐らく単身用の賃貸物件だろう。


「家族も……ここで一緒に?」

「そんなわけないでしょ。一人暮らしよ。そこまで忘れる?」


 しまった! またこんな質問を……迂闊過ぎるぞ、俺!

 ……と思ったのだが、華瑠亜もあまり気に止めている様子はない。

 俺の記憶喪失設定に、彼女も徐々に慣れてきてるようだ。


 一人暮らしを始めたのは去年の春……つまり、十年生になって今の校舎に通うようになってかららしい。

 世界改変により、細かいとろころで環境や経緯が変わっている部分もあるのだろう。

 バタフライ効果ではないが、僅かな齟齬でも巡り巡って大きな食い違いに発展する可能性は否定できない。

元の世界の情報を過大にアテにするのは気をつけた方がよさそうだ。


 それにしても、ここに俺が何度も遊びに来たって?

 一人暮らしの女子の部屋に?

 もしかしてこの世界の俺と華瑠亜って、優奈先生も言ってたように、本当にそう言う関係だったのか!?


 ……………。


 待て待て。付き合っていたなら、さすがに黒崎初美とやらの相談をわざわざ華瑠亜にするはずがない。


 じゃあ、もしかすると――もう少し大人の関係、みたいな!?

 まさか! ……とは思うが、十四歳で成人する世界だし、不思議ではない気がする。他の理由も思いつかない。

 とにかく、俺が来る前のこの世界での記憶がないので、様々な妄想が頭を過ぎる。


「何やってんの? 早く入ってよ」


 石階段の上から、玄関のドアを開いたまま華瑠亜が俺を見下ろしている。

 変な妄想をしたせいか、プリーツスカートの下、黒のニーハイソックスに包まれた、しなやかに伸びた脚を目の前にして、思わずゴクリと唾を飲み込む。


「お、おう!」


 やや緊張しながら、華瑠亜に続いて家の中に入ると、真っ先に俺の視界に飛び込んできた物は――。


 散らかり放題の室内だった。

 服、小物、本、その他諸々の細々こまごまとしたアイテム類……だけならまだいい。


 他にも、食べかけのパンやお菓子。

 テーブルの上には何かの肉の骨みたいな物も見える。

 犬でも飼ってるのか!?

 台所では、水を張った石造りのシンクの中に、ジェンガのように積み重なった食器が臭いそうなタワーを形成している。


 元の世界にいた時にテレビで見たことがるが、いわゆる、ゴミ屋敷の初期バージョンだぞこれ。

 部屋を見たリリスが、黙ってポーチの中から蓋を閉じる。


 元の世界の華瑠亜は、気分屋ではあったが意外と正義感も強く、仲間思いのところもあって後輩からも慕われていた。

 もちろん、だからと言って几帳面な私生活を送っているとは限らないが、それにしてもこんな状態の部屋に住んでるイメージは全くなかった。

 向こうでは実家暮らしだったし、この状態になる前に、恐らく親がなんとかしていたのではないだろうか。


 足の踏み場もない、とは良く言うが、ギリギリ何箇所か、足の踏み場だけがあるような有り様。

 そこを器用に渡り歩いて、部屋の奥から華瑠亜が何かを持って来る。


「はいこれ」


 渡された物を広げてみると――薄汚れた水色のエプロン。


「なにこれ?」

「あんたのエプロン。来たときはいつも、これ着けてたでしょ」

「なんの為に?」

「掃除でしょ。それも忘れたの!?」

「………」


 俺がここに来てた理由って、華瑠亜の部屋の掃除だったの?

 何やってたんだよ、この世界の俺は?

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