06.【黒崎初美の場合】その壱

黒崎初美くろさきはつみの場合】その壱



「で、起きたらこの世界にいた、ってわけなの」


 話を終えると、うららがふうっと短く息を吐く。

 もし元の世界にいる時に聞いていたなら、腐女子コンビの与太話だとでも思っていたに違いない。

 正直、話半分……どころか一パーセントすら真剣に聞けたかどうかも怪しい。


 しかし、同じ境遇に身を置いている今は、当然の体験談として腑に落ちる。

 今までリリス以外には誰にも本当のことを言えなかった閉塞感に、ようやく暗夜あんやが灯された気持ちにもなれた。

 いや、暗夜というほど抑鬱的な状況でもなかったか……。

 リリスのような人外能天気であっても、同じ境遇の話し相手がいたというのは、孤独感を紛らわせる意味でとても重要だったのだと、改めて思う。


「状況は、かなり似てるわね、私達と」


 腕組みをしながら呟くリリス。

 俺も、ノートの精とやらの言葉を直接聞いていたわけではないが、麗とリリスの話にかなりの類似点があるのは分かった。だがしかし……。


「だがしかし!」


 人差し指を立てながら疑義を呈するリリス。

 どうやらリリスこいつも、俺と同じ疑問点に気付いたようだ。


「問題は、麗ちゃんが、クラスの男子にどんなBL設定を考えてたかってことね!」

「そこじゃねーよ!」


 いやまあ、そこも興味がないわけじゃないが……。

 問題は、なぜ俺と麗が同じ世界にいるのか・・・・・・・・・、という点だ。


 俺と麗が、それぞれの思い――もっとも、俺の場合は勇哉の設定だが――に応じて別々の世界改変を行ったのであれば、転送されている世界線も別々のはずだ。

 そう……元の世界の記憶を共有しているはずはないのだ。俺の前にいるのはこの世界の麗で、麗の前にもこの世界の俺がいなければおかしい。


 また、俺たちのケースと比べて明らかな相違点もある。


 麗は別の世界線の自分と〝入れ替わる〟と言っていたが、俺やリリスは〝転送する〟と、ノートの精に言われたはずだ。単なる言葉の綾だろうか?

 それに、麗の話によれば、ノートの精はもう一人の人物を〝契約者〟と呼んでいたらしい。

 俺のケースでも、ノートの精とリリスだけではなく、契約者と呼ばれる何者かがいたと言うことだろうか? それとも――。


 とにかく今は、もう一人から話を聞くことが先決だ。

 黒崎初美くろさきはつみ――彼女の話が、多くの疑問に答える鍵になる気がする。


「じゃあ、その……黒崎、さん? の話も、聞かせてもらえるのかな?」

「………」

「あの……黒崎さん?」


 うつむいたまま固まる黒髪の少女。

 そっか。麗の話によれば、彼女、スマホが無いとほとんど喋らないんだっけ?

 これ、話聞けるのか?


「初美!」


 麗が黒崎の腕を掴んで軽く揺らすと、黒崎は頷いて鞄からケースを取り出した。

 あれは……ファミリアケース!?

 そう言えば黒崎は、うちのクラスでは俺以外で唯一のテイマー専攻だったな。


 黒崎が、左手人差し指に装備したラピスラズリの指輪でケースを軽くたたく。同時に、黒っぽい球体が飛び出し、空中で羽の生えた小さな人型のモンスターに姿を変えた。

 やはりあの指輪は魔具だったのか。


 ミニのノースリーブワンピースに黒いレースのタイツ。

 背中には鴉のような黒い羽が、飛ぶため……と言うよりは、可愛らしい飾りのようにちょこんと付いている。髪は、高めに纏めたお団子ヘア。

 大人っぽい出で立ちながら、碧い瞳をくりくりと動かす表情はまだ幼い。


「妖精!?」


 思わずつぶやいた俺に向かって、黒いワンピースの小さな使い魔が語りかけてくる。 


「私はクロエにゃん! 初美はつみんのスポークスガール(代弁者)をしてるにゃん! 妖精ではなく、精霊・・にゃん!」


 まさかの猫語!?

 と言うか、妖精と精霊ってどう違うんだ?


「ブラックフェアリーのクロエちゃん。戦闘スキルはないけど、使役者の心を読んで代わりに話をしてくれる精霊よ」


 麗の説明を聞きながらクロエが得意気に頷く。

 なんだか、使い道がすごくピンポイントな使い魔だな……。


「そういう事にゃん。人見知りの初美んは、慣れるまで上手く喋れないので、今日のところは私が変わりに説明するにゃん!」

「じ、じゃあ、お願いしますにゃん……」


               ◇


 麗から黒いノートの話を聞いた翌朝、初美はいつもより二、三本早い電車に乗って学校へ向かっていた。

 昨夜は、布団に入る直前までL・C・O(ラストクレイモアオンライン)で麗とペア狩りに出掛けていた。

 狩りと言っても、大半の時間は、最初の街周辺の初心者用マップでまったりチャットをしていただけだったが。


(昨夜はノートを枕元に置いて寝てみると言っていたけど、何か起こったかな?)


