第203話 一路平安(いちろへいあん)

 そして、旅たちの日を迎えた。


 僕たちは出発の支度をしてブーフヴァルト辺境伯領最南端の町【サファイラス】の正門に集まっていた。

 約束の時間にはまだ余裕があるが、時間前に来ておくのは商人……否、人としての基本である。

 共に旅をする予定の【フィデス商会】や他の商会の者もまだ姿は見えない。


「アルお兄ちゃん~、ブランお姉ちゃん~」


 すると、そんな僕たちのところにトテトテと駆け寄って来る鼠獣人の少女がいた。

 スラムで知り合ったエマちゃんだ。


 スラムの子がひとりでここまで来たのかとギョッとする。

 立場が弱い小さな女の子がフラフラと出歩いたら、人攫いや各種トラブルに巻き込まれてしまうんじゃないかと心配になったのだ。

 何せこの世界は、前世の日本とは異なり人権や安全が紙くずみたいなものだ。

 言い換えるなら、良からぬ思いを抱く者がそこら辺を闊歩してるのに、自浄能力が全く機能していない世の中だから。

 だが、そんな僕の心配は杞憂だとばかりにブランが僕の耳元でささやく。


「大丈夫。隠れて見守られてる」

「……ホント?」

「ん。あそことあそこ。気をつけないと気づかないくらいだけど、間違いない」


 ブランですら注意しないと分からないくらいの隠密行動なんて、どんだけ手練れなんだよって話だ。

 さすがは元東部辺境伯貴下の精鋭部隊出身者たちだ。

 僕には一切感じ取れないが、ブランがそう言うなら問題はないだろうと胸を撫で下ろす。


 そんなことを考えていると、僕たちのもとへエマちゃんがやって来る。


「お見送りに来てくれたのかい?」


 僕とブランは腰を下ろして、エマちゃんと視線を合わせながらそう尋ねる。


「うん。スラムのみんなも来たかったんだけど、せんせいやしんぷのおじいちゃんに止められたからアタシだけ。『まだ早い?』って言ってた」


 「先生」とはスラムを取り纏めている【黒羽族カラス】の【ヨルグ】さん、「神父のお爺ちゃんとは【パウロ大司教】のことだろう。

 そして、「まだ早い」とは、僕らとスラムとの繋がりを明らかにするのは時期尚早ということを言っているのだろう。

 エマちゃんの言葉をそう理解する。


「良い子、良い子」

「えへへ。ホント?」

「ん。かわいい」


 そんな状況にも関わらず、わざわざ見送りに来てくれたエマちゃんを撫で回すブラン。

 ひとりっ子だから、何かとお姉さんぶりたがる彼女は、年下の子を殊の外可愛がる傾向にあるが、エマちゃんのことはまるで本当の妹のように可愛がっていたので、こうして見送りに来てくれたことを誰よりも喜んでいるのだろう。

 その証拠に、ブランのモフモフの尻尾がバッサバッサと振れている。

 ううう……あの尻尾をモフモフしたい……。


「おやおや、スラムの子供に情を持っても、一文の得にもなりませぬよ~」


 すると、そんな僕たちのところへ、やたらときらびやかな衣装を身に纏った、恰幅のよい男が現れた。

 低い姿勢でいる僕たちを見下ろしながら、ニヤニヤと粘りつくような笑みを浮かべている。


「そんな小汚ない獣人を構うなど、所詮は田舎商会の護衛か……。だが、そっちの女は白狼族か……これは珍しい。どうだ女、私のところへ来ないか?可愛がってやるぞ」


 初対面であるにも関わらず、上から目線で語るだけでは飽き足らず、ブランにまで好色そうな視線を向ける男……コイツが【フィデス商会】の商会主【リー・フィデス】だろう。

 うん、コイツは敵だ。


 僕がそう結論づけている間も、このデブは何かとブランに話しかけているが、彼女は一切無視。


「ブラン、この人が何か騒いでるよ」

「豚の鳴き声しか聞こえない」

「豚ッ……、クッ、クククク……」


 あまりの物言いに、笑いをこらえきれなくなる僕。


「貴様ッ、下等な獣人の分際で何だその態度は!?」


 すると、ブランの言いように激昂したデブが顔を真っ赤にして、手にしていた杖を振り上げる。

 


 だが、その杖が振り下ろされることはなかった。


「まぁまぁ、そんな子供に本気で怒鳴ることもないでしょうよ」

「なぁっ!何をする!はっ、離せッ!糞ッ、なんて力だ!離せッ!」


 そこには、デブの首に腕を回して馴れ馴れしく話しかける男がいた。

 一見するとひょろっとした優男。

 金色の長い髪を背中でひとつにまとめ、タレ目がちな瞳は見る者に柔らかな印象を与える。

 だけど、この人はそれだけじゃない。

 細身の身体は無駄な筋肉を一切つけずに鍛えぬいた証だし、その青い光彩の双眸はこうしている間も油断なく周囲を警戒している。


 明らかな強者だ。

 それも、S級の冒険者である【神弓】カレナリエルさんや【深淵】ミネットさんに匹敵するほどの。


 ゴメンよロイド。

 火の竜ファイアードレイク以上の脅威がここにいたよ。


「ああ、これは申し遅れました。私は今回ご一緒する【タグリオーニ商会】の護衛で【キリアン】と申します。どうぞ、よしなに~」

「貴様がどこの誰かなど知るかッ!離せッ!糞ッ!糞ぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 ずるずるとデブを引きずっていく、キリアンと名乗った冒険者。

 彼は一瞬だけ僕たちの方に視線を向けると、片目をつぶって口元を上げる。


 ふう…………。


 僕はブランと目を合わせると、これからの多難な旅路に思わずため息をつくのだった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ようやく旅が再開します。

次回はアルたちが旅立った後のスラムの様子とバザーになります。

ようやく書きたかったお話です。

頑張って書きますので、これからもよろしくお願いします。



モチベーションにつながりますので、★あるいはレビューでの評価していただけると幸いです。


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