それはいささか小さ過ぎた
解体された宇宙マグロから漏れ出した液体が、回収される。
その中にぽちょんと落ちた小さな生物。これが宇宙マグロの中にいた生物なのだろう。
「……胎児?」
カイトの横で眺めていたエモーションが、そんな言葉をぽつりと呟いた。
真っ白い、色素の存在しない肉塊。よく見れば胎児のように見えなくもない。
あの大きさで先ほどの惨状を生み出していたのだとすれば、それは当然ながら命を削ったことだろう。
だが、あの感情の爆発は無軌道だった。おそらく、分かっていて使ったというわけではない。そうあるようにと刷り込まれたのではないか、とカイトの直感が囁く。
「それでは、解析と解剖を行う。キャプテンはどうする?」
「部屋に戻りますよ。もう大丈夫でしょうから、結果だけ教えていただければ」
「分かった」
知らない場所で恐怖と不安の感情のままに、小さな命を散らした宇宙マグロの中の誰か。しかし、分からないこともまだある。
かれの吐き出した感情は、極めて幼いものだった。周囲に与えた被害の規模こそ大きかったが、あれは癇癪を起こした幼児の駄々のようにも思える。かれの幼さと乗っている船の技術とが釣り合わない。
カイトが捕獲したものが特別に幼い個体だったのかもしれない。少々陰鬱な気分になりつつ、解析結果が出るまで部屋で待つことにするのだった。
***
「結論から言うと、あれは胎児ではなかった」
「胎児ではない? ではあの見た目は」
ふたたび研究区画に呼び出されたカイトとエモーションは、今度は徒歩で区画に向かった。それほど急ぎではなかったようだ。ネザスリウェ以外にも、何名かのスタッフたちも同席している。無事に回復したようで何よりだ。
さて。ネザスリウェの答えに、エモーションが疑問を口にする。胎児のようなあの姿を見ていたカイトにしても、その言葉には納得できない。
ネザスリウェがゆるゆると息を吐いた。エモーションが疑問を持つのも当たり前だと思ったのだろう。近くのモニターに詳しいデータを示しながら、説明をしてくれる。
「胎児ではなかったのだ。かれの細胞が経た時間経過を測った限りでは、キャプテンと同程度の期間生きているという結果が出た」
「……は?」
さすがにそれにはカイトも驚いた。地球から離れてしまったから確定的には言えないが、カイトはおそらく二十歳を超えている頃だ。改造のせいで加齢では寿命を迎えなくなってしまったので、年齢周りの意識は本当に曖昧になってしまっている。
エモーションに聞けば正確な年齢を答えてくれるかもしれないが、そもそも問題はそこではない。
「つまり、あの姿は彼らの通常の姿だということですか」
「そうなる。あの無数の宇宙マグロの中身も、かれのような姿だということだ」
「ふむ」
「中に満ちていた液体は何だったんです?」
「おそらくは栄養源だろうと見ている。宇宙マグロの船体表面にある模様、あそこと船内を流動していたようだ。光を浴びるとエネルギーを発生させる種類の細菌が繁殖していたから、船体の内外を流動させながら内部の生物が生きるためのエネルギーを生産していたと考えられる」
「なるほど……」
システムとしては、実によく考えられている。
外見からはテレパシーだけを成長させた異質な生物としか思えなかったが、そんな船を作り出すだけの技術も備えていたはず。
宇宙マグロという強固な外殻で身を守り、宇宙を旅する。カイトの脳裏に、ぴんと閃くものがあった。
「まるで有袋類みたいだね」
「少し違うと思いますが……似てなくもない、ですかね」
「ユータイルイとは?」
「地球に存在した生物の種類です。エモーション」
「はい。こちらが現存している情報ですね」
カイトに促されたエモーションが、ネザスリウェたちにデータを送付する。
しばらくデータを熟読していたスタッフのひとりが、うむと唸った。
「育児嚢とやらで未熟状態の子供を生育するのか。宇宙マグロの船体を育児嚢と見なせば、確かに近いかもしれないな」
「だがそれも、あの胎児状の生物にそれ以上に成長する余地があれば、の話だ」
ネザスリウェが、そもそもの問題点に触れる。
「無論、かれらの生態を完全に解析したわけではないから、単純に寿命が改造前のアースリングの百倍くらいあるだけかもしれないが」
