05.買い出し係

「いい? 先っちょが赤い棒を引いた人が買い出し係だよ?」


 紅来くくるの別荘――

 キッチンに集まった十人が、優奈ゆうな先生を中心に車座になる。

 先生が両手で慎重に握っているのは、料理に使う串棒の束だ。

 キッチンにあったものを拝借して即製のクジを作ったらしい。


 少し前に紅来の家族も滞在したらしく、干し肉や腸詰、野菜など日持ちのしそうな食材を中心に残ってはいたが、ミルクや卵など補充したい食材もある。

 しかも、メンバーは十人と大人数なので、買出しの量もそれなりに多い。


「溺れかけて弱ってるのに……やっぱ俺もクジ引くの?」

「ろくに泳げもしないのに、あんな沖まで出てきたのは自業自得じゃん」


 グズる川島勇哉ゆうやを華瑠亜が冷たく突き放す。


 勇哉が水没した辺りの水深は二メートル程度だった。

 俺と歩牟あゆむが近づいてみると、勇哉は必死に海底を蹴り、エアーポンプのない水槽の金魚のように息継ぎを繰り返していた。


 とりあえず二人で勇哉の手を取り、足の届く場所まで引いて行ったのだが……。

 だいぶ海水を飲んだらしく、しばらくは苦しそうに咳き込んでいたのは確かだ。


「お前らも酷いよな。人が溺れてるのを笑って見てるとか!」


 勇哉ゆうやが、犯人を糾弾する刑事のように可憐かれん紅来くくる華瑠亜かるあを順番に指差す。


「笑っちゃいないよ。指フレームで見てただけだよ、川島を」


 時折顔だけ海面に浮かび上がる勇哉を思い出して、紅来がクスクスと笑った。

 他の二人もうつむいて肩を震わせている。


「なお悪いわ! ってか変なあだ名付けんな!」


 指フレーム越しにしっかり笑ってたけどな、三人とも。


「じゃあ……いい?」


 調理係の優奈先生と可憐を除いた八人が、クジ棒に手を伸ばす。


「せ~のっ!」


 先生の掛け声で一斉にクジが引かれる。

 色付きを引いたのは、華瑠亜、初美、そして――


 俺だった。

 まあ、残れば残ったで蒔割りだの風呂の準備だのって仕事が待ってるし、買い出し係がハズレとも限らないのだが……面子が微妙だ。

 華瑠亜と初美……上手く絡めるのか、この二人?


「華瑠亜。うららと変わってやったら? 買い出し係」


 初美のことを考えてこっそり華瑠亜に提案したが、嫌よ、と即座に断られる。


「私が調理や掃除なんて出来ると思う!?」


 まあ、そりゃそうだ。

 華瑠亜の部屋の、ゴミ屋敷一歩手前まで追い詰められていた惨状を思い出して嘆息する。


「それじゃあ俺が……」と言いかけて、それも華瑠亜に遮られる。

「買い出しに、一人くらい男手がいなきゃ困るかも知れないでしょ!」


 確かに、十人分だしそれなりの量にはなるかもな……。


「じゃあ、初美が誰かに代わってもらうか?」


 麗がいないと気まずいだろう? と考えての提案だが、しかし初美も首を振る。

 理由は解らないが、ただでさえまだ皆との間に壁があるのに、自分の我侭でクジの結果に従わないなどとは言い出し難いのかも知れない。

 俺としても少し初美に聞きたいことがあったので、偶然とは言え同じ買い出し係になれたのはちょうど良かった。


「因みに、この辺りのマナ濃度って、いくつなの?」と、華瑠亜が確認する。

「レベルG。二段階上の魔物まで出る可能性はあるけど、★2までね。それすら、すんごいレアケースだけど」


 紅来の説明に、買い物袋を用意しながら華瑠亜が二、三度頷く。

 レベルGと言えば、街の周囲と同じランクだ。

 別の言い方をすれば、超安全地帯ということになる。

 まあ、別荘地帯になるくらいだから当然と言えば当然なのだが。


「市場は、ここから海沿いに一キロほど北に行ったところだけど、そこまで一本道だし、大丈夫でしょ?」


 紅来のざっくりとした説明を聞いて、俺達三人は別荘を後にした。

 


