その船を彼らは復讐と名付けた
ムーンベースはそれほど被害を受けてはいなかった。クレーター内部に造られたのが幸いしてか、衝撃波を受けずに済んだらしい。
「戻ってくれて良かった、カーター少尉」
「……残ったのは俺だけですか」
キッシンジャー五機が作業していたのは、クレーター外周部。クレーター内部を保全するための、シャッター設置のための作業中のことだったことが悪かった。
どうやら他の四機は駄目だったようだ。船長は言葉を濁したが、ダンが戻って来られたのも偶然に過ぎない。他は致命的な損傷を負ったか、あるいは月面の重力の及ばないところまで飛ばされてしまったか。
「取り敢えず、キッシンジャーは修理が必要だな。君も少し休め。怪我の手当も忘れるなよ」
「しかし」
「これは命令だ、カーター。我々はこの後、どうするかを話し合わなくてはならん。君もそうだが、我々も頭を冷やす時間が欲しい」
ギオルグの言葉に、ダンは頷くことしか出来なかった。彼の言う事は何一つ間違っていない。感情のままに当たり散らしたいのは、自分だけではない。ここにいる全員が同じ立場で、全員にその権利があるのだ。
医務室へ向かい、怪我がないことの確認。自室のベッドに横たわり、目を閉じてみるがやはり全く眠れそうにない。
「あいつらは何なんだ……」
分からない。何も分からない。
ダンに分かるのは、地球が消えてしまったこと。そして友人や家族、大切なすべてが手の届かない場所へ行ってしまったということだけ。
それでも、体を休めなければ。キッシンジャーが動かせない以上、今のダンに出来ることはほとんどないのだ。
***
最優先命令として集合がかけられたのは、ダンが戻ってからきっちり四時間後のことだった。
ブリーフィングルームに集まったのは十五人。おかしい。一人足りない。
「揃ったな」
「船長、まだ揃っていない。ニックは」
「……いいんだ」
ギオルグの言葉に、何が起きたかを察する。
また一人、減ってしまったのか。
「集まってもらった理由は他でもない。我々のこれからの方針についてだ」
「方針? 方針って何だよ!?」
悲鳴じみた叫び声を上げたのはトオルだった。顔色が悪い。
「地球……地球がなくなっちまった! 生き残ったのは俺たちだけだ! 出来ることなんて何もないじゃないか!」
「……それでも、私たちは方針を決めなくてはなりません。ここにあるものは全て有限です。生きられるだけ生きるか、全て失う前に命を絶つか」
答えたのは呉博士。こちらも微妙に焦点が合っていない。いや、ギオルグを含め、誰も表情が普通ではない。当たり前か。ダンも自分の表情が同じくらいにひどいという自覚はある。
「それに地球という主体を失ったことで、
博士の目から、涙が溢れる。どうしようもなく絶望しても、絶望していても。心は生きることを諦めきれない。
嗚咽を漏らしているのは一人や二人じゃない。トオルだって、反論せずに俯いているが、頬には涙が伝っている。
ギオルグは深く長く、溜息をついた。
「確かに希望はない。食糧も酸素も限りがある。生きる希望を失くした者は、言って欲しい。責任を持って尊厳ある死を提供する。希望する者は、いるかね」
「待ってくれ、船長」
何人かの手が挙がったが、ダンは違った。
ギオルグを見据えて、それはまだ早いと告げる。
「何が早い? 生きるか、死ぬか。結局はそれしか……」
「選択肢はまだある!」
そうだ。選択肢はまだある。キッシンジャーと一緒に吹き飛ばされながら、ダンは決めたのだ。その時に心に刻みつけた憎悪と怒りが、まだ諦めるには早いと言っている。
「まだある? 何を言っているんだ。我々にはもう帰る場所もないんだぞ」
「決まっているだろう、地球の皆の仇を取るんだ!」
「何を馬鹿な」
「どうせ死ぬなら、戦って死にたい。居なくなったあいつらを追うんだ」
怒りに浮かされている自覚はあった。馬鹿なことを言っていると、頭の冷静な部分が笑っている。事実、絶望している誰かが鼻で笑う音も聞こえた。
