絶望の巨獣

ラーマダイトで最も巨大な

 人型に戻ったエモーションを連れて、木の上に飛び上がる。獣たちの行進に巻き込まれても怪我などしないが、念のためだ。

 絶望の巨獣とやらが現れた場所以外でも、あちこちで木々が倒れているのが見えた。逃げている大型の獣がうっかりぶつかって倒しているのかもしれない。


「うわ、でっか……」


 ピンク葉の樹海から西の方角に広がる、青葉の樹海と呼ぶべきだっただろう大森林。その中央にのっそりと姿をみせたのは、土色の山と呼ぶしかない塊。大量の土が付着しているせいか、その姿は把握できない。が、山と見紛うほどの巨体であるのは間違いない。周囲の木々はそれが現れる際に盛り上がった土によって混ぜ返され、横倒しになっている。まるで土砂崩れのようだ。

 カイトは無言でクインビーを呼び寄せた。あちらの出方によっては、クインビーに乗って逃走を図るつもりだからだ。

 クインビーに乗ろうと乗るまいと、カイトは自分が巨獣とやらに負けることはないと確信している。しかし、あれはラーマダイトの生態系の一部だ。巨大であるということは、個体としての環境への影響力もまた強いということ。一時的な観光客に過ぎないカイトが自分の都合で打倒するというのは筋が違うだろう。

 敵対されたら逃げよう。カイトの意図が伝わったのか、エモーションも異を唱えることはなかった。


――ボァァァァァァッ


 鳴き声なのだろう、重低音が周囲に響く。大気がびりびりと震え、ふたたび周辺の生き物が逃げ散る気配。

 と、巨獣の体が突然、上下に大きく割れた。体の中央辺りで二つに割けたと思うと、すぐ前の木々に圧し掛かる。ばきばきばりばりと、木々のへし折れる音が聞こえてきた。最初は大きく、次はくぐもった音として。


「食っているのか……? あの木々を」

『そうです、カイト三位市民エネク・ラギフ。あれは絶望の巨獣。別名を『森喰らい』。樹海ひとつを根こそぎ平らげる、底なしの食欲を持ち主です』

「森喰らい、ね。なるほど、旺盛な食欲だ」


 ピンク葉の木には興味がないのか、青葉の木をぼりぼりと貪り食らっている巨獣。あの巨体であれば、確かにその食欲は分からなくもないが。

 奇妙だ。カイトは巨獣の様子に何故かは分からないが違和感を覚えた。ラーマダイトの生物の進化を全て知っているわけではないから、この違和感は的外れなのかもしれない。だが、カイトの勘は告げている。あれはおかしいと。


「ルティミ・デさん。ドルティ・ムさん。あれの情報を知っている限り教えてくれますか。……何かおかしい」

『おかしい、ですか? 何が……』

「すみません。どこがおかしいか、とかは今は言葉に出来なくて。ただ、奇妙な違和感があるんです」


 ふむ、と通信の向こうで二人が首を傾げるような気配。

 まあ、言っていることが荒唐無稽と思われるのは仕方ない。初めてここにやってきたカイトが、先住民に違和感を訴えているのだから。

 最初に答えたのはルティミ・デだった。続いてドルティ・ムも。


『私はカイト三位市民がどんな違和感を持っているのか、それはよく分かりません。それに、あれを見たのはこれが初めてなんです。群れの年長者たちから聞いた話でしかありませんが、それで良ければ』

「助かります」

『僕は前に一度、あれを見たことがあります。多少ならお伝えできることはあるかもしれません』

「ありがとう、お二人とも」


 景色を埋めている土色は、まだまだ食事に夢中のようだ。あれが立ち去るまでどれくらいの時間があるかは分からないが、違和感の答えを見つける余裕くらいはあるかもしれない。


