アリサ・クラウチはブラコンではない
アリサ・クラウチという少女にとって、兄のカイトは記憶にない血縁だった。
彼女が生まれて一年も経たないうちに、兄は両親によって結社に売り飛ばされたからだ。以後、彼女は自分自身が一人娘だと思って育ってきたし、両親が兄の存在について触れてくることもなかった。
彼女が自分に兄がいることを知ったのは、結社と呼ばれた組織が摘発され、そこで育てられていた『次期指導者候補』としてカイト・クラウチの名前が報道された時だった。
最初こそ同じ苗字の人間がいると思っていただけなのだが、両親の狼狽と、程なく家に何度も訪れるようになったメディアの人間たち。そのふたつが自分とカイトの関係を理解させるのに、そう時間はかからなかった。
「何で兄さんがいることを黙っていたの?」
両親を問い詰めると、実にロクでもない事実が浮かび上がる。両親がお金欲しさに兄を結社に売ったこと、そのお金で自分が何不自由なく育っていたということ。
兄の裁判は、不可解なほどに早く進み、そして終わった。宇宙への追放刑。受刑者の過半数が刑期の半分も保たずして精神を壊すか、どうにかして自殺を図るという過酷な刑罰。
現代の死刑とも言われる、極めて重い罪だ。メディアはすぐに別のニュースへと興味を移し、アリサの周囲も彼女と兄の関係について言及することもなく。
兄という存在を生贄にして、世の中は円滑に進んでいく。十歳に満たない少女の心に、それは極めて歪に映った。
***
自分は知らないところで兄に守られている。そんなことを実感したのは、兄の裁判からしばらくが経った頃だった。
メディアの報道が奇妙なほどに不安を煽るようになり、社会情勢がとてもきな臭くなってきた。テロやら戦争やら、オカルトじみた天変地異の予言やら、新しい技術の開発競争やら。
そんな折、兄の知り合いを名乗る女性が家に訪ねてきたのだ。
レベッカ・ルティアノ。
兄と次期指導者の座を最後まで争ったという、綺麗な女性。彼女は社会情勢が極めて危険な領域に突入したこと、社会の生贄になった兄の代わりにアリサと両親を護る責任があると告げた。
「カイトは貴方たちを嫌っていましたが……何かがあった時、見捨てるとは思わないから」
寂しそうに呟くレベッカに、アリサは強い共感を覚えたものだ。
レベッカの勧めに従って住居を移してすぐ。社会が崩壊を始めた。直接的な原因は幼かったアリサにはよく分からなかった。だが結果として、人類の社会は加速度的に崩壊を進め、レベッカと志を同じくした結社の同志たちも一人、また一人と姿を消していく。
「アリサ。私が知る限りの知識をあなたに与えます。もしも私に何かがあった時にはあなたが人々を導いて。大丈夫、カイトの妹であるあなたには、きっと才能があるから」
そんな話をされるようになった時には、既に進んでも進んでも廃墟ばかりしか目にしなくなっていた。
ああ、人類は滅ぶのだなと。アリサは他人事のようにそう思った。
***
レベッカとアリサ、両親を含めた五十人ほどがダモスと名乗る老人の率いる集団に合流して暫く経って。
ダモスはどこからともなく現れた天使のような人物たちと交渉をまとめてみせた。
地球外への移住計画。
宇宙から来たという天使たち――ディーヴィン人はにこやかな笑顔で人々に食糧を配り、住居を提供した。
レベッカはダモスを深く信用して、ディーヴィン人による移住計画への協力を始める。アリサは自分自身が幼いことを理由にそちらには参加しないことにした。レベッカと違い、ダモスという男の目を信じることが出来なかったからだ。
巧妙に隠しているが、人をまるで商品のように見ている。兄の裁判の頃、自分たちに取材を申し込んできた、さも自分こそが善意の代表であるかのような顔をした記者たち。その連中と目がそっくりだったからだ。
文明の完全な崩壊から半年。いよいよ最初の移住船団が地球にやってくることになった。
「アリサ。あなたとご両親も行って。私は後から合流するから」
「嫌よ、レベッカ姉さん。姉さんが乗るまで私も乗らない」
両親はすぐにでも出発したいとごねたが、アリサは頑として聞き入れるつもりはなかった。ダモスを疑い始めると、ディーヴィン人もまた疑わしくなってきたからだ。
完全な善意など世の中にそれほど多くない。それをアリサはよく知っていたから。
***
「えっ」
部屋に居たら、突然何かに引っ張られて船に乗せられた。
