命のかたちと幸せのかたち

 ぷしゅう、と。音を立てて壁の一部が開いた。

 リティミエレがそちらを向いて、体毛の色を変える。


「ミスター・カイトがその『超能力』を選んだのがよほど嬉しいらしいですね。代表が早くミスターを連れてこいと催促しています」

「あらま」


 呆れているのか、予定を変えられて怒っているのか。リティミエレの感情と体毛の変化を把握しきれていないカイトには、その内心は分からない。

 ともあれ、代表に挨拶するのは間違いないから、早いか遅いかの差でしかない。歩き出したリティミエレの後を追う。


「いつでも再調整するから、遠慮なく言ってくれよミスター!」

「ありがとう、ディルガナーさん」


 ディルガナーの心配の声を背に受けながら。


***


 何となく、体が軽くなっているような気がする。

 改造の結果が体に馴染んできたのかと思っていると、前を歩くリティミエレの体毛がふわりと浮いた。同時に隣のエモーションが警告音を発する。


「マスター・カイト。少しずつですが重力が低下し続けています。頭を打たないように気をつけてください」

「おっと、改造の成果が出たのかとばかり」

「すみません。代表は低重力下での生活に適応していた種族ですので、居室の重力は低く固定されているんです」

「そうでしたか」


 リティミエレの歩調は変わらないが、説明の途中でリティミエレの体が浮いた。


「リティミエレさんももしかして?」

「ええ。地球基準の重力は私には少しですが重く感じます。連邦の居住スペースは、地球より体にかかる重力は軽いので」


 どうやら、カイトの応対をしたことでリティミエレの歩調も普段より少し力が入っていたらしい。

 体にかかる重さが軽くなってきたのが如実に分かるようになってきた。浮かんでしまわないように、すり足のような歩き方に変える。

 と、背後でゴン、と何かにぶつかる音。

 振り返ると、少し後ろを浮いていたエモーションがいなくなっている。

 驚いて見回すと、頭上からエモーションの声。


「マスター・カイト。重力制御の技術はやはり彼らの方が進んでいるようです」

「……そうだね。降りてこれる?」


 重力下用ユニットの出力を抑えたようで、ゆっくりとエモーションがカイトの頭の位置まで降りてくる。

 重力の変化を観察していた割に、自分のユニットの出力までは対応が追い付いていなかったのだろうか。

 天井にぶつかった程度で破損するような強度ではないから、優先順位が低かっただけかもしれない。

 内部から聞こえてくるきゅるきゅるという音は、あるいはエモーションが恥ずかしがっている音なのかもしれなかった。


「特に破損はありません、マスター・カイト。ご安心ください」

「そりゃ良かった。お互い気をつけないとね」

 

 少し踏み出すだけで、体が浮きあがってしまいそうな身の軽さ。

 エモーションとの会話に、リティミエレが体毛をカラフルな色に変えた。


「ええ。本当は少しずつ居住重力の軽いスタッフから紹介していく予定だったのですが。代表の気まぐれにも困ったものです」


 原因が自分にあることを自覚しているカイトは、その言葉に返答出来ない。

 ともあれ、すでに何をしても体が浮き上がってしまいそうな状態だ。目的地は近いとみえる。

 ゆったりとしたカーブの先に、行き止まりが見えた。


「到着です。……ええと、先に伝えておきたいのですが」

「はい」

「おそらく、代表の姿はミスター・カイトには違和感のあるものと思います」

「なるほど?」

「もしも不気味だと思っても、どうかあまり拒絶の意志を示さないでいただけると嬉しいです」

「もちろんです」


 最初にカイトの対応をしたのがリティミエレだった。地球人があまり反発を受けない相手として選ばれたのだとすれば、他の居住者がこちらの常識と違う姿をしていても不思議ではない。

 既に覚悟は出来ている。頷いてみせると、壁が開いた。

 その向こうにいた存在を見た瞬間。


「……くらげ?」


 地球の海中で暮らしている、生物の名前がカイトの口からするりと漏れた。


***


 宇宙くらげ。

 そんな表現が、カイトの頭の中を駆け巡る。

 代表ことテラポラパネシオは、地球でいうクラゲに酷似した生物だった。


『改めて挨拶をしたい。初めまして、ミスター・カイト。我々はこの出会いを評価する』

「あ、はい」


 なるほど、声帯がないというのも納得だ。

 むしろ、クラゲが知的生命体として宇宙に暮らしていることが驚きではある。


『で、くらげと呟いていたのは何故かな? もしかして地球には我々に近い生物が暮らしているのかね? そうであるなら素晴らしいことだが』

「え、ええ。エモーション? クラゲの画像データとか、あるかい」

『保存されている画像を投影します』


 きゅるるるる、ととても甲高い音を立てながら、エモーションが空中に画像を投影する。

 それを見たリティミエレが、全身の体毛を色とりどりに発色させる。

 映されていたのは、まさにテラポラパネシオにそっくりな生物。クラゲである。


「これは……!」

『たしかによく似ている。彼らは地球のどこで暮らしているのだね?』

「海の中で生活しています。詳しい生態については僕は存じ上げないのですが……」

『海中か! 確かに地球の重力下ではよほど強い力を使い続けなくては空気中で生存は出来ない。海中か……盲点だった』


 詠嘆する代表。

 こちらを観察していたと聞いたが、海中は確認していなかったのだろうか。


『我々は地球の観察はしているが、それはあくまで知的生命の総体的な活動を観察する程度に留めている。あまり深く個体について注視すると、その……何だ。そう、情が移るという現象が発生しかねないからね』

