10.元気そうで安心したよ

「そんなことより、意外と元気そうで安心したよ」


 庭で剣術形の反復を再開した可憐かれんを、テラスの上から眺める。

 一束に結んだ長い黒髪が、可憐の頭の動きをトレースするように流れる様は、夏の陽射しの下でも凛として涼やかだ。


「うん……可憐は普段通りね。自宅謹慎って言っても夏季休暇中だし」


 紅来くくるも頬杖を付いたまま、庭に視線を戻す。

 遊びに来たからと言って特に何をするわけでもなく、ただ普段通りの可憐を眺める紅来の姿に、逆に二人の特別なよしみを感じる。


「謹慎……二週間だっけ?」

「そう言われてたんだけど、今日までになったみたい」

「へえ。そこまで処分が軽減されるなんて、何かあったの?」

「勇哉が、学校に事情を話して直談判したらしいよ」


 なるほど……。

 まあ、俺も勇哉の立場なら同じことをしただろうけどな。

 紅来も、勇哉の事を知っているということは、既にテイムキャンプでの出来事は聞いてるのだろう。


「紅来は、よく来てるの、ここ?」

「うん。家が近所なんだ」


 道理で、朝もよく一緒に来てるしな。

 元の世界にいる時は、朝練が多い剣道部に所属していた可憐だけ、始業ギリギリで入ってくることが多かったので気がつかなかったけど。

 この世界の可憐と紅来ふたりは、共に過ごす時間がかなり長くなっているようだ。


 形の稽古を終えた可憐がテラスに上がってくる。


「髪、下ろしてるところしか見たことなかったけど、纏めてるのもいいね」


 普段は、ストレートのロングヘアで大人びた雰囲気を漂わせている可憐だが、今は、ポニーテールのせいか少し幼く見える。


「そう?」


 興味なさそうに答えながら剣をウッドフェンスに立てかけると、「シャワー浴びてくる」と言って、そのまま部屋の中へ入っていく。


「私も纏めてるんだけど?」


 俺に後頭部を見せるように紅来がクルリと首を回す。

 何本か纏めた髪をさらに束ねてる……なんて言ったっけ、あの必殺技みたいな名前の……そうそう、クロスオーバーポニーってやつだ。


「紅来はいつも纏めてるじゃん」

「あぁ、はいはい、ギャップ萌えできないとダメってことですねぇ」


 紅来が、両手の平を上に向け、大袈裟に呆れたポーズを取る。


「別に萌えとかじゃないけど、たまに変化があると、おっ! って目を引くのはあるでしょ。可愛いと思うよ、紅来のそれも」

「うわぁ、でた! とってつけた褒め言葉!」


 また紅来が、今度は大袈裟に目を見開くオーバーリアクション。

 くりくりとよく動く大きな瞳がさらに際立つ。


「ギャップが目を引くなら、今日の立夏ちゃんなんていかがでしたか?」


 紅来が両手で、うやうやしく立夏を指し示す。

 ちょうど紅茶を口に運んでいた立夏と、カップ越しに目が合う。

 また、あの、少し焦点の合ってないような不思議な瞳。


 正直、これは反則だよな……。

 元の世界でも勇哉が夢のハーレムメンバーに選んだことから解るように、容姿はもともと図抜けているのは間違いない。


 加えて、今日みたいな出で立ちでもし告白でもされたら、そりゃ、断れる男なんてまずいないでしょうよ。

 おっぱい好きには物足りなそうな薄い胸も、俺はむしろ好みだし!


「おいおーい! どうしたぁ、見つめ合っちゃって?」


 ほんの数秒、言葉を探して固まっただけなのだが、紅来の突っ込みは見逃してくれない。

 せっかく話題を逸らしたのに、いつのまにかまた立夏の話になってる。


「はいはい。間違いなく今日の立夏は可愛い! それは認めるよ」


 下手にあらがうとさらにいじられそうなので、さっさと肯定する。

 その時、腰の辺りでシャツの裾を引っ張られる感覚に下を向くと、ポーチからリリスが顔を出している。


(お・な・か・す・い・た!)


