月面開発事業団 第二班
月面を宇宙開発の橋頭保とするために、国連が中心となって組織した月面開発事業団。彼らはこのたび月面の小型クレーターに港を建設すべく、月面開発機械『キッシンジャー』と月面作業班の第二班を月面へ送り出した。
先行した月面作業班の第一班は地上から射出された資材を月面に運び、固定するというミッションを終えて地上に戻ったばかりだ。
「よう、ダン。キッシンジャーの調子はどうだ?」
「こいつは最高だぜトオル。まるで自分の手足が拡張されたみたいだ。不思議な感じだよ」
第二班のスタッフの一人であるダン・カーターはキッシンジャーのコクピットから出ると、同僚のトオル・ナガサキに使用感を説明する。
人型作業機械『キッシンジャー』は、月面開発事業団が送り出した最新鋭の作業機械だ。月面の開発環境が整った後、月面での作業を文字通り『誰でも』出来るようにするために造られた。専門的な機械の知識がなくても、自分の体を動かすように操作できるようにと。厳密にはパワードスーツの一種だというのが開発者の言葉だが、気密性なども考慮した結果大型化したキッシンジャーは、パワードスーツというより人型ロボットにしか見えない。
「カメラワークはどうだった?」
「悪くなかったよ。思ったよりカメラもちゃんと見えてる」
「これ、絶対に博士の趣味だよな」
とはトオルの弁だ。
パワードスーツであるなら人のような顔はいらないのではないか、という指摘に開発者の呉博士は答えられなかったからだ。
「また何か文句ですか、ナガサキ主任」
「いいえ、呉博士。ダンから使用感を聞いていただけですよ」
第二班の役割は、港の建設とキッシンジャーの有用性の証明だ。二十名のスタッフと、五体のキッシンジャー。ゆくゆくはキッシンジャーが作業の中枢を担うことになる予定だが、現時点では通常の作業機械が港湾部の建設に携わることになる。
呉威華博士は、キッシンジャーの開発者だ。若くして天才の呼び声高く、フットワークも軽い。今回も自分の建造したキッシンジャーをより改良すべく、第二班に同行してきた。そのせいか、メンテナンス主任のトオルとはどことなくウマが合わない。
「カーター少尉、何か機体に違和感はありましたか」
「いえ博士。実に素晴らしい機体です。あとは自分が機体に慣熟するだけだと思っています」
「嬉しいことを言ってくれますね。ですが、腕の良いパイロットに甘えてしまっては実際に他の人が動かす段になって、予期せぬ事故が起きることもあります。どんなに些細な違和感でも良いので、報告してくださいね」
「そうですか? そうですね……低重力での作業の際に、脚部の取り回しに少しばかり違和感を感じました」
「ほう。そういう情報、貴重です。どんな違和感ですか」
問題がないと言うより、問題点を指摘した方が嬉しそうな呉博士。休憩を取りたかったダンだが、やむを得ず説明しようと口を開きかけたところで。
「そこまで。済まないがそれ以上はブリーフィングの時にしていただきたいですな、呉博士」
「ギオルグ船長? っと、失礼。カーター少尉は休憩に入られるのでしたね」
「ええ。済みません」
「いえ、こちらこそ。それではまた後程……」
ぱたぱたと恥ずかしそうに俯き加減で歩き去って行く呉博士を見送ってから、ダンは苦笑を浮かべて第二班のリーダーに礼を言った。
「助かりました、船長。博士はああなると長いので」
「ま、仕方ないな。キッシンジャーの運用は第二班の大事なミッションだ。大変かと思うがしっかり頼む」
「ええ」
第二班の班長であるザイオン・ギオルグは、事業団に出向している数少ない軍人のひとりで、元々は海軍の佐官である。そのためか、通称は船長。どんな時でも穏やかな笑みを絶やさない彼は、年長者ということもあって第二班の中ではリーダーとして十分な信望を集めていた。
所属する国は違うが、同じ軍属のダンにとっては比較的気安い相手でもある。
「それでは、仮眠を取ってきます。トオル、メンテナンスを頼むぜ」
「おう、ゆっくりしてこい」
作業にかかっているスタッフたちに軽く手を振って、仮眠室へ向かう。
この時、第二班のメンバーは誰一人としてミッションの成功を疑っていなかった。
***
八月二十日。
月面で作業をしていたダンがそれに気づいた時、最初は幻覚でも見ているのかと思った。
「ムーンベース、こちらカーター。済まない、幻覚症状らしきものが出ている」
『こちらムーンベース。幻覚症状? どうした』
「宇宙空間に何かいる。十体くらい見える。ありえないよな」
『落ち着けカーター少尉。こちらでモニターしている君のバイタルは正常だ。レーダーには君の言っている存在は反応していないが……いや、待て』
にわかに通信先のムーンベースが騒がしくなっているのが聞き取れた。
