第69話 華胥之夢(かしょのゆめ)
「死ねやコラァ!」
豚男の戦斧が僕のアタマに振り下ろされる。
………………なんて考えてるのかなぁ?
いきなり豚男が襲いかかったかと思えば、戦斧を振りかぶったまま動きを止めてしまったことに、観客席の者たちはザワつく。
その中で、ブランだけは、また始まったとため息をつく。
「どうしたんだ?」
「何で止まってるのさ」
「急に襲いかかったかと思えば固まったぞ」
「あの小僧が何かしたのか?」
「?」
「何者だ、アイツ」
聞こえてくる観客の反応もなかなかですな。
コイツもそろそろ満足したかな?
僕は指を鳴らし、この世界では暗夜魔術にカテゴリ分けされる【幻視(イルジオン)】を解除する。
豚男は、勝利したと思い込んでいる夢の世界から、現実に引き戻される。
「おはよう。いい夢見れた?」
僕は、静かに笑いかける。
「なっ……」
豚男は、周りを見回し、自分が開始地点からほとんど動いていないことに驚きを隠せない。
「一体いつから……奇襲が成功したと錯覚していたの?」
「なん……だと……」
ついに、夢にまで見たセリフが言えた。
豚男くん、君はなかなかのかませ犬……いや、かませ豚っぷりを発揮してくれてるようだ。
僕は作戦が成功したことに、頬が緩むのを隠せない。
やっぱり、勝ち確からの現実引き戻しは、かなり効果があるな。
その証拠に、豚男は顔を青くしてプルプルしたまま動けない。
いや~、幻術ってホントにすごいな。
あの、藍◯惣右介やフェニッ◯ス一輝が多用したのも良く分かる。
もうね、現実に引き戻されたときの相手の表情が最高だ。
だが、このままでは豚男がただ突っ立ったままで勝負が終わってしまう。
それでは、僕の力を見せつけるために、圧倒的に勝つという目標が達成できないではないか。
「さあ、こいよ」
僕は短刀を持たない左手を前に突き出し、手のひらを天井に向けて指でクイクイと手招きする。
こちらの人には分からないだろうが、昔の映画で黄色いライダースーツを着た人がやっていたんだよ。
それでも挑発してることは伝わったらしい。
豚男が怒鳴りながら戦斧を振りかぶる。
―――が、遅い!!
Cランクってこんなものか?
これがもし、ゲオルクだったら、もう数度は斬り殺されているはずだし、父さんだったら、既に八熱地獄が目の前に迫っていてもおかしくない。
よく考えたら、僕らの訓練相手って異常だよね。
アクビが出そうなほど遅い動きの豚男の土手っ腹に、僕は回し蹴りを叩き込む。
もちろん、聖光魔術の【活性(レープハフ)】で身体強化した上での一撃だ。
豚男は修練場の壁に叩きつけられ、意識が飛びかける。
「待ってますから。早くしてくださいね」
僕はあえて追撃は行わず、豚男が体制を整えるのを待つ。
「くそッ、くそッ、くそぉぉおおおお!」
大男は口元の血を拭うと、戦斧を杖に立ち上がる。
その瞳にはまだ怒りの炎が燃えている。
「オラァ、死ねよ!」
豚男が戦斧を振り回し、僕に接近する。
「じゃあ、次は武器でいきますか」
僕は豚男の戦斧を全て短刀で受け流す。
別にこの程度のことなんて、肉体を強化するまでもない。
短刀で戦斧の角度をずらしてやれば、こんな大振りの攻撃など喰らうはずがない。
ディアナだったらコレに蹴りも加わるし、ブランならそのトリッキーな動きを予測することこそ困難だ。
鼻歌交じりに攻撃を受け流す。
それを数回ほど繰り返すと、豚男は僕との実力差にようやく気づく。
だが一度始めた決闘だ。
自分やクランのメンツもあり、そう簡単には負けを認めるわけにもいかない。
「くそッ、死ね!死ねぇ!」
やぶれかぶれになった豚男が、戦斧をメチャクチャに振り回す。
すると、僕の短刀が空を切った。
あれ……。
「ここだぁぁぁ!」
僕は豚男のフェイントに引っかかったようだ。
タイミングがズレた僕は、前のめりに体勢が崩れている。
「ガハハハハハ、死ねやあ!」
大男が戦斧を振り下ろす。
………………なんてな。
「また引っかかったようだね」
豚男は呆然と立ち尽くしている。
手の内がバレている幻術に何度もかかることなど、普通はあり得ない。
何故なら、身体がこれは幻術だと思い込むようになるからだ。
しかし、蓋を開けてみれば、豚男はまた幻術にかかった。
それが示すのは、はるかに高レベルな幻術であったということ。
そして豚男には、もはやそれを防ぐ術はないということでもある。
自分の攻撃は届いているのか、ホントに戦っているのかが分からなくなり、混乱しているのだろう。
さあ今度は、魔術を披露しよう。
僕が右手を高々と掲げると、一気に周囲の温度が下がり、無数の氷の塊が現れる。
八寒地獄第一獄【頞部陀(あぶだ)】
僕が復活させた、氷雪の最上級魔術のひとつ。
八寒の名前どおり、8種類の最上級魔術で構成される。
シュレーダー辺境伯家が誇る八熱地獄と対になるこの魔術は、どういった経緯で生まれたのか想像できない。
実際に八熱地獄という例や過去の文献があったからこそ、僕はのこ魔術を復活(……と言っていいのかも分からないが)させることができたが、最初にこの魔術を使いこなした人は、どれほど想像力が豊かだったのだろうと感服せざるを得ない。
何しろ、元日本人という記憶を持ち、テレビや映画のコンピューターグラフィックスを見た経験がある僕ですら、なかなか想像ができないほどの魔術だったのだから。
案外、言い伝えのとおり、神に授けられたというのも正解なのかも知れない。
そんなことをボンヤリ考えていると、魔術の準備が整ったようだ。
豚男の周囲を無数の氷の礫が取り囲む。
豚男はその圧倒的な物量に恐怖する。
「あ……あぁぁぁぁぁ…………」
そして、僕の魔術を見た観客席も静まり返る。
無詠唱による魔術展開。
しかも、明らかな上位魔術。
魔術に造詣がある者ほど、その異常性に驚愕を隠せない。
「これで終わりだ」
同時に無数の氷の礫が、豚男に殺到する。
「ぶっひゃあああ!もう……もう、止めてくれぇぇぇぇぇ!」
豚男が無様に泣き叫ぶ中、無慈悲に氷の礫が降り注ぐ。
修練場の砂煙が晴れると、そこには頭を抱え、修練場に泣きながら蹲っている豚男の姿があった。
わざと外したので豚男に氷の礫は当たっていない。
だが豚男は子どものように泣きじゃくり、失禁までしていた。
誰かが、ボソッと呟く。
「アイツ終わったな……」
そしてそれが決闘の終了の合図となった。
修練場には、大勢の観客の歓声が響き渡る。
僕はその歓声を背に、修練場の出入口に向う。
―――と、修練場に燃え盛る炎の玉が投げ込まれた。
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