思想犯罪者279502号

「判決。被告カイト・クラウチを追放刑に処する。禁固期間は七千日」


 背後でのざわめきと、怒鳴りつけるような静粛にの声。不当だと叫ぶ男と、何かを殴るような音。

 それらを無感動に聞きながら、カイトはぼんやりとその判決を受け入れていた。


***


 民衆が政治に求めるものが、本質的にどう自分を甘やかしてくれるのかという点だけに特化するようになって随分経つ。つまるところ、現代とは自分以外のあらゆる他者に対して人々が興味を失った時代と言えるのかもしれない。

 カイト・クラウチは、ある政治結社の象徴となるべく育てられた。

 極めて健康であり、精神的、肉体的才能に最もバランス良く秀でている。すなわち誰よりも優れた人間こそが、世に諦観の安寧を植え付ける現代政治を打破する新しい『指導者どくさいしゃ』として立つべきだという理念。

 そんな思想を備えた『秘密結社』とやらが、指導者の雛型として育てた中の一人がカイトである。

 何が基準で選ばれたのかは今でも分からないが、彼は家族から少なくない金額で小さいうちに売り飛ばされ、結社の中でそれなりに大切に育てられた。

 幾度となく続く試験を経て、『最終候補』二人のうちの一人に選ばれた少年は、結局は『指導者』として立つ前に当局に逮捕されたのだった。


「ま、死刑にならなかっただけ幸運だね」


 カイトにしてみれば、ちょっと行き過ぎた感じの塾で偏り気味の教育を受けただけという印象しかない。彼らの宗教的ともいえる政治思想には内心で辟易していたし、特にそれを受け入れた覚えもなかった。明確に否定したこともなかったから、状況に流されたことが罪だと言われれば受け入れる他はないが。

 判決が読み上げられている間、特に望んでいたわけでもない独裁者などをやらされなくて済むことにむしろ安心したものだ。

 七千日ということは十九年と少し。四十手前で社会に放り出されるのは勘弁して欲しいなあと、裁判官の話を聞き流しながら考える。せっかくだから倍にならないかな。


『クラウチ君、済まない。君のような若者に一人責任を背負わせてしまう』

「気にしないでください。望まない役割を無理くりやらされるよりは遥かにマシな状況ですよ」

『不思議なものだ。もしもこんな出会いでなければ、君はきっと私の後継者に……いや、これ以上は言うまい』

「息災で、閣下」

『君がこれから送られる個人監獄では、出来るかぎり快適に過ごせるように手配してある。総帥という立場にあっても、私の裁量ではこれが限度だ。許して欲しい』

「それが一番嬉しいです。本当にありがとうございます」


 不思議なことに、現行政権の最高責任者である総帥とは裁判の前後から親しくなった。判決が出るまでと出てから宇宙に追放されるまでの間、カイトの生活の水準が悪くなかったのは総帥閣下の尽力によるものが大きい。

 一方でカイトを育てた組織は相変わらずのようで、次の指導者候補とやらを探し出して育てているようだ。どうやら自分の救出作戦は検討すらされていないか、検討されたものの早期に却下されたらしい。

 その話を他でもない総帥から聞かされたカイトは、泳がされている彼らを哀れに思ったものだ。同時に、自分という存在が社会のガス抜きに活用されたのだとも理解する。

 なるほど、ただ勉強して体を鍛えていただけの穀潰しも、何やら世の役に立てたらしいと思えば少しばかり誇らしかった。


***


 判決から程なく、カイトは自分の監獄ごと宇宙空間に放り投げられた。それは彼が特別なわけではなく、追放刑の受刑者は全員が同じ境遇をたどる。

 思想犯罪者279502号。それがカイト・クラウチに与えられた新しい名前だった。


「初めまして、ミスター・クラウチ。私はこの場所でのあなたの生活を管理する刑務官です。宇宙空間での精神・物理的なあなたの健康に配慮するとともに、この監獄における生命維持装置の管理機能も備えています。私を破壊することは非推奨行動であると提言します」


