第四部 冒険稼業(ぼうけんかぎょう)
第73話 青雲之志(せいうんのこころざし)
甘い香りと柔らかな温もりに包まれて、目を覚ます。
目を開けても視界が塞がっていたので、どうしたのかと思い、そっと起き上がろうとするが、ガッチリと頭を抱え込まれており、身動きが取れない。
昔から一緒に寝起きしていた僕は、またブランに抱きしめられているのだと悟る。
子どものころ(今でも子どもだが……)ブランは僕を抱き枕のようにして寝るのが日課だった。
久しぶりに一緒にベッドで寝たが、ブランが昔から変わっていないことに少しだけほっこりする。
だが、昔と違い今のブランはちょっと力が強すぎる。
ブランに頭を抱え込まれた僕は、何とか起き上がろうとジタバタする。
しばらく僕がベッドで足掻いていると、ようやくブランが目を覚ました。
「……ん。おはよ」
ブランが起きたことで、僕もようやく解放される。
寝起きのブランは、普段と違った可愛らしさがある。
その髪はひどい寝癖で、頭の後ろの髪ががピョコンとはね上がり、着ているパジャマはお腹の部分がめくれて白い肌とおへそがのぞいている。
僕はそんなブランのパジャマを整えてあげながら、苦言を呈する。
「おはよう。でも、もうそろそろ、僕を抱き枕にするのは止めてくれないかな」
「それは無理。私の安眠に不可欠」
僕のささやかな抗議も、ブランにはあっさりと却下される。
ブランは一度言い出したら聞かないことは分かっているので、それ以上強く言えない自分が恨めしい。
「とにかく、準備をするよ」
「……分かった」
まだ半分寝ぼけているが、ブランはふらふらと脱衣場に向かう。
その姿を見届けた僕も、バッグから着替えを出して着替える。
ついに今日から冒険者デビューをするかと思うと、心が逸る。
着替えをしていて、僕はふと思いつく。
あれ?
そういえば、さっきまで僕はどこに挟まれていたんだ?
宿の食堂で軽めの朝食をとると、僕たちは宿を出る。
もちろん出がけに、今日の宿を予約しておくのは忘れない。
「二部屋ですね?」
「はい、二部屋でお願いします」
「むむ」
「何と言おうと、今日からは別々の部屋だからね」
「むむむ」
正直なところ、前世でもめったに見ないほどの美少女と同じ部屋で過ごせるなんて、嫌なはずがない。
だけど、一番無防備になるときまでブランと一緒にいると、非ロリコンの僕でもその可愛らしさに判断を誤って、良からぬことをしてしまいかねない。
ブランは不満そうだが、ここは譲りません。
部屋を分けるのは当然の措置だな。
そして僕らは宿を出る。
…………が
「ん?」
「トイレ……」
ブランが慌てて宿に戻る。
緊張してるのかな?