               ◇


 午後五時。

 八月に入ったばかりのこの時間、夕方と呼ぶにはまだ早い。

 木々の隙間から、キラキラと光る藍色の海が見え隠れしている。


 そんな防砂林を横に見ながら、小石や松の葉が散らばる未舗装の道を、三人の人影がゆっくりと歩いていた。

 俺と華瑠亜が並んで歩き、その後ろを初美が付いて行く。

 華瑠亜と初美は、二人ともTシャツにショートパンツと言うラフな格好だ。


「そう言えば初美にさ、その魔具のことでちょっと聞きたいことあるんだけど」


 振り返って初美に訊ねる。


「ニャンだ?」


 クロエこいつ、出しておくのか……。

 極度の人見知りの初美に代わってコミュニケーションを取ってくれる使い魔なのだが、思ったことを何でも口に出してしまうのが難点だ。

 少し歩みを遅らせて初美に並ぶと、こっそり耳打ちで訊ねる。


(クロエ出してて大丈夫なのか? また、変なカミングアウトしないだろうな?)


 そよ風に吹かれて揺れ広がる黒髪の向こう側で、コクコクと頷く初美の顔がみるみると赤く染まる。

 まずい……顔を近づけ過ぎたか!?


「大丈夫にゃん! 話して良い事悪い事、ちゃんとクロエもわきまえてるにゃん!」


 そう言うことをわざわざ言ってる時点で、甚だ怪しいんだよ。


「何なの? 二人でコソコソと。いつの間にそんなに仲良くなったわけ?」


 華瑠亜が怪訝そうな表情を浮かべる。

 初美とのことで俺に恋の相談を受けたことがある立場だからな。

 まあ、いぶかしく思うのも無理はないか。


「先日、ちょっとな……」

「ちょっとって何よ?」


 意外と追求が厳しい。


「麗と三人で、ちょっと話す機会があっただけだよ。それだけ」


 なんか言い訳っぽいな。

 別に、華瑠亜に言い訳する理由はないんだが。


「でさ、その指輪の魔具のことなんだけど……」


 再び初美の方に向き直る。


「それってどこで手に入れられるの?」


 初美が、指輪を付けた左手を目の前まで持ち上げて、これ? と訊き返すように僅かに首を傾げる。


「それは、街の魔具ショップで買ったものにゃん。銀貨三枚だったにゃん」


 初美の代わりにクロエが説明する。


「それ、ちょっとだけ借りてもいいか?」

「ちょっとだぞ! あまり長い間使役者からの魔力が途絶えると、使い魔は実体化できなくなるからにゃ!」


 初美が貸してくれた指輪を、左手の小指にはめてみる。

 指のサイズが違うのでそこしか嵌められる指がなかったのだ。

 気のせいかもしれないが、なんとなく魔力が指輪を通して放出されているような感覚が伝わってくる。


「どうだ、リリス?」


 ポーチから顔を出して、何かを感じ取ろうとするかのようにリリスが目を瞑る。


「うん……。何か、感じるわ」

「何かって、何だよ?」

「MPが、私の意志に関係なく、流れ込んでくる感じ?」


 リリスが、胸に手を充てながら何かを探るように瞑想を続ける。


「いつものMPの感じじゃないわね。初体験だけど、多分……これがマナ?」

「なんだか曖昧だなぁ」


 さらにリリスは、お腹にも手を充てて眉をひそめる。


「慣れないことをしてたら……お腹がすいてきたわ……」


 もういいわ!

 指輪を外して初美に返す。


「で、どうなんだよ? 変換マナは、使えそうなのか?」

「量が少な過ぎて分からないのよ。現世界こっちの存在じゃないし、効率よくマナを使えるような体になってないの。せめてあと、五~六倍は欲しいわね」


 華瑠亜が、いぶかしげに俺とリリスを交互に見ながら訊ねる。


「なぁに? こっちの存在じゃないって……」

「ああ、いや、こいつ、外国暮らしが長かったみたいでさ。ジャパネスタのマナが合わないんだって!」


 言いながら人差し指でリリスの頭を小突くと、唇を尖らせながら頭をさする。

 俺への抗議のつもりなのか、三、四回大きな舌打ちも聞こえたが、無視だ。


「外国って、どこよ?」

「ん~っと……どこだっけな? アメリカ? イギリス?」

「どこよそれ?」


 現世界こっちでは外国も名前が違ってるんだろうか。

 そう言えば、日本以外の国って、どうなっているんだろう?

