ギルベルト・ジェインという男
その男が生まれた場所は、定かではない。
どの国にもある貧民街の、親の顔も知らない子供たちの一人として遊んでいたのが最も古い記憶だと調書にある。
命の価値がパンより安い貧民街で、生きるためには何でもやったという。
記録はないが、十代前半までには三人ほど殺害していたようだ。
元々の顔立ちと地頭の良さで、貧民街の少年少女のリーダー格となった彼は、孤児院にやってくる大人たちを見て商売を思いつく。
資産家たちの家に子供たちを文字通り売り込む人身売買。
孤児院のオーナーである老婦人に巧みに近づき、彼女の仕事を引き受けるほどの信頼を勝ち得るまで一年。文字についてはその時に覚えたと供述している。
仕事を任されてからは早かった。抱き込んだ服屋と、寝床にしていた娼館の店主を抱き込んで少年少女をちょっとばかりおめかしさせたのだ。
客に糸目はつけなかった。我が子になってくれる子を探していた真面目な夫婦でも、小綺麗な男子に邪な感情を抱いていた富豪であっても、値段次第で平然と引き渡した。
実際、貧民街の子供たちにとってはどんな里親でも満足だっただろう。その国の貧民街はまさに地獄だったからだ。貧民街で暮らす子供が、大人になれる割合は十人に一人に満たない。子供たちにとって、屋根のある寝床を行き先に選んでくれる彼はヒーローであったし、実際に彼自身も自分のしていることが良いことだと、ある程度の年齢まで信じていたようだ。
***
ジェイン孤児院のギルベルトがその国の民衆に名を知られるようになったのは、それから更に十年ほど経った、二十代半ばの頃だった。ジェイン老婦人は既に死去しており、文字通り孤児院のオーナーになった彼は、この時期にはもう悪事に染まっていたのが見て取れる。
自分の仕事が上手く行って、貧民街の孤児が激減したことで斡旋する子供が減った彼は、地元のギャングと手を組んでいる。敵対組織の情報を流すことで襲撃を成功させ、親を亡くして路頭に迷った
子供たちはギルベルトを兄のように慕い、その恩義を忘れなかった。たとえそれが、マッチポンプによる刷り込みだったとしても。
彼が国内に革命を目指す組織と接触したのも、この時期であるようだ。最初期に里親を斡旋された孤児のひとりが革命軍の幹部だったからだ。ギルベルトを兄貴と慕う彼は、革命の成功のためにその人脈を借りたいと申し出てきた。
ギルベルトは孤児の斡旋という表の顔で革命軍に手を貸しながら、同時に国内の権力者たちにも顔を繋いでいる。その後で自分が最大の利益を得られる相手を見定めていたのだ。
革命軍は当初は善戦していたが、七年後にひとつの作戦が失敗したことを皮切りに連戦連敗、壊滅した。
当時の国軍の高級将校の中にギルベルト・ジェインの名があったのは、偶然ではない。
***
人の命は金になる。それがギルベルトの学んだ結論である。
ギルベルトは、その後も密かに活動を続けた。内戦で家族を失った子供たちを集めて孤児院に集め、思想教育を始めたのだ。
引き取られた家では大人しくしておけ。我慢が肝心だぞ。大きくなってから、国に復讐をするんだ。俺は革命軍の協力者だった、悔しいのは一緒だ。動くのは君たちが力をつけてからだ。
自分が仲間を売ったことなど感じさせない口ぶりで、子供たちに憎悪を植え付けてから野に放つ。
ギルベルトは巧妙だった。孤児たちの素性を隠して権力者に売りつけたのだ。戦禍で焼け出され、親を喪った子供たちを引き取っている。そう周りに喧伝するだけで印象が良くなりますよ、と。
権力者の多くがその提案に飛びつき、孤児を引き取った。彼らは何も知らずに引き取った子供たちに言うのだ。内戦で自分たちがどう活躍したのかを。国を揺さぶろうとした悪漢を殺して、平和を守った英雄が里親なのだぞと。
孤児たちはギルベルトの教えをしっかりと守った。自室で怒りに震えながら、涙を堪えながら。
***
十五年後、その国では再び革命軍による内乱が起きた。今度は権力者の家族から参加者が多く出たために、首都は三日と保たずに陥落。当時の権力者たちはそのほとんどが首を刈られ、革命政権が成ったのである。
革命政権で大統領に推されたのは、ギルベルト・ジェインであった。
自分は一度として表舞台に立つことなく、戦争と命を商売にして五十歳手前で頂点まで上り詰めたのである。
***
だが、その転落もまた早かった。
最初期の革命軍、そこに参加していた幹部が生き残っていたのだ。それも、ギルベルトをよく知っている男が。
大統領の初演説の日。広場に詰めかけた群衆の前で、片腕と片足のない男が大声を張り上げた。
「あの男が全ての原因だ」
と。
人身売買を行っていたこと、革命軍に情報を流していたこと、最も重要な作戦で幹部しか知らない情報が漏れていたこと。それを知っていて無事に生きているのはギルベルトだけだということも。
そこまで叫んだところで、哀れな男は射殺された。
最初は、その言葉を信じる者は少なかった。何しろ、ジェイン孤児院のギルベルトと言えば、無私無欲の聖人だと評判だったからだ。
だが、その後の悪政は、名も知られぬ革命軍の男の言葉を信じさせるに足り、そして始まった弾圧によって多くの死をその国にもたらしたとされる。
二年にわたる独裁の後、ギルベルト・ジェインは国家元首から転落。政治犯として逮捕され、追放刑に処された。処刑されなかったのは、自身が貯め込んだあらゆる財産との引き換えだったと伝わっている。