妙に冷静なギオルグが、静かに首を振った。
「気持ちは分かるが、どうやって追うというんだ。我々には宇宙を自在に航行する技術なんてないんだぞ」
「奴らの兵器はまだあるか?」
「奴らの兵器? 何のことだ」
「あの光を撃ったやつだ! 連中が立ち去った時に、何故か置き捨てて行っただろう!?」
ダンが吼えると、オペレーターのニルが顔を上げた。赤い目元を皮肉げに歪め、聞いてくる。
「確かにまだ残っているが。あれが何だっていうんだ、エイリアンの死体じゃないのか?」
「俺は見た。あれは光を撃ち終わったあと、爆発したんだ」
「爆発、ですって?」
「あれは機械だ」
半信半疑であっても、口にすると不思議と事実であるような気がしてくる。
「あれは目玉車輪に引っ張られたんじゃない、一緒に来たんだ。なら、あれを解析すれば追えるんじゃないのか」
どうせ、自分たちには後がないのだ。静かに死ぬのを待つくらいなら、最後まで足掻いてから死ねば良い。
「博士、あんたの頭が必要だ」
「そんなこと、言われても」
「ここで一番頭がいいのは、あんただ。あんたの頭で理解出来ないなら、諦める」
しばらくの沈黙。そして。
「船長。帰還船は動かせますね?」
「呉博士……本気なのかね」
「どうせ死ぬなら、前のめりに。カーター少尉の考え、嫌いじゃないので」
呉博士とギオルグの視線がぶつかる。程なくギオルグが頷いた。
「よし、やろう。どうせ死ぬなら、前のめりに。いい言葉だ」
***
帰還船にありったけの資材と食糧、酸素ボンベとキッシンジャーを乗せて。十五人のスタッフは全員が未知の兵器へと乗り込むことを選んだ。
一番手はダンだ。応急修理しか出来ていないキッシンジャーで、未知の兵器に取りつく。見立てと違って生物だったらアウト。船の防衛機構が生きていて攻撃されてもアウト。分の悪い話だったが、ダンは無事に兵器へと取りつくことに成功する。
反撃もない。軽くアームで叩いてみると、一ヶ所が不可思議な機動で開いた。そのまま中へと滑り込む。
「……これ、船じゃねえか」
それはまるでSFに出てくる宇宙船の内装だった。生物的な意匠は、あくまでそういうデザインというだけ。中は遠未来を描いたフィクションで見たような、メカニカルな姿がある。
「空気は……マジかよ、酸素がある」
一瞬とはいえ、ドアが開いたにも関わらずだ。空気が外に吐き出されることがなかった。どういう原理なのか分からないが、都合は良い。
「船長、こちらカーター。これは船だ。連中の船だ」
『こちらギオルグ。なんだって? 船?』
「ああ。空気もあるらしい。俺には分からないことだらけだ。博士を連れて来てくれ」
『わ、分かった』
空気があるとはいえ、すぐに外に出るような不用心さはない。
慎重に仲間たちを待ちながら、ダンは何かクリーチャーが現れても対応できるように視線を周囲に巡らせるのだった。
***
『……驚いた。本当に船なんですね』
『我々はあれか、何かのTVショーのようなものに付き合わされているのか?』
呉博士とギオルグが、呆然と辺りを見回している。
空気組成は地球とほぼ一緒。生身で呼吸しても問題ないということだが、念のためにヘルメットはつけたままで。
調査のために、キッシンジャーを先頭にスタッフ全員で中を進む。
『文字は……駄目ですね、地球の文字じゃなさそう』
「そりゃ、そうだろうね」
『でも、何か共通点みたいなものを感じるような……なんだろう?』
首を傾げる博士には構わず、とにかく奥へ。
不安視していたクリーチャーの襲撃もなく、一行は無事に目的地へと到着する。
通路はともかく、扉の向こうにはキッシンジャーでは入れない。ダンが降りるのを待って、扉を開ける。
『ここは……』
『間違いありません。ブリッジです』
呉博士が思わず、と言った様子でヘルメットを外す。止める間もなかった。周囲を見回し、感嘆の息を吐く。
