04.雫(いもうと)
気が付けば、隣室の
カーテンを照らしていた薄明かりもいつの間にか消えている。
俺も、ゆっくりと意識を手放しかける。
と、その時――――
誰かが、モゾモゾと俺の布団をめくる気配に
ハッと振り向くと、そこにはいたのは――――
完全に目が据わってる痴女……いや、初美だ!
慌てて初美に背を向け、壁に向かって身を固くするが、覆い被さってきた初美の顔から垂れた長い毛先が、薄闇の中で俺の頬をサラサラと撫でる。
故意か偶然か、パジャマのボタンも上から二つ三つ外れているようだ。
もし月明かりでもあったなら、下着も着けていないし乳房も見えていただろう。
「な、何してんだよ!」
「お手伝い……」
衣擦れの音と共に聞こえてきたのは、クロエ……ではなく初美の声だ。
「て、手伝い? 何の?」
「一人で処理……なかなかできない、って言ってたから」
「ど、どうやって!?」
「手でも口でも、何でも……」
おいおい、この肉食女子がほんとに、
普段より明らかに口数も多いし、口調も滑らかだ。
そもそも、初美はそういう経験があるんだろうか?
クソ親父、ワインに媚薬でも入れてたんじゃないだろうな!?
「ちょい待て! 間に合ってるから! 俺、自分の右手じゃないとダメなタイプなんだよ。な? 一回そっちに戻ろ?」
自分でも意味不明のセリフを吐きながら、背中越しに擦り寄ってくる初美を肘で押し返そうと試みるが、お構いなしに肉薄する初美。
俺の鼓膜を震わせるような初美の息遣いが、耳元を優しく刺激する。
この距離で迂闊に寝返りでも打とうものなら、それこそ唇でも奪われかねない。
監視委員がこれじゃあ、意味無いだろ!
鶏小屋をライオンに監視させてるようなものじゃねぇか!
やがて俺の背中にぴったりと体を密着させた初美が、腰から手を回して俺のアソコに手を伸ばしてくる。
「はぁうっ!」
勝手にヤル気になりかけてるムスコをパジャマの上から握られ、思わず口を
控えめな胸とはいえ、さすがにここまで密着されれば嫌でも背中越しに伝わってくる……小気味良く発達した双丘の感触。
いや、むしろ、起きてもらった方が助かるか!?
金縛りのように固まった俺の口元に、後ろから回り込むように初美の吐息が近づいてくる。
やばいっ! これは、マジでやばいパターンだ!
唇……奪われる……。
「チューですかっ!」
「うわおっ!」
突然、部屋に響いたメアリーの声に、金縛りだった体がビクッと反応する。
「
ね、寝言? 例の、トイレの夢か……?
“
金縛りが解けた体を動かして初美から離れる。
空いた隙間を使って寝返り打ちながら、痴女ハンドをムスコから引き剥がし、最後に両手で初美の体を押しやってようやく一息つく。
「と、とりあえず、一旦落ち着け痴女美!……じゃない、初美!」
「…………」
「今はお酒も入ってるし、こういうことは、シラフの時にちゃんと考えて、な?」
ス~、ス~、ス~…………。
ね……寝た!?
初美をそこに寝かせたまま、ゆっくりとベッドから脱出する。
暗闇の中で立ち上がり、ふうぅ~~~、っと漏れる大きな溜息。
リリスとメアリーは……大丈夫、目を覚ましてはいない。
で、でも……どうする?