***
追放刑の刑期が終わったことで、ギルベルトは約十年ぶりに地上に帰ってきた。
筋力が落ちていたことで、最初は立ち上がるのにも随分と苦労した。戻って来た最大の目的は、復讐である。自分を裏切った者たちへの復讐。
だが、そんな感情も色あせた地球の光景に砕け散ることとなる。復讐しようと思っていた連中など、一体どれだけ生きていることか。
彼が辿り着いたのは、母国ではなかった。髭を生やし、髪で顔を隠すことで別人に成りすましたギルベルトはダモスと名乗り、生き残った人々をまとめていく。食糧を探すには、人手があった方が便利だったからだ。
だがそれも、ある時を境に行き詰まる。人が集まりすぎたのだ。
「随分と上手くやるものだ。まるでこういうのに心底慣れているように」
「なんだ、あんた達は」
「君たちと祖先を同じくするものだよ」
少ない食糧をやりくりしながら、次の食糧と水を求めて枯れた大地を歩く。このままでは誰かを殺して喰わなくてはならないだろうな、と考えていた頃に接触してきたのが『ディーヴィン』を名乗る者たちである。
たった五人の『ディーヴィン』は、地球の科学技術でも見られないような高度な技術を持っていた。
「我々は、君たちを救いに空の果てから来たのだ」
ダモスは当初その言葉を世迷言だと思っていたが、彼らが当座の食糧を用意してみせたことで、当面その言葉を受け入れることにした。目の前で見てもなお、ディーヴィンが食糧を作り出した方法が理解出来なかったからだ。
利用できる間は利用し、出来なくなれば他に売りつければ良い。これまでにもやってきたことだ。
この地に来れば食べるものには困らない。
そんな噂が不思議と広まり、地上に降りて半年を数える頃には集落の人口は何十万と増えていた。
そんなある日、ディーヴィン達はダモスに告げた。
「本隊が来る。最初に船に乗る者たちを決めておいておくれ」
「船?」
「そうだ。この星はもう死にかけている。君たちがこの星で永らえる未来はもうないと見ていいだろう」
いよいよ来た。そんな実感があった。
ダモスは大きく頷くと、口の端を大きく歪めた。
「それで? 何人売れば俺の立場は良くしてもらえるのかね」
ディーヴィンの一人が、同じような禍々しい笑みを浮かべる。
気付いていたのか、と笑う。
当たり前だ。自分がこれまでやってきた事とやり口が同じなのだから。
「十万というところでどうだ?」
「売った」
売れそうなのはそっちで勝手に見繕え、と言ったダモスは、清々しいほど曇りのない笑顔だった。
***
十万人を乗せた船が、地球を離れていく。ディーヴィンの一人が船のデッキでほくそ笑んだ。
売り先はほとんど決定済だ。久々の大口の商売が上手く行ったことが嬉しくて仕方ない。
連邦の絶対要塞ゾドギアが動いた。これまでの経験上、監視対象だった地球を放棄して立ち去るだろう。上が動いたのもそれが理由だ。
笑みを消して、ひとつ溜息。
「連邦への再加入に必要な資金は、あとどれくらい必要だろうな」
「分からん。上も困っておられる」
ぼやきに答えたのは、同じく地上に降りていた先遣隊の一人だ。
「陛下たちはそろそろ限界なのではないか?」
「俺たちも同じだ。連邦の市民権を再獲得できなくては、我らに未来はない」
「くそ、せめてあのシステムを買い取ることが出来ればな」
連邦からの追放によって生体情報を破棄されたディーヴィンたちは、死後の再生を取り上げられた状態だ。命のバックアップがない、そのストレスは彼らの精神を深く蝕んでいた。
考えていると神経が尖る。話題を変えるべく、ふとした疑問を口にする。
「そういえば、あの定命人どものことだが」
「うん?」
「ダモスとかいう奴は中々優秀だったが、なぜアレを選んだのだ?」
ディーヴィンたちは、保護の名目で商品を連れ去る前に代表者の人選を行う。ダモスは二番目だ。
「あの総帥と呼ばれていた女でも良かったではないか。あれはダモスよりも随分と優秀だったぞ」
「あれは駄目だ。ダモスは良い」
「何故だ?」
「あの女は、定命人の未来のために行動していた。ダモスは自分の欲望のために行動していた」
「それが?」
「ダモスは分かりやすい。餌さえ用意しておけば、こちらを上手く利用しようと動くだろうさ」
自分のためだけにな、という答えに、深く納得する。
目をつけていた代表者のうち、ディーヴィンたちの条件に適ったのはダモスの方だった。
「あの女を殺した理由もそれか」
「ああ。放っておいたらこちらに敵対したはずだ。危険ではないが面倒だろう?」
「確かに。……そうだ、ダモスの奴に連邦の市民権を取らせてはどうだ」
「ふむ? あの男の知恵でシステムをこちらに流させるか」
「あるいは定命人どもに紛れて、こちらが市民権を得るという方法もあるかもしれん」
それは良い。
ディーヴィンの最終目標は、連邦への復帰だ。自分たちの同輩が未開惑星に植え付けた命の種は、彼ら種族の遺伝情報を元にしている。
彼らにとって、死が終わりである地球人たちは、自分たちより格下の存在でしかない。定命人と蔑む理由もそれだ。だからこそ、連邦に復帰して命のバックアップを復活させたい。自分たちが彼らとおなじ定命人であり続けることが許せないからだ。
死への恐怖を、定命人への差別に置き替えながら。
ディーヴィンの船の第一陣は、哀れな地球人たちを売却先へと運ぶのだった。
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