それはいつか神話と呼ばれるかもしれない

 ネシェレカはその日、自分が何か大事なことを忘れているような気がした。

 その日は朝から大変だった。集落の外で、武装した同族が居眠りをしていたと大騒ぎになったのだ。

 大人たちはこぞって武器を手に取り、外へと出て行った。ネシェレカたち子供は建物から絶対に外に出るなと念を押されて。

 大人たちは昼になっても戻って来なかった。ゴルトゴたちと不安がっていると、ようやく聞き慣れた声が耳に届く。


「大丈夫だったのかな……?」

「そうなんじゃないか。怒った声は聞こえないぞ」


 ゴルトゴと顔を見合わせ、窓からちょっとだけ顔を出す。

 集落で見知った大人が、返り血だろうか、緑色に染まった武器と毛皮を洗っているところが見えた。

 彼らが洗っている緑色の意味が分からないほど、ネシェレカもゴルトゴも幼くはない。無言で顔を引っ込めると、小声で話し合う。ここには二人よりも小さい子供たちもいるのだ。


「大丈夫みたいだね」

「そうだな。それにしても、何があったんだろ」

「あれだよね。会うたびに嫌なことを言ってきてた」

「たぶんな」


 武器を持ってやって来ていたという同族。何のためにこの近くまで来ていたのか、大人たちが何も言わずに武器を持って出て行った理由、そして子供たちを建物から出ないように言ったわけ。

 ネシェレカはこの日、自分たちが周りからとても憎まれていたということを理解した。来ていたのは大人だけだったのだろうか。この集落に移る前、共に過ごした友達もいたのではないだろうか。

 とても悲しい。何より、かつて仲間だったはずの者たちに殺されそうだったということが。


「悲しいね」

「そうだな」

「仲良くしなよって、言われたのにね」

「そうだな」


 仲良くするんだよ。誰かがそんなことをネシェレカに言ってくれたような。とても心に残っている。でも、誰がそんなことを言ったのか、どんな姿をしていたのか、何故だか全然思い出せなくて。

 そうだな、と頷いていたゴルトゴに顔を向ける。


「どうした?」

「言われたよね、私たち」

「ああ。それが?」

「誰から言われたんだっけ」

「は? そりゃ……」


 ゴルトゴが言おうとして、固まる。

 あれ、どんなやつだっけ。そんな呟きが口の中でもごついていた。

 ゴルトゴも思い出せないようだ。そんなに昔に言われたわけではない。そのはずなのに、いつ、どこで、だれから。それがまったく思い出せない。

 その言葉の前に、何かとても怖いことがあったような気がする。

 記憶を必死にさらってみるが、どうしても思い出せない。まるで言葉だけがどこかから飛んできたかのように、ネシェレカの心の中にぽつんと置いてあるのだ。


「ねえ、ゴルトゴ」

「なんだよ」

「私たちは仲良くしようね」

「……そうだな」


 建物の外から、自分たちを呼ぶ声が聞こえる。

 元気そうな父親の声だ。最近は難しい顔で難しい話ばかりしていたというのに、そんな悩みがどこかへ飛んで行ってしまったかのように明るい。


「行こ」

「ああ」


 何も分からず、家族の声に反応する小さい子供たちを連れて、ネシェレカとゴルトゴは建物から外に出る。

 空はいつもよりも晴れやかで、不思議と自分たちを見守ってくれているような気がした。


***


 お互いに争い合っていた集落は、ほどなく散り散りになった。

 ネシェレカとゴルトゴの集落を襲おうとして、参加者が皆殺しにされたからだ。例外なく深い眠りに落ちていたという話から、相手の集落には恐ろしい術を使う者がいるのだという噂が立った。

 まったくの誤解なのだが、元々争い合っていた二つの集落は、仲間たちを喪った原因を互いの集落になすりつけようとした。ネシェレカとゴルトゴの集落を責めなかったのは、単純にその恐ろしい術を恐れたからだ。

 結果、これまで以上に争いは激化し、殆どの大人が命を喪った。先に襲おうとしたネシェレカとゴルトゴの集落に身を寄せることなど出来るはずもなく、新しい棲み処を探すあてどない旅に出るしかなかったのだ。

 ネシェレカの父とゴルトゴの父は、生き残った子供たちを受け入れた。あてどない旅に子供たちを連れ出すのは哀れだということで。大人になる直前の子供たちの多くは、あまり日をおかずに集落から姿を消した。責めるのは怖いが、自分たちを離散させた集落にはいたくなかったようだ。

