第195話 握髪吐哺(あくばくとほ)


「こんにちは。お嬢ちゃん」


 何やら企んでいる様子のパウロ大司教が、エトガー神父の墓に語りかけていたエマちゃんに声をかける。

 さすがに心配になった僕も、ブランとともにその後を追う。


「あっ、教会のおじいちゃん。こんにちは」


 大宴会……いや、炊き出しのときに僕が連れてきた教会の関係者だと紹介していたので、彼女もまたパウロ大司教のことは知っていた。

 こんなに小さいのにちゃんと人のことを覚えられるのは、頭がいい子なのだろう。


「死んだあともこうして大切にしてもろうて、エトガーも喜んでおるじゃろうさ」


 腰を屈めてエマちゃんと同じ目線になったパウロ大司教は、少女の頭を優しく撫でる。

 エマちゃんもどこか嬉しそうだ。


「おじいちゃんも神父さまのことを知ってるの?」


 エトガー神父の名を呼ぶときに、どこか親しみを感じる雰囲気だったことに気づいたのか、エマちゃんが尋ねる。

 すると、大司教はエマちゃんの頭を撫でていた手を放すと、そのまま自分の真っ白な髭へと移す。

 彼は長い髭をもてあそびながら、どこか遠くを見つめるようにしてその問いに答える。


「 エトガーとは……神学校の同期じゃった」

「しんがっこう?」

「ああ、神国にある学校でな。お嬢ちゃんくらいの年から、神さまのことを学ぶために通うのじゃ」

「神さまのがっこう?」

「ああ、そうじゃ。お嬢ちゃんは賢いのう」


 そのやり取りを見ていて、僕も思わすうなずいた。

 人の顔は覚えられるし、話の内容も一度で理解できるこの子は、すごく地頭が良いのだろう。

 だからこそ、エトガー神父から得た恩がいかに大きなものだったのかを、誰よりも理解していたのだろう。


「エトガーはな、昔から『このすばらしい神の教えを、いろんな人に伝えたい』と言っておってな……。学校を出た後も手紙のやり取りはしておったのじゃが、数年前からそれが途絶えて心配はしておったのじゃ……」

「神父さま……」

「まさか、同じ国にいたとは……。もっと詳しく調べさせていたらと思うと悔やまれる。せめて、ここまで困窮しとると知っていたら……」


 そう語る大司教の背中は、どこか寂しそうに見えた。

 すると、エマちゃんは手を伸ばしてパウロ大司教のツルツルの頭を撫でる。


「ありがと。おじいちゃんは神父さまのことを心配してくれてたんだね。でも、神父さまは自分だけでどうにかしたかったんだよ」

「…………えっ?」

「だって神父さまはが、いつもお話してくれてたよ。『友だちには偉い人もいる。そいつに頼めば何とかなるかも知れない。でも、そこに甘えてしまったらダメなんだ』って。そのお友だちっておじいちゃんのことなんでしょ?」

「……おぅ、おお。そうじゃ。あやつは偏屈者だったのでな。ワシくらいしか友だちはおらんかったはずじゃ」


 うっすらと涙を浮かべながら、ぎこちなく笑うパウロ大司教。


「きっと今は、神父さまも喜んでるよ」


 そう無邪気に笑いかけると、パウロ大司教も大笑いをする。


「ああ、ああ、そうじゃな。あやつはそんな男じゃ。ワシに連絡を寄越さなかったのは、自分で何とかしようとの気構えだったのじゃろう。そうか、そうじゃなぁ……」


 どこか憑き物が取れたような大司教は、ひとしきり笑い終えると、涙を拭ってエマちゃんに問いかける。


「のう、お嬢ちゃん。お主は教会で働くつもりはないかの?」

「えっ?それってどういうこと?」

「ワシらと共に、ソフィア神さまの教えを広めていかんか?」

「でも、私はじゅうじんだよ?」


 いきなり勧誘を始めたパウロ大司教だったが、エマちゃんは冷静だった。

 獣人はすべからく太陽神を崇めているため、さらに別な神を信仰するのは問題なのではというのだ。


「ホッホッホッホッホ、そちらは大丈夫じゃ。ソフィア様は非常に寛容な神様でな。他に信じる神がおっても構わないとおっしゃる。信仰とはあらゆる形があるものだとな。どこぞの自分だけを信じろと強要する神とは大違いなのじゃ」


 そう胸を張るパウロ大司教。


 そして、その言葉は嘘ではなかった。

 僕やブランが聖人に認定されている【神聖サンクトゥス教会】は、そのあたりが非常におおらかなのだ。

 どちらかと言えば、神社に初詣、葬式は仏教、クリスマスだけでなくイースターまで祝う日本人のような緩さに通じる神様。

 それが大地母神【ソフィア】様なのだ。


「そちらのブランちゃんは聖女様じゃし、ほれそっちのふたりもそうじゃ」


 パウロ大司教がお供のふたりを指差してそう告げる。

 すると、ローブを頭からすっぽりかぶっていたふたりがゆっくりとフードを外す。


「あっ!?」


 そこには犬耳の乗った顔。

 中年と言うにはまだ年若い神父とシスター、ふたりの獣人の姿があったのだ。

 

 正直、僕も驚いた。

 まさか、獣人の関係者を連れてくるとは。

 

 パウロ神父はこの機会に、獣人にまで信仰を広めようと計画したのだろう。

 実際に獣人の神父やシスターがいれば、ソフィア神の広量さを広めるには最適だろう。

 やっぱりこのお爺ちゃんは抜け目ない。


「このふたりも犬の獣人じゃよ。これからこのふたりが教会を運営するので、一緒にどうかのう?」

「それはホント?」

「うむ。それに教会に住めと言うのではなくてな。時間があるときでいいから、これまでのように教会に顔を出して欲しいのじゃ。そのときに、少しづつでもソフィア様の教えを聞いてくれればそれでいい」

「それだけでいいの?」

「ああ、それで十分じゃ。お嬢ちゃんのような子も耳を傾けてくれているという事実が欲しいのじゃよ」


 いろいろとぶっちゃけてる大司教だが、エマちゃんのように賢い子にはそれが正解だろう。

 変に隠し事をしないことが、理解を得るには最適だと。


「それは神父さまのためにもなる?」

「なる。さっきも言うたが、エトガーはいろいろな人に教えを広めることを生涯の目標としておったからのう」

「じゃあ、はたらく!」


 おそろしく早い回答に、僕はもっとよく考えたらと心配になるが、まぁ、このお爺ちゃんならば悪いようにはしないだろうと思い直す。

 まぁ、とにかく、ここにひとりの信者見習いが生まれたのだった。




 後年、ひとりの鼠獣人が、獣人の間に広く信仰を伝えた功績で大司教の位に就くことになるのだが、このときはまだ誰も知らない。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


幽霊編が長くなったので、これだけでひとつの章にします。

それに伴って、178話の文頭を削除しました。

御一読いただけると幸いです。



モチベーションにつながりますので、★あるいはレビューでの評価していただけると幸いです。


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