「凄い。凄い……!」
と、突然明かりがついた。
警戒を露わにするが、それ以上のことは起きない。何が原因かは分からないが、突然この船の機能が生き返ったらしいことは分かる。
と、どこの国の言葉ともつかない、奇妙な声が聞こえてきた。どうやら自分がヘルメットを外したことか、声を上げたことが起動の原因と思ったらしい博士が、虚空に向かって声を張り上げる。
「私は呉威華! 私たちの言語を理解しますか!」
――はい。あなた方の言語は、発達途上の被支配種族に提供された言語パターンに含まれています。
「発達途上……被支配種族?」
――はい。あなた方は我々ディーヴィンのリ・エーディン計画のサンプルとして選ばれ、そして破棄されました。生存者がいたのですね。
「ディーヴィン? リ・エーディン計画……?」
――確認可能な周辺宙域に、上位者の存在特定出来ず。皇国特別法百三十七条一項により、呉威華を一時的な責任者として権限を付与します。
どうやら、この船は何故か分からないが呉博士を一時的な責任者と認めたようだ。何やら聞き咎めたことがあったようで、下を向いてブツブツと呟いている博士に声をかける。
「なあ、博士。俺には何が起きているかよく分からないんだ。説明してくれるかい」
「え? あ、済みません。そうですね、まずは情報収集から始めましょう」
思考の海から戻ってきた博士は、ひどく剣呑な笑顔で船に告げた。
「さあ、色々と吐いてもらいますよ」
――呉威華への情報開示レベルは最低限のものに限定されます。
「ブチ壊しますが?」
科学に魂を売った人物は怖い。
***
長時間の聞き取りの結果、分かったことはそれほど多くなかった。
「結局、開示された情報はこの船のことと、我々の敵がディーヴィンという存在だということだけか」
「ええ。取り敢えず船のことが分かったのは大きいですね。私たち好みに弄らせてもらいますよ」
ギオルグは理性的に、呉博士は正気をかなぐり捨てた様子で。
どうやら未発達の被支配種族と言われたのが腹に据えかねたらしい。
――ディーヴィンは敵ではありません。あなた方の支配者です。敬意を払うことを要求します。
「こんな生意気を二度と口に出来ないようにしないと」
「それは同感だね。俺たちも手伝うよ、博士」
トオルをはじめ、スタッフたちもやる気だ。
博士は頼もしいと頷くと、ギオルグに顔を向けた。
「船長。この船とキッシンジャーの改造を行いたいのですが」
「博士が権限を持っているのだ、博士の好きにするべきではないかね?」
「いえ。私はあくまで技術者ですから。第二班の代表はギオルグ船長、あなたでしょう?」
ギオルグは戸惑っている。
話を進めたのは呉博士なので、このままリーダーもそちらに譲ろうと考えていたようだ。
「いいじゃないですか、船長。これは船なんですから」
「しかしだな」
「船長経験があるのなんて、船長しかいないんですから。指揮は頼みますよ」
「む……うむ」
ダンの言葉に、ギオルグは悩みながらも頷いた。実際、軍属はダンとギオルグだけなのだ。ディーヴィンを追うにしても、結局ギオルグが前に出なくてはならない。
「分かった。それではこの船……そういえば船の名前は何にするか」
――本機は既にディーヴィンによって命名されています。
「うるせえ。ディーヴィンの名前なんて誰が呼ぶかよ」
「そうだよ。黙ってろクズ鉄」
スタッフたちの罵声が飛ぶ。結局、船が名乗る自身の船名は聞き取れなかった。
いつの間にか船の名前の提案に変わっていたのは、全員の心に多少の余裕が出来たからかもしれない。
「決めてください、船長。これは今から、我々地球人の船です」
「そうだな。……では」
こほんと、ひとつ咳払い。
そして示された船の名前に、文句をつける者は誰一人いなかった。
「
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