第186話 天佑神助(てんゆうしんじょ)
その男は名を【ヨルグ】といった。
かつては【オリガ・フォン・ホーベルク=ブーフヴァルト】辺境伯の右腕と呼ばれた男であった。
神算鬼謀に優れ、軍を率いては連戦連勝に導き、
そんな【
そんな彼に人生の転機が訪れたのは、今から5年ほど前のこと。
とある商会と敵国との繋がりを調査していた彼が、執務室から誘拐されたのだ。
後の調べで、これはとある商会に借金を作ったひとりの領軍兵の仕業と判明した。
品性下劣としてヨルグが閑職に飛ばしていた兵士による犯行であったのだ。
兵士の供述により監禁場所が判明し、救助に向かった辺境伯領軍の最精鋭【
漆黒の光彩を持つ双眸はくり貫かれ、黒檀色の翼は無惨にも引きちぎられた姿。
その四肢は強酸で溶かされ、全身には生命を蝕み続ける呪いがかけられていた。
「ひ……ひでぇ……。畜生ッ!どうして!どうしてこんなことに!」
彼を慕う兵士たちは、その惨状に涙を浮かべるのだった。
兵士たちが見付けた時には既に虫の息だったヨルグを、東部辺境伯は金に糸目をつけずに治療した。
九死に一生を得ることは出来たが、呪いは解除出来ないままで、その瞳も役には立たない上に、身体のあちこちには酷い障害が残るという有り様。
一見してヨルグに往時の働きを求めるのは不可能であった。
自身が辺境伯家のお荷物となっていることに気づいたヨルグはある日、辺境伯には何も言わずに領城から姿を消した。
ただでさえ内外に多くの問題を抱えている辺境伯に、これ以上負担をかけたくなかったのだ。
ヨルグは戦で怪我をした退役軍人たちと、サファイラスの町にあるスラムに移り住み、戦災で親を失った子供たちや、不幸な立場にいる者たちを守りつつ細々とした生活を送っていた。
収入源は、比較的身体が動く者たちご冒険者紛いのことをして稼いだ金や、どこぞの篤志家からの寄付。
町中の諍いの仲裁というのもあった。
本来は町の代官が判断すべき案件ではあるが、ブーフヴァルト辺境伯の部下は当然のように獣人が多く、彼らは考えるよりも腕力で解決する方を望むため、必然的に力がある者が正義とされがちになる。
そんなとき、弱者の立場に立って交渉をまとめるのがスラムの住人……否、ヨルグの仕事であった。
彼は光を失ったが、かつては軍師とまで称された知謀を用いて人々を守っていたのだ。
★★
先日、町を牛耳る商会から不利益を受けたという者を手助けしたせいで、酷く疲れてしまったヨルグは今、スラムの奥にあるボロ小屋で休んでいた。
このような姿になる前までは、何日徹夜しても、どこに出向いても疲れたことなどなかったのに、と自身の身体が思うようにならないことに苛立っているヨルグ。
いつまでこんなことをしていなければならないのか……。
カイウス商会は専横を極め、人々の怨嗟の声は留まることを知らない。
(いっそのこと武装蜂起して商会を潰すべきか……)
そんな物騒なことまで考えるヨルグ。
疲れて鬱々とした気持ちでいるからこそ、そんな考えが湧いてくるのだろう。
そうなれば、そんな非道を許した辺境伯家の評判が地に落ちてしまうと、改めて危険な考えを否定する。
と、そのときヨルグのボロ小屋の扉が荒々しく開かれる。
「
自分のことを
「ん?」
そこでヨルグは、ひとつ気になったことがあった。
―――ミゲルは喉を潰されて、会話が出来なかったのではなかったか?
「おい、ミゲル……」
疑問に思ったことを解消するために声を上げたヨルグであったが、その声はすぐ近くから聞こえた子供の声にかき消される。
「うわぁ、これは酷い。待ってて下さいね、すぐに終わりますから」
な、なん……だ?
ヨルグがこの場所には不釣り合いなほどに若くて快活な声に気を取られるとすぐに、どこか暖かくて安らかな波動が彼の身体を包む。
「うわッ!」
そして、それが何だったのかをヨルグはすぐに知ることとなる。
突然飛び込んで来た突き刺さるかのように眩しい光。
そのあまりの眩しさに、彼は両手で顔を覆うヨルグ。
―――
そんな至極当たり前の疑問を持ったヨルグが、顔を覆う手をゆっくりと動かすと、涙を流しているミゲルの姿が
「……………………はぁ?」
どうして見えているのか?
目はあの時間違いなく抉られたはずなのに。
眼前にナイフが近づいてくる恐怖がフラッシュバックするも、今はそれどころではない。
何が起きたのか理解できずに混乱しているミゲルであったが、そう時をおかずして彼の耳朶を子供の声が打つ。
「どうですか?
言うまでもなく、それはアルフレッドの声であった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いよいよ、カイウス商会への嫌がらせが始まります。
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