でも、ブランさん、きちんと宿を出る前に済ませておきましょうね。
いろいろあったが、僕たちは再び冒険者ギルドの両開きの扉を通る。
さあ、ついに初クエストだ。
クエストは、受理できるランクごとに分けられてギルドの掲示板に貼られている。
冒険者は、それぞれ自分のランクに応じたクエストを選ぶわけだ。
基本的には自分のランクと同等のクエストを受けることを推奨されている。
それは冒険者が身の程を知らずに高クエストを受けて、依頼に支障がでないようにするためである。
もしも、Fランクの冒険者がAランクのクエストを受けて失敗すれば、改めて他の誰かがクエストを受け直すようになる。
すると、そこに解決までのタイムラグが生じてしまう。
その中には、すぐに解決しなければ滅びてしまう村もあるだろう。
あるいは、すぐに対応しなければ潰えてしまう商会もあるだろう。
ゆえに、ギルドはクエストの失敗に違約金という制約を設けることで、下位ランク冒険者が身の丈に合わないクエストを受けることがないように調整しているのだ。
実際、過去には低ランク冒険者が身の程をわきまえずに、高ランクのクエストを受けた結果、依頼者であるとある村を巻き込んで命を落としたケースもあったらしい。
僕とブランが掲示板に向かうと、先輩冒険者たちがギョッとして道を譲る。
おおっ、前世でモーゼが海を割ったように、僕らの前にも道が出来る。
「おい、アイツらだ……」
「【無詠】はどっちだ?」
「あの赤い頭だ。すると、もうひとりが【獣魔】か?」
「赤頭はまだガキじゃねえか」
「獣魔タン、ハアハア」
同時に、周囲の噂話が耳に入る。
昨日、ある程度の力を見せつけたので、誰も絡んで来ないのはありがたいが、遠巻きに噂をされるのはあまり気分が良くないな。
「殴っとく?」
「いやいや、大丈夫」
「でも、アルをバカにした」
「ホントに大丈夫だって」
「むう」
ブランが頬を膨らませて怒っているが、僕は苦笑いをしながらその柔らかなホッペをつつく。
するとホッペから空気が抜けて、いつもの可愛いブランの顔に戻る。
「何をする」
「怒ってくれてありがと。でもブランは笑っててくれた方が僕は嬉しいかな」
「むう」
僕がブランを宥めると、彼女は多少表情を和らげる。
誰かが先に怒ると、自分は冷静になれるというのは本当のようだ。
僕はまだ不満げなブランの手を引くと、掲示板に向かう。
「ほら、早く行かないと、クエストが無くなっちゃうよ」
「……仕方ない」
僕たちが受けられるFランクのクエストは『常設クエスト』と呼ばれるもので、薬草の採取や街の雑用が大半だ。
しかも、この常設クエストをまんべんなく10回ほど達成しなければ、Eランクの昇格試験が受けられないらしい。
おそらくだが、これには駆け出し冒険者の訓練や顔見せ的な意味合いが強いのではないかと思う。
まずは冒険者の仕事がどんなものかをある程度体験させ、そのついでにクエストを通じて街の人々とも良好な関係を築けるようになっているのだろう。
前世で言うところの教育訓練やチュートリアルといった感じだろうか。
これが『本当の冒険者はEランクから』と言われる由縁なのだろう。
Fランクの掲示板には、薬草の採取や側溝の掃除など数々の依頼が貼られている。
「よし、全部、今日中に終わらせるよ」
「うん」
僕たちは目につく依頼書を片っ端から剥がす。
「おい、アイツらバカか?」
「ハハハ、違約金まみれになっちまえ」
そんな陰口が聞こえるが、僕らは気にしない。
依頼書を持って受付のカウンターに向かうと、カウンターの奥の方から声がする。
「アル君とブランちゃんはこっちで~す」
そこでは、眼鏡の受付嬢のリリーさんが手を振っていた。
リリーさんに連れられて別室に入った僕たちは、わざわざ場所を変えた理由の説明を受ける。
「ギルドでは、将来有望な冒険者にだけ、専属の受付嬢が対応することになっています」
「へえ、それは知りませんでした」
「私も」
「そうなんです。めったに利用されない制度なんです。まあ、登録前にCランク冒険者を叩きのめす人なんて、まずいませんからね」
「いやあ、それほどでも」
「分かればいい」
僕たちというか僕が認められたのが嬉しいのだろう、ブランの白いシッポが大きく左右に揺れているのが見える。
「そこで、私があなたたちの専属になりました」
「そうですか、よろしくお願いしますね」
「よろしく」
「それじゃ、早速お仕事しちゃいますか。アル君たちは何のクエストを受けるんですか?」
「これをお願いします」
「え?」
僕が依頼書の束を提出すると、リリーさんが驚く。
「こんなに?今ならキャンセルも可能ですよ」
「大丈夫です」
「初めてだから知らないと思いますが、依頼を達成できないと違約金が発生します。Eランクのクエストですから、ひとつひとつはそこまで金額は多くありませんが、ここまで件数が多ければ大変ですよ」
そう心配されたが、僕はニッコリ微笑んで断言する。
「大丈夫ですよ。僕たちは早くランクを上げていくつもりなんです」
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