「それだと、かれが胎児状の生物ではなく単純に胎児か未熟な幼児であるということになりませんか?」
「そうだな。有袋類という新たな知見が出た以上、その可能性も捨てきれないか」
場を混乱させてしまっただろうか、とカイトは少し反省する。
だが、ネザスリウェたちはその件については結論を急いではいなかったようだ。胎児であるかどうかの議論はさて置き、次の話題に移る。
「そして、これが最も重要な点なのだが」
「はい」
「かれらは、環境の変化に耐えられる生態を有していないだろうことが明らかになった」
「どういうことです?」
「彼らは宇宙マグロの中で生活が完結しているんだ」
ネザスリウェの口調は非常に重かった。軽く宇宙マグロの解体を決断した自分への後悔なのかもしれない。
「まず、運動肢が完全に退化している。生殖器はあるから、複数の個体との間に生殖活動を行うのは間違いない」
「しかし、運動肢がないのでは」
「方法は不明だ。だが、少なくともかれはキャプテン・カイトと同時期に生まれている。その前後に生殖活動によって生まれたのは間違いない」
研究スタッフとネザスリウェの議論が始まる。カイトたちが合流する前にも、おそらくはこういった議論が煮詰まっていたのだろう。
有効な結論が出ないことを確認したネザスリウェが、話を続ける。
「また、免疫のようなものがまったくない。元々そうなのか、ああいう生活をしている中で徐々に失ったのかは分からないが、ないんだ」
「つまり」
「あの液体から外に出たら、おそらくすぐに感染症で死ぬ」
ますます訳が分からない。
宇宙マグロはその船の動き回り方と比べると、中にいる本体が生物として脆弱すぎる。
ふと、カイトの脳裏にどうしても看過出来ない疑問が浮かんだ。宇宙マグロの生態を議論するうえで、絶対に外せない疑問が。
「あの」
「なんだね、キャプテン」
「宇宙マグロは、少なくとも連邦が出来る前には宇宙空間を飛び回っていたんですよね?」
「そういう記録はあるな。それが?」
「宇宙マグロは船なんですよね」
「そうだ」
「船、誰が造ったんです?」
「……あっ」
少なくとも。どう考えても、宇宙マグロの中にいるかれらが今あの船を造り出すことは出来ない。
増えているのか、減っているのか。これまでに何度も流星群が確認されていることと、それらしき化石もあるということ。そして、流星群として星に着弾した後。化石から採取された生体データは、少なくともその星の生物に交じったり、影響を与えたという形跡がない。
「あの船を、どこかの星で誰かが今も生産していると、キャプテンは考えているのかな?」
「いえ、それはないでしょう。少なくとも、彼らが回り始めてから連邦も公社も出来ているんですよね。今までに何度も目撃されていて、なお出所が分からないなんてことがあるとは思えない」
「宇宙ウナギのように、我々の勢力圏外から飛来している可能性もあるのではないかね」
意見はいくつも出てくるが、どれもあまり納得できるものではない。
いや、意見の一つひとつには納得できる部分もあるのだ。全てを解決できる答えが出てこないだけで。
宇宙マグロの中がいかに速く宇宙を翔けるといえど、百年や千年で行ける距離には限りがある。その範囲の中で、連邦や公社が宇宙マグロの出発点を発見できないとは思えないのだ。
そうなると、彼らの出発点はもっと遠いか、既にない。そう考えるのが自然ではないかとカイトは思うのだ。
「もしも彼らが、宇宙に進出した普通の生物なんだったとしたら」
宇宙マグロからマグロという先入観を捨てるのと同じように、あらゆる先入観を捨てて考えてみよう。かれらが知性体で、船を造ったのもかれら自身だったとしたら。
「……まさか」
カイトは解体された船に視線を向ける。
あれが船なのは最早間違いない。何度も何度も、世代を重ねる間に改造を重ねたはずだ。元々の機能やその名残をどこかに残していたとしたら。
「支社長。宇宙マグロに、他の『船』と連絡を取るための通信機の名残はありませんでしたか」
テレパシーの能力を得て、もしも通信機自体が不要になったのだとしても。
集まる習性があるということは、連絡を取り合うという文化はきっとあったはずなのだ。
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