08.立夏が俺を見ている
見ると、俺の、左手を掴みながら
「なに? 私が来たからって、逃げるみたいに?」
「そんなんじゃなって。俺は来て結構経つし、あまり大勢でいてもかえって疲れさせるかと……」
と言うか、カップルの邪魔をするような野暮な友人になりたくはないんだが……。
「俺なら大丈夫だよ。時間が大丈夫ならゆっくりしていけよ」
立夏に同調する
「あ、ああ……そう? じゃあ、もうちょっと」
仕方なく、奥からもう一脚椅子を引っ張り出して腰掛ける。
それにしても、こんな風に人を呼び止める立夏はかなり珍しい。
元の世界の立夏も、人の言動にあまり関心を示すタイプではなかった。
無関心というわけでもないのだが、自分から人に何かを求めたり、強要したり、あるいは頼みごとをしたりといった場面をほとんど見たことがない。
もちろん、自ら誰かを引き止めるなんて場面は、凡そ見た記憶がない。
こっちの立夏も性格は同じようだし、恐らく信二も同じ印象を受けたのだろう。
「っていうか
「えぇ? 俺と立夏が!?」
「全然違う」
目を丸くする信二の言葉に被せるように、立夏も即座に否定する。
「そんな速攻で否定されると、それはそれでちょっと傷つくけど」
「……ごめんなさい」
苦笑する信二に、立夏が謝る。
「そ、そうなんだ……。立夏一人で見舞いなんて来るから、てっきり……」
いつも無表情なのでよく解らないが、立夏はどうも気分を害したらしい。
しかし、信二と立夏の間に何もないとしても、それでも立夏に引き止められた理由の説明にはならない。
もしかすると先日のテイムキャンプの事で何か話があるのか? とも思い、それとなく探りも入れてみたが、立夏もあの時の事はよく覚えていないらしい。
その後、いつの間にかキラーパンサーが消えているのに気付いて、立夏も安堵感で意識を失った……と言うのが彼女の説明だ。
前後の事は全く記憶にないらしいので、当然、ポーションの一件も覚えていないだろう。とりあえず、俺もホッと胸を撫で下ろす。
ただでさえ気軽に話してくれるタイプではないのに、あんな記憶が残っていたら卒業まで口を利いてくれなそうだ。
「そう言えば、最初の魔法……メガファイア? あれ、わざと外しただろ?」
俺の質問に、立夏が小さく頷く。
わざと? と不思議そうに聞き返す信二。
「メガじゃ直撃してもあいつは倒せない。何度も詠唱する時間もなかったから」
「それのおかげで、そっちがピンチだったこと俺たちも気付けたんだ」
へぇ、と信二が感心したように頷く。
「何もできなかったなんて言って、一番重要なことやってるじゃん」
「あの場にいた人で……重要じゃない人なんていなかった」
立夏がチラリと俺の方を見てから答える。
「そうだな……俺以外、みんな頑張ってくれたんだよな」
少し自嘲気味に苦笑いする信二。
「そう言う意味じゃない」
「うん、知ってる。ごめん、捻くれたこと言って」
微妙な空気になりそうなので、話題に変える。
「そう言えば、勇哉が凹んでるのは聞いたけど、可憐は大丈夫かな?」
「どうかな……。これくらいのことで凹むような性格でもないと思うけど」
「自宅、お見舞いに行っても平気かな?」
「う~ん。可憐自体は平気だろうけど、親はどう思ってるかね?」
「だよなぁ。親にしてみたら娘が自宅謹慎になった原因の筆頭だからな、俺」
元の世界では確か、一度だけ文化祭か何かの時に挨拶をしたことがある。
父親が地方銀行の重役、母親も、名前は忘れたが上場企業の重役を勤めていたと聞いたが、そこからイメージされるほど堅い印象でもなく、寧ろ両親揃って気さくな人柄だった記憶はある。こちらの俺も面識はあるんだろうか?
「紬、可憐の家、知ってるのか?」
「ああ。一度、テイムキャンプの打ち合わせで夜遅くなった時、家まで送っていったこともあるから。中には入ってないけど」
「送る、って言ってもな……可憐、
「はは……は……」
間違いない。
「まあ、行くだけ行ってみるわ。会えなきゃ会えないで……その時は親に謝っておくよ。怒ってるとしても、顔もみせないよりはマシだろう」
結局、なんだかんだでさらに二時間ほどのんびりしてしまった。
気が付けばもう夕方だった。
「じゃあ、今度こそ、もうそろそろ……」
俺が立ち上がると、じゃあ私も……と、腰を上げる立夏。
二人で施療院を出たのは、夕方の六時半頃だった。だいぶ陽も傾いている。
あと十五分もすれば日没……という時間帯だが、少し離れた雑木林からはまだ、様々な種類の蝉の鳴き声が重なり合って聞こえてくる。
信二も明日には退院すると言っていたので、やはり今日来て正解だった。
わざわざ家まで行くのは親の目もあるし、やはり緊張する。
「そうだ。借りてた縦笛……無くしちゃって、ごめんな」
斜め前を歩く立夏に、後ろから声を掛ける。
「大丈夫……仕方ない」
「今度、何か埋め合わせするよ」
「いい。大した物じゃないから」
振り返りもせず、淡々と答える立夏。やはり、怒っているのだろうか。
それ以降は、人通りの少なくなった林道を、二人で何を話すわけでもなく駅までテクテクと歩く。
元の世界にいた時から、こいつとはこうなんだよな……と回想を巡らす。
クラスの女子で一番よく話したのは、同じ弓道部の
その繋がりで、
こちらが
いや、相槌があるうちはまだいい。話しかけ過ぎると、途中からそんな相槌すらしてくれなくなる。
嫌われているのかとも思ったが、勇哉によれば誰に対しても同じ態度だと言うことなので、性格なんだと割り切って無理に話しかけることはしなくなった。
逆に立夏にはそれが居心地が良かったのか、それまでのような妙な緊張感がなくなり、俺も二人でいる時は黙ってる方が落ち着けるようになっていた。
この世界で、俺と立夏がどんな風に付き合ってきたのかは解らない。
モンスターハント対抗戦前の準備室での様子を見る限り、それほど好感度は高くなかったとは思う。……が、とにかく表情に乏しいのでよく解らない。
幸か不幸か、ダイアーウルフ戦の負傷で周囲からの悪印象は概ね払拭できたように思えるが、それでも、立夏の掴みどころが無いのは相変わらずだ。
立夏の桃色の髪が、夕日に照らされて赤みを増してゆく。
この世界では、得意属性をイメージして髪の毛にカラーを付けたりするのは、ごく一般的なお洒落らしい。
百五十センチちょっとの小柄な身体ながら、自分の背と同じくらいの魔道杖を持ち、俺からキラーパンサーの注意を逸らそうと詠唱する姿は今思い出しても胸が熱くなる。
自らも満身創痍となった中、極限状態での行動だったはずだ。
なのに、あの時の、俺に向けた笑顔にはどんな意味があったんだろう?
