第29話 万死一生(ばんしいっせい)

 地竜【グリーンドラゴン】紛れもなくこの世界の生物の頂点だ。


 前世で言えば蜥蜴をやたらと大きくしたものに近い。


 翠緑に光る僕のアタマほどの大きさの鱗が、びっしりと体表を覆い、生半可な剣では傷すら与えることが出来ず、たいていの攻撃魔術にも強い耐性を持つ。


 転生して、こうして対峙することさえなければ、その雄々しい姿に感動を覚えていたかも知れない。


 だが、今はその姿が死を招く使者にしか感じられなかった。


「ひいいいい!あっちいけ、あっち!」


 廃坑の入口に叩きつけられたエドガーは、ケガがひどく、もはや自分で立ち上がることもできないようだ。

 見ればその足があらぬ方向に向いていた。


「来るな!来るなあ!あっちの女の方が……ぎゃあああ!!!」

 

 エドガーは、廃坑から姿を現したドラゴンから距離を取ろうと後ずさりしたが、すぐに追いつかれ地竜の大きな口にひと飲みされた。


 ガリッゴリッとエドガーを咀嚼する音が、離れている僕のところにまで聞こえて来る。


「ブラン、プレセア先生、逃げて!」


 僕は必死にそう叫ぶ。

 僕なんかのためにその命を散らすことがないんだ。


「ククククク、いい声で哭きますねぇ。それでこそ、あの御方の要求に応えられるというものですよ」


 すると、トーマスが僕の隣で哄笑する。


「さあ、いよいよ。メイドたちが喰われる番ですよ」

「ブラン、逃げろ!逃げてくれ!」


 僕は何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


 だが、ブランは震える足で立ち上がると、腹に刺さったナイフを引き抜く。


「ブラン!やめろ、このままじゃ出血が止まらなくなる!」

「……だっ、大丈夫。私はお姉ちゃんだから、アルは守る……」


 ナイフを右手に持ったブランは、そのまま地竜と戦うことを選択したのだ。


「【突風(インペトゥス・ウェンティ)】」


 詠唱を終えたプレセア先生が風魔術を地竜に放つ。

 

 ―――が、翠緑の鱗に弾かれて霧散する。


「痛っ、畜生!これでもダメかあ……」


 プレセア先生も魔術で反撃することを選んだようだ。


「ただじゃ、死んでやらないからね」


 そう言った彼女も覚悟を決めた顔をしていた。


 僕も魔術で援護しようと、詠唱を始めるとトーマスが脇腹を蹴りつける。


「おおっと、手出しは無用ですよ。無惨に死なせてあげなさいよ」


 嗜虐的な笑顔で見下ろす執事長に殺意を覚える。

 だが、今の僕はあまりにも無力だった。


 何で僕はこんなことをしてるんだ?

 どうして僕はブランたちを守ることが出来ないんだと、自分を責める。

 何とか助かって欲しいと祈ることしか出来ない自分が情けなくて、涙が溢れる。


「おやおや、泣き落としですか?だめでーす。絶望してから死んでもらわないと」


 そんなトーマスの言葉が重くのしかかった。



 ブランは速さで地竜を撹乱しているが、顔が青白くなっており、出血が限界を迎えているのは明らかだった。


「逃げろおおおおお!!」


 僕は力の限りそう叫ぶが、ブランたちは最後まで戦い抜くつもりのようだ。

 

 だが、出血によるリミットはだんだんと近づいていた。

 最初にブランが緑竜の前足で吹き飛ばされる。


「かはっ!」


 背中をしたたかに打ったブランは、腹の傷もありもう立ち上がれない。


「【突風(インペトゥス・ウェンティ)】!」

 

 ブランに近づく緑竜に、プレセア先生が再び魔術を放ち緑竜の意識を自分に向ける。


「死ぬのは年長者からって決まってるんだよ」


 そう自嘲するプレセア先生。



 だが、事態はさらに悪化する。


「ヒャハハハハ!見なさい、もう一頭出てきましたよ。豪華な処刑てすね。見てみなさい、メイドたちを取り合いするようですね」


 そこに、廃坑からもう一頭の緑竜が現れたのだった。


「あっ…………」

「!!」

「これで終わりか……」


 僕達は思わず言葉を失う。

 一頭でも絶望的だったのに、さらにもう一頭。



 だが、あきらめないブランはもう一度立ち上がる。

 もう、前に進むことすら出来ないのに。


「アル、さようなら……」


 ブランがそう言い残して緑竜に近づいていく。


「ブラン、ブラン!」


 僕は何度もブランを呼び続ける。

 だが、彼女の歩みは止められない。



 クソッ、何でこんなに無力なんだ!


 転生して僕はどこか特別なつもりをしていた。

 前世の知識を披露して得意気になっていたが、蓋を開けてみれば何も出来ない。


 やり場のない苛立ちが自分を苛む。



 そんなとき、ブランの姿が転生する前に炎の中から救った少女と重なる。

 あの子もブランも、死を前にしても取り乱すことはなかった。


 ―――だが、そこにあるのは諦観。



 オレは、そんな顔をさせるためにレスキューになったわけじゃねえ!

 力が無いなら絞り出せ!

 

 こんなバットエンドは絶対に認めねえ!


 考えろ、何か出来るはずだ!

 あんな蜥蜴どもに自由にさせてたまるか! 


 力が、力が欲しい!

 神様、ホントにいるんならこの身はどうなってもいい。

 ブランたちを助けられる圧倒的な力を!


 オレがそう考えたとき、真っ先に思いついたのは、父さんが見せてくれた秘奥魔術だった。


 あのとき見た力は、今でも夢に見るほどだ。

 だが、あれほどの魔術でなければ、この蜥蜴どもは殲滅出来ないだろう。


 オレにとっての力の象徴。

 それが父さんの魔術だった。


 そう考えたとき、オレの身体から何かがゴッソリと抜けおちる感覚がした。


「えっ?」


 その光景を見たオレは、あまりのことに信じられずにいた。





 蜥蜴たちの頭上には、数多の炎の塊による壁がそそり立つ。

 その炎の塊は一発一発が溶岩並みの熱量を持っており、これだけ離れていても熱が伝わってくるほどだ。


 そこには、【八熱地獄】第一獄【等活とうかつ】が展開されていた。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る