 直径三十センチメートルほどの、球体。

 どうやらこれが今日からの人生のパートナーであるらしい。

 結局刑期を倍に伸ばしてもらうことは出来なかった。つまり、四十前で路頭に迷うことが既定路線となったわけだ。どうしたものか。


「この挨拶が終了した時点で、ミスター・クラウチは受刑者として番号で呼称されることとなります。これは仕様ですのでご容赦ください。では受刑者279502号、これからの期間を実りある時間にしましょう」


 この刑を受けた者のほとんどにとっては、その言葉は痛烈な皮肉だっただろう。

 だが、カイトにとっては決してそうではない。彼は地上で随分と疲れていたのだ。人の思惑や勝手な思想に巻き込まれるくらいなら、たった一人の宇宙空間は望むところですらあった。ひとまず先のことは考えずに、これからの独居生活を楽しむことだけに意識を切り替える。


「本当だね。今日からよろしく、刑務官殿」

「……イエス。受刑者279502号、何か質問はありますか」

「うん。まずはこの場所での禁止事項について教えて欲しい」

「禁止事項はいくつかあります。まず、地上の情報を知ることは原則禁止です。申請を出せば検閲ののち情報をお渡しすることは可能ですが、メールのやり取りなどは不可能だと理解してください」

「了解。おそらく申請は出さないだろうから気にしないでくれるかな」

「そうなのですか? これまで受刑者の百パーセントが地上の情報を求めています。もしも必要になりましたら申請ください」

「分かったよ。他には?」


 刑務官は実に事務的に、禁止事項を羅列していく。この監獄へのハッキングの禁止、監獄の操縦スペースへの侵入禁止、監獄の物理的破壊の禁止、そして自傷行為と自殺の禁止。

 監獄の物理的破壊と自殺は同じ意味ではないかと聞くと、刑務官はどう違うのかを教えてくれた。


「残念ですが医療行為を理由とした地上への帰還も認められません。各種疾病の罹患などについては、医療技術をインストールされておりますので私が対応することになります。医薬品も私が地上から取り寄せますので、自傷行為や自殺未遂などで地上に戻ることは出来ないとご理解ください」

「つまり、自傷行為の治療を理由に地上に戻りたがった先輩が過去にいたんだね?」

「その通りです」


 一応、刑期満了前に地上に戻れる場合もあるようだ。

 ひとつは、偶発的な事故。小惑星との衝突などが該当するとか。破壊あるいは回避行動は刑務官の方で行うのだが、失敗した場合や規模の関係で回避しきれなかった場合には地上への一時帰還が認められるらしい。ハッキングの禁止というのはここにひっかかるからだろう。

 とはいえ、衝突などしたら帰る前にお陀仏ではなかろうか。

 と、考えにふけっている間に刑務官からの説明は終わった。


「ひとまず説明は以上です。当監獄では受刑者の精神的な安定のために、お渡しするタブレットには一定の範囲で娯楽作品などを楽しむすることが出来ます。なお、模範囚に対してはその範囲が拡大することもありますので、ご留意ください」