何だろう。足を止めて、ぼんやりと見上げる。キッシンジャーはそれなりに大型の機械だが、見えている物体は遥かに大きい。
巨大な目玉があるように見える、車輪型の何かが複数。その中央にはとげとげしい翼のような物体が複数重なったような何か。周囲の車輪型は、位置取りからして中央の何かを守っているのだろうか。
「駄目だ、頭がどうにかなりそうだ。なんだあれは」
『……兵器?』
ぼそりと誰かが呟く声を耳が拾う。聞き慣れた声。呉博士だろうか。
「博士? あんたもあれが見えているのか?」
『え? ええ。なんでしょうね、あれ。どう見てもマトモなデザインには見えないんですけど』
「それは同感だね。エイリアンでも攻めてきたのかな」
『否定は出来ませんね。兵器のようにも見えますし、生物のようにも……』
ずっと見ていると、正気がガリガリと削られてしまいそうな気がする。目玉のようなパーツ、翼のような部分、確かに生物のようなデザインが組み込まれているが。
と、目玉のついた車輪が、少しだけ中央の物体から距離を離した。ぬるりと吐き出された触手のようなものが、中央の物体に突き刺さる。
駄目だ。頭がおかしくなりそうだ。だが何故か目を離せない。
中央の物体が動き出した。複数の翼の中から、口を開いた獣の顔らしきものがせり出してくる。獣の顔らしいのは何となく分かるが、ダンの知識の中には思い当たる動物が存在しない。
「何だ、何なんだよあれは……!」
『と、とんでもない熱量が観測されています! あの中央の物体から!』
中央の物体が、純白から赤みがかった色に変わって行く。
恐ろしい報告が悲鳴と共に上がったのは、その直後だった。
『しゅ、周囲の車輪から中央に熱量が供給されています。う、嘘だろ! まだ上がってる……!?』
『まさか、攻撃……!』
冗談のつもりで言ったことが、現実になろうとしている。ダンは頭を抱えて、しかし見ていることしか出来ない。見えてはいるが、遠すぎる。キッシンジャーは挑みかかるには小さすぎて、そして多分間に合わない。
「やめろォーーーーーーーッ!」
ダンは声の限りに叫んだ。いや、ダンだけではない。ムーンベースで事態を見守っている全員が、口々にやめろ、止まれと叫んでいる。
『通信は!?』
『駄目です、まったく通じる様子がありません!』
『連中じゃない、地上に――』
ギオルグの焦ったような声が、ノイズによって聞こえなくなった。
理由は分かり切っている。獣の口から、純白の烈しい光が放たれたからだ。
「あ、ああ……あああああああああッ!」
あまりの光量に、キッシンジャーのメインカメラが遮光モードに入る。そうでなければダンの目は潰れていただろう。
だが、潰れていた方がよかったかもしれない。見えてしまったからだ。光が星を包み、まるで弾けるように消えてしまった様子が。
「どうなってる? 地球は……地球はどうした!? どこへ行ったっていうんだよ!?」
取り乱しても、見たものは変わらない。獣の口の辺りで、小規模な爆発が起きている。そうして初めて、ダンはあれが機械だったのだと理解した。
『く、何が起きた!? カーター少尉、聞こえるか? 光のせいでこちらは何も見えなかった。何が起きた? そちらで分かるか? カーター少尉! 君の目は無事か!?』
「船長……」
どうやらムーンベースは光の遮断によって、あの光景を見ずに済んだらしい。見なくて良かった。あんな、頭がおかしくなってしまいそうな光景は見ない方がいい。
「なくなっちまったよ」
『え?』
「地球……なくなっちまった」
『何を……? えっ』
ムーンベースも戸惑っている。どうやら視界が回復したのだろう。あるべきことがないことに、悲鳴が上がっている。
「地球は、跡形もなく消えちまった。あいつらのせいで」
『馬鹿な……馬鹿な!?』
全身の力が抜けた。がっくりと膝をついたダンとキッシンジャーに、何かが激突したような衝撃。まるで木の葉のように吹き飛ばされたキッシンジャーの中で、ダンは確かに見た。
車輪の群れが、その姿を消したのを。翼と獣の顔の物体だけが、地球があった名残のようにその場に残されたのを。
「許さねえ」
ごろごろと転がる機体が、何かを掴んだ。そのまま握り締めて、機体にかかる圧力が収まるのを待つ。
危険を告げるアラートが鳴り響く。勢いが収まったのを待って、地面を踏みしめて立ち上がる。
ムーンベースに戻らなければ。あちらもこの衝撃でどこかが壊れているかもしれない。急いで修理しないと。生き残っているのは、多分もう、自分たちしかいないのだから。
まだ死ねない。生きるのだ。生きて、生きて。
「みんなの、仇を取らなくちゃならねえ」
あの車輪どもに、復讐を。
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