 口パクだが、お馴染みのセリフなので直ぐに解かる。

 どうしたもんかな、こいつは……。


「リリス、上に乗せていいかな?」

「ああ、いいんじゃない?」


 紅来の言葉に、立夏も頷く。


「こんにちは!」


 テーブルに上げると二人への挨拶もそこそこに、さっそくお菓子を食べ始めるリリス。


「テイマーって、やっぱり、普段は使い魔を出しておかないもんなの?」

「…………」


 一応、立夏に聞いたつもりなんだが、返事がない。


「立夏?」


 立夏がびっくりしたように俺を見る。

 自分の兄がビーストテイマーだから質問されたのだと、ようやくそこで気が付いたようだ。


「人に……拠る」


 ってことは、出しておいても特別不自然ではないと言うことか。


「リリスちゃんみたいなマスコットは、出しっ放しの人も多いと思う」


 私、マスコットじゃないんですけど! と、両手の焼き菓子クッキーを振りかざしてリリスが抗議するが、口の中に詰め込み過ぎて何を言ってるのかよく解らない。

 立夏が説明を続ける。


「維持コストにもよるし、亜人系みたいにケースに入れられない魔物もいる」

「亜人系?」

「人間に近い魔物。維持コストも大量に必要だから使役する人はまずいない」


 多分ちびリリスの維持コストなんて、一晩寝るだけで、一週間出しっ放しにできるくらいの魔力は回復するだろう。

 メイド騎士リリスたんモードとの差が激しすぎる。


「お兄さんは、どんな感じ?」

「兄は戦闘特化系だったから……非戦闘エリアで出してたら法律違反になるような使い魔ばっかりだった」


 過去形? 今は一緒に住んでないのかな?

 と言うか、そんな法律があるのか! 良かった聞いておいて。


「ど、どんなのが法律違反?」

つむぎ、テイマー専攻のくせに覚えてないのか?」と、紅来が呆れたように俺を見る。

「ん~っと、ちょっとうろ覚えなので、確認のため……」


 と言っても、立夏だってテイマーって訳じゃないんだけどさ。


「原則、★5以上はアウト。★4も、一部の例外を除いてダメ。★に関わらず、人間に危害を与える能力のあるやつは取り締まりの対象になり得る」


 逆に、★に関係なく人への害がない使い魔なら、使役者テイマーズギルドや自警団の認可さえあれば居住区での召喚も可能らしい。


「聞いておいてよかったよ。実は今日、召喚テストする気でいたから」

「へぇ~! 何かテイムできたの?」


 紅来が俺の方に身を乗りだす。

 こいつ、無意識なんだろうけど、興味のある話になるとものすごく距離が詰まってることがあるんだよな。


「うん、この前のテイムキャンプの時、何の拍子か解らないんだけど、あのキラーパンサーがテイムできてたみたいで……」

「おぉ~、すごいじゃん! 確かそれ、★5だったんでしょ?」

「うん。だから、その辺で気軽に出してたらヤバかった」


 しかし、立夏が少し考えるように首を傾げる。


「多分……大丈夫」

「そうなの?」

「うん。……ケース、持って来てる?」


 ファミリアケースを立夏に渡す。

 おもむろにケースを開け、水色の宝石を一瞥する立夏。


「これは……大丈夫。なんなら、その辺りの芝生の上でも」

「ええ! あのキラーパンサーを、こんなところで!?」


 いくら使役契約を済ませたとは言え、立夏や可憐だって酷い目に合わされたモンスターだぞ? さすがにここで出すのは拙くないか?