「そうですか」


 カイトが思い浮かべた疑問に対しての答え。口にも顔にも出していないつもりだったが、こちらの思考を読み取ることが出来ると言われても不思議ではない。

 つまり、地球の営みはそれなりに観察していたが、いちいち人間以外の動植物にまで観察の目を向けてはいなかったということだろうか。


『おおむねその理解で構わない。あと、思考を読み取れるのは我々だけで、他のスタッフには不可能だ。気を悪くしないでくれたまえ』

「つまり警戒するならばテラポラパネシオの方たちだけで十分だと」

『そうなるね。無論、本来はこのようなことはあまりしないのだが』


 代表の一人称が『我々』であるのも、クラゲであるなら理解も出来る。個体に見えるが、その実は無数の個の集合体であるのだろう。地球のクラゲとは似ているようで違う部分も多いとは思うが。

 少なくとも、地球のクラゲは空気を震わせて人間とコミュニケーションなど取らない。


『やはり聡いね、ミスター・カイト。その通り、我々は無数の私の集合体。我々はひとつの生命であり、それぞれが端末のようなものだと考えてくれたまえよ』

「そうでしたか。確かに地球のクラゲも一部がそうだったように覚えています」

『やはり似ている。我々は彼らが幸福であることを信じてやまない。いつか機会があれば交感してみたいものだ』

「幸福、ですか。彼らにそれを感じる程の知性が存在するかどうか」

『知性を発達させねば生き延びられない。そういう命は、本質的に幸福であると思うかね? 我々には、ただ生きるに十分なだけの知性で満足して生活出来ている彼らの方が、本当に幸福なように思えるのだよ』


 宇宙クラゲの幸福論を聞いている。共感できるような、できないような。

 カイトはふと自分がいま、グッバイアース号の中で幻覚を見ているのではないかと不安になった。もしかすると臨死体験というやつではなかろうかと。こういう思考の時に限って代表はインターセプトしてこないし。

 隣にいるリティミエレは体毛を明滅させている。こちらの思考が読み取られる前提で行われている会話について来られていないようだ。口の中を軽く嚙んでみたが、残念なのかありがたいのか、幻覚の類ではないようだ。痛い。

 ともあれテラポラパネシオという種族についての理解は深まったが、今のところはクラゲの話だけだ。本題は何なのだろうか。


『ふむ、せっかちなのだなミスター・カイト。未知の知性との会話によって新しい知識を得るのは、とても素晴らしい体験であると思うのだが』

「それには同意見ですが、リティミエレさんの予定を覆してまで急ぐ理由があったようには思えないので」

『もちろん、それだけではないよ。では、本題に行くとしよう』


 代表は触腕のひとつをぷらりと動かしてカイトの近くまで伸ばしてきた。

 エモーションがカイトに聞こえる程度の小さな声で「毒はありません」と伝えてくるのが何とも味わい深い。人差し指で触れた方が良かっただろうか。


『我々が地球を観察していたのには理由がある。その説明を優先した方が良いと判断した』

「なるほど?」

『だが、この理由は少々政治的な側面を持つ。ミスター・カイトを正式に連邦の一員として受け入れなくては、説明する権限が付与されないのだ。理解してもらえるだろうか』

「分かります」


 お役所仕事とやらが面倒な手順を必要とするのは、どうやら地球でも宇宙でもそう変わらないことであるらしい。

 そして、地球が監視されていた理由。これを隠されたままでは、カイトとここのスタッフとの関係に良い影響が出ないと判断された。これも分かる。リティミエレとのさっきの会話でもそうだったが、何か隠している事があると、話はどうも盛り上がりに欠けてしまうものだ。

 カイトが頷くと、代表は触腕で右手を掴んでくるりと一周させた。握手のつもりだろうか。


『助かるよ、ミスター・カイト。それではこれより、我々は君を連邦本部へと招待する。当たり前だがアースリングとしては初めてのことだ、楽しんでくれたまえ』

「あ、代表!?」


 リティミエレが慌てたような声を上げる。

 同時に、体にこれまでとは比べ物にならないほどの浮遊感。

 自分を中心に、虹色の光が集結してくる。カイトは思わずエモーションの重力下ユニットをむんずと掴んだ。


「マスター・カイト! 奇妙な力場を検知、分析不能!」

『さあ、ここからは完全に安全な宇宙の旅を保障しよう!』


 代表の声を最後に、景色が変わる。人工天体の外、宇宙空間をとてつもない速度で飛翔している景色。

 体にかかる圧はそれほどでもない。何というか、古典ムービーで見たような移動。人類の想像力は、宇宙のそれと同じクオリティにまで達していたのかと感動が胸に満ち――


『ミスター・カイト。君の好きな移動シチュエーションを再現してみた。もうすぐ到着するから、それまで身を任せているといい』


 一瞬で霧散した。色々と台無しである。

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