山羊熊の燻製とラーマダイトの生態系
手近な枝を折って、水分を飛ばした後で着火。上がる煙の香りを嗅いで、エモーションに木の形状と煙の情報を記憶させる。
いちいち自分で覚えなくて良いのは楽だな、と思いながら採取を続ける。料理の味に妥協したくないエモーションも、いつになく協力的だ。
アディエ・ゼの方はあまり情報源として役に立たないので、今のうちに同郷の小人族たちやラーマダイトを観察していた頃のスタッフに声をかけてもらっている。断片的な情報でも良いからもらわないと、ラーマダイトの生態系をカイト達が開拓する羽目になってしまう。
時間にして二昼夜、探索を続けて。カイトとエモーションはいくつかの木材と香辛料になりそうな植物を抱えてクインビーへの帰路についていた。
「キャプテン。そろそろ燻製作業に入っても良いのではないですか」
「そうせっつかないんだよ、エモーション」
肉と木の実で野生的な生活を続けていたふたりだが、エモーションは肉への探求心が果てしない。燻製用に加工しなかった肉も食べ尽くした。鮮度が悪くなる前に消費出来るくらいしか残さなかったから当然だが。
とはいえ、肉ばかりの生活にカイトはそろそろ軽く飽きてきている。嗚呼、米かパンが欲しい。
実際、穀物らしき植物は見当たらなかった。現地調達は難しいと考えた方が良さそうだ。
最悪、地球人の居住地に転移してパンだけ買ってこようか。身も蓋もないことを考えながら、カイトはクインビーから袋詰めした肉を取り出した。
「うーん……食欲出ない色だなぁ」
青いドリップ。カイトは手を触れないように肉だけ器用に取り出すと、調達しておいた真水で洗い流す。使った水は袋の中に残った液体と一緒に、クインビーの中にある浄化装置行きだ。ついでに、浄化済みの真水が入ったポリタンクを運び出す。
真水を適量取り出し、洗った肉を漬ける。空中に真水の塊と肉が浮かんでいる姿は、そこだけ無重力空間のように見える。
「ほい。塩分だけ抽出、と」
本当は半日くらい漬けて自然に塩分が排出されるのを待ちたいところだが、これ以上待たせるとエモーションが暴動を起こしそうで怖い。なのでここからは超能力を駆使して時短作業だ。
時短とはいえ、時間に干渉するわけではない。肉に浸み込んだ塩分だけを排出するのだ。肉を包む水を触媒に、塩分を適度に吐き出させる。
水を払い、軽くふやけた肉の端を少しだけカット。軽く熱した
「ずるいですよ、キャプテン!」
「はいはい、それならこっちを味見してくれるかい」
「……少し味が薄くありませんか。失敗ですね、キャプテン」
ずるいとか言っておいて、この言いぐさである。まあ、作業途中ならばこんな感想になるのは分かっていた。エモーションの感想には構わず、肉の乾燥に入る。
今度は水分を分離する。味が落ちてしまわないかがちょっと不安だが、今のエモーションを放置するよりはマシだと割り切る。
取り敢えず最初の数枚だけ時短で済ませておけば、エモーションも急いで催促はしてこないだろう。残りは普通に時間をかけて、通常の手順で作りたいところだ。
「よし、十分に乾いたね。これを……」
数枚の働きバチを箱状に組み上げ、即席の燻製器を作る。
肉を燻製器の中で浮かせて、真下で薪に着火。間に鉄板を挟んで、火に直接触れないようにしつつ燻煙を出すための木ぎれを乗せる。
しばらく待つと、じわりと煙が沸き上がった。
「わ、煙が出てきましたよ」
「よし。あとは煙が肉に当たるよう調整してと」
完璧に接着したわけではないので、働きバチどうしの隙間から、少しずつ煙が漏れ出す。まるでちょっとした煙突のようだ。
「あとは出来上がるまで待つわけだ」
「分かりました。五分ですか? 十分ですか? タイマー役はお任せください」
「二時間から三時間かな」
「なんです……って」
絶望を顔に貼りつけるエモーションだが、カイトもここは譲れない。
本当は燻した後、もう一日置きたいところなのだ。
「い、一時間になりませんか?」
「なりません」
