神なるものの実在証明

 ヴェンジェンスが闇色に侵食されていく。不思議なものだ。ダンたち月面開発事業団第二班の命を守ったのは、突き詰めてしまえばこの奇怪な存在の都合でしかなかった。

 そして彼らの復讐の旗印であったはずの船は、混沌と理不尽を愛する邪悪の依代として生まれ変わろうとしている。

 それは船のようでもあり、獣のようでもあり、あるいはそのどちらともつかない不気味な形状に変貌しつつある。景色に溶けるようなその色彩は、その全貌をカイトの目に掴ませない。


「なるほど。こうやって見ると生物ではない、というのを実感するね」


 テラポラパネシオは『発音できない者』を指して存在と称した。最初から最後まで生物とは呼ばなかった。だからカイトも、あれを生物だとは思わないことにする。

 と、カイトの耳にノイズじみた声が届く。


『貴様は宇宙の摂理に触れた。それが赦されるのは我らの父、偉大なるこの世の創造主だけ。禁忌に触れた存在は、その細胞の欠片ひとつ残しはしない』

「創造主、ねえ。インテリジェント・デザイン論は正直眉唾なんだけどなあ」


 禁忌。連邦が口にする禁忌と比べて、なんと安っぽい意味合いであることか。蠢く闇となり果てたヴェンジェンスに向けて、まずは働きバチワーカーズを差し向ける。

 ダメージを期待してのものではない。むしろ接触による変化を知ろうとしての牽制だったが、触れた瞬間の不快感にカイトは思わず顔をしかめた。

 働きバチそのものは闇に呑まれて消えた。問題は不快感の原因である。何かとてもおぞましいものに、存在しない体の一部を撫ぜられたような気持ち悪さ。形容しがたい感覚だった。


『くく。我らに触れれば、浸食されるぞ? 形の無いものでも例外ではなく』

「ち。僕の超能力そのものに干渉したのか」


 超能力もまた、カイトの体の一部ということなのだろう。特にカイトとクインビーは超能力で繋がっている。働きバチは砲弾扱いも使い捨ても可能だが、あくまでクインビーの一部だ。形がない以上、普通は触れることも出来ないが、『発音できない者』は普通ではないから出来ると。

 なるほど、あのような不快感に飲み込まれたら、一瞬で何もかもを喪失しそうだ。相手の情報を随時更新しつつ、カイトは働きバチによる攻撃は控えることにした。


「では、こちらはどうかな」


 破壊の意志をエネルギーに変換してしまった後であれば、触れられてもカイトに干渉することは出来まい。

 言わずとも心得ているエモーションが射出したサイオニックランチャー四丁。射線上に9th-テラもサルンザレクも含まれない位置に移動した上で、考え得る限りの破壊を思考する。


「おおおッ!」


 四条の純白が、闇の塊に直撃する。先程のような不快感はない。ないが。


『人類の想像し得る破壊とは、つまりまあこの程度の精度なのだろうな』


 闇の塊には届いていない。それはつまり、カイトの思考する破壊よりも遥かに精度の高い破壊を『発音できない者』は知っている。そして、得体の知れない力によってカイトの攻撃を防いでいる、と。

 まあ、分かっていたことだ。カイトは連邦市民としてのキャリアでさえも短い。テラポラパネシオと同格かそれ以上の存在に、簡単に攻撃が効くとは思っていない。今はまだ、情報を集める時期だ。


『切り札が通じないと分かってなお、その余裕を維持できるとはね。貴様のような不可解な生物が生まれてくるのが、地球人という存在の面白いところだ』

「生まれてきたら殺すのに、かい?」

『たまにいるのだよ、我々の目を盗んで育つ者がね。往々にしてそういう生物は、こちらの予定を無茶苦茶にしてくるのだよ』


 闇が、ぞわりとクインビーに近づいてくる。

 カイトは障壁を重厚に展開した。普段よりも強く、分厚く、果てしなく。


『む……?』


 手とも言えないような器官が伸びてきて、クインビーを押し潰そうと両側から力を込める。

 潰しきれないことが意外だったのだろう。ぎりぎりと力を込めるが、クインビーの障壁は微動だにしない。


「どうしたんだい、こんなちっぽけな玉ひとつが壊せないのかね」


 口許を緩めて、問いかける。この障壁に込めたのは絶対的な拒絶の意志。破壊も干渉も、あらゆる攻撃を拒むと決めた。


『なかなかやるな。我慢比べをしようということかね』

「それはそれで面白いけど、この際だ。暇つぶしにちょっと教えてくれよ」


 ただの我慢比べでは、カイトに勝ち目はない。目の前の『発音できない者』は圧倒的にこちらよりも上位に存在する。そんなものに勝つには、相手の心を揺らがせる必要があった。