 さすがに華瑠亜のいる前でできる質問じゃないし、今度、麗か初美しかいない時にでも聞いてみるか。


 とりあえず今は、これ以上この話題には触れられたくない。

 クロエの方を向いて先ほどの話の続きをする。


「これって、もっと強力な仕様のものはあるの? 例えば、一気にそれの十倍くらい変換できるような……」

「そこまでのものは……聞いたことがないにゃ」


 そもそも、使い魔が使役者のMPを消費するのはコールコストと維持コストに使う分が主だ。

 この辺りのようにマナ濃度が低い地域でスキルを使用する場合も使役者のMPの言一部を消費することはあるが、強力な魔物が出ないのでそんな場面も殆ど無い。

 つまり、そこまで強力な魔具は必要ないのだと、クロエに続けて説明される。


 しかし、魔法やスキルの発動に大気中のマナを利用できないリリスは、使用する全ての魔力を俺のMPで賄う必要がある。

 やはり、メイド騎士リリスたんモードを使いこなすには、MPを全解放する六尺棍おれつえーは欠かせないと言うことか。


 とは言え――――

 せめて、クロエみたいに自由に飛んで動けるくらいのことはさせてやりたい。


「たしかその指輪って、MPを常時放出するタイプの魔具でしょ? 大量に変換できるようなのがあったとしても、身に付けるのは危険じゃない?」


 華瑠亜が、心なしか心配そうな表情に変わる。

 俺のMPがかなり高いことは知っているかも知れないが、さすがに万単位で調整されていることまでは知らないのだろう。


「大量に……と言う程ではにゃいが、宝石を誕生石にして人差し指か中指に嵌められるようにしつらえれば、多少はマシになるにゃん」


 誕生石――俺は六月生まれだから、ムーンストーンかパールか。


「じゃあ、初美はラピスラズリだから……十二月生まれ?」


 自分の誕生石ならともかく、石の種類から他人の誕生月までパッと出てくるなんて、現世界こっちでは一般常識なのか?

 華瑠亜の質問に初美は、答える代わりに黙って頷く。


「そっか、私と一緒だ! 私の誕生日、二十二日なんだ」


 ……そう言うことか。


「念のため言っておくけど、クリスマスプレゼントと誕生日プレゼント、絶対一緒にしないでよね」

「………」


 誰に言ってんだ華瑠亜こいつ!?

 独り言?


「紬、聞いてんの?」

「俺に言ってんのかよ!?」

「あんた以外に誰がいるのよ」


 初美の方を見ると、初美もびっくりしたように俺から視線を逸らす。


「あのね、初美とは今日初めて話したようなものなのに、いきなりプレゼントの話なんてしないわよ。しかも、私と同じ十二月生まれだし」

「一緒にするとかしないとかって以前に、プレゼントの予定自体が無いんだけど」


 それとも現世界こっちでは、単なる友達同士でもクリスマスや誕生日にプレゼントをあげたりするもんなの?

 こっそり初美に聞いてみるが、「そんなことないと思うけどにゃ……」と言うクロエの返事が返ってきただけだった。


 俺と同じ転送組の初美も、使い魔のクロエも、現世界こっちの習慣になんて詳しくはないんだろうけど……。

 そもそもこっちにもキリスト教とかあるんだろうか?


「じゃあ、仕方ないわね。十二月の部屋掃除、二回はタダでやってよね」


 バイト代、更にケチる気かよ。

 ……って言うか、 初美の前でその話題はまずくない!?


「部屋掃除?」


 今日初めて聞く、初美のアニメ声。

 少しだけ心が癒される。


「そう。紬にね、月に何回か私の部屋の掃除を頼んでるのよ。アルバイトで」


 俺がもう、初美に特別な感情を抱いていないと知って華瑠亜はペラペラと話すが、寧ろ心穏やかじゃないのは初美の方かも知れない。


「なに……それ?」


 また初美の地声だ。初美にしてはかなりお喋りだ。

 しかも、俺を刺すようにジットリと見据える眼差しもセットで……。

 さっき癒された心が次第に凍りつく。

 現世界こっちの感覚はよく分からないが、バイトとは言え一人暮らしの女子の部屋に定期的に通うと言うのは、前の世界向こうの感覚で見ればはやり不自然だろう。


「どういうことにゃん?」


 訊ねるのはクロエだが、もちろん初美の心を投影した詰問だ。


「どうもこうも……ただのアルバイトだよ。華瑠亜こいつ、掃除とか全然出来ないタイプみたいでさ。ほんとそれだけ」


 ちょうどその時、前方に市場が見えてきた。


「お! 市場が見えたぞ。早く行こうぜ!」


 華瑠亜を急かしながら、初美の咎めるような視線を背中に感じて、自然と小走りになる。

 思えば最近、クラスの女子と話す時はいつも、何かしら言い訳をしている気がする……。

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