「何の話だ?」


 部屋の中から、ノースリーブにショートパンツという出で立ちの可憐が、タオルで髪を拭きながらテラスに出てきた。


「お! リリスちゃん、こんにちは」

「こんにちは!」


 腕を上げた可憐の袖口から、白い脇がチラチラと見えて俺は思わず目を逸らす。脇だけならまだしも、乳房やその先まで見えてしまいそうな無防備さだ。


「可憐、可憐。その格好は刺激的過ぎて、純情少年が目のやり場に困るってさ」


 紅来が悪戯っ子のような表情で笑う。


「ああ、そうか……。ここに男子なんて来た事がなかったからな」


 一旦部屋に戻り、半袖のパーカーを羽織って戻ってくる。


「それにしても、チーターから純情少年とはまた、えらいイメチェンだな」


 可憐が嫌な事を思い出させる。


「そもそも、何でチーターって言われてたんだ? なんか、そう言うエピソードでもあったっけ?」


 戦闘準備室で、立夏が噂について言及したのを思い出して訊いてみる。


「エピソードというのは、聞いてない。ただ、周りがそう言ってただけ」

「うん。そんな感じ」


 立夏の説明に可憐と紅来も頷く。

 多分これ、ノートの精が、よく解らないからって根拠をすっとばしてイメージだけ付け足したんだろうな……。リリスも共犯だが、酷い話だ。


「そうそう、キャンプの時は、おかげで助かった。ありがとう」


 可憐の言葉に俺は慌てて手を振る。


「いや、俺なんてポーション配って回ってただけだし、お礼を言うのはむしろこっちだよ。ありがとう」


 立夏が手にしていたクッキーをテーブルに落とす。

 見ると、なんだか顔が赤い。


 ……そっか! ポーションであのこと・・・・を思い出したのか。

 なんだよ、全然意識しちゃってるじゃん!

 それを見てこっちまで顔が熱くなる。


「なんでそこの二人、赤くなってんの?」


 さすが紅来。こういうギクシャクはほんと、見逃してくれない。


「そう言えば昨日、二人でえっちぃ話、してたしね」


 横目で、ジットリとした視線を送ってくるリリス。


 ややこしくなるから、お前は黙っとけ! と、小声でリリスをたしなめるが、既に手遅れだった。

 ほ~らまた、紅来が身を乗り出してきた!


「何それ? 昨日も立夏と紬、会ってたの? って言うか、えっちぃ話!?」

「紅来! 距離っ!」


 紅来の両肩を掴んで押しやるが、また直ぐに戻ってくる。

 形状記憶けいじょうきおく紅来だ。


「なんだよ、えっちぃ話って。教えろよ~」


 俺の肩を掴んで激しく揺さぶる。


「昨日、塩崎信二しんじの見舞いにいって偶然会っただけだよ。えっち云々うんぬんってのは、このバカメイドの勘違いだから。……なあ、立夏?」


 立夏が、さっきより更に赤くなりながらウンウンと頷く。

 そんなんじゃ、全然疑い晴れませんよ立夏さん……。


「なんか、あれが初めてだったとかナントカ……そんな感じの内容だった」

「お前は黙っとけって言ったろ、リリス!」


 リリスがぺロリと舌を出す。

 どうやら、昨日の質問を俺が適当にあしらった報復らしい。

 もはや紅来の瞳孔の輝きは、網膜に仕込まれたサーチライトで照らし出されているほどの眩しさになっている。


 その時、さっきのお手伝いさんがテラスへ出てきて、俺たちの方へ声を掛けてきた。


横山紅来よこやま様。ご自宅からお電話で、早く戻られるようにと……」

「あぁー、くそ! せっかくいいところだったのに! 昼からどうしても外せない家の用事があるんだよな……」


 紅来が、右手で目隠しをするように、顳顬こめかみを押さえて天を仰ぐ。

 心の底から残念そうだな、こいつ。


「立夏! 今日の夕方、電話するから話聞かせてね!」


 イエスともノーとも答えず、無表情のまま目を逸らす立夏。

 紅来がテーブルのメモ用紙になにやらサラサラと数字を書き並べた。

 綺麗な字だ。

 書き終わると、メモ用紙を俺に渡してくる。


「それ、うちの通話番号。夕方五時以降にはいるから電話して。いろいろ聞きたいことあるから! そうそうそれと、呼び出す時は一応〝紅来様いますか〟って尋ねてね。じゃ、また!」


 紅来が慌ただしく席を立って帰っていった。

 通話? どう考えたって飛んで火に入るナントカだろ。

 って言うか、紅来様? 何様なにさまだよ!

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