記憶のリセットという悲劇
通信の向こうにいる何者かは、自分をアグアリエスのチッバヘと名乗った。
カイトはチッバヘに、まずは根源的な疑問を投げかける。
「チッバヘさん。あなたはその船に内蔵されている機械知性ですか、それとも肉体を持った生物なのですか」
『後輩よ。オマエタチは機械知性という呼び方をスルのカ。そうだ。アグアリエスによって造られた生存管理機構。それガ私だ』
「生存管理機構……。あなたが存在することで、アグアリエスの方々は生きながらえていると考えてよろしいのですか」
『その通リだ。後輩よ、われわれは移住に足る環境を持つ星を探シテ旅をシテいる。チッバヘの管理スル民はみな、安住の地ヲ手に入れル。移住ガ完了シタ後にでも、交流ヲ深めタいと思うガ』
チッバヘの言葉には、対話への期待があった。
だが、このままでは平和裏に交流を深めることは出来ない。カイトたちは知ってしまったからだ。かれらという存在の本質を。そして実際に、彼らの行動が移住目的であることも知れた。
どう会話を展開しようか迷うカイトをよそに、エモーションが話を継ぐ。
「オペレーター・チッバヘ。私はあなたと同じく機械知性のエモーションです。あなた方が向かっている惑星には原住生命体が存在します。移住行為によって、それらの生存環境が著しく破損する恐れがあることは認識していますか」
『……それガ何カ問題なのカ?』
だがチッバヘの言葉は、カイトだけでなく対話に期待を寄せた者たち全てを失望させるものだった。前のめりだったネザスリウェが、モニターの向こうで嘆息しているのが見える。
『われわれは先発種族であル。先に宇宙という原野に出テ、生存空間の拡大ヲ選択シタ。その居住権こそガ、あらゆる生存権に優先されル』
そんなルールはない。少なくとも連邦にはないし、公社にもないだろう。あったらネザスリウェが止めたいなどと言うはずがない。連邦は市民権で居住権を縛るが、公社はその星に土着しているかどうかで居住権を優先するという。
公社に所属している地球人の大半がカイトを恨んでいるのは、地球という星を公社ではなく連邦に譲ったこともおそらく関係していた。だが、その問題は今の話題にはまったく関係がない。
エモーションはチッバヘの主張を、すっぱりと切って落とした。
「オペレーター・チッバヘ。残念ながらあなたの主張は認められません。現在当該惑星は連邦と呼ばれる星間扶助機構の管轄下にあります。連邦法では、知性体による未開惑星への移住には厳しい制限が課されています」
『われわれには関係ない』
「連邦の管轄下において、連邦に所属していない知性体が移住を強行する場合。最悪の場合は排除対象となりますが、よろしいのですね?」
カイトはエモーションの方が立場的には苦しいと判断している。特に、彼女が多少嘘をついているのが何より苦しい。宇宙マグロ流星群は連邦によって正式に天文現象と認められているから、実際には宇宙マグロがどこに移住しても連邦法には抵触しない。
あくまでエモーションが言っているのは、他の宇宙に進出した知性体の種族に対しての対応。すなわち、一般論というやつだ。
それでもチッバヘはアグアリエスが知性体であることに拘りがあるのだろう、少しばかり沈黙した後、少しだけ態度を軟化させた。
『ならばわれわれヲ連邦市民とシ、早急に移住可能な権限ヲ付与せよ』
「不可能です。あなた方は最先発種族であるかもしれませんが、連邦においてはあなた方の知性と思考などを元に市民権の程度が算出されます。少なくともほとんどの場合を除き、連邦に参入したばかりの種族には天然惑星への居住権が付帯した市民権は用意されません」
『われわれは最先発種族だゾ!』
「それでもです」
エモーションさんが頼もしい。いや、カイトは彼女の頼もしさに日頃から世話になりっぱなしなのだ。だが、こんなに理路整然と相手の主張を受け止める姿には、いつもとはまた違う魅力を感じる。
しかも、今この瞬間であっても、中の種族の問題には触れていない。チッバヘの誇りを尊重しているのだ。
とはいえ、これでは話が進まないと感じたカイトは取り敢えず話を逸らすことにした。どちらにしろ、今かれらが連邦の市民権を得ようと目論んでもそれは難しい。
「取り敢えず、連邦議会には話を伝えておきましょう。すぐにとは行きませんが、検討はしてもらえるはず」
『……感謝する、カイト後輩。われわれにとっテ、新天地へノ移住は悲願なのダ』