***
燻製が完成するまでの間に、カイトは本来の手順で燻製する肉の作業に入る。
何やら体育座りでカウントを取っているエモーションは放置だ。
肉を水洗いして真水に漬けながら、通信先の中央星団との会話に意識を向ける。アディエ・ゼが同郷の仲間たちを集めたというので。
『か、カイト
「ええ、初めましてルティミ・デさん。よろしくお願いします」
『アディエ・ゼったらひどいんですよ! カイト三位市民との仕事があるって言ってこっちにいくつか仕事を放り投げてきたんですから! しかも仕事の内容はこっちに秘密にするし! あ、僕はドルティ・ムと言います!』
「はいはい、ドルティ・ムさん。あ、山羊熊の肉とか食べます?」
ぜひ、という声が相当な人数分、聞こえてきた。
どうやらアディエ・ゼは、同僚や同郷の仲間にはこの話をしっかりと伝えていなかったらしい。ラーマダイトの情報をあれこれ調べ始めたことで隠していたことが発覚し、時間に余裕のある仲間たちが集結したとのことだ。
とにかくそれぞれが思い思いに話すものだから、誰が誰だかも、事情の把握も難しい。早々に声と名前の一致は諦めて、彼らの話を整理することに集中する。
「それで、ええと。僕が山羊熊と呼んでいるこれが、この辺りの頂点捕食者と」
『はい! 護り木を蹴り折る『大きな悪獣』を捕食してくれるので、我々はその獣を『力ある王』と呼んでいました』
「なるほど。『大きな悪獣』というのはあの、翼の生えた蛇を食っていたやつですかね?」
『そ、そのようです』
『ええと、記録映像にある……そう! こいつです! ですけど、翼の生えた『小さな悪獣』は僕たちの居住地まで飛んできて襲ってくるので、まったくいなくなるのも困るわけです』
「ふむ。食物連鎖だなあ」
翼蛇は小人族の居住地まで来ることは少なく、普段は地上の小さな動物を捕食しているらしい。そういった動物が少なくなって、狩猟場を変えるために移動するついでに小人族を襲ったのだとか。
さすがに、当時から生きていた古株は知識が豊富だ。アディエ・ゼは話せることがなくて、隅っこで小さくなっているようだ。先程から、彼の声はほとんど聞こえてこない。
「当然ですけど、他の地域には他の獣がいるんですよね?」
『はい。そこから北の動物ならルティミ・デが詳しいですよ。それ以外の方角ですと……今のメンバーだと詳しい者はいないかな』
「なるほど。それでは、落ち着いたら北に向かってみますよ。ルティミ・デさん。頼りにさせてもらいますね」
『よっ……喜んで!』
小人族の声は、年齢に関わらず若々しい。ラーマダイトの生態系を知っているということは連邦に参加した頃の世代、要するに最も年かさのはずなのだけれど。
アディエ・ゼが静かなのも、一族の長老クラスが集まっているからなのかもしれない。というか、長老たちに叱られたというのは結構拙いことなのでは。
カイトは、燻している肉の一部を彼らに振舞って機嫌取りをすることに決めた。どういう事情でアディエ・ゼが仲間たちに黙っていたのかは分からないが、決して自分だけが利益を得るためではないはずだ。たぶん。
「きゃ、キャプテン! 煙が! 煙が消えましたよ!」
本当はもうちょっと燻したいところだけど。こちらを急かすエモーションと、立場を悪くしつつあるアディエ・ゼ。カイトは諦めて燻製を取り出すことに決めたのだった。
***
燻した肉をスライスして、熱した鉄板の上へ。普通に焼いたものとは違う薫りが漂ってくる。
焼き上がった肉を、まずはエモーションの口に放り込む。無言で咀嚼を始めている。取り敢えずしばらくは落ち着くだろう。サイコロステーキサイズに切っておいた部分を、アディエ・ゼの元へ一気に転送する。その数、二十五個。
歓声が上がった。
カイトは自分用に切り分けた一切れを口に運ぶ。しっかりとした歯ごたえと、広がる旨味。獣くささは一切感じられなかった。
うん、美味い。
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