 学校へ着くと、まだ生徒数もまばらな教室で、麗は既に自分の席で何かの文庫本を読んでいた。

 恐らく、彼女の好きなBL系のライトノベルか何かだろう。


 ネットゲームにしろBLにしろ、普通は腐女子と見られるのを嫌ってこっそりたしなむような趣味を、麗は皆の前で堂々と披露する。

 その分、クラス内では遠巻きで眺められるような浮いたポジションで友達も多くはなかったが、かと言って嫌われたりいじめられたりするようなこともない。

 本人は毎日を至って普通に楽しんでいるように見えた。


 きっかけは麗が、初美も好きなオンラインRPG《ゲーム》〝L・C・O〟の設定資料集を教室で広げていたのを見かけたことだった。


(もし麗と友達になれたら?)


 現実世界では一人で楽しむしかなかったゲーム内の世界を、実際の友達と一緒に冒険できたりするかも知れない。

 物心付いてからは友達なんてできたことのなかった初美にとって、それはまさに夢のような行為に思えた。


長谷川はせがわさんも……〝L・C・O〟……やるんだ」


 同じクラスになって一週間後、初美は、恐らく人生で初めて自分から他人に声を掛けた。

 極度の人見知りの初美にとって、それは文字通り清水きよみずの舞台から飛び降りるような覚悟だった。


 麗も決して気さくな方ではなかったが、しかし、同じネットゲームを楽しんでいたこともあり、二人はすぐに打ち解けることができた。

 メッセンジャーやチャットでなければ極端に口数が少なくなる初美のことも、すんなりと受け入れてくれた。


 今の初美には迷わず即答できる。麗は親友だと。


「おは……よ」


 麗の肩を叩きながら初美が声を掛けると、麗も振り返って少し驚いたような表情を見せる。


「おはよ~! なに、初美、今朝は早いのね!」


 時計を見ると、いつもよりに二十分程早い。

 朝起きて直ぐにスマートフォンのメッセンジャーで朝の挨拶を送ったのだが、普通に「おはよう」と返されただけだった。

 黒いノートの件は早めに学校に行って聞こうと思っていたのだが、あまりにも普段通りの挨拶に初美は拍子抜けした。


「え、と……昨日の、ノートの、あれ……どうなった?」

「ん? ノート?」


 わざととぼけているのかとも思ったが、どうやらそんな雰囲気でもない。

 表情を見る限り、本当に何の事か解らないといった様子だ。


(どうなってるの? まさか、忘れたわけでもないと思うけど……)


「L・C・Oの、アンケートで、貰った、黒いノートの……」

「黒いノート? 何の話?」

「枕元に……置いて、寝たんじゃ?」


 変な夢でも見たの? とクスクス笑いながら、麗は話題を変える。


「そうそう、そんなことよりL・C・Oと言えばさぁ、昨日二人でアドル火山で拾ったあのユニークアイテムさぁ、今朝見てみたら行方不明でさぁ……」


(アドル火山? そんな高難度マップ、昨日は行ってないよ? 街の近くの森でチャットしてただけでしょ!?)


 昨日のゲームの話を語る麗を、初美はまるで知らない人を見るかのように眺める。

 目の前で話しているのは……間違いなく麗だ。

 読んでいたBL本に挟まっているのも、前に初美がプレゼントした、金属製の和柄ブックマーカー。


 しかし、目の前の麗は、初美が知っている彼女ではない。

 記憶がなくなっているだけじゃなく、麗とは別の記憶を持っているのだ。


(もしかして、私がおかしくなった?)


 一瞬、そう思って鞄の中を調べる。

 昨日、麗から貰ったノートの一ページが、確かにそこに入っている。


(大丈夫、私は正常だ。……だとしたら、麗の身に一体何が!?)


 その日一日中、麗の身に何が起こったのかについて、初美は考え続けた。


(もし、本当に昨日までの麗が別の世界へ行ってしまったのだとしたら……)


 現実的に考えれば、およそ有り得ない話だ。

 黒ノートの話を聞いた時は初美も、その不可思議な麗の体験談に得もいえぬ高揚感を覚えたのは事実だ。

 ゲームやアニメなどサブカルチャー方面の趣味も、非現実的な妄想を楽しむ素地にはなっていただろう。


 もしかしたら何かが起きるかも? という漠然とした期待感はあった。

 しかし、かと言って異世界転移などという話をそのまま信じるほど腐女子をこじらせていたわけでもない。


 しかし――。


(本当に……昨日までの麗は異世界へでも行ってしまったのでは!?)


 今朝の麗の様子を説明しようとする時、そうとでも考えなければ他に説明のしようがないように思える。

 もし、麗を異世界に転移させるような、何らかの超自然的な力が存在するのだとすれば、この世界に替わりの麗を用意することだって可能だと思えた。


 帰宅してからも、昨日麗からもらったノートの一ページを机の上に広げて考え込む。

 少し経って、麗からゲームへ誘うメッセージが入った。


『これから 少し狩りにいかない?』

「ごめん 今日は用事があってインできない」


 こんなモヤモヤとした気持ちのまま、これまでと同じように麗と付き合っていける自信は、初美にはなかった。


(とにかく、試せるだけのことは試してみよう!)

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