公社社長の怒り
パルネスブロージァの怒りは、相当なものだった。
どうやら旗艦に残っている本体とやらも完全にご立腹のようで、カイトがクインビーから降りた時には護衛の社員たちが慌てふためいていた。
「準備は整っていますか」
カイトに続いて降りてきたパルネスブロージァの言葉に、護衛たちが整列する。
「準備は整っていますか、と聞いています」
「ほ、程なく!」
「遅い。あなた達は問題の重大さを分かっていますか」
「は、はい! 社長!」
護衛たちが直立不動で答えている。どうやらパルネスブロージァは社長として十分以上に社員たちに畏れられているらしい。カイトにしてみると、やや愉快な苔類でしかないのだけれど。
ともあれ、怒り狂ったパルネスブロージァはがしゃんごしょんと動き回りながら恐縮している護衛たちにことの重大さを説明している。
「それにしては進捗が遅いようですね。トゥーナ様やカイト
おや、現状をしっかりと把握できている。
とはいえ、もしもトゥーナが激発したとしても、カイトとテラポラパネシオのどちらかが止めていたからおそらく戦争にはなっていない。
「は。いや、しかしですね」
「何ですか」
「連中は、皆がそこのキャプテン・カイトに騙されているのだと主張しております」
『ほぉぅ?』
……What?
***
戦争を主張しはじめた宇宙クラゲと、粛清を主張しはじめたサイキック苔類を同時に制止することになるとは思わなかった。何だこの苦行。
カイトにとって誤算だったのは、思ったよりも公社内部に自分の悪評が広まっていたということ。何やら保護されたディーヴィン人の被害者たちが中心となって広めていたようで、何と公社の調査船団にもそれなりの数がいたらしい。
ディーヴィン人の小遣い稼ぎに使われた挙句、彼らに恩を感じていたとは思わなかった。考えてみれば地球の事例以外、ディーヴィン人は巧くやっていたのだ。そりゃ恩人だと思っていても不思議ではない。
護衛の中にはその評判を信じていない者、半信半疑の者、うっかり信じてしまった者とが交じっていて、どうにも機能不全に陥ってしまっていたようだ。社長からの命令で護衛たちもようやくまともに動き出して、ゴロウ以外の研究者は全員拘束されて(今度は文字通り)、床に転がされている。
「そうするとあれですか。この前会った支社長がこちらに愉快じゃない距離感で話をしてきたのも――」
「あ、それは違います」
否定してきたのは、カイトの悪い評判を信じていなかった護衛のひとりだった。どうやら普段から社長や支社長に近いところで仕事をしているらしく、連邦との連絡や動画などを見る機会も多かったとのことで。
「違うとは?」
「ええと、社長はキャプテン・カイトにお会いするのを非常に楽しみにしておりまして」
「おや」
「支社長たちもそれをよく知っていますから、社長とキャプテン・カイトが親しく会話をなさる前にうっかり親しくなるのはまずかろう、と……」
「……ぇー」
「ですので、偶然とはいえキャプテン・カイトが船団に近づいてきた時には相当慌てたのだとか。取り敢えず船団の中で地球出身の者を呼び出して対応させようとしたところ」
「その悪評の出所だった、と」
そういやマクドネル検事は話の途中で強引に確保されて後ろに下がらせられていたっけ。
偶然とはいえ、最悪のカードを引いてきたと。これがゴロウだったら、もっと別の展開もあっただろうに。ボタンのかけ違いというのは恐ろしい。
いや、無理か。その時はその時で、おそらくトゥーナの処遇を巡って激論になっていたに違いない。
『そのマクドネル、というアースリングは何故カイト三位市民の悪評を流したのだろうな? そんなことをする意味がないだろうに』
テラポラパネシオの素朴な疑問。答えてしまって良いものかとカイトは逡巡する。何しろ、カイトにとっては過去のことだ。それに、彼女がいなければ今頃カイトは宇宙に出ていないわけで、かなり広く考えれば恩人と言えないこともない……かもしれないではないか。
少しは手心を加えるべきかな、どうオブラートに包もうかなと考えているカイトの横で、事情をよく知るエモーションが一言。
「キャプテンを惑星外への追放刑に処したのがルーシア・マクドネル検事でした」
