それは前ぶれもなく

 イタチに似た六本足は、予想以上に美味しかった。

 毛皮と骨を刻んで地面に撒く。中央星団の小人族に贈っても良かったが、今の彼らにはあくまで過去を懐かしむオブジェ以上の意味はない。そういったものをコレクションし始めることの危険性を、カイトはおそらく連邦の他の種族よりもよく知っていた。

 保存用に確保した干し肉をエモーションと齧りながら、森の中を進む。燻製するほどの量は残らなかった。どちらにしろ山羊熊の燻製がまだ準備途中なのだ、次を補充する意味はあまりない。

 そしてどうやら、ピンク木の森は小型動物が主として棲みつく環境らしい。先程から大型の獣を発見していない。カイトとエモーションを警戒しているわけでもない。単純にこの森のつくりが居住に向いていないということなのだろう。


「こういう時、ゴロウ先生がいると便利そうだなあ」

「生物学ですか」

「環境学かもね。このピンク色の森に、大型の獣が寄り付かない理由」

『それはですね』


 ピンク木の森出身のルティミ・デが、二人の会話に参加してくる。

 アディエ・ゼと違ってこの森で実際に過ごしていたからか、ある程度の事情は知っているらしい。樹上生活でも分かるのだろうかという疑問は、偏見だったか。


『ここで最も大型の生物が毒を持っているから、なんですよ』

「毒か。それなら納得だねえ」


 なるほど。毒を嫌って近づかないと。

 そしてルティミ・デがそれほど嫌悪感を出していないところからすると、小人族とは良好な関係を結んでいたか、生活に利用されていたかのどちらか。


『この色の葉っぱの木の実は、多くの獣にとって毒になる成分を持っているものが多いんです。だから、普通の森でこの色の木が生えると、周囲の動物が蹴り折って殺してしまうのですけど』

「ほう」

『でも、この森には、その実を主食にする動物が棲んでいるんです。だから、他の動物が近づかない』


 毒性の植物と共生関係にある動物、ということか。自分たちの生存環境を維持するという意味では非常に合理的だ。そして、規模が大きくなればなっただけ、繁栄出来る領域も広がる。

 それ自体には危うさもあるが、ピンク木の森が生き延びている理由については理解出来た。


『気をつけてくださいね。群れる習性がありますから、巣の近くには結構な数がいると思うんで』

「分かりました。ありがとう」


 気をつけろということは、結構強い毒なのだろうか。身体改造によって、多少の毒物は効かない体質になっているけれど。エモーションは元より機械知性なので毒物は効かない。

 カイトはどういう形状をした生き物なのか、という程度の興味しかないが、エモーションはその生物の味が気になって仕方ないらしい。目をきらきらと輝かせて何やら急かしてくる。


「毒のある生き物は美味しいと聞きますよ、キャプテン!」

「それは大いなる誤解というものだよ、エモーション」


 そう。毒のある生物が美味い傾向、なんていうのは大きな間違いだ。エモーションの知識の一部は、どうしてもカイトが読み物として希望していた雑学のデータや書物由来のものが多い。奇妙な偏りが生じていることについて責任を感じないこともないが、当時の自分がこんな状況になるなど知る由もないわけで。

 まあ、エモーションが食べてみたいと言うのであれば、彼女の分だけ用意するのはやぶさかではない。カイト自身は絶対食べようとは思わないけれど。身体改造によって毒が効かないものだとしても。