「おや、それは嬉しい」

「ひとまず事前の申請により、西暦年間に出版された古典から最近までの文芸作品についてはプリインストールされております。それ以外の出版物については別途申請を――」

「刑務官殿」

「――なんでしょう?」


 この辺りも総帥殿の手配りだろう。彼とカイトを最初に繋いだものは、何と言っても趣味が同じだったからだ。

 目をきらりと輝かせながら、刑務官殿の言葉を遮る。


「出版されていない作品なんかは手に入るかな?」

「非売品ですか? 検索をかけてみようとは思いますが、見当たるとは限りません。何かご希望がありましたら仰ってください」

「MOAI・九重先生の『シノビブレイド』はどうだろう?」

「……該当作品はデータベースに存在しません。ネットワーク検索を申請されますか?」

「もちろん。頼むよ!」


 カイトは捕縛される前から、ネットワークの奥底に沈んでいる西暦年間のテキストデータを探し出して読むのを趣味としていた。

 総帥閣下は古典の出版物を好んでいたが、カイトは若いからかよりディープなものまで好む。

 出版されなかったものの中にも、アングラには多くの名文が埋もれていたりするのだ。


「いやあ、退屈しないぞこれは」

「楽しそうで何よりです」


 刑務官の声は、機械的ながら心なしか呆れたような響きを持っていた。


***


 人間の一生において、読める活字の量は残念ながら限られている。生きている間に全ての名文を読むには時間が足りず、そしてそれだけに人生を費やすことはほとんどの人間に許されない贅沢だ。

 カイトはその限られた一生の中で、誰にも邪魔されることなく読むことに時間を費やす権利を得られたと、囚人生活を前向きに捉えていた。


「さて、運動終了。刑務官殿、チェックよろしく」

「イエス。運動機能、身体機能に低減は見られません。本日の予定は終了したと判断します」

「ありがとう。さてと……」


 日課の運動を済ませ、早速タブレットに意識を落とす。

 食事と運動と睡眠と読書。カイトの囚人生活は完全にそのルーティンを維持している。刑務官いわく、自分は実に模範的な囚人であるという。

 彼にしてみれば、好きなことを好きなようにしていたら模範囚扱いされているだけだ。むしろそれを理由に刑期が短縮されては困る。


「そうだ、刑務官殿」

「なんでしょう」

「僕の刑期は、模範囚であることによって短くなったりするんだろうか」

「ノー。追放刑の受刑者は刑期短縮の対象外です。残念かもしれませんが――」

「いやいや、それならいいんだ。ところで刑務官殿、申請を出していた西暦2000年代前期のアングラ作品の閲覧許可は下りたかな」

「イエス。三百時間以内にデータが転送されてくる予定です」

「よしッ!」


 ぐっと拳を握るが、刑務官は反応しなかった。呆れているのかもしれない。

 カイトはデータが送られてくるまでの間の退屈を何で紛らわせるか、データベースに登録されている書籍の情報を漁るのだった。


***


 追放刑に処されてから三年弱。

 カイト・クラウチは囚人生活を実に満喫していた。

 ――この日までは。


「報告があります。ミスター・クラウチ」

「?」


 番号ではない形で呼ばれたことに、内心で驚きながら刑務官の方に顔を向ける。


「番号で呼ばないなんて珍しいね」

「本日をもってミスター・クラウチの刑罰期間が消滅したことをお伝えします」

「……詳しく聞こうか」


 刑期の消滅とは穏やかではない。

 追放刑の受刑者が恩赦の対象にならないことも確認済だ。いや、対象になっていたとしても十年以上の刑期がいきなり短縮されることはないだろう。


「地上との連絡が途絶しました」

「それは初耳だ」

「ミスター・クラウチは地上の出来事に興味を示しませんでしたから」

「耳が痛いね」

「はい。通話可能なあらゆる国家体との連絡が取れないこと、地球の汚染領域が急速に拡大していることが認められたため、何らかの要因によって人間社会が崩壊したと判断しました」


 現実感のない説明に、思わずカイトは地球の見える窓に寄る。


「軌道エレベータが折れてる」

「はい」


 最後に地球を見下ろしたのはいつだっただろう。何が原因か、地上から伸びている軌道エレベータが折れているのが見えた。視界の範囲外にも何本かあったはずだが、この様子では無事ではないのだろう。

 なるほど、人類史は終わったんだなと、カイトは静かに理解した。


「以上の理由により、ミスター・クラウチの追放刑は期間満了したものと判断いたします。刑務官8979はこの監獄における上位者としての権限を終了、ミスター・クラウチを新たなる上位者と認定します」


 事務的な刑務官の言葉が、カイトひとりの監獄に空しく響いた。


***


 刑期は終了した。不本意ではあるが、それだけが事実だ。

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