このぶっきら棒なクラスメイトのどこにあんな〝熱〟があったのかと、今でもあの時の立夏と普段の彼女のイメージが上手く重ならない。
不意に、くるりと俺の方を振り返る立夏。
エアリーショート、薄桃色の髪がパッと広がる。
その見返り姿に、俺の心臓も思わず高鳴る。
多分、俺はちょっと驚いた表情をしていると思うが、立夏はいつも通り、無表情なまま無遠慮に俺を見つめる。
「…………」
元の世界でも、こんな風に人をジッと人を見る場面を何度か見かけた。
街や廊下ですれ違うだけでも、本人の中で何か気になることがあると、こんな風にジッと観察するので、華瑠亜なんかに「立夏ちゃん、見過ぎっ!」と、よく注意されていたのを覚えている。
こちらでもその癖は同じだったので、別段気にもしていなかったのだが――
ジィィィィィィ――……
「………」
ジィィィィィィ――……
「?」
ジィィィィィィ――……
長くない?
「な……何?」と、思わず訊き返えした俺に立夏が答える。
「覚えてるから」
え?
「テイムキャンプのこと。全部」
はあっ!?
全部って、ポーションの事も、全部!?
施療院で覚えてないって言ってたのは……あれは、嘘?
再び、前を向いて歩き出す立夏。
わざわざそんなこと言うってことは……。
やっぱり、口移しのことか、或いは
どっちだ? 或いは、どっちもか?
しかし、下手に確認して
特に、口移しの件でそれをやったらいろいろと致命傷になりかねない。
とりあえず、どちらにでも当てはまりそうなことから確認してみる。
「あれは……緊急事態だったから」
「うん」
「やっぱ……ショックだよな?」
「べつに」
…………。
口移しか、リリスたんか……どっちだ? どっちの件だ?
「ああ言うのって、完全に意識ない時は危険みたいだけど……ぼんやりとだけど意識が戻ってたみたいだから、立夏……」
「うん」
明日も……晴れそうだな。
思わず天を仰ぐ。
口移しの件、覚えてるじゃん、立夏!
「…………」
ここは何が正解なんだ!?
「言っておくけど、いきなりやったわけじゃないぞ? ちゃんと最初は、アンプルだけで試したんだぞ?」
「うん」
「えーっと……初めてだったのか経験済みなのかは解らないけど……」
「初めて」
あ、そう。
…………。
いや、そうじゃなくて!
「あんなのただの施療行為だし、初めてにカウントすることないからな?」
「…………」
その後は、二人とも無言のまま駅まで歩く。
初めての口付けが、あんなどさくさの場面で、しかもポーション味って、最悪だよな。いや、そもそもキスですらないわけだし。
正直、俺のフォローが正解だったのかどうかもよく解らない。
でも、これ以上何かを言ったらド壷になる予感はする。
駅の前に着くと、また、立夏が俺の方を振り向いてジッと見る。
どこか焦点の合っていないようなぼんやりとした藍色の瞳。
もしかすると、あまり視力が良くないのか?
「あなたが、ノーカウントにしようが忘れようが、どうでもいい」
「うん」
「でも、私の初めてはあれだから」
「…………!」
どう返したらいいのか、すぐに言葉がでてこない。
「それだけ。じゃあ、またね」
そう言うと、立夏は背中を向けて駅の階段を上って行った。
またね、と言うことは、致命傷は避けられたと思っていいのか?
ただ、逆に言うと、致命傷じゃないってだけで、他にどんな意味があるのか、或いは何の意味もないのか、立夏の気持ちが全く解らない。
あんな出来事を大切な思い出にされるほど、普段から何か特別な感情を抱かれていたとは……この世界での記憶が欠落しているとは言え、ちょっと考え辛い。
しかし、あれが立夏の〝ファーストキス〟だと宣言することに何の意味がある?
或いは、特に何の意味も無い、いつもの気まぐれな発言?
「ねえ、何の話だったの?」
ポーチからリリスがこちらを見上げている。
「何でもない」
「もしかして……えっちぃ話?」
「うるさい黙れ。おまえには関係ない」
「あっ! そういう言い方するんだ!」
「って言うか、俺もよく解らないんだよ」
気が付けば、空はいつのまにか、立夏の髪のような夕焼けから、瞳のような宵闇に変わろうとしていた。
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