「キャプテン。あちらに何やら群れの反応がありますよ! 行ってみましょう、さあさあ!」

「はいはい」


***


 毒の生物と言われると、カイトはフグやヒキガエルのようなものを思い浮かべるのだが、ラーマダイトの有毒生物は随分と動きの素早そうな姿をしていた。


「まあ、草食動物と言われれば確かに……」


 ピンク色の角をしていることから、どうやら毒物は角に集中しているものらしい。あれで刺されたら毒が回ったりするのだろうか。


『走っても速いんですよ! ピンク木を蹴り折る動物を追い払うために走り回ることが多いですから』

「速そうなのは分かります。これだけ群れているなら、確かに他の獣も近づかないでしょうね」


 ルティミ・デは随分嬉しそうだ。自分たちに害をなしてきた他の動物とは違って、懐かしさが勝っているのだろう。

 ピンク色の独角を持った、痩せた水牛。地球の動物に当てはめてみるなら、要するにそんなところか。体格はそこまで大きくはない。

 毒性の強い生物のくせに、近くに寄ってきたカイトに明確な敵意を示しているのが分かった。寛いでいた先頭の数頭が起き上がり、こちらに角を向けて唸り声を上げている。

 別の星でも威嚇の作法は似ているのか。カイトは近づくのを止めて、静かに距離を取る。


「キャプテン?」

「エモーション、やめておこう。かれらの一頭だけを狩るのは無理そうだ」

「……残念です」


 群れのすべてが、こちらに敵意を向けている。最初に行動に移りそうなのは先頭の三頭だが、奥にいる毒牛(暫定命名)も前が退けられたら次は自分たちだとばかりの殺意を見せている。

 毒の実を食べるから食性も被らないし、木に登る足の形状ではないから生息圏も噛み合わない。翼蛇以外の天敵の大半をこの地域から追い出している。ルティミ・デが気に入るのもよく分かる。


「それでも、この辺りは皆さんの安息の地にはならなかったわけですね」

『はい。護り木がなければ、この辺りには食糧になるものが少なかったですから』


 先程のイタチ似の六本足も、毒ではない実や毒のない小型生物を食べて暮らしていたようだ。大型の動物は生きるのに苦労するが、小型動物はそれなりに生きていける環境ではあるらしい。

 それでも食べるに苦労すると言い切る小人族の、ラーマダイトでの立場の弱さが浮き彫りになる話だ。


「イタチは木登りもするから、皆さんも狩猟は出来たわけですよね」

『ええ。護り木の実は毒がありませんから。連中も下の方に食糧が少ない時じゃないと上まで来ませんでしたよ』


 毒牛はピンク葉の木を蹴り折れる大型獣以外には、あまり敵意を示さないらしかった。カイトに敵意を見せても襲って来なかったのは、カイトとエモーションがピンク葉の木を蹴り折る様子を見せなかったからだ。

 カイトが彼らの目の前で木を折っていれば、今頃群れに全力で追いかけられていたということか。あるいは敵意を見せてきたのも、先程イタチを狩る際に枝を折り取っていたからかもしれない。彼らにだけ知覚出来る匂い成分があったとしても不思議ではない。


「ちなみに、あれの毒性って肉にも含まれているのかな」

『さあ……?』


 でしょうね。生活圏が合わないのだから、見知っていても関わりはないはず。せめてあまりおいしくないという情報だけでも出してくれれれば、エモーションのこの訴えかける視線を止めることも出来るのだけど。

 次の獲物で気を逸らすしかないか、などと考えていたカイトは不意に足を止めた。

 地面が軽く揺れる感覚。地震だろうか。

 辺りが奇妙にざわめき始めた。地震の震源だろうか、西側から何やら慌ただしい気配が迫ってくる。

 ちらりと視線を向けると、毒牛たちも立ち上がっていた。西側を警戒し、すぐに逃げ出せるように体を軽く沈めている。


「なんだ……?」

『嘘、今がそれなの!?』

『危険だ、カイト三位市民エネク・ラギフ! そこから逃げてください!』


 心当たりがあるらしく、ルティミ・デとドルティ・ムが口々に叫ぶ。

 西側から、動物たちがこちらに向かってやってくるのが見えた。どの個体も恐慌状態で、まったくこちらに警戒している様子がない。

 横で群れが動く気配。毒牛の群れだろう。自分たちも逃げを選んだようだ。彼らは何が起きているのか分かっているということ。


「何が起きているんです?」

『来る、来るんですよ!』

『地中から現れるんです。この星の頂点捕食者が!』


 ラーマダイトの頂点捕食者。

 ルティミ・デもドルティ・ムも一切の疑いなくそう言い切っている。動物たちも大小の別なく反抗など一切考慮せず、逃走を選択している。

 つまり、頂点捕食者はラーマダイトで完全に隔絶した生物なのだ。


『地面が揺れて、地中から現れる。……絶望の巨獣が!』


 ドルティ・ムの言葉に呼応するように、地面が一際大きく揺れた。

 めりめりと、遠くから木々がなぎ倒される音。翼ある生物たちが、地上の生物に遅れて飛び立つのが見える。

 絶望の巨獣。カイトが視線を上げると、木々よりも遥か高く。

 まるで山のように大きな何かが、話を信じるならば地中からその姿を現していた。

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