初美を下に降ろそうとしてまた起きられても厄介だし、かと言って俺が交代で下で寝てたら、またクロエ辺りになんて報告されるか解ったもんじゃない。
それどころか最近は、リリスですらどうも疑いの目で俺を見ている気がする。
とりあえず今は、これ以上ロリコン疑惑を深めるような行動は避けた方がいい。
俺は最初に初美が寝ていた布団を抱えると、忍び足で隣室へ向かう。
廊下で寝るのもなんだかあてつけがましいし、とりあえず雫の部屋の空いてる場所にでも横にならせてもらおう。
◇
そっと隣室の扉を開ける。
やはり、雫はもうベッドに入って寝ているようだ。
俺の部屋に比べるとかなり狭いが、それでも人一人が寝られるくらいのスペースは十分にある。
中へ入ると、床に布団を敷き、静かに扉を閉める。
現代日本から転送された俺の部屋とは違い、妹の部屋は正真正銘、中世ヨーロッパ風の
最初にメアリー達と過ごした地底の一室を思い出し、ほんの三、四日前のことなのになんとなく懐かしく感じる。
朝起きたら雫には驚かれるだろうが、それでもロリコン認定されるよりはマシだ。
布団に入って横になると同時に、ベッドの上でモゾモゾと人の動く気配が……。
「あれ? お兄……ちゃん?」
「ああ、ごめん……起こしたか?」
薄闇の中、雫が、体に布団を巻きつけるようにして上半身を起こす。
「ああ、うん、大丈夫……まだ布団に入ったばっかり。ウトウトしてただけだから」
「そっか、悪かったな。……ちょっと、いろいろあって、今夜はここで寝かせてもらってもいいか?」
「構わないけど……なに、いろいろって?」
「何か、初美が酔っ払ったみたいでさ……ちょっと絡まれちゃって」
「ふ~ん……」
長年一緒にいたから解る。
雫が「ふ~ん」と言う時は、話にあまり納得してない時だ。
まあ、かと言って根掘り葉掘りしつこく訊かれるほど普段から会話が多いわけでもないし、都合の悪い時はこっちも黙っていればとくに問題はない。
「絡まれるって?」
「……え?」
「どんな風に絡まれるの?」
あ、あれ? 珍しいな……。
“ふ~ん” の後に、さらに質問をされるなんて、殆ど記憶にないんだが。
「なんか、初美が寝惚けてベッドに入ってきたり……って感じ」
「ふ~ん……」
また、少しだけ待ってみるが、それ以上の質問はないようだ。
「じ、じゃあ、そう言うことで……」
「ちょっと待って、お兄ちゃん」
布団に潜ろうとする俺を雫が引き止める。
「ん?」
「そこのTシャツ、取って」
雫の指差す辺りを見ると、白っぽいTシャツが椅子の背凭れに引っ掛けてある。
上半身だけ脱いで寝てたのか。
Tシャツを取って、「ほいっ」とベッドの上に放る。
「ありがと」
「いや、俺の方が押しかけたんだし……」
「…………」
「……何?」
「あっち向いててよ」
「あ、ああ、ごめんごめん」
薄暗くてシルエットくらいしか見えないが、兄妹とは言え雫も十五歳だしな。
そりゃ恥じらいもあるよな。
「なんか、こうやって同じ部屋で寝ながら話すの、久しぶりだね」
シャツを着終わった雫が再び話し始める。
「そうだな……小さいころはいつもこんな感じだったけどな」
「私が六年生くらいの時だっけ? 部屋を別々にしたいって言ったとき、お兄ちゃん、すっごく寂しそうな顔してた」と言いながら、雫がクスクスと笑う。
「そうだったっけ?」
顔に出てたとは思ってなかったが、確かに寂しく感じた記憶はある。
もちろん、
「自分で言うのもなんだけど、
「うん。可愛がってもらってた」
「だから別々にって言われた時は、嫌われたような気がして寂しかったんだと思う」
「お兄ちゃん、なかなかのシスコンだったもんね~」
「はは……」
シスコン……とまで言われると語弊はあるが、友達から聞かされるような兄妹間の話題と比較すると、平均よりもかなり妹を可愛がっていた兄だとは思う。
実際、友達からシスコンとからかわれたりしたことも何度かあったが、それを否定したこともなかった。
「別に、嫌いとか、そういうんじゃないんだけどね」
「解ってるよ。俺もちょうど、妹と同部屋なの、友達にからかわれてた頃だったし」
「へ~……。別に、そんなに珍しくもないと思うけど。そうなの?」
あ……やべ。
からかわれたのは
こっちの住宅事情じゃ、年頃の兄妹でも同部屋くらい当たり前なのか?