「そのことで、ちょっと質問が」
『質問とは?』
「あなた方が実際、どれくらいの規模で移住行動を行っているのか。教えて欲しいんですよ」
出来れば発祥の地も含めて。
***
硬のエモーションと、軟のカイト。硬軟織り交ぜた交渉は、おそらく旧式に近いだろうチッバヘには対抗が難しいものだったようだ。宇宙マグロことアグアリエスの実情が、随分と分かってきた。
「なるほど。この宙域には確かにかつて、文明が存在していた痕跡があるようです」
『やはリ滅んデいたカ……』
連邦と公社の宙域図をもとに、アグアリエスが出発した惑星を割り出すのは、それなりに時間を必要としたが無事に完了した。
文明がかつて存在し、宇宙に出るところまで届かずに文明が滅んだ惑星はいくつもある。連邦や公社の考古学者たちは、未開惑星の観察を行いながらもそういった星々の痕跡を収集することを研究課題としている。
アグアリエスの住んでいた惑星は、残念ながら生命が居住できる惑星ではなくなっていたようだ。地上は風化も激しく、痕跡らしい痕跡も残っていなかったために、観察対象にさえなっていなかったという。
カイトたちからの情報を元に、連邦の考古学者たちが大慌てで現地に飛んだらしく、どうにか地下に痕跡が見つかったと連絡が来たのがたった今だ。
「皆さんは滅びる前に星を脱出したわけですね」
『そうダ。五十七の移住船を建造し、住民たちガ無作為に乗せられテ旅に出た。この船はヘディロー、ベートゥム、ベイトーンの三隻と同時に出発した』
何度かに分かれて、方角も別々に。行く先など分かりもしない絶望的な旅路。
星の滅びに際してそんな決断をしたかつてのかれらは、確かにカイトたち地球人より数段優れていたのだろう。
「一体それからどれくらいの時間が過ぎたのです?」
『……不明だ』
「おや」
『生存管理機構である私にも、限界はあル。計算や管理の負荷が続いた場合、最低限の情報を除いて記録を削除する必要が出てくルからダ』
これだ。おそらく、全ての原因はここにある。カイトの勘が囁いた。
記録の整理。無理もない。宇宙マグロと呼ばれるあの船は、元々はより広範囲を探索するための斥候のような役割を担っていたという。だが、その移動にかかる演算の負荷、日々を生きるアグアリエスの健康管理、宙域情報の確認。どれほど性能が高くても、限界はあったはずだ。
基準を知ろうと、小声でエモーションに聞く。
「エモーション。君の場合、かれと同じ作業をしたらどれくらいで限界になりそうだい」
「そうですね、おそらく六百十二万年程度で限界がくるかと。こちらでアップグレードを行う前であれば、三百年も保ったかどうか」
随分と前後で数値が隔絶している。それだけ連邦の技術がとんでもないという話なのだが、それでも基準にはなる。チッバヘたちの性能は、初期のエモーションよりは遥かに高く、そして今のエモーションよりは低い。
今のエモーションでも十回以上はデータの整理が必要になった。チッバヘ達は一体何度データを整理したのやら。
「その……記録の整理というのは、全部で何度行われたのかは分かりますか」
『……分からない。そのデータは残ス対象に含まれていない』
忘れていたのか、敢えて含めなかったのか。
敢えて含めなかったのだとしたら、単純に必要ないと思ってのことか、それとも製作者の温情だったのか。
後者であってほしいなと思いながらも、カイトは言わねばならない領域へと踏み込んだ。いつかは言わなくてはならないからだ。それが絶望しか残さないとしても。
「記録の中で、きっと整理してはいけないデータもあったのでしょうね」
『そのようなものはない。われわれの製造者は、残スデータヲ厳選しタ。間違いはない』
「いえ、残念ながら存在します」
エモーションが決然と言い切った。
カイトが告げようとしていた言葉は、口から出ることなく滑っていく。
「良いですか、オペレーター・チッバヘ。私たちはあなた方の移住行動を止めたいと思っています。それは惑星の原住生物だけでなく、あなた方にとっても不幸な結果しか残されていないからです」
『何ヲ言うのカ!』
「残念ながら、現在のアグアリエスの皆さんは、移住そのものに肉体が耐えられません」
どこか怒りすらにじませて。エモーションの言葉の刃はどこまでも鋭かった。
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