 彼らは散り散りになった親を追って行ったようだ。生き延びられる可能性は低いだろうが、ネシェレカたちは彼らの未来に幸あれと祈ることにした。


***


 ふたつの集落がなくなったことで、ネシェレカとゴルトゴの集落は規模を広げなくてはならなくなった。

 アザーガンのような危険な獣が、空白地域を縄張りにするかもしれないからだ。

 不思議なことに、数日前からアザーガンの気配が近くから消えた。

 疑問に思った滑らかな肌の民の狩人が数人連れだって、森の中を探りに出た。その日の夕方、狩人たちはアザーガンの死体を持ち帰ってきたのだ。

 地中に埋められていたというその死体は、腐敗を始めていたにも関わらず恐ろしいほどの切れ味で斬られたのが分かる傷口だったという。

 食べることはしないが、その強固な表皮を加工しようと思ったのだと。


「誰がアザーガンをやっつけたのかな」

「誰、か。背の肉が切り取られていたから、食うために殺したのは確か。残りは食いきれないと考えて、他の獣が寄り付かないように埋めたか」


 食事の時、ネシェレカが父親に聞くと、父は難しい顔で答えてくれた。

 ふうん、と生返事をしながら、肉を口に運ぶ。アザーガンのものではない。ついでに狩られた、クーシェラの肉だ。


「アザーガンは美味しかったのかな」

「そんな事を考えるのはおろか」


 父の強い言葉に、うんと頷く。アザーガンは恐ろしい獣なのだ。狩ろうと思ってはいけない。誰かの命を喪って得られた肉には価値がない。それがこの集落に広がった考えなのだから。


***


「ネシェレカ。何だ、その絵」

「なんとなくね、頭に浮かんだの」


 ネシェレカとゴルトゴが大人の仲間入りをしてしばらく経ったころ。

 仕事を終えて暇になったネシェレカは、なんとなく絵を描くようになった。

 空想の赴くままに、地面に絵を描く。雨ですぐに消えてしまうが、最近は子供たちも大人たちも、ネシェレカの描く絵を面白がって見るようになった。


「俺たち……? それにしちゃ、顔と手足に体毛がないな」

「うん。私たちと、ゴルトゴたちの、半分半分」

「へぇ?」


 毛皮を着た、体毛の豊かさと滑らかな肌を両立した姿。

 これからも仲良くするんだよ。大事な言葉を思い出すと、なんとなくこんな姿が頭に浮かぶようになった。


「仲良くするんだよ。私たちとゴルトゴたちの違いがなければ、もっと仲良くなれるかなって」

「なるほど。面白いな」


 と、何を思ったかゴルトゴが腰に差していた刃物を抜いた。

 どれどれと絵を覗き込みながら、顔の体毛を刃物で剃っていく。周りにいる同族の大人たちが、何しているんだと声を上げた。


「自分だと見えないから難しいな。ネシェレカ、ちゃんと綺麗になってるか?」

「うん。綺麗きれい」

「そうか。よいしょ」


 ゴルトゴは続けて首と、手の体毛を剃り落としていく。

 それなりにもっさりとした量の毛が、地面に落ちた。


「どうよ? こんな感じか」

「そうだね、そんな感じ。何だかカッコイイよ」

「ふふん。それじゃこれ、ネシェレカにやるよ」


 と、剃り上げた体毛をネシェレカに渡すと言い出す。


「ええ?」

「それでこう、飾りを編めばいいんだ。それで飾れよ。この絵みたいに」

「ああ!」


 頭に被せるような仕草で、ネシェレカもようやくゴルトゴの意図を理解した。

 体毛を少しばかり拾い上げ、ぎゅっと胸元に抱く。


「ありがと、ゴルトゴ」

「おう」


 二人のやり取りを見てか、若い大人たちが同じように体毛を剃り始めた。

 滑らかな肌の民たちが、頭にそれを乗せるような仕草をする。


「おお、何だか涼しくていいな」

「この体毛、どんな形に使うようにしようか」

「まずは洗え。話はそれからだ」


 ぎゃあぎゃあわいわいと、明るい声が周囲に響く。

 みんな仲良く。地面に描かれた絵が、何故だか笑ったようにネシェレカには見えた。

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