「エモーション!?」
しまった、口止めしなくてはいけない相手が一人いた。
もはや取り繕う方法もない。カイトはマクドネルの先の不幸を想って小さく溜息をついた。
『カイト三位市民への罪状については、確か冤罪だとリティミエレ
「ほう? その調書を共有していただくことは出来ますか」
『もちろんだ。共有しよう。ところでエモーション
「はい。データを送りますね」
リティミエレの時とは違い、エモーションは躊躇なくデータを提出した。これもアップデートの賜物だろうか。
どんな顔をしたものかとカイトが口許をむにむにさせていると、エモーションが実に良い笑顔で振り返ってきた。
「私もキャプテンの処遇について、怒っていないわけではないのですからね?」
「あ、うん。有難う」
カイトにそれ以上、返せる答えがあっただろうか。
***
「なるほど。これは確かに冤罪ですね」
『アースリングは若年の者に罪をなすりつけたわけか。……カイト三位市民、よくもまあ、同胞を連邦に迎え入れようと思ったものだな』
「ええまあ。それがなければ皆さんともお会いできなかったわけですし」
『カイト三位市民……!』
何やら宇宙クラゲを感動させてしまったらしい。いかんいかん、これ以上彼らの好感度を上げてしまうと取り返しがつかなくなる気がする。
一方で、パルネスブロージァは血が上ったまま下がっていないようだ。血液は流れていないはずだが。
「個人としてのアースリングには見るべきところもありますが、総体としてのアースリングにはあまり期待が出来ないようですね」
「お恥ずかしい限りで」
「いえ。カイト三位市民は別です。やはりあなたはアースリングではなくて銀河唯一の特殊知性体カイトなのでは」
「断じて違います」
地球人として扱いたくないからというだけで別種族にしないで欲しい。
ともあれ、社長と護衛たちは裁判記録などをもとに、カイトがそれほど悪い人間ではないことを再確認してくれたようではある。
カイトにしてみれば誤解が解けたならそれだけで十分だし、後で詫び代わりに支社長と楽しく歓談のひとつでもしようかなと考えていた。
「さて。それでは処分を言い渡します」
「処分」
だが、悪評を流されたカイトよりも、カイトとテラポラパネシオ、トゥーナらの前で顔を潰されたパルネスブロージァの怒りは深かったようだ。
縛られて転がされている研究者たちの表情はまちまちだ。種族によっては感情の表現も違うのだなあ、と当たり前のことをぼんやり考える。中にはこちらに縋るような視線を向けてくる者もいるが、本来部外者のカイトに言えることは何もない。
「カイト三位市民の悪評を広めた者たち、および今回のレポートでゴロウ・サイトー研究員のレポートを遅延させた者たちを現在の職務から解きます」
なるほど、職務の取り上げか。これは厳しい刑罰だ。
最低限の生活は保障されているとはいえ、彼らは借金を抱えている。また新たにキャリアを積み上げなくてはならないとなると、大変だろう。
「次の職場は総旗艦ヴォヴリモス」
続く言葉に、カイトは首を傾げた。パルネスブロージァの暮らす総旗艦に勤めるということは、これは逆に栄転なのではないだろうか。
だが、研究員たちの反応は冴えない。
『うわ』
テラポラパネシオは事情が分かっているようで、引いたように呟きながらふよふよと空中を漂う。よく分からないので、カイトは小声で質問した。
「……どういうことです?」
『処分で総旗艦ヴォヴリモス送りというと、公社では有名でね』
テラポラパネシオの言葉も同じく小声で返ってくる。変なところで芸が細かい。
『総旗艦の外壁清掃なんだよ。時間あたりの賃金が極めて少ないのと、何しろ大きいからね、やってもやっても終わらない』
「……うわー」
そういえば下手な人工天体くらいに大きいんだったか。それを掃除。
優秀なスタッフであるほど、この手の単純労働は堪えるだろう。
「期間は無期限」
研究員たちの口から、絶望の声が漏れた。
『借金を全額返済するまで職場の変更はない、という意味だね』
公社に所属しなくて良かった。
カイトは心からそう思った。
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