厳しい顔をしたディーヴィン人に追い立てられるように歩いた先には、泣き崩れているレベッカ。
「レベッカ姉さん!?」
「アリサ、ごめん。ごめんね」
「どうしたの……!?」
「怨むならお前の兄貴を恨むんだな」
「ダモス代表!」
人相が恐ろしく悪くなったダモスが、物陰から出て来て吐き捨てる。
下卑た笑みを浮かべながら、
「お前の兄貴がツラを出さなければ、お前らはそれなりにいい立場で楽しくやれていたんだがな」
「兄さんが……生きてたってこと?」
「ええ。私たちはカイトへの人質なのよ」
「そんな」
自分に縋りついて嗚咽するレベッカ。彼女はこんなにか弱かったのか。
「奴を殺したあとはお前らだ。面倒なものは残さないつもりだから、命乞いとか聞くと思うなよ」
言い捨ててどこかへ歩き去って行くダモスを睨みつける。
ディーヴィン人たちはゴミを見るような目でこちらを時々見るほかは、特に関わろうとしてこない。何も出来ないと思っているのだ。そして、それはその通りなのだ。
悔しくて涙が溢れた。
***
船の中がにわかに騒がしくなる。
慌てている。憎らしいディーヴィン人が顔を真っ青にして怒鳴り合っているのは、見ていて何とも言えず心地よい。
と、喧騒が更に大きくなった。メインモニターに、突っ込んでくる戦闘機のようなものが映っている。
逃げよう、と言うより先に衝撃が来た。メインモニターが向こう側から吹き飛び、破片がこちらに飛んでくる。
「危ないっ!」
レベッカを庇おうとしたが、飛んできた破片が何かに遮られてどこかへ行ってしまった。
混乱していると、破壊の向こうから何かが突き進んでくる。目の前で止まった。
幾重にも折り重なった鋼板が、意志を持っているかのように分かれて。
「ご期待通り、だったかな? レベッカ、アリサ。あと残りの二人」
「か、カイト……?」
呆然と声を上げたのはレベッカ。その言葉に、目の前にいるのが兄であるのだと知る。正面からその顔を見たのは、そういえば初めてだ。
「荒っぽい運転で済まないね。古式ゆかしきラムアタックってやつさ」
船から降りて、手を差し伸べてくる兄。おずおずとその手を掴もうとした瞬間、視界が暗転した。
「ふえっ!?」
『ミズ・レベッカ。そしてキャプテン・カイトのご家族の皆さんですね。戦闘艇クインビーにようこそ。私はオペレータのエモーションと申します。ご安心ください、皆さんの身の安全はキャプテン・カイトが護ります』
全周囲が透けている、その向こうに見える背中。
超越的な力を行使して、一人でディーヴィン人の船を粉砕していくその姿は、まさにヒーローとしか言えないものだった。
「兄さん……あの人が」
同じ血を引いているのなら、自分もいつかああいう風になりたい。
そう思わせる背中だった。
***
「やめておきなさい、アリサ! 取り返しがつかないのよ!?」
「ですけど、姉さん。私か両親なら兄さんに近しい才能を持っていてもおかしくないのでは?」
「そっ……それはそうかもしれないけど」
「兄さんほどではなくても、兄さんに近い力を使えるなら連邦での生活でも皆さんの助けになれるでしょうし。それに、ほら。両親がそんな力を持ったら絶対にロクなことをしないですよ?」
「うぐ」
兄のこともあって、アリサの親への評価は極めて低い。
レベッカが反論を封じられつつある横で、カイトと親しいというリティミエレが首を振った。
「アリサさん。今のところ、カイト
「む」
統計を盾にされると弱い。
悩んでいると、リティミエレが笑顔で代案を用意してくる。
「まずはポピュラーな改造プランを選んで、連邦の生活に慣れてみてはいかがでしょう。それで資産を増やしたあと、どうしてもカイト三位市民と同じプランにしたいということであれば試してみれば良いかと。低水準の力しか発揮できないと、資産を増やすのも苦労しますよ?」
「……ふ、不本意です」
だが、リティミエレの提案には道理があった。それを選ぶのが理性ある判断だということも。
兄が浪漫優先で改造プランを選択したことはついぞ知らないまま、アリサは普通の改造プランを受け入れることになった。
***
アリサ・クラウチはブラコンではない。
ちょっとばかりヒーローな兄を深く尊敬しているが、それだけだ。
たぶん。
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