 挑発するには何よりまず、相手を知らなくてはならない。

 先程の会話を考えるに、参考になりそうな会話は望み薄だけれど。


「君らの言う創造主っていうのは、この宇宙を創り上げた存在ってことかい」

『言うまでもないことだ。この宇宙は我らが父の微睡む夢のひとつのかたち。父が目覚めれば終わり、消えるだけの遊び場よ』

「ふうん? そりゃ大層な話だ」

『我々は父の見る夢を、父の望む形に飾るのが役目。そういう意味ではカイト・クラウチ。貴様の足掻く様もきっと、父の無聊を慰める良い刺激にはなろうさ』

「それはあまり光栄ではないね。君たちに陰惨に殺されて完成、とかいうオチなんだろう?」


 分かっているではないかとゲタゲタ笑う相手に、カイトもまた苦笑を漏らした。思った以上に役立つ情報を寄越してくれた。インテリジェント・デザイン論をもしも下地にするなら、これで切り崩せる。


「つまり、君の父親とかいうはアレなんだな。三流の、神様もどきってやつ」

『ははは。言うに事欠いて何を。我々の精神をかき乱そうとする魂胆だろう、そのような安い手に乗ると思うかね』

「インテリジェント・デザイン論を肯定するなら、まずはこの世界を設計した誰かが存在することになる。それを神と仮定するなら、一流はまず自分が作った世界には干渉しないからさ」

『ふん、矮小な生物の浅知恵だな』


 だが、言いながらも障壁にかかる力が一気に増した。口調は軽いが、間違いなく触れられたくない部分に近づいている。


「創造主なんてものが本当にいるのなら、最初に摂理ルールを決めた後は、絶対に干渉などしないよ。完璧に完成したゲームの盤面に、余計な要素を足す意味があると思うかい?」


 神などというものが居るならば、創ったあとはそっとその営みを見守るだけだ。何故なら。


「変に干渉すると、ゲームをつまらなくするだけだからね。一流の神は愛に溢れ無慈悲で、残酷なまでに平等だ。摂理に反すること以外で、こちらに干渉などするはずがない」


 だが逆に言えば、時間干渉は摂理に抵触する事項だからこそ、負荷が発生するとも言える。過去の改変は、ゲームの盤面を根こそぎ作り替える行為だからこそ、負荷も大きい。時間遡行が禁忌である原因は、きっとそこにある。

 逆に、未来への時間移動であればあまり負荷が大きくないのも説明がつく。原因が用意されるからだ。ゲームの盤面を作り変えることにはなるが、影響は小さい。


「自らゲームに干渉しようなんて神様気取りは、二流・三流さ。正体不明のままで二流、君みたいに姿を晒して三流だね。せめて二流で済ませたいなら、我々の父だなどと偉そうに紹介するもんじゃない」

『……二流だ三流だと、言いたい放題言ってくれたものだ……!』


 力が更に増す。だが、カイトの障壁を破壊するほどではない。

 と、船の形をした闇が異常な挙動を始めた。まるで中から何かが闇を食い破ろうとしているようで。


『我々を臆病だ、などと言っていたな』


 ぶつりと、中から何かがせり出してくる。翼のような、爪のような。

 闇が膨張を始めている。音がしないのが不気味だが、視界を覆うほどまで巨大化した闇が、クインビーを完全に飲み込もうとしていた。


『その不敬、最早赦しがたい』


 ザイオン・ギオルグの顔をした何かが一瞬だけ見えた気がした。膨張する闇に食い破られ、すぐに消えて行く。


『十三の化身を生贄とし、我が威容をここに示そう』


 膨張する闇は不気味に蠢き、サルンザレクに近しいほどまで肥大化していく。もうすぐ本体とやらのお目見えだろう。


「やれやれ。最初から赦す気なんてなかっただろうに」


 カイトはへらりと笑って、そしてその笑顔のまま続ける。


「全知全能気取りが、自分が本当は全知全能じゃないことを理解したとき、果たしてその理性を保っていられると思うかい」


 よせ、これ以上言うなとばかりに、闇の塊の蠢きが激化した。もどかしさを感じさせる暴れっぷりを眺めながら、最後の質問を突き刺す。


「最後の質問だ、教えてくれよ。君の偉大な偉大な父上そうぞうしゅ様は、今なお正気を保っているかね?」

『貴様ァァァァァァッ!』


 ぶちぶちと闇の被膜を引き千切って、『発音できない者』の本体がその姿をさらけ出す。だが、そんなものをいちいち確認するつもりもない。

 本体をおびき出した。周囲も見えないほどに激昂させた。

 実に素晴らしい結果だ。短時間で満点の結果を引き出したことに一方的に満足しつつ、カイトはクインビーに転移を命じた。場所は『発音できない者』のすぐ後ろ。

 幕引きの時は来た。

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