***


 絶望の巨獣。別名『森喰らい』。

 地揺れと同時に、地中から現れる巨大な獣であるという。他に似たような姿を持った動物を見かけたことはないため、繁殖方法や幼体については不明。

 主食は樹木。逃げ遅れた獣などを木々と一緒に捕食することはあるようだが、それに味を占めて動物を追いかけて食らうようなことはこれまでに一度もなかった。

 出現する頻度は不明。同じ場所を好んでいるというわけでもなく、小人族の中には生まれて死ぬまで一度も出会わない者もいる。

 掘り返した土を身にまとっているような姿なので、巨獣の全貌をはっきりと確認した者はいない。

 天敵は存在しない。地上での動きは極めて鈍重なのだが、あまりに巨体なので逆らったり捕食したりしようとする生物が存在しないからだ。

 食事はおよそ一日から二日。樹海ひとつ分ほどの木々を食い尽くした後、ふたたび地中に戻っていく。

 食い尽くされた樹海は一時的に空白地帯となるが、巨獣が去ってしばらくすると周囲の樹海が進出を始めて新たな生態系を構築する。

 地上で巨獣が捕食以外の姿を見せている姿は、これまでに一度も確認すらされていない。そのため、小人族は巨獣が普段は地中で過ごしていると思っている。


***


 小人族から受け取った情報は、まとめてみるとこの程度だった。

 遠くから観察した情報以外に存在しないのは仕方ない。あんなものに不用意に近づいたら、小人族ならずともひとたまりもない。ここで感触とかの情報が出てきたらむしろ情報の精度を疑わなくてはならない話だ。


「最後の確認です。あれが地上に出てくる頻度は決して多くない、間違いありませんか」

『はい。間違いありません。少なくとも僕が最初にあれを見たのは子どもの時で、連邦に参加することになる三十年後まで、二度と巨獣が出現したところを見ませんでしたから』

「ありがとうございます。……ふむ」


 頭の中でふわふわとしていた違和感が、輪郭を伴ってきたような感覚。

 と、ちゃっかりクインビーの上に乗って巨獣観察をしているエモーションが、カイトに質問してくる。


「キャプテン。何か気になることがあるのですか」

「あるねえ。不思議で仕方ないよ」


 カイトは巨獣の姿を見ているだけで湧いて来る疑問を、エモーションに促されるまま口にする。

 まず、頭部だ。巨体のおよそ半分が頭部、しかも樹海の大樹を丸呑み出来てしまうほど大きく広がる口を備えている。そして眼球。地中が活動の中心であるなら、眼球に相当する器官が衰えていてもおかしくない。しかし、明らかに眼球の役をしているような球体が頭部にある。圧し掛かる木々を探すようにぎょろぎょろと蠢いているから、明らかに使用されている部位だ。

 次に、機能肢が見当たらないこと。位置的に見えないだけかもしれないが、隠れているのだとすれば頭部に比べて小さすぎる。むしろそんな機能肢で、どうやって土を掘って現れたというのか。山に見紛うほどの巨体でありながら、地震から現れるまでにそれほど時間がかからなかった。よほどの掘削力がなければおかしいが、それに対応できそうなパーツが見当たらない。

 最後に、骨格があるように見えないこと。あれだけの巨体を支えるのだ、相応の骨格が必要になるはずだ。しかし、木々を捕食する際の様子に、骨格が影響しているように見えなかったのだ。なんというか、ゼリーが揺れるような動き。

 総じて、奇妙だ。カイトの常識に存在しない特殊な生物だと断定してしまうのが、最も話が早い。超巨大なアメーバだと思えば楽なのだけれど。


「なるほど。確かに奇妙ですね」

「だろう?」


 エモーションと話すことで、ようやく違和感と疑問が整理できた。

 土を掘り進む超巨大アメーバ。これまでに散々宇宙面白海産物と出会ってきたカイトだ、これも宇宙面白単細胞生物と割り切っても良かったのだが。


「あれ、そもそも本当に生物なのかね?」


 駄目だ。口にしてしまったら確認せずにはいられない。

 浮かんでしまった好奇心に勝つことは出来ない。カイトは絶望の巨獣をもっと近くで観察してみることにしたのだった。

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