「ああ、いや、そういうことを言ってくるやつもいた、って話」
「ふ~ん……」
まだ、油断してると、時々
雫は特に、昔から妙に鋭いところがあるから、充分気をつけないと……。
「そう言えば、部屋にいるの、よく俺だって解ったな」
「そりゃあ、消去法で考えれば……お兄ちゃんくらいしかいないでしょ」
「そ、そっか……そうだな」と、思わず苦笑する。
「我慢できなくなって、可愛い妹に夜這いでもしに来たのかと思ったよ」
そう言ってまた、雫がクスクス笑う。
冗談なんだろうが、それにしても、兄妹で交わすにはちょっと不適切だろ。
「ばっか……そんなわけないだろ」
「そうよね。いくらなんでも、わざわざ初美さんが来てる時にねぇ……」
「いや、そう言う問題じゃなくて……兄妹なのに、ってこと」
「ん? 兄妹?」
「だっておまえ、妹にそんなことしたら、その……近親相姦じゃん」
薄闇の中、黙って首を傾げる雫のシルエット。
まさか……
「戸籍上はそうだけど……別に血が繋がってるわけでもないし」
「いやいや……そう言う、誤解を招く発言は気をつけた方がいいぞ」
「別に、外では言わないけど……でも、血が繋がってないのは本当でしょ」
「繋がってるじゃん! 異父兄妹だって充分繋がってるよ!」
異父……兄妹? と呟きながら、再び雫が首を傾げるのが解かった。
俺は、母の最初の結婚相手との間に生まれた息子で、雫は、母が今の親父と再婚した後に生まれた娘だ。
それは、
俺、また何か、間違ってること言った?
「お兄ちゃん……ほんとに、お兄ちゃんなの?」
雫の言葉に、一気に胸が苦しくなる。
久しぶりだ、この感覚。
以前
いや、あの時の何十倍も嫌な予感がする。
何か、取り返しのつかないようなミスをしてしまったんじゃないかという
「あ、あたりまえだろ……俺が、お前の兄以外の、何に見えるってんだよ?」
「そう言う意味じゃなくて……お兄ちゃんも、あの時一緒にいたよね?」
「あの時?」
「お父さんとお母さんが私たちの事を話してくれた時……。あれを聞いて、その場で私、部屋を別々にしよう、って頼んだんだから」
一体……なんの話だ?
しかし、あの時、二人で両親から何か話を聞くなんてイベントはなかったはずだ。
俺は必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
確かあの時、当時中学生だった俺が部活を終えて帰ってきた時、小学生の妹と両親が何か真剣な顔で話してたんだ。
どうしたんだろ? と不審に思ったそのすぐ後に、雫が俺と部屋を別々にしたい、って言い出したから……よく覚えてる。
と言うことは、もしかすると、
一体、なんの話だったんだ?
どんな内容だっけ? と気軽に聞いていいようなことなのか?
いや……さっきの雫の様子を見る限り、きっと違う。
絶対に忘れちゃいけないような話だったんだ。
とにかく今は、迂闊な質問も、適当な話も、これ以上はできない。
俺は、黙って雫の次の言葉を待つ。
少しの間、そんな俺の様子を眺めていた雫が、フゥ……っと諦めたように溜息を漏らし、ゆっくりと口を開く。
「私は、お父さんの連れ子でしょ? 私とお兄ちゃん、まったく血は繋がってないって……あの時一緒に話を聞いてたよね?」
◇
「おはようございます」「おあよぉ~」
ダイニングでコーヒーを飲んでいると、メアリーとリリスが二階から降りてきた。
メアリーがトタトタと階段を、リリスはブルーに跨ってカウガールメイドだ。
飛んだ方が速いと思うんだが……まあ、飽きるまでやらせておくか。
「おはよう……ございます……」
続いて、消え入りそうな声で挨拶をしながら降りて来たのは、初美だ。
顔色は……いつも通りだ。
頬が赤いが、アルコールで色づいた赤味ではない。
あたりまえだが、どうやら元の初美に戻ったらしい。
昨日の記憶はあるんだろうか?
まあ、無理にほじくり返すのはやめておこう。
忘れているならそれでいいが、仮に記憶が残っていたとしても、痴女美のことは忘れたフリをしておくのがお互いのためだ。
尤も……クロエが出ちゃったら隠し通せないか?
「紬くん、珍しく早いのね?」と、テーブルの上に乗ってリリスが訊ねる。
「あ、ああ、よく眠れなくて……」
「まったく、人がちょっと増えたくらいで神経質なんだから! ……で、このあと、どこに行くんだっけ?」
「今日行くのは、
テーブルに着きながら、リリスの質問に得意気に答えるメアリー。
「いよいよ、パパとメアリーのケッコンが正式に認められる